to be with my dogs

犬と私と羊...合言葉は「自然体」

水鉢ビオトープ

2011年07月25日 | Gardening

今年は、節電の夏なので、少しでも涼を求めて、

水鉢ビオトープを置いてみました。

この場所、小さな燈篭があったのですが、地震で崩れてしまい、

その後積み上げたけど不安定で庭仕事をするたびに、ちょっと触るとグラッ。。。

「どんなに頑張っても和風だ~~」「イマドキじゃない~~」って嘆くo-mamaに

「これ、危ないからどかす??」って気を使ってくれたo-papa。

「ありがと~~、でも、いいの?小さいころからあったんでしょ」

「気が付いたらあったけど、いいよ。」

 

そして、o-papaが水鉢を置きたいと言うので、

蚊が発生しそうで躊躇したけど、昔読んだ、「ソロモンの指環」を思い出した。

この中のアクアリウムの話が私のお気に入り。

水槽と水草、そして限られた数の魚などの生き物で、

物質循環、動植物共同生活の均整が取れていれば、水は澄み、エアポンプ無しでも、

この小さな世界が自活していくという話。

アクアリウムの中の世界に「自由意思」を持たせて、自活させるには、

かなりの謙虚さと自制心が必要だとも書いてある。

うっかり世話をしすぎると、それが善意によるものでも、生態系を破壊する。

人工的に濾過器をつけたり、餌を与えたり、エアポンプで管理することは、

自分自身で平衡を保つことができない「タダの檻」となってしまう。

人工的な「完璧な容器」と書いてある。

それは、それ自体が目的ではなくて、ある動物を飼う手段に過ぎないとも書いてある。

 

 

アクアリウムにかかわらず、庭のような空間でも、

日本の自生の植物を植えることができれば、

自然な生態系を作ることができるかもしれない。

でも、ウチの庭は、いろんな生態系からチョイスして買ってきた植物ばかりなので、

悲しいことに、ある程度人工的な世話が必要な訳です。

これはワン達も同じ。。。

ある程度の規制の中で、暮らしていかなければならないのが現実。

そして、こちらが手を加え規制することを止めてしまうことは、

彼らに最初に与えてしまった人工的な檻を外し、無理やり自立しろと言うようなものなのだ。

動物の自由や権利を主張するのは、悪いことだとは思わないけど、

それを実現したいのなら、何の干渉も受けない自由を維持できる生態系を

与えることができるのかな?

現実を見ずに、中途半端な自由(抑圧やストレスのないこと)を

これ見よがしに当然のように主張する人もいるけど、結局どこか中途半端なのは、

根本的に完全な自由を与えることが困難だからなのだと思う。

 

そして、ローレンツ博士は、犬の家畜としての歴史と、

種の保存のための服従性をこの本の中で書いています。

そして、他の家畜とは違う捕らわれた身ではなく、

自ら、寄り添うことを選択した家畜として犬が紹介されています。

「モラルと武器」の章では、服従と社会的抑制の例として、

オオカミを例に犬の行動が書かれています。

牙という武器を服従の姿勢の前では、使わないと言う社会的抑制を

犬が生まれながらにして持っていると言う話を読んで、

私が普段、彼らに制御とモラルを感じていたのは、彼らが社会的な抑制と言うものを

持ち合わせていたからなんですね。

彼らが、よき友になれるのも、人に寄り添うための制御とモラルを持っていたからなんですね。

通り一遍の、リーダー論や支配性では語りつくせない、

彼らが持つ、親愛の情やそっと傍で寄り添ってくれる友としての自制心があるのだ。

 

この本の最後に、人は、「自分の身体とは無関係に発達した武器を持つ」動物として

書かれ、その武器で、

「つまりわれわれの創造物で滅亡させぬための抑制を」

自らの手で作り出さなければならないと書かれている。

最初に語られる小さな水槽の世界アクアリウムに対する、謙虚さと自制心が

他の種にかかわる第1歩なのだと教えてくれる本です。

 

何度もこの本を読んでしまうのには、きっとこの本が動物の行動や自然について、

人とのかかわりや、人からの目線で書かれているからだと思うのです。

謙虚さと自制心、忘れないようにしよう。


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