閉店後1日目の4月1日ですが、当店の閉店がエイプリルフールの嘘に聞こえるかもしれません。なんせ 70年間続きましたから。知らない人は びっくりしています。
葬儀参列中か、もしくは 閉店の挨拶中か わかりませんが 広島から お客様が来訪されたようです。
近所の食堂の娘さんが『預かりました』と持ってきてくれました。
誰かな?誰かな?と焦ったら 紙袋にお便りが書いてありました。
定期的に椎茸を送る 広島のお客様でした。湯平の旅館に泊まっているのか?どうかは わかりません。
旅の途中に立ち寄って下さったのかもしれません。後日 お礼の電話をしましょう。閉店のことは 年賀状でお知らせしてあります。
昼間は長女が湯平に戻り、置いていた荷物の整理をしています。なにせ母親は幼稚園からの作品や賞状を残し、本人は 漫画雑誌、学生時代の写真、趣味のもの、バレーボール、スケート靴まで置いてありますから。
隠居に引っ越すので、なるべく荷物を減らさなくてはなりません。私達も たくさん捨てるものが出てきます。
夜 店に居ると 明かりが見えたのか、シャッターの のぞき穴を開けて声がします。『以前来た鹿児島の者です。二度目の来店ですが、閉められたんですね、気に入った店なので 残念です』と言うので 開けてさし上げました。
しばらく おしゃべりして、売れ残りの箸や しゃもじを勝って下さり、無料コーナーの九谷焼の急須を持ち帰ってくれました。
『急須を使うたびに 思い出します』と言ってくれました。
店は閉めましたが まだまだストーリーが続きます。