命は大切でかけがえのないものだけど、
全ての生きている人は今日死なない保証をもっていない。
生と死は対局にあるのではなくて、つながっていて紙一重の隣り合わせのところにある。
そして、死ぬってことは、着ぐるみ(カラダ)を脱いで、ふるさと(あの世)に引越しすることだと思っている。
父は、3年前の1月に脳出血で入院
…私は、親支援というミッションが始まったんだなぁって思った。
その後2年前の10月に胃ガンがみつかりましたが、穏やかに暮らしたいということで治療はしないことに。
この頃は、父が、デイサービスや病院に通いながら、長年患っている母を支えていました。
昨年12月に癲癇で入院、ここからはジェットコースターのような日々。
今年1月に急性腎不全で入院、一度は回復したものの、また体調が悪くなり今月入院。
父が亡くなることを想像しただけで涙がこみあげていたけど、
実際、父が亡くなってみて、1週間が過ぎたけど、寂しさはなくて、
無事、父を見送ることができた安堵感の方が強い。
できるだけのことはしたし、
もう自分の方が倒れちゃうんじゃないかって不安だったし、
父は希望どおり穏やかに旅立つことができたし、
私も、いずれ、あの世に行くわけで、永遠の別れでもないから。
そして、仲の良い親子だったわけでもないですし。
子どもの頃から、怒られて怒鳴られて傷ついて泣いて…。
最後に怒鳴られたのは、亡くなる10日前。
病院で何度も怒鳴られて、理不尽で、悲しくて。
父と会うことは、緊張とプチ恐怖でしたから、しばらく会えない今の状態もこれはこれでよいもの。
いっぱい振り回されたけど、病院に父の好物を差し入れて喜んでくれて…そんな思い出もできました。
×××××のアンパンや、○○○○のうどんや、△△△のおはぎや、、懐かしいな。
あれから1年もたっていないのだな。
まだ生きていてほしいと、ずっと思ってきたけれど、
今月に入ってからの父は、なんだか霊界とこちらを行き来している感じで、
そんな様子を見ていて、なんとなく、旅立ちが近いのかなって思っていました。
だから案外元気にしております。
やらなくちゃいけないことが山積みだけど、一つずつ片づけてます。
まだミッションは続きます。