オーソレ、何それ?

私、o_sole_mioが好きな歴史、旬の話題、
賞味期限の切れた話題等を
適当に書きつづります。

十五人の徳川将軍

2008-04-04 23:36:35 | 歴史
今週、NHKの番組「その時、歴史は今」を子供と見ていました。徳川四天王が取り上げられていました。徳川四天王とは徳川家康の天下獲りを支えた酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政の4人の重臣ですが、本日のお題はこの4人ではありません。

うちの子供が徳川家康と秀忠がごっちゃになって「家忠?」などと言い出したので徳川将軍について語ってしまい、勢い余って十五代まで行ってしまいました。以下ダイジェストです。

初代将軍=徳川家康 松平広忠の長男
2代将軍=徳川秀忠 徳川家康の三男
3代将軍=徳川家光 徳川秀忠の長男
4代将軍=徳川家綱 徳川家光の長男
5代将軍=徳川綱吉 徳川家綱の弟(家光三男)、館林藩主
6代将軍=徳川家宣 徳川綱吉の甥(綱吉の兄 綱重の子供)、甲州藩主
7代将軍=徳川家継 徳川家宣の長男
8代将軍=徳川吉宗 紀伊徳川家から将軍家を相続
9代将軍=徳川家重 徳川吉宗の長男
10代将軍=徳川家治 徳川家重の長男
11代将軍=徳川家斉 一橋家から将軍家を相続
12代将軍=徳川家慶 徳川家斉の二男
13代将軍=徳川家定 徳川家慶の四男
14代将軍=徳川家茂 紀伊徳川家から将軍家を相続
15代将軍=徳川慶喜 水戸藩主徳川斉昭の七男、一橋家を相続、後に将軍家を相続、「最後の将軍」

以上は、正確を期すため後で確認したものですが、11代将軍家斉が一橋家からの相続と言うところは外していました。後半は何男かというのは不確かでした。ただ慶喜は幼名を「七郎麿」と呼ばれていたのを記憶していたので七男という予想がつきました。

興味深いのは将軍家と御三家の関係です。御三家は対等ではなく、御三家筆頭は尾張家で、二番目の紀伊家とともに将軍家に嗣子が絶えた場合将軍家を相続する「DNAのリザーブ」というべき役割をもっていました。一方水戸家は「副将軍」格として将軍を補佐する役割を担い、水戸家からは将軍家を相続しない、ということになっていました。石高も水戸家は尾張、紀伊家の約半分です。

ところが御三家筆頭の尾張家からは将軍は現れず、最後の将軍慶喜は一橋家から相続したとは言え、本来将軍家を相続しない水戸家出身でした。実父の斉昭は安政の大獄で処分(蟄居)されるなど幕府から危険人物視されていた人物で、他家に養子に出ていたとは言え、危険人物の実子が将軍になったのは異例だったと思います。ちなみに2度将軍家を相続した一橋家は、8代将軍吉宗の時代に自分の一族を将軍家に残せるよう、御三家をは別に自分の長男家重以外の子供にも一橋、田安、清水の三家を立てて御三卿とし、その子孫が将軍承継者としての道を残しました。

あっけにとられた子供に「学校で暗記して憶えたの?」と聞かれ、「学校を卒業して憶えたよ。興味があれば憶えるのは簡単だよ。」と言っておきました。事実学生時代はせいぜい、家康、秀忠、家光、綱吉、吉宗、慶喜ぐらいでしたが、NHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」で家綱~家重まで学び、「最後の将軍」で家慶~慶喜まで学びました。家治~家斉が空白でしたが、実は最近憶えたところです。この時期は田沼政治と寛政の改革の時期で田沼意次や松平定信といった重臣が活躍し、将軍の影が薄い時期でもあります。ただ、11代家斉は知る人ぞ知る「子だくさん将軍」です。

最近子供が熱中している漫画が、歴史上の人物から名前にちなんだものになっていて、歴史に興味を持ってくれればと思っています。子供が徳川将軍を憶えやすいように「将軍戦隊ジュウゴレンジャー」というのはいかがでしょうか。しかし、十五人はにぎやかすぎるし、色が十五色にすると紛らわしい色になってしまうから却下でしょうね。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
そりゃ凄いですね! (ミュジニー)
2008-04-06 21:56:03
まあ、墓参りはしたことがありますが
そこまで詳しいことは知りませんでした。
まあ、以前記事で側室の数を調べて記事にしたことはあります(汗)。
http://room101.blog73.fc2.com/blog-entry-362.html#more
ジュウゴレンジャー...名前を覚えるだけでも大変かも(笑)!
返信する
授業では教わらない日本史 (o_sole_mio)
2008-04-06 23:12:15
徳川将軍十五代の側室と子供の数などは授業では教わることはないでしょうが、いろいろと興味深いものがありますね。多くの大名家が無嗣子のため取り潰されておりますし、何とかしてお世継ぎを確保しようという涙ぐましい努力の賜物なのかもしれません。
返信する