訪問日:令和4年1月7日(金)
出 発:神戸電鉄「長田駅」
到 着:JR「新長田駅」
平成7年1月17日午前5時46分に発生した「阪神淡路大震災」。この震災で最も被害が大きかったのが「長田区」ではないだろうか。源平合戦の旧跡が残り、阪神工業地帯の一画としてわが国の工業・経済の発展に寄与してきた。そして「三国志の街」。また多くの在日コリアンたちが住む。そんな町を復興のシンボルとして立ち上がった「鉄人」を目指して歩いて見た。実際の地形は東西南北が若干左斜めになっているが、便宜上、東西南北と表している。
神戸高速鉄道は、以前「兵庫区」を歩いた時に説明したとおり線路と駅舎だけを保有し、「阪急・阪神・神戸・山陽」の電鉄各社が乗り入れて列車を運行している。高速神戸「新開地駅」から関西の奥座敷「有馬温泉」。そして神戸市北部に広がるニュータウンに向かって延びる「神戸電鉄」。「大阪梅田駅」から「新開地駅」で乗り換え約50分(630円)で着く神戸電鉄「長田駅」を午前9時30分に出発する。

ここは区北部。かなり高度があり駅前にはいきなり急な階段が現れる。

駅前から「山麓線」という大通りに出て右折する。5分ほど道を下り2つ目の信号を過ぎて電器屋さんの前の階段を下りる。

100mほどで最初の四つ角を右に曲がり道なりに進めば「名倉市場」。

かつては付近住宅の台所として賑わったのだろうか。

今では「シャッター街」化している。いきなり「廃墟感」溢れる画像で申し訳ありません。

来た道を戻り先ほどの四つ角を直進して信号で山麓線を横断。突き当りの郵便局横にある階段前を右折して坂道を上って行く。結構な上り坂だな。

坂の頂上にたどり着けば右へ。「丸山中学校」手前の小径に入れば「大丸山公園」。(午前9時45分)

特に施設や史跡があるわけではないが、これから歩く長田区を一望することができる。「海が見えるぞ」

「大丸山公園」の南東角から坂道を下り「夢野台高校」のグランドを過ぎて突き当たりを左に「V」ターンする(ショートカットの道もあるので地図でご確認ください)。

次の突き当たりを右に曲がれば通りに出るので右折。すぐに「新湊川」を渡れば、以前兵庫区編で訪れた「湊川隧道」の出口が見える。

銘板には「天長地久」と刻まれている。「天長地久(てんちょうちきゅう)」とは「天は長く地は久し」という「老子」出典の言葉で物事が永遠に続くという意味らしい。

新湊川の右岸は一般道なので、遊歩道になっている左岸を下って行く。

10分ほどで「長田橋」という赤い橋が見えてくる。左を覗くとここは「長田神社前商店街」。商店街には立ち寄らずまっすぐ進む。

そのまま進んで行くと「神戸村野工業高校」グラウンドを背にして「震災慰霊碑」が立つ。長田区では919人の方が亡くなっている。(午前10時20分)

慰霊碑の右側には「源平合戦勇士の碑」が立つ。

こういうことらしい。

すぐ前の橋の手前を上って行けば長田警察署、長田消防署の前で「中央幹線」と呼ばれる大きな通りに出るので右に曲がり橋を渡る。警察署・消防署の裏には「長田区役所」。長田区は人口約96000人で9区中最も少ないが、面積が最小なので人口密度は最も高い。

橋を渡ってマンションを過ぎれば右に鳥居と「長田神社」の社号標が現れる。長田神社への参道筋入口だ。

社号標の前には阪神淡路大震災で倒壊した鳥居の土台部分が震災モニュメントとして保存されている。

一礼して鳥居をくぐる。参道筋であるが震災後、街並みはすっかり生まれ変わり当時の面影はない。

5~6分ほどで左右に石灯籠が立ち、「八雲橋」という赤い欄干の橋を渡る。

そして正面には長田神社。「生田神社」「湊川神社」と並ぶ神戸でも有名な神社だ。令和4年初の「歩紀」だが、私は近所の氏神様で初詣は済ませている。ここまでトイレは見なかったな。(午前10時35分)

神功皇后が新羅から難波に帰還する際、武庫の水門で舟が進まなくなったことから占ったところ、「事代主神」から「吾を長田の国に祀れ」との神託を受け、神功皇后摂政元(201)年に創建されたという古社で今日一日の安全を祈願しよう。

本殿の奥には「楠宮稲荷神社」。ここでもお参りしておこう。

参拝を終え境内を後にする。先ほどの「八雲橋」を再度渡り、一つ目の四辻を右折。次の突き当たりを左に曲がり、次の角を右に曲がって「池田小学校」の南側を抜けて行けば「観音山公園」。トイレがある。

ここも特に史跡等があるわけではないが眺めが良い。これが神戸市の「高低差」である。

公園西側の「神戸常盤女子高等学校」を過ぎて突き当たりを左折する。

真っ直ぐ下って行けば「西代蓮池公園」に出る。トイレがある。(午前11時5分)

公園のグランド東側を抜けて行けば「史跡蓮の池」の石碑。

「蓮の池」とは飛鳥時代から奈良時代にかけて行基が作ったと伝わる古い池で昭和の初めころまでこの地にあったそうだ。

公園の南側には「神戸常盤アリーナ」という体育館や温水プールなどがありスポーツ公園のようになっている。

アリーナ南側の中央幹線に沿って西へ進み「蓮池小学校」を過ぎたところの信号か地下道で中央幹線を渡る。
「セブンイレブン」を過ぎ、次の信号の角にも公園が。その手前に「水笠通二丁目の碑」。震災後、防災公園とするため立ち退きとなった元住民たちが、在りし日を偲んで建てた碑である。

そして目の前の公園が「水笠通公園」。(午前11時20分)

公園造成工事に伴う試掘作業の際、弥生時代から鎌倉時代にかけての複合遺跡である「水笠遺跡」が発見され、公園内にその石碑が立つ。

園内を斜めに抜け、対角線上に位置する公園南側の信号を渡り、「高取山湧水路」という小さな流れに沿って歩く。

1つ目の四つ辻を左折すれば「シューズプラザ」。実は長田区は在日コリアンの町でもある。日本最大の在日コリアンの町である大阪「生野区」もそうなのだが、在日の人たちの地場産業としてサンダル製造があり、かつて「ローマの休日」という映画でオードリーヘップバーンが履いていたことから、そのサンダルは「ヘップサンダル」「ヘップ」と呼ばれている。

「シューズプラザ」の前には大きな赤いハイヒールのオブジェ。ここ長田区もサンダル製造が盛んなのだ。

ハイヒールのオブジェを左に見ながら進み2つ目の四つ角を右折。正面に見えるJRのアンダーパス手前に「神戸韓国学園」。いわゆる韓国民団支部である。やはり在日の町なんだな。

神戸韓国学園前のアンダーパスでJRをくぐり、すぐに右に曲がろう。

250mほどで右にJR「新長田駅」南口。今日のゴールとなる駅だ。

そしてタクシー乗り場向こうの駅出入口の前には、何と巨大な「コテのモニュメント」。「コテ」とは関西人にはお馴染みだろうが、お好み焼きを裏返したり焼きそばを作るときに使うアレである。長田区はお好み焼き店の密集度が日本一といわれる「鉄板こなもん」の町でもあるのだ。「こなもん」とは「粉もの」。つまりお好み焼きや焼きそば、たこ焼きなどのことである。

鉄板の上でジュージュー焼けるお好み焼きの音とソースの匂い。そんなことを考えていると「腹が」「減った」「よし飯にしよう」。

タクシー乗り場を抜けて右に曲がり、2つ目の「新長田公園」という児童公園がある交差点を左に曲がる。時間は午前11時40分。

その公園の向かいにあるマンション1階に「元祖お好み道場」。ちょっと早いが今日はここで飯にする。

ただお好み焼きではなく「長田名物そばめし」(800円)を注文。そばめしとは「ヘップ工場」の女工さんたちが弁当のご飯を焼きそばと一緒に鉄板の上で温め直してもらったことからここ長田で生まれた兵庫県のB級グルメ、長田区のソウルフードだそうだ。炭水化物+炭水化物なので結構がっつりとくる。

午後0時10分、食事を終えて店を出発。店の真ん前には「日本ケミカルシューズ工業組合」。「ヘップ」をはじめここで作られるシューズは「ケミカルシューズ」と呼ばれる。ケミカルシューズは材料となる樹脂やゴム、それらを引っ付ける接着剤、色を塗る塗料など多くの揮発性物質を扱うため震災に際しては方々で火災が発生し、多くの方が亡くなる原因になったと言われている。

お好み道場と工業組合の間を東に進む。4つ目の交差点を右に折れれば「兵庫韓国文化教育院」。韓国民団の兵庫県本部である。

前方に見える阪神高速道路方向に進み突き当たりを左折。JRのガード前で右に曲がり新湊川を渡る。右前方に見える「志里池公園」に入る。

この公園は昭和11年に開校、平成9年に廃校となった「志里池小学校」の跡地で旧正門の階段石を使って作られたモニュメントが残されている。付近の地名は「尻池」というが「尻」の文字を嫌い「志里池」と命名されたそうだ。

公園南側の道を東へ進み、2つ目の四つ角を左に曲がった「長田中学校」グランドの手前に「菅原道真所縁匂ノ梅及び歌碑」。(午後0時25分)

菅原道真が九州へ左遷される途上、梅の良い香りに誘われ、この地で和歌を詠んだと伝えられている。

長田中学校グランドに沿って北に進み、JRのアンダーパスをくぐって200mほどで左に「みくら南公園」。

公園内には震災の際、類焼を食い止めたという焼け焦げた「御蔵公園の楠」。

さらに50mほどで右に「御蔵北公園」。

ここにも震災の「鎮魂碑」。

そして被災した「電柱」が残されている。

建物の隙間から見える「国道28号線」に出て、信号を渡ってから右折する。

JRガード手前の「菅原通5丁目交差点」を左折し、2つ目の信号で右に曲がってJRをくぐれば左に「増田製粉所」という大きな工場。ここは明治41年5月設立という古い製粉工場で正門横に当時の「井戸塔」が残る。

そのまま進めば阪神高速道路神戸線が走る「国道2号線」に突き当たるが渡れないので一旦右に曲がり、次の「東尻池交差点」で国道を渡ろう。そして100mほどで大きなビルが見えてくる。「川崎車両株式会社本社ビル」。以前歩いた兵庫区側に工場があり、長田区側に本社ビルがあるんだな。(午後0時50分)

会社構内には「新幹線ひかり号」と「特急こだま号」の車両が展示されている。

「特急こだま号」は、新幹線の列車編成である「ひかり・こだま」ではなく、昭和39年10月、東海道新幹線が開業するまで東京~大阪・神戸間を走っていた在来線の特急列車である。新幹線が走るまで一番かっこいい列車だった。

この橋を越えれば、以前歩いた兵庫区だ。

先ほどの信号まで戻りそのまま狭い一方通行道路を西に進む。

300mほどで「浜添湯」というレトロなお風呂屋さんが左に見えてくる。

その四つ角を左に曲がり次の四つ角を右に入れば「西神戸朝鮮初級学校」。朝鮮総連系の民族学校だ。やっぱり在日の町なんだな。

さっきの四つ角まで戻り南へどんどん進む。在日コリアンが多く住む町なのでいたるところに韓国料理店や焼肉屋さんがあるが、生野区のようにコリアンタウンを構成するほどではない。

狭い通りを抜ければ大通りに出るので左折する。この道は兵庫区編で歩いた「高松線」という大通りの延長線上である。

そしてすぐ「イオン」がある交差点に出るので渡れば「高松橋」という赤い欄干の橋が現れる。橋の手前には「兵庫運河」開削で功績があった「八尾善四郎」という人の銅像が建つ。(午後1時5分)

イオンの反対側には高松橋の由緒が書かれた銘板がある。昭和3年に架けられた旧高松橋は、船が通る際に東側部分が跳ね上がる「跳ね橋」だったそうだ。

橋の下は以前訪れた「兵庫運河」。

高松橋を背にイオンを越えて西に進み、高松線の下を走る神戸市営地下鉄海岸線「苅藻駅」の出入口を過ぎれば次の信号を左に曲がる。

次の信号の右正面には「神戸市中央卸売市場西部市場」。ここは大正9年1月に開場された「神戸市立屠畜場」が前身で海産物ではなく精肉の卸売市場である。一般人も利用できる場内食堂があるそうだ。

西部市場北側を西に進んで突き当たりを右折し高松線に戻って「駒栄橋」で新湊川を渡る。

道なりに進んでいくと左に「あぐろの湯」という日帰り温泉。

さらに進んでいくと隣の「アグロガーデン」というホームセンター駐車場の一角に何か建っているぞ。故横山光輝という漫画家が描いた「三国志」に出てくる「呂布」という武将のブロンズ像だ。(午後1時30分)

横山光輝氏は隣の「須磨区」出身だそうだが、神戸市出身ということで長田区が三国志で町おこしをしているようだ。三国志についてはまた後で出てくる。

「駒栄町4交差点」を渡り「駒竹稲荷神社」を過ぎて次の信号で左の狭い道に入る。

突き当たりを右に曲がれば何か波止場のような雰囲気が。

そのまま進めば右に赤い鳥居が見えてくる。

そして鳥居前からのぞき込めば「港」が見える。

石灯籠の前には「いかなごのくぎ煮発祥の地」と刻まれた石碑。ちりめんじゃこのようなイカナゴの稚魚を砂糖醤油で甘辛く煮込んだ「いかなごのくぎ煮」は大阪湾沿岸各地で食べられており、発祥の地はあちらこちらに見られるようだ。

この鳥居は「駒林神社」。応神天皇を祀るいわゆる「八幡神社」である。

もう少し進めば左に「駒ケ林魚市場」と書かれた建物。ここは長田区唯一の「駒ヶ林漁場」という漁港で、この魚市場は「神戸市漁業協同組合駒ケ林荷捌所」というそうだ。時間にもよるだろうが獲れたての魚が売られているんだな。ここは「漁村」なのだ。(午後1時40分)

魚市場を過ぎれば右に「蛭子神社」。「蛭子」は漁業・航海・海事の神様なので全国の港町で祀られている。

そのまま西に進み一旦左に折れて駒ヶ林漁港を望む。都会の中の漁港だが大阪湾も高度成長期から比べれば、随分ときれいな海に生まれ変わった。海の底が見えている。

山側に戻り「長田港北交差点」を右に曲がる。

何となくレトロな建物だな。保育所らしい。

しばらく歩くと右にこんな看板が。入って行こう。

狭い路地に入れば右にこの「昭和チック」なお店が現れる。

お店を背に後ろを見れば「うでづか」と刻まれた石柱が。

そこを入れば十三重石塔の隣りに「平忠度の腕塚堂」。平忠度とは平清盛の末弟で、一ノ谷合戦で討たれた際に切り落とされた腕がこの地に埋められたと伝えられている。お参りすれば腕や腰、足などの病に効くそうだ。

通りに戻り右へ。ちょうど駒林神社裏門前で信号を渡れば「臨済宗海泉禅寺」と「新黒稲荷神社」が並ぶ。(午後1時55分)

新黒稲荷神社の境内には「義経堂」。

小さな建物の中には「みあらい地蔵尊」。

隣の海泉禅寺の境内には、阪神淡路大震災で倒壊した本堂の瓦が震災慰霊碑として残されている。

この辺りは「源平合戦」の戦跡と言うよりも「一ノ谷の合戦」で敗れた平家の軍勢が長田沖に停泊させていた軍船に向かう敗退路だったようだ。

お寺と神社を右に見ながら西に進み(つまり道を戻る)、歩道橋のある次の辻を右に入る。そのまま路地を進み1つ目の信号を渡れば右にレトロな校舎が現れる。

ここは昭和4年に開校、戦災・震災を乗り越えて平成20年、約80年の歴史に幕を閉じた旧神戸市立二葉小学校。

その後、平成22年会議室やサークル活動施設を備えたコミュニティセンター「神戸市立ふたば学舎」として市民に開放されている。トイレがある。(午後2時5分)

暫し校舎内を徘徊する。廊下に敷かれた油の匂いが懐かしい。

淡い電灯の光が良い雰囲気だな。

階段も良い感じ。

「ふたば学舎」の北側から敷地を出て右へ。交番のある交差点を渡ってさらに進む。震災以降、町の中心部は「碁盤の目」状に概ね100mごとに区切られている。これより長田区で最も活気のある「商店街」に突入だ。

正面に「大正筋商店街」。アーケードを左に曲がる。大正7年に作られたことから大正筋商店街と言うそうだ。

次の角には三国志等身大石像「関羽」。先ほど述べたように長田区は漫画「三国志」の作者である横山光輝氏が神戸市出身であることから「三国志の街」をキャッチフレーズに町おこしをしている。ただ私は「三国志」を読んだことがないので、あまり知識はない(コメントは控える。というかできない)。

アーケードから離れ真っ直ぐ東へ進み、地下鉄が走る「タンク筋」という通りを渡りさらに進む。かつて神戸ガスの巨大なタンク群があったことから命名されたそうだ。

冷麺屋さん。

お風呂屋さん

焼肉屋さん。

正面に「本町筋商店街」のアーケードが見えてくるので右へ曲がる。(午後2時25分)

ここも賑やかな商店街だな。

途中右に「丸五市場」。大正7年に開場した「丸玉市場5部」というのが命名の由来だそうだ。

その先のスーパーの前には三国志等身大立像「孔明」。

次の四つ辻でアーケードが切れ、左に「六間道商店街」というアーケードが延びる。

ただアーケードには入らず右に曲がる。六間道商店街のこの部分はアーケードがない。

すぐにこの飲み屋さんが見えるので右の路地に曲がる。

正面には先ほどの丸五市場への入口。中へ入ろう。

レトロと言うより「ディープ」な空間。

進んでいけば「丸五アジア横町」。平成20年、中国やミャンマー、タイ、ベトナムなどアジア関連の屋台を出店したことを機に誕生したそうだ。

一画には三国志等身大立像「劉備」。立像と言うが座っているな。

丸五市場を抜け出れば右へ。

次の四つ角の左に「西神戸センター街」というアーケードが見えるので左に曲がる。

昭和時代にタイムスリップしたようだ。

アーケードを抜ければ先ほどのタンク筋。

左の信用金庫角には「司馬懿ブロンズ像」。

タンク筋を左に曲がり次の右角には地下鉄「駒ヶ林駅」。そして正面には先ほどの六間道商店街。ここからまたアーケードが始まる。(午後2時40分)

アーケードを右に曲がればすぐに三国志等身大立像「周瑜」。

アーケードの途中右側には「魏武帝廟」。

そしてその先は最初に訪ねた大正筋商店街との交差点だ。

角には「扇港湯」というちょっとレトロなお風呂屋さん。

その向かいには三国志等身大立像「孫権」。

その隣には「KOBE鉄人三国志ギャラリー」。三国志や最後に訪れる「鉄人」に関する観光施設だが、写真撮影については自由なもののブログへの掲載は禁止されている。

そして次の四つ角が商店街に突入したふたば学舎からの延長線だ。ここで商店街とはお別れ。左に曲がる。

ふたば学舎を左に見ながらどんどん進んで行く。

次の大通りを信号で渡ってから右折。正面の阪神高速道路くぐって国道2号線を渡る。

次の信号を左折して7~80m進めば「若松鷹取公園」という小さな児童公園が右に見えてくる。

ここにも「鎮魂モニュメント」。(午後3時5分)

先ほどの信号まで戻り、ひたすら真っ直ぐ歩く。「若松公園」のフェンス越しに「新長田一番街」という商店街のアーケードが見える。そして木々に遮られ見えなかったが、アーケードの前に「奴」がいた。(午後3時20分)

♪ビルの町に ガオー

♪夜のハイウェーに ガオー

♪ダダダダ ダーンと弾がくる

♪ババババ バーンと破裂する

♪ビューンと飛んでく「鉄人」28号

これは三国志を描いた横山光輝原作の「鉄人28号」のモニュメント。私も「鉄腕アトム」や「ビッグX」「宇宙少年ソラン」などで育った世代。「鉄人28号」はちょっと機械的で冷たい面もあったけど僕らのヒーローだった。平成21年に完成。復興のシンボルとして長田の町で拳を振り上げている。「ガオーッ!」

身長18mの鉄人を後に東へ進めば本日のゴールJR「新長田駅」。昼前に立ち寄った駅だ。午後3時45分着。本日の歩紀「26495歩」(18.01km)。ここから大阪駅まで約35分(650円)。震災に見舞われた長田区は見事に復興した。町の皆も生き生きと生活している。しかし被災した人たちの心はいつまでも癒やされることはないだろう。私もあの地震を経験したが、もう27年になるんだな。間もなくあの日がやってくる。「合掌」

追:新型コロナがまた勢いを増してきました。緊急事態宣言が出なければ良いのですが。
出 発:神戸電鉄「長田駅」
到 着:JR「新長田駅」
平成7年1月17日午前5時46分に発生した「阪神淡路大震災」。この震災で最も被害が大きかったのが「長田区」ではないだろうか。源平合戦の旧跡が残り、阪神工業地帯の一画としてわが国の工業・経済の発展に寄与してきた。そして「三国志の街」。また多くの在日コリアンたちが住む。そんな町を復興のシンボルとして立ち上がった「鉄人」を目指して歩いて見た。実際の地形は東西南北が若干左斜めになっているが、便宜上、東西南北と表している。
神戸高速鉄道は、以前「兵庫区」を歩いた時に説明したとおり線路と駅舎だけを保有し、「阪急・阪神・神戸・山陽」の電鉄各社が乗り入れて列車を運行している。高速神戸「新開地駅」から関西の奥座敷「有馬温泉」。そして神戸市北部に広がるニュータウンに向かって延びる「神戸電鉄」。「大阪梅田駅」から「新開地駅」で乗り換え約50分(630円)で着く神戸電鉄「長田駅」を午前9時30分に出発する。

ここは区北部。かなり高度があり駅前にはいきなり急な階段が現れる。

駅前から「山麓線」という大通りに出て右折する。5分ほど道を下り2つ目の信号を過ぎて電器屋さんの前の階段を下りる。

100mほどで最初の四つ角を右に曲がり道なりに進めば「名倉市場」。

かつては付近住宅の台所として賑わったのだろうか。

今では「シャッター街」化している。いきなり「廃墟感」溢れる画像で申し訳ありません。

来た道を戻り先ほどの四つ角を直進して信号で山麓線を横断。突き当りの郵便局横にある階段前を右折して坂道を上って行く。結構な上り坂だな。

坂の頂上にたどり着けば右へ。「丸山中学校」手前の小径に入れば「大丸山公園」。(午前9時45分)

特に施設や史跡があるわけではないが、これから歩く長田区を一望することができる。「海が見えるぞ」

「大丸山公園」の南東角から坂道を下り「夢野台高校」のグランドを過ぎて突き当たりを左に「V」ターンする(ショートカットの道もあるので地図でご確認ください)。

次の突き当たりを右に曲がれば通りに出るので右折。すぐに「新湊川」を渡れば、以前兵庫区編で訪れた「湊川隧道」の出口が見える。

銘板には「天長地久」と刻まれている。「天長地久(てんちょうちきゅう)」とは「天は長く地は久し」という「老子」出典の言葉で物事が永遠に続くという意味らしい。

新湊川の右岸は一般道なので、遊歩道になっている左岸を下って行く。

10分ほどで「長田橋」という赤い橋が見えてくる。左を覗くとここは「長田神社前商店街」。商店街には立ち寄らずまっすぐ進む。

そのまま進んで行くと「神戸村野工業高校」グラウンドを背にして「震災慰霊碑」が立つ。長田区では919人の方が亡くなっている。(午前10時20分)

慰霊碑の右側には「源平合戦勇士の碑」が立つ。

こういうことらしい。

すぐ前の橋の手前を上って行けば長田警察署、長田消防署の前で「中央幹線」と呼ばれる大きな通りに出るので右に曲がり橋を渡る。警察署・消防署の裏には「長田区役所」。長田区は人口約96000人で9区中最も少ないが、面積が最小なので人口密度は最も高い。

橋を渡ってマンションを過ぎれば右に鳥居と「長田神社」の社号標が現れる。長田神社への参道筋入口だ。

社号標の前には阪神淡路大震災で倒壊した鳥居の土台部分が震災モニュメントとして保存されている。

一礼して鳥居をくぐる。参道筋であるが震災後、街並みはすっかり生まれ変わり当時の面影はない。

5~6分ほどで左右に石灯籠が立ち、「八雲橋」という赤い欄干の橋を渡る。

そして正面には長田神社。「生田神社」「湊川神社」と並ぶ神戸でも有名な神社だ。令和4年初の「歩紀」だが、私は近所の氏神様で初詣は済ませている。ここまでトイレは見なかったな。(午前10時35分)

神功皇后が新羅から難波に帰還する際、武庫の水門で舟が進まなくなったことから占ったところ、「事代主神」から「吾を長田の国に祀れ」との神託を受け、神功皇后摂政元(201)年に創建されたという古社で今日一日の安全を祈願しよう。

本殿の奥には「楠宮稲荷神社」。ここでもお参りしておこう。

参拝を終え境内を後にする。先ほどの「八雲橋」を再度渡り、一つ目の四辻を右折。次の突き当たりを左に曲がり、次の角を右に曲がって「池田小学校」の南側を抜けて行けば「観音山公園」。トイレがある。

ここも特に史跡等があるわけではないが眺めが良い。これが神戸市の「高低差」である。

公園西側の「神戸常盤女子高等学校」を過ぎて突き当たりを左折する。

真っ直ぐ下って行けば「西代蓮池公園」に出る。トイレがある。(午前11時5分)

公園のグランド東側を抜けて行けば「史跡蓮の池」の石碑。

「蓮の池」とは飛鳥時代から奈良時代にかけて行基が作ったと伝わる古い池で昭和の初めころまでこの地にあったそうだ。

公園の南側には「神戸常盤アリーナ」という体育館や温水プールなどがありスポーツ公園のようになっている。

アリーナ南側の中央幹線に沿って西へ進み「蓮池小学校」を過ぎたところの信号か地下道で中央幹線を渡る。

「セブンイレブン」を過ぎ、次の信号の角にも公園が。その手前に「水笠通二丁目の碑」。震災後、防災公園とするため立ち退きとなった元住民たちが、在りし日を偲んで建てた碑である。

そして目の前の公園が「水笠通公園」。(午前11時20分)

公園造成工事に伴う試掘作業の際、弥生時代から鎌倉時代にかけての複合遺跡である「水笠遺跡」が発見され、公園内にその石碑が立つ。

園内を斜めに抜け、対角線上に位置する公園南側の信号を渡り、「高取山湧水路」という小さな流れに沿って歩く。

1つ目の四つ辻を左折すれば「シューズプラザ」。実は長田区は在日コリアンの町でもある。日本最大の在日コリアンの町である大阪「生野区」もそうなのだが、在日の人たちの地場産業としてサンダル製造があり、かつて「ローマの休日」という映画でオードリーヘップバーンが履いていたことから、そのサンダルは「ヘップサンダル」「ヘップ」と呼ばれている。

「シューズプラザ」の前には大きな赤いハイヒールのオブジェ。ここ長田区もサンダル製造が盛んなのだ。

ハイヒールのオブジェを左に見ながら進み2つ目の四つ角を右折。正面に見えるJRのアンダーパス手前に「神戸韓国学園」。いわゆる韓国民団支部である。やはり在日の町なんだな。

神戸韓国学園前のアンダーパスでJRをくぐり、すぐに右に曲がろう。

250mほどで右にJR「新長田駅」南口。今日のゴールとなる駅だ。

そしてタクシー乗り場向こうの駅出入口の前には、何と巨大な「コテのモニュメント」。「コテ」とは関西人にはお馴染みだろうが、お好み焼きを裏返したり焼きそばを作るときに使うアレである。長田区はお好み焼き店の密集度が日本一といわれる「鉄板こなもん」の町でもあるのだ。「こなもん」とは「粉もの」。つまりお好み焼きや焼きそば、たこ焼きなどのことである。

鉄板の上でジュージュー焼けるお好み焼きの音とソースの匂い。そんなことを考えていると「腹が」「減った」「よし飯にしよう」。

タクシー乗り場を抜けて右に曲がり、2つ目の「新長田公園」という児童公園がある交差点を左に曲がる。時間は午前11時40分。

その公園の向かいにあるマンション1階に「元祖お好み道場」。ちょっと早いが今日はここで飯にする。

ただお好み焼きではなく「長田名物そばめし」(800円)を注文。そばめしとは「ヘップ工場」の女工さんたちが弁当のご飯を焼きそばと一緒に鉄板の上で温め直してもらったことからここ長田で生まれた兵庫県のB級グルメ、長田区のソウルフードだそうだ。炭水化物+炭水化物なので結構がっつりとくる。

午後0時10分、食事を終えて店を出発。店の真ん前には「日本ケミカルシューズ工業組合」。「ヘップ」をはじめここで作られるシューズは「ケミカルシューズ」と呼ばれる。ケミカルシューズは材料となる樹脂やゴム、それらを引っ付ける接着剤、色を塗る塗料など多くの揮発性物質を扱うため震災に際しては方々で火災が発生し、多くの方が亡くなる原因になったと言われている。

お好み道場と工業組合の間を東に進む。4つ目の交差点を右に折れれば「兵庫韓国文化教育院」。韓国民団の兵庫県本部である。

前方に見える阪神高速道路方向に進み突き当たりを左折。JRのガード前で右に曲がり新湊川を渡る。右前方に見える「志里池公園」に入る。

この公園は昭和11年に開校、平成9年に廃校となった「志里池小学校」の跡地で旧正門の階段石を使って作られたモニュメントが残されている。付近の地名は「尻池」というが「尻」の文字を嫌い「志里池」と命名されたそうだ。

公園南側の道を東へ進み、2つ目の四つ角を左に曲がった「長田中学校」グランドの手前に「菅原道真所縁匂ノ梅及び歌碑」。(午後0時25分)

菅原道真が九州へ左遷される途上、梅の良い香りに誘われ、この地で和歌を詠んだと伝えられている。

長田中学校グランドに沿って北に進み、JRのアンダーパスをくぐって200mほどで左に「みくら南公園」。

公園内には震災の際、類焼を食い止めたという焼け焦げた「御蔵公園の楠」。

さらに50mほどで右に「御蔵北公園」。

ここにも震災の「鎮魂碑」。

そして被災した「電柱」が残されている。

建物の隙間から見える「国道28号線」に出て、信号を渡ってから右折する。

JRガード手前の「菅原通5丁目交差点」を左折し、2つ目の信号で右に曲がってJRをくぐれば左に「増田製粉所」という大きな工場。ここは明治41年5月設立という古い製粉工場で正門横に当時の「井戸塔」が残る。

そのまま進めば阪神高速道路神戸線が走る「国道2号線」に突き当たるが渡れないので一旦右に曲がり、次の「東尻池交差点」で国道を渡ろう。そして100mほどで大きなビルが見えてくる。「川崎車両株式会社本社ビル」。以前歩いた兵庫区側に工場があり、長田区側に本社ビルがあるんだな。(午後0時50分)

会社構内には「新幹線ひかり号」と「特急こだま号」の車両が展示されている。

「特急こだま号」は、新幹線の列車編成である「ひかり・こだま」ではなく、昭和39年10月、東海道新幹線が開業するまで東京~大阪・神戸間を走っていた在来線の特急列車である。新幹線が走るまで一番かっこいい列車だった。

この橋を越えれば、以前歩いた兵庫区だ。

先ほどの信号まで戻りそのまま狭い一方通行道路を西に進む。

300mほどで「浜添湯」というレトロなお風呂屋さんが左に見えてくる。

その四つ角を左に曲がり次の四つ角を右に入れば「西神戸朝鮮初級学校」。朝鮮総連系の民族学校だ。やっぱり在日の町なんだな。

さっきの四つ角まで戻り南へどんどん進む。在日コリアンが多く住む町なのでいたるところに韓国料理店や焼肉屋さんがあるが、生野区のようにコリアンタウンを構成するほどではない。

狭い通りを抜ければ大通りに出るので左折する。この道は兵庫区編で歩いた「高松線」という大通りの延長線上である。

そしてすぐ「イオン」がある交差点に出るので渡れば「高松橋」という赤い欄干の橋が現れる。橋の手前には「兵庫運河」開削で功績があった「八尾善四郎」という人の銅像が建つ。(午後1時5分)

イオンの反対側には高松橋の由緒が書かれた銘板がある。昭和3年に架けられた旧高松橋は、船が通る際に東側部分が跳ね上がる「跳ね橋」だったそうだ。

橋の下は以前訪れた「兵庫運河」。

高松橋を背にイオンを越えて西に進み、高松線の下を走る神戸市営地下鉄海岸線「苅藻駅」の出入口を過ぎれば次の信号を左に曲がる。

次の信号の右正面には「神戸市中央卸売市場西部市場」。ここは大正9年1月に開場された「神戸市立屠畜場」が前身で海産物ではなく精肉の卸売市場である。一般人も利用できる場内食堂があるそうだ。

西部市場北側を西に進んで突き当たりを右折し高松線に戻って「駒栄橋」で新湊川を渡る。

道なりに進んでいくと左に「あぐろの湯」という日帰り温泉。

さらに進んでいくと隣の「アグロガーデン」というホームセンター駐車場の一角に何か建っているぞ。故横山光輝という漫画家が描いた「三国志」に出てくる「呂布」という武将のブロンズ像だ。(午後1時30分)

横山光輝氏は隣の「須磨区」出身だそうだが、神戸市出身ということで長田区が三国志で町おこしをしているようだ。三国志についてはまた後で出てくる。

「駒栄町4交差点」を渡り「駒竹稲荷神社」を過ぎて次の信号で左の狭い道に入る。

突き当たりを右に曲がれば何か波止場のような雰囲気が。

そのまま進めば右に赤い鳥居が見えてくる。

そして鳥居前からのぞき込めば「港」が見える。

石灯籠の前には「いかなごのくぎ煮発祥の地」と刻まれた石碑。ちりめんじゃこのようなイカナゴの稚魚を砂糖醤油で甘辛く煮込んだ「いかなごのくぎ煮」は大阪湾沿岸各地で食べられており、発祥の地はあちらこちらに見られるようだ。

この鳥居は「駒林神社」。応神天皇を祀るいわゆる「八幡神社」である。

もう少し進めば左に「駒ケ林魚市場」と書かれた建物。ここは長田区唯一の「駒ヶ林漁場」という漁港で、この魚市場は「神戸市漁業協同組合駒ケ林荷捌所」というそうだ。時間にもよるだろうが獲れたての魚が売られているんだな。ここは「漁村」なのだ。(午後1時40分)

魚市場を過ぎれば右に「蛭子神社」。「蛭子」は漁業・航海・海事の神様なので全国の港町で祀られている。

そのまま西に進み一旦左に折れて駒ヶ林漁港を望む。都会の中の漁港だが大阪湾も高度成長期から比べれば、随分ときれいな海に生まれ変わった。海の底が見えている。

山側に戻り「長田港北交差点」を右に曲がる。

何となくレトロな建物だな。保育所らしい。

しばらく歩くと右にこんな看板が。入って行こう。

狭い路地に入れば右にこの「昭和チック」なお店が現れる。

お店を背に後ろを見れば「うでづか」と刻まれた石柱が。

そこを入れば十三重石塔の隣りに「平忠度の腕塚堂」。平忠度とは平清盛の末弟で、一ノ谷合戦で討たれた際に切り落とされた腕がこの地に埋められたと伝えられている。お参りすれば腕や腰、足などの病に効くそうだ。

通りに戻り右へ。ちょうど駒林神社裏門前で信号を渡れば「臨済宗海泉禅寺」と「新黒稲荷神社」が並ぶ。(午後1時55分)

新黒稲荷神社の境内には「義経堂」。

小さな建物の中には「みあらい地蔵尊」。

隣の海泉禅寺の境内には、阪神淡路大震災で倒壊した本堂の瓦が震災慰霊碑として残されている。

この辺りは「源平合戦」の戦跡と言うよりも「一ノ谷の合戦」で敗れた平家の軍勢が長田沖に停泊させていた軍船に向かう敗退路だったようだ。

お寺と神社を右に見ながら西に進み(つまり道を戻る)、歩道橋のある次の辻を右に入る。そのまま路地を進み1つ目の信号を渡れば右にレトロな校舎が現れる。

ここは昭和4年に開校、戦災・震災を乗り越えて平成20年、約80年の歴史に幕を閉じた旧神戸市立二葉小学校。

その後、平成22年会議室やサークル活動施設を備えたコミュニティセンター「神戸市立ふたば学舎」として市民に開放されている。トイレがある。(午後2時5分)

暫し校舎内を徘徊する。廊下に敷かれた油の匂いが懐かしい。

淡い電灯の光が良い雰囲気だな。

階段も良い感じ。

「ふたば学舎」の北側から敷地を出て右へ。交番のある交差点を渡ってさらに進む。震災以降、町の中心部は「碁盤の目」状に概ね100mごとに区切られている。これより長田区で最も活気のある「商店街」に突入だ。

正面に「大正筋商店街」。アーケードを左に曲がる。大正7年に作られたことから大正筋商店街と言うそうだ。

次の角には三国志等身大石像「関羽」。先ほど述べたように長田区は漫画「三国志」の作者である横山光輝氏が神戸市出身であることから「三国志の街」をキャッチフレーズに町おこしをしている。ただ私は「三国志」を読んだことがないので、あまり知識はない(コメントは控える。というかできない)。

アーケードから離れ真っ直ぐ東へ進み、地下鉄が走る「タンク筋」という通りを渡りさらに進む。かつて神戸ガスの巨大なタンク群があったことから命名されたそうだ。

冷麺屋さん。

お風呂屋さん

焼肉屋さん。

正面に「本町筋商店街」のアーケードが見えてくるので右へ曲がる。(午後2時25分)

ここも賑やかな商店街だな。

途中右に「丸五市場」。大正7年に開場した「丸玉市場5部」というのが命名の由来だそうだ。

その先のスーパーの前には三国志等身大立像「孔明」。

次の四つ辻でアーケードが切れ、左に「六間道商店街」というアーケードが延びる。

ただアーケードには入らず右に曲がる。六間道商店街のこの部分はアーケードがない。

すぐにこの飲み屋さんが見えるので右の路地に曲がる。

正面には先ほどの丸五市場への入口。中へ入ろう。

レトロと言うより「ディープ」な空間。

進んでいけば「丸五アジア横町」。平成20年、中国やミャンマー、タイ、ベトナムなどアジア関連の屋台を出店したことを機に誕生したそうだ。

一画には三国志等身大立像「劉備」。立像と言うが座っているな。

丸五市場を抜け出れば右へ。

次の四つ角の左に「西神戸センター街」というアーケードが見えるので左に曲がる。

昭和時代にタイムスリップしたようだ。

アーケードを抜ければ先ほどのタンク筋。

左の信用金庫角には「司馬懿ブロンズ像」。

タンク筋を左に曲がり次の右角には地下鉄「駒ヶ林駅」。そして正面には先ほどの六間道商店街。ここからまたアーケードが始まる。(午後2時40分)

アーケードを右に曲がればすぐに三国志等身大立像「周瑜」。

アーケードの途中右側には「魏武帝廟」。

そしてその先は最初に訪ねた大正筋商店街との交差点だ。

角には「扇港湯」というちょっとレトロなお風呂屋さん。

その向かいには三国志等身大立像「孫権」。

その隣には「KOBE鉄人三国志ギャラリー」。三国志や最後に訪れる「鉄人」に関する観光施設だが、写真撮影については自由なもののブログへの掲載は禁止されている。

そして次の四つ角が商店街に突入したふたば学舎からの延長線だ。ここで商店街とはお別れ。左に曲がる。

ふたば学舎を左に見ながらどんどん進んで行く。

次の大通りを信号で渡ってから右折。正面の阪神高速道路くぐって国道2号線を渡る。

次の信号を左折して7~80m進めば「若松鷹取公園」という小さな児童公園が右に見えてくる。

ここにも「鎮魂モニュメント」。(午後3時5分)

先ほどの信号まで戻り、ひたすら真っ直ぐ歩く。「若松公園」のフェンス越しに「新長田一番街」という商店街のアーケードが見える。そして木々に遮られ見えなかったが、アーケードの前に「奴」がいた。(午後3時20分)

♪ビルの町に ガオー

♪夜のハイウェーに ガオー

♪ダダダダ ダーンと弾がくる

♪ババババ バーンと破裂する

♪ビューンと飛んでく「鉄人」28号

これは三国志を描いた横山光輝原作の「鉄人28号」のモニュメント。私も「鉄腕アトム」や「ビッグX」「宇宙少年ソラン」などで育った世代。「鉄人28号」はちょっと機械的で冷たい面もあったけど僕らのヒーローだった。平成21年に完成。復興のシンボルとして長田の町で拳を振り上げている。「ガオーッ!」

身長18mの鉄人を後に東へ進めば本日のゴールJR「新長田駅」。昼前に立ち寄った駅だ。午後3時45分着。本日の歩紀「26495歩」(18.01km)。ここから大阪駅まで約35分(650円)。震災に見舞われた長田区は見事に復興した。町の皆も生き生きと生活している。しかし被災した人たちの心はいつまでも癒やされることはないだろう。私もあの地震を経験したが、もう27年になるんだな。間もなくあの日がやってくる。「合掌」

追:新型コロナがまた勢いを増してきました。緊急事態宣言が出なければ良いのですが。
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