昨日は祝日「建国記念の日」でした。ローカルニュースで見ましたが、森下仁丹の創業記念日でもあるそうです。
建国記念の日の起源は戦前の紀元節です。紀元節とは日本書紀による、初代天皇の神武天皇が即位した日で、2月11日と明治政府によって定められました。日本書紀には「辛酉年春正月庚辰」とのみ記載されており、これを明治政府で暦を計算した結果、紀元前660年2月11日になったそうです。
以前紹介しました通り、神武天皇は伝説上の人物で、その後9代天皇までは実在しておらず、実在する可能性があるのが第10代天皇の崇神天皇に相当する人物であるという説が現在のところ有力です。日本書紀でも神武天皇と崇神天皇の両者を「ハツクニシラススメラミコト(スメラミコト=天皇)」と称していることは注目に値すると思います。ちなみに初代の神武天皇から第44代の元正天皇までの諡名(現在の呼称)は、ほとんどが奈良時代の文人である淡海三船によってまとめて名付けられたそうです。
明治維新以降終戦までは、紀元節には各地で式典が開かれていたようで、特に学校では天皇皇后の御真影に対する最敬礼と万歳奉祝、校長による教育勅語の奉読などからなる儀式が法律によって定められていたそうです。現代でも日本会議などの保守や右派の団体を中心に紀元節を復活させようとする運動が行われているようです。
藤原一族の正当性を示すために編纂されたとされる日本書紀、江戸後期から盛んとなった国学に基づいた皇国史観など、紀元節の由来は歴史、特に古い時代の歴史が政治的フィクションであること示す例だと思っています。
建国記念の日の起源は戦前の紀元節です。紀元節とは日本書紀による、初代天皇の神武天皇が即位した日で、2月11日と明治政府によって定められました。日本書紀には「辛酉年春正月庚辰」とのみ記載されており、これを明治政府で暦を計算した結果、紀元前660年2月11日になったそうです。
以前紹介しました通り、神武天皇は伝説上の人物で、その後9代天皇までは実在しておらず、実在する可能性があるのが第10代天皇の崇神天皇に相当する人物であるという説が現在のところ有力です。日本書紀でも神武天皇と崇神天皇の両者を「ハツクニシラススメラミコト(スメラミコト=天皇)」と称していることは注目に値すると思います。ちなみに初代の神武天皇から第44代の元正天皇までの諡名(現在の呼称)は、ほとんどが奈良時代の文人である淡海三船によってまとめて名付けられたそうです。
明治維新以降終戦までは、紀元節には各地で式典が開かれていたようで、特に学校では天皇皇后の御真影に対する最敬礼と万歳奉祝、校長による教育勅語の奉読などからなる儀式が法律によって定められていたそうです。現代でも日本会議などの保守や右派の団体を中心に紀元節を復活させようとする運動が行われているようです。
藤原一族の正当性を示すために編纂されたとされる日本書紀、江戸後期から盛んとなった国学に基づいた皇国史観など、紀元節の由来は歴史、特に古い時代の歴史が政治的フィクションであること示す例だと思っています。
自らが生を得ていない時代の事柄&人物に対し、様々な文献や物を元にして「ああだったのではないか?」、「否、こうだったのではないか?」と想像するのも歴史の醍醐味。それこそ「神代の昔」の話ですから誰も事実は判らないし、だからこそ色々想像するのは楽しい事^^。唯、そんな神代の昔の話をさも「それが絶対的な真実として、妙な形で利用しようとする。」連中にはウンザリな思いが在ります(笑)。
P.S. 件の記事で事前承諾無しに、こちらの記事をリンク致しまして申し訳在りませんでした。こちらの記事には「その通り。」と頷かされる物が多いのですが、特にあの記事はその思いが強く、どうしても紹介させて貰いたいという思いがずっと在りましたので。
確かにマスメディアが過剰に報じている面も在るとは思うのですが、沖縄という地域の特殊性(他の地域とは異なり、米軍との地上戦が繰り広げられた歴史等。)を考えると、沖縄県民の怒りというのが決してマスメディアによって作り上げられた“でっち上げ”とは思えないし、又、非住民で在る人間(これは自分も含みますが。)が一部の情報(マスメディアの情報や知己の沖縄県民の話だけでは。)だけで「それが全て。」と捉えてしまうのも問題かなと。
あの記事で自分が一番言いたかったのは、今回の件に限らず「特定組織に対してそれ迄声高に支持を訴えていた著名人と称される連中が、いざ問題が起こるとダンマリを決め込む姿勢への違和感。」なんです。是々非々で語れない著名人はマスメディアを通じて主張すべきでは無いと自分は考えています。
拙文をリンク頂き、また過分なご賛辞を頂きありがとうございます。今後もgiants-55さんの記事に役立ちそうなものがございましたら、自由にリンクして頂いて結構です。
ご指摘の通り今回の事件は沖縄が抱えている現状もさることながら、教科書検定で問題となった沖縄戦に対する「本土の態度」も再燃する可能性があると思います。
「外国人力士が問題を起こすと狂った様に非難するのに、日本人力士が同じ事をした場合にはダンマリを決め込む。」・・・はなるほど、と思いました。仰る通り言論人を自認する人は日頃の主張についてフェアであって欲しいと思います。