りらっくごブログ

上方落語に遠距離片想い
        by ことり@愛知

「桂米朝と上方落語の奇蹟」刊行中止

2013-10-12 09:15:38 | 

先日、発売を楽しみにしてると書いた「桂米朝と上方落語の奇蹟」堀井憲一郎著、
発売日が延期になり、原稿が遅れているのかな?なんて思っていましたが、
刊行中止になったらしいです。


講談社のHPによると…

『桂米朝と上方落語の奇蹟』刊行中止に関するお詫びとお知らせ

2013年10月に刊行を予定しておりました単行本『桂米朝と上方落語の奇蹟』は編集上の都合で刊行を中止いたしました。本作品をご予約、また発売をお待ちいただいておりました読者の皆様、書店様に謹んでご報告とお詫びを申し上げます。
また刊行中止のご報告の遅れにより、お問い合わせをいただきました皆様に多大なご迷惑をおかけしましたことを重ねてお詫び申し上げます。

…とのこと。


「堀井さんに上方落語のことを書いていただきたい」とずっと思っていたのですが、
読めないのですね。


シンパシー

2011-06-24 08:41:50 | 

キモラク(着物で落語)のお友達、けふこさんのことを
ずっと、素敵な文章を書く方だと思っていました。
(人にも「素敵な文章を書かれる方で…」なんて話していた。)
今年2月(くらいだったかな?)、彼女からブログを始められたとうかがい、見て、納得・・・
・・・けふこさん、作家だったのですよ。
http://plaza.rakuten.co.jp/okehuko/

作家としてのお名前は奥山景布子さん。
名古屋の本屋さんで彼女の本をみつけ、最初に拝読したのは「時平の桜、菅公の梅」。
歴史小説なのですが、歴史に超疎い私にも、すんなり楽しく読めました。
もちろん、歴史のわかるっていうか、義務教育で普通に歴史を勉強した方なら、もっと面白いはず。
(この本は、オットにも読むといいよって薦めています。)

そして、先月発売の「びいどろの火」は近所の本屋さんで予約して、
手元に届くと、夜なべして一気に読んでしまいました。
泣けちゃいました。
(物語の舞台が名古屋なのですが、地理にも超疎いので、地名をみてもサッパリなコトリです。)

名古屋の落語会に足を運んでいらっしゃる方なら、
きっと会えば「あぁ、この方ですか」とわかるくらい落語も沢山聴いていらっしゃいます。
(名古屋の落語会に行って、彼女を見かけないことは、ほとんどないような気がします。)


本は、落語以上に伝える言葉がみつかりませんが、
次の本を心待ちにしています。


今読み返している本…若むらさき

2011-04-02 09:14:21 | 

学生時代、ゼミで勉強した本。
変体仮名で書かれた源氏物語です。

先日、フラシスターと訪れたお茶室で、
床の間にかけられた歌を読もうと思ったら、
変体仮名が全く読めなくて愕然。

本棚から引っ張り出して再読。
すっかり忘れていますよ。
その上、読めても意味がわからない。
パソで現代語訳探せばいいのかな?(ちょっと面倒…。)
あきらめずに、
変体仮名、もう一度読めるようになりたい。


今日は、米團治師匠と市馬師匠をハシゴされる方も多いのでは?
いいなぁ。
私は、午前は刈谷市美術館(三河陶芸展)に。
夕方から泊まりでフラ仲間とコンサートの打上げ&自主練習です。


「志ん朝と上方」

2010-05-27 09:19:50 | 
ふらっと寄った古本屋で、ふと手にした本…「志ん朝と上方」。
帯には「上方をこよなく愛した名人を名人が語る」とあり、
桂春團治、笑福亭仁鶴、露の五郎兵衛、内海英華の各師匠が、
インタビュー形式で志ん朝師匠について語っている。

値段は1050円(定価は¥1800)。
1050円で買って、読んだ後は寄席文字教室のオークションにだして500円くらいで売れればいいかと思って購入。
(寄席文字教室では毎年2月に色んなものを持ち寄ってオークションをして売上を運営資金の一部としている。)

一気に読んでしまった。
志ん朝師匠、
こんなことを言うのはありきたりすぎて恥ずかしいが、
生の高座を体験したかった噺家の一人。


ところで、本書の中で、一番、心を惹いたのは、志ん朝師匠には関係ない部分。
春團治師匠の章で、
・・枝雀君(桂)に、
「あんた惜しいなあ。力があるんやから、こんなことせんと、まともにやりや」
 と言うたことがある。
という部分。
枝雀師匠は今も私の一番好きな噺家ですが、
私は(あくまでも私の個人的な考えだけど)、枝雀師匠の本質は研究者だと思っているので、
一般に枝雀師匠のイメージとして浸透している奇抜な演出は、
研究の成果の一部であって、枝雀師匠の本質とは離れているように感じている。
あのイメージで多くの人を惹きつけたことも事実だが、
あのイメージで横を向いた落語ファンも少なくはなかっただろう。
春團治師匠の言葉をどんな気持ちで受け止めたのだろう。
自分の思いと違う方にどんどん膨らんでいくファンの期待を枝雀師匠は見過ごせなかったのかもしれない。
そういえば、昨夏の中日劇場の会で、談志師匠も、枝雀師匠について、
「本格派になれる力を持っていたのに…」
という意味のことを言われていたなぁ。そんなことを思い出した。

読書の夏

2009-08-12 11:48:30 | 
今週は夫も夏休み。
涼しい所で、のんびりと過ごしたいとこですが、
、、、
暑い所で、
それでも多少のんびりと。

図書館で何冊か本を借りてきて読んでます。
写真は、
春風亭昇太監修
につられて借りた
「落語って、こんなハナシ」。
牡丹燈籠の人間関係がやっとわかりました。

「落語論」

2009-07-22 18:19:21 | 
堀井憲一郎氏の新著です。
感想をブログに書こうか少し迷いましたが、正直な感想を。

私にとっては読まなくていい本でした。
でも、それは読んだからわかったことで、堀井氏ファンの私は読まないわけにはいかないのですが。

3部からなり、
「第1部 本質論」は落語の本質について語られており、
私が思っていること、感じていることと重なる部分は嬉しくもありましたが、
新たなる発見は大いに納得できるものの、
知らなくてよかったと感じることや知らない方がよかったと感じられることでした。
(あくまでも私にとっては。)
私は落語の本質はどうでもいいということがわかりました。

「第2部 技術論」は、
堀井氏自身が途中で
「若い噺家に向かって語っている」ため、「一般読者に聞いてもらっても、あまりしかたがない。」「第3部に飛んでいただいてもかまわない。」
と書いているように、
落語をただ聴く人にとって有益な情報はありませんでした。
ただ、下手ば落語の例として、「幼稚園の先生による楽しい紙芝居」という言葉があり、
保育士をしているもので、今日職場で絵本を読みきかせる時、つい、堀井氏のアドバイスに従って、登場人物を声で演じ分けないで読んでみました。
「幼稚園の先生による楽しい紙芝居」調の方が園児にはわかりやすいのかもと思ったのですが、全く問題なかったです。

「第3部 観客論」も、
私が思っていること、感じていることと重なる部分が多く、嬉しくもありましたが、
第2部が落語をする者(しようとする者)への語りだとしたら、
第3部は落語を評論する者(しようとする者)への語りのように感じました。
こんなブログを日々綴りながら、
私は「落語を評論しない」ことを強く心に刻んでいます。
落語初心者である私には評論する力がないということもありますが、
落語を評論することに興味を持つと
落語を聴く楽しみが損なわれるような気がするからです。
これからも、
ただ落語を聴く人、
という姿勢で綴っていきたいと思います。

私が堀井氏の文章を好きなのは、
楽しいくだらなさに満ちていて、どうでもいいことのようで実は知りたいことを伝えてくれるからのような気がします。
この本は、楽しいくだらなさが無くて、どうでもいい知りたくないことを伝えてくれました。

それでも、今週も週刊文春を買います。