「文七元結」…そんなに聴ける噺じゃないので、ネタだしされたプログラムをみて、少し得した気分になる。
この噺、惹きこまれ感動もするのだけど、どうも気持ちが消化不良になる。
娘が身売りして工面した五十両を、見ず知らずの若者にあげちゃうのが納得できないわけではない。
そういう人、いるかもしれないって思う。
その前に、文七の死ぬ気に疑問を感じてしまうのだ。
学生時代、名古屋駅で電車を待っていた時のこと。
電車がホームに入ってきて、目の前にいた人が飛び込んだ。
その人は乗車位置から横に少しずれたところに立っていて、違和感を感じた。
(地域によって色々だと思いますが、愛知県の人は乗車位置に並びますね。だいたい。)
これから電車に乗ってどこかに行くっていう目的感が全然なくて、
なぜだろう?って思って、手に何も持っていないからかなって納得しようとしたりしていた。
でも、まさか、飛び込む気だとは、全く気づかなかった。
一瞬の出来事だった。
人がほんとに死ぬ気になったら、誰にも止められない。
そう実感した。
で、文七です。
ほんとに死ぬ気なら、死ねるはずって思ってしまうのです。
そうなると、文七の命を救うためにっていうのも成立しなくなってしまって…。
そんな細かい気持ちのつまづきを差し引いても、
娘のお久の気持ちに心打たれ、ハッピーエンドに幸せな気持ちになれる演目。
消化不良の原因は、
あの時、ただ茫然と立ちつくすだけだった自分が、長兵衛を羨んでいるからかもしれません。