[書評と紹介]
末日聖徒の現状 (日本) を分析した最新の好著 評者 沼野治郎
書名 “UNIQUE but not DIFFERENT - - Latter-day Saints in Japan” 「日本の末日聖徒を理解する」(英文のタイトル: 「個性的、されど特異にあらず - - 日本の末日聖徒」)。著者、高木信二、コナン・グレイムズ、メーガン・レイノック、2023年。
三人の研究者による比類のない本が上梓された。2021年に行なわれたアンケート調査の結果に基づいて、宗教社会学的視点から日本の末日聖徒の現状が分析されまとめられている。この調査は教会の組織・系統によるものではなく、調査目的を理解する教会員が協力して530名の有効回答を得て分析されたものである。
統計的な面では、年齢にもよるが高い教育を受けている(72%が大卒)、子供の数が一般の日本人より多く3人以上と答えた者が上位を占めた、回答者の71%が改宗者で、職業では専門職、教育職が多いことが現れている(28&148, 25, 47, 107頁)。余談であるが、外国で暮らした経験のある人が22%を占め、国の6-9%を大きく上回っていることが報告されていて興味深い。
末日聖徒の考え方や姿勢という点では、「救いの計画」の教えが改宗に当たって注目したという回答が一位を占め、「家族は永遠である」ということを知って嬉しいという結果が出ている。日本の教会員は教えに従順で、一般的に確信、献身の度合いが高く、信仰の面で保守的であることが観察されている。他方、政治や国防・安全保障など社会的な面では、信条とは違って保守/進取(革新) の両方が幅広く見られ、多様性が観察されるという(45頁)。
著者(複数)は日本における会員数の少なさについて、社会が多様性を受け入れ始めていて、末日聖徒イエス・キリスト教会も定着していく可能性があると会員数13万人(活発20%)を肯定的に見ている(49, 50頁)。
ただ、M.R.マリンズが指摘するように、「宗教が外来の特徴を手放さないでいるとその国の周縁的な人々の気を引くのが関の山」というリスクを冒すことになる(「メイド・イン・ジャパンのキリスト教」1998年、9頁)。それでロドニー・スタークが、布教された国で成功するにはその宗教はある程度その国の文化と緊張関係(相違)が見られる方がよい、と言う見方(R. スターク1998年)と相容れない。これは難しく微妙な問題で、教会が直面している課題であると言える(141, 142頁)。
大局から見れば、日本にキリスト教徒がずっと1%前後を越えることがなく、末日聖徒が更に少ないのは文化の違いが大きな原因である。信条が特異(独特、ユニーク)であって、安息日や嗜好品上の戒律を守ろうとする末日聖徒は、つい社会では肩身の狭い思いを免れない。それで教会に同信の親しい仲間と会う居場所が得られて、その思いは相殺されていると言う(147頁)。
ただ取り巻く環境を見れば日本が人口減少に直面し、教会でも高齢者の占める比率が高まっていて、全国でワード・支部を維持するのが困難かもしれない。教会はこれまでにない革新的な対応を求められる。一つは加入で生じる代償を小さくすることと言う(155頁)。例えば、緑茶は茶会の席や歓迎の場などでは弾力的に応じる余地を認めてよいのではないか、と著者の一人はソルトレークトリビューン紙のインタビューに答えている。
この本は2021年に行なわれた研究者による「調査」の結果をまとめたもので、被験者はその結果を知りたいと期待し、日本の末日聖徒はこの報告を読んで益するところがあるはずである。日本の教会員の最新の様子を網羅していて貴重な情報が多く盛られているからである。このような本が出版されたことを喜び、著者の労をねぎらいたいと思う。
ただ、アンケート調査が行なわれた対象が限られていて、信仰生活の長い、堅固な会員が多くを占めていた可能性を考慮しなければならない。また、教会が大幅な統廃合を行なう前に実施されたので、それでよかったという見方と最新の状態を反映していない、という側面もある(教会に通う時間など)。
評者の見方と違って、教会の将来に関するところなど、一部楽観的に響くところがあるように思う。評者は日本の教会の近年の状態や傾向を見ると、信仰の世代間の継承と外部からの改宗という二つの面で深刻な問題があると懸念しているが、あまり触れられていない。
ともあれ、この書物によって私たちは自分たちの置かれた状況を知って、思いがけない自信や誇りを感じ、同時に将来に備えることができる。
- - - - - - - - -
本書191頁の本文は英文、そのうち24頁が日本語要旨。本のサイズほぼA5版。
著者 - -
・高木信二:バンダービルト神学大学修士、ロチェスター大学経済学博士、元IMF先任職員、元大阪大学教授。本書全体の草稿を執筆した。
・コナン・P・グレームズ:米国東部、東京を含む日米で活躍した弁護士。日本で伝道した帰還宣教師で,後に仙台伝道部会長、アジア北地域会長会で役職を務めた。ハーバード法学大学院卒。
・メーガン・レイノック: バンダービルト大学社会学博士、現在同大学で教えている。
本書はGreg Kofford Books 出版、Amazon.co.jp で購入できる。3,644円。
1 国立国会図書館
2 東京都立中央図書館 (有栖川公園に隣接)
3 青山学院大学図書館
4 国際基督教大学図書館
5 関西学院大学図書館
6 大阪大学付属図書館
7 関西外国語大学中央図書館
8 上智大学図書館
9 東北大学付属図書館
10 東京外国語大学付属図書館
今回「UNIQUE but 〜」に日本語要旨のページがあるということで、国会図書館に行ってみました。
が、「UNIQUE but 〜」を検索しても資料が見つけられず、図書館の人に聞いたところ、
納本されていることは確認できているが、まだ閲覧できる状態にはなっていないとのこと。
具体的な日数は明らかにされませんでしたが、納本されてから閲覧ができるようになるには、
相当な日数がかかるとのことでした。
というわけで、モルモンフォーラム誌を全号、目次だけ拝読しました。
時間がありませんでしたので、気になる記事を複写してきました。これからゆっくり読み進めます。
モルモンフォーラム誌の目次に目を通されたとは、有難いことです。関心を覚えられた記事を複写されたとのこと、中には少し古いものもあると思いますが、お役に立つことがあれば幸いです。
こういう言葉が出るのがモルモン教独特。
ムスリムが会席ではアルコールを出しても良いのではないか?ヒンズー教徒が「牛食ってもええんちゃうん」と言ってるようなもの。
まあ食ってる奴もいるかもしれんけど。
禁忌が文化として根付いていない。
要は我慢汁垂れ流しながら耐えてるだけ。
故に出てくる言葉。
何時までこんな不毛でアホな議論するんだろか?
なんでお茶出るの?と、なるし。
理由を説明されるとインチキくさっ。
お茶やコーヒーが飲めればって考えが非常に浅はか。
行き当たりばったり。
いい歳こいた爺さまが宗教ごっこ。
精神年齢何歳か
きちんとした論陣を張りたかったら、本名で来られたし。
> 名無しは... への返信
きちんとした論陣?
基地外と議論する気はねえよ
基地外で当たり前。一度、対面で議論したい,といつも思う。学会で行われるシンポジウムの一幕のように。
互いに正体がわかって、冷静に、宗教に対して第三者として論じあう姿勢が取れないものか。
福音を受け入れるも自由、拒むも自由。
しかし長く福音を学んでいる人が、それとはそぐわない言動をすることもあります。
これは私にとって長い間謎でした。単に人の性格の長短や不完全さでは説明ができない。
何年も経ってから気づいたのは、福音の知識はあっても、望みがそれに沿うたものでなければ、
福音の知識に基づいた行動を取ることができない、あるいはそのような選択をしようと思わない
ということです。
そう考えると、悔い改めというのは、御心に沿わない望みを捨て、代わりに御心に沿うた
望みを持つことなのかもしれないと思います。
御心に沿わない望みの具体的な例は、勝つことにこだわること、優位となることにこだわることです。
この望みの根底には、他者との比較があります。常に他者と自分を比較する。
そして勝っていないと気がすまない。優位でないと気がすまない。
でも世の中は広くて上には上がいる。時に負けたり劣位になったりする。
そのような望みを持っていると、その時に苦しむ。みじめな思いをする。
そのような望みを持っていると、幸せが他者に左右されることになってしまいます。
それは能動的な選択の結果ではありません。
このような望みを持っている人が幸せになる方法、あります。他者との比較をやめることです。
幸せの感じ方を他者に左右されることなく、自分の能動的な選択で決めることができます。
努力すれば、相手に勝てる、優位に立てる、という反論があるかもしれません。
その努力は能動的な選択だという反論があるかもしれません。
しかし、努力してもそれを上回る相手が現れることがあるのも事実です。
それで勝つこと優位に立つことが望みであれば、その時に幸せを噛みしめることができるでしょうか。
私が言い切りの形で堂々と、そのような意見を述べるのは、びくともしない土台があるからだと思います。
土台だけ肥大中です。なぜならその上に大きな豪華な建物を建てようとなんて望んでいないからです。
人はできるだけ少ないもので満足できたほうが幸せだと思うからです。
自分と他者との比較を
過去の自分と現在の自分を比較することに置き換えること、
将来なりたい自分をイメージすることに置き換えることです。
広い意味で言えば、これも悔い改めの一つの姿かもしれません。
他者との比較よりも建設的で、その人自身にとって価値あることになるはずです。
おそらくポイントは自分を振り返る適切な指標と、適切な手本を持つことです。
私の場合は四大聖典に書かれていることが基準となり、私を助けた、
あるいはそうすればよいのかというひらめきを与えてくれた人が模範となりました。
「上には上」のお人でしょうか。短い残る人生、神妙に生きて参ります。
> 深い謎、強い衝撃... への返信
>>深い謎、強い衝撃
本名でおいでになったようで
こんな馬鹿もいるのかと確かに衝撃だ
今以降、コメント投稿を停止します。
(すぐ上のコメントは管理者の沼野治郎が書いたものではありません。)
2024-08-27 11:34:45
めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に雲隠れにし夜半の月かな 紫式部
せっかくNJブログが再開したのに、ざんねんです。
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
今ひとたびの みゆき待たなむ
これは藤原忠平の歌です。忠平道長の曽祖父だそうです。
「みゆき」は「行幸」の事で「天皇がおいでになる」との意味です。(釈迦に説法キリストに聖句?)
小倉山の紅葉よ、お前に心が有るならば、もう一度天皇がおいでになるまで、散らずに待っていてくれないか・・・。
ブログにて NJ紅葉よ 心あらば
今ひとたびの 投稿待たなむ
藤原の豚長
嵐(荒らし)に負けず散らずに・・・。
と思い控えてみましたが、さにあらずw
>末日聖徒イエス・キリスト教会も定着していく可能性があると会員数13万人(活発20%)を肯定的に見ている(49, 50頁)。
カトリックもプロテスタントも概ね20%の活発率のようで
隣の芝生は青い効果で異端たる末日聖徒意識がまだまだ、
小規模の意識が支配的ですよね。
>日本にキリスト教徒がずっと1%前後を越えることがなく、
これも曲者なんですよ。。
この「キリスト教徒」には3大異端が含まれておらず、
入れると2%近くになるんです。
おまけにオムナイは神道にも浄土宗にも統計上組み込まれていますし、印象よりは日本のキリスト教の影響力は大きいとみています。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。