「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

日本最古の官道「竹内街道」から「二上山」を経て「當麻寺」へ

2020-11-22 01:03:16 | 日記
訪問日:令和2年11月21(土)
出 発:近鉄電車「磐城駅」
到 着:近鉄電車「当麻寺駅」

 難波から飛鳥を結んだ日本最古の官道といわれる「竹内街道」から万葉集にも詠われた「二上山」の雄岳・雌岳を経て、白鳳・天平様式の伽藍を残す古刹「當麻寺(たいまでら)」までを歩く。前半と後半は「里歩紀」であるが、「二上山」は登り下りとも結構な急坂であり足元も険しいので、それなりの準備で登ろう。登山口に「茶屋(レストハウス)」があるので、山に入る前に済ませれば給水・トイレの心配はない。


 近鉄南大阪線「磐城駅」が今日のスタート。各駅停車しか停まらないため「大阪阿部野駅」から途中乗り換え約40分(570円)。ホームからは、この後、登る「二上山」が。


 午前9時23分、駅前を出発する。駅前に自動販売機はあるが、スーパー・コンビニはないので、必要なものがあれば途中で調達しておこう。ここは、奈良県葛城市。


 駅前食堂を右に見ながら南に進めばすぐに「近鉄磐城駅前交差」で「国道166号線」と交わる。一応「竹内街道」に比定されているのだが横断して真っ直ぐ進む。


 交差点から120mほどで三叉路に。右に鬱蒼とした森が現れ、そこには「竹ノ内街道」の案内板。この道が旧街道だ。


 そしてこの森は「長尾神社」の鎮守の森。真っ直ぐ進んで正面に向かう。「式内社」ということは、延長5(927)年に完成した「延喜式神名帳」に記載されているということ。1000年以上の歴史を有する古社である。(午前9時27分)


 「天照大神」「豊受大神」「水光姫命」「白雲別命」を御祭神とするが、歴史が深いため多くの言い伝えが残るらしい。今日一日の安全を祈願しよう。


 参拝を終え、拝殿に向かって右の藪に入れば裏から失礼することになるが、先ほどの三叉路に戻る。「竹内街道」「竹ノ内街道」二つの書き方があるようだ。


 さあ、神社を左に見ながら街道を西に進もう。(午前9時34分)


 家の建て替えが進んでいるところもあるが、趣のある街道筋を歩く。


 途中、視界が開け遠方に山が。「大和葛城山」だろうか。


 しばらく歩けば右に石灯籠と道標、その横には地蔵堂。街道の面影が残る。


 センターラインのないこの狭い道は「国道166号線」と並行して走っている。いや、国道が「竹内街道」と並行して走っているのだ。徐々に緩やかな上り坂となる。


 街道に入ってから14~5分で左に「綿弓塚」。(午前9時48分)


 かつて松尾芭蕉も訪れたと言われる。


 旧家を改造した休憩所となっている。トイレがある。


 「竹内街道」とは、これから登る「二上山」の麓を通って「難波」から「飛鳥」を結んだ日本最古の官道と言われる。


 河内・大和の国境を「竹内峠」で越え、この「竹内集落」を通ったことから「竹内街道」と呼ばれる。




 4~5分で「国道166号線」に突き当たるので左折する。


 歩車道の区分はないが、見通しが良いので道の端を歩けば危なくないだろう。道路交通法では人は「右側通行」だが、私は左側を歩く方が安全なような気がする。向かってくる車は怖いが、追い抜いて行く車はそうでもない。自分自身も車を運転するが、左を同じ方向に進む歩行者はスムーズに追い抜くことができるが、こちらに向かって歩いてくる歩行者があると、ついブレーキを踏みハンドルを切ってしまう。


 350mほどで「県道704号線」と分岐する道路標識が現れるが、その標識を過ぎて120mほどで左の池の横に「竹内街道」の案内板があるので、案内板に従って街道に入ろう。(午前10時2分)


 これからしばらく林と田んぼに囲まれた狭い道が続く。


 左から道が合流してくるが、そのまま真っ直ぐ進む。


 左を走るのは「南阪奈道路」。


 さらに左から道が合流してくるが直進。


 鬱蒼とした林間道を進む。


 やがて「竹内街道」へのスロープと階段の案内板が現れる。「階段」の方に進もう。


 階段を上れば「国道166号線」沿いに出るので左へ。


 そこは「鶯の関跡」。国道の脇だが「峠の小公園」という静かな公園になっており、東屋や「鶯の関跡碑」などが建つ。(午前10時20分)




 そして国道に沿って公園を60mほど進めば標高289mの「竹内峠」。旧道から国道の「竹内峠」を見下ろすことができる。


 ここは「奈良県」と「大阪府」の府県境。「県境碑」が立つ。


 坂を下っていけば「国道166号線」と合流。そこには、案内板と「左大和国・右河内国」「緑の一里塚」と書かれた標識が立つ。


 再度、車に気をつけながら国道を歩こう。150mほどで左に歩道が現れる。


 峠を越えたので下り坂になっている。遠くには「大阪平野」が。


 峠から7~8分で「二上山登山口」の標識が現れるが、とりあえずもう少し進もう。


 さらに⒉~3分で右に「万葉の森」というレストハウスが現れる。(午前10時34分)


 ログハウス風の建物は、レストランになっており食事ができる(日替わり定食は、月~金)。広い駐車場があるので車で来る人はここを拠点とするようだ。


 駐車場脇にトイレと自動販売機がある。山に入る前の最終給水・トイレポイントだ。


 トイレを過ぎれば、すぐにお地蔵さん。ここが先ほど通った「二上山登山口」の標識から入った所だ。舗装された道には進まず左へ曲がる。


 「さざんかトンネル」を過ぎる。


 5~6分で「鹿谷寺(ろくたんじ)跡」。(午前10時51分)


 奈良時代の寺院で岩盤を掘り抜いた石窟寺である。「十三重石塔」と「三尊仏坐像」が残る。日本最古の貨幣「和同開珎」は、この辺りで出土したそうだ。


「鹿谷寺跡」を過ぎれば、しばらく険しい岩場が続く。


 途中、展望が広げ「大阪平野」が眺められる。


 結構、急な階段を登る。


 階段を登ればベンチがあるので一休み。(午前11時6分)


 この道は、先ほど「二上山登山口」で分かれた舗装道の延長線上であり、「岩屋」方向へ右折する。


 標識に従い左へ。


 途中、「雌岳」への分岐点が現れるがやり過ごして直進。すぐに「岩屋」への分岐点に出るので右へ。


 そのまま進めば「岩屋」。(午前11時13分)


 ここも奈良時代に開かれた石窟寺で「三重石塔」や「磨崖仏」が残る。国の史跡に指定されている。


 「岩屋」の前に横たわるのは「千年杉」。平成10年の台風で倒れてしまったそうだ。


 先ほどやり過ごした「雌岳」への分岐点まで戻ろう。


 ジグザグの山道を登っていく。


 途中、ベンチで小休止。


 目の前には、「金剛山」へと続く山々。


 ちょっと目を左にそらせば「奈良盆地」。


 「雌岳」への分岐点。


 3分ほどで「雌岳山頂」。


 「二上山」は、標高474mの「雌岳」とこの後登る「雄岳」がラクダのこぶのように並ぶことから「二上山(ふたかみやま)」と呼ばれ、万葉の時代から親しまれてきた。


 頂上には、大きな日時計のモニュメント。


 ここからは「奈良盆地」が一望できる。遠くには「大和三山(耳成山・畝傍山・天香久山)」。


 時間は、午前11時38分。ちょっと早いが昼食にしよう。


 今日は、阪急「大阪梅田駅」の階段を下りたところにある弁当屋「GOZEN」で買った「おむすびセット(324円)」。外で食べる弁当は美味しいな。


 正午、昼食・休憩を終え「雌岳」を出発。


 案内標識はないが他のハイカーに従い「雄岳」目指して急な階段を下る。ここには案内標識が欲しいな。

 
 途中、「大阪平野」の眺め。高層ビル群越しに「六甲山地」が。前回は「甲山」からこちらを眺めたんだな。


 5~6分ほどで山小屋風のトイレ。一応、水洗だが「山のトイレ」なので緊急時以外は、あまりお勧めはできない(特に個室)。この後、「雄岳」を目指すのだが、登頂後、またこの場所まで戻ってくる。(午後0時6分) 


 「雌岳」から「雄岳」に向かうこの道は「馬の背」と呼ばれる。ちょうどラクダのこぶとこぶの間にあたる。


 結構、急な階段。


 途中「銀峰」方面への分岐。階段がつながっているので、それに従い右へ登ればいいが、左もしっかりした道なので、ここにも案内標識が欲しいな。


 途中、何の前触れもなく「雄岳」頂上が。目印は、消防が救助用に設置している「目標位置5」の看板。


 そのすぐ後ろに「雄岳山頂」。標高517mだが木々に囲まれ見晴らしは効かない。(午後0時18分)


 山頂には「葛城二上神社」。「大国御魂命」らが祀られているが由緒は不明。古くからの「山の神様」なのだろう。


 そのすぐ横に「大津皇子御墓東一丁」の石標。「1丁」なら約100mだな。


 しかし、すぐ目の前に鉄柵に囲まれた鳥居が。


 「大津皇子の墓」。天武天皇の第三皇子として生まれたが、謀反の罪を着せられ24才で死罪になった悲劇の皇子である(諸説あり)。天皇陵同様、宮内庁の制札が立つ。


 「二上山」にはいくつもの登山ルートがあり、このまま進めば近鉄電車「二上山駅」や「二上神社口駅」へ抜けれられるのだが、今日は「當麻寺」へお参りするので同じコースを先ほどの「山のトイレ」まで戻る。


 「雌岳」と「銀峰」の分岐を過ぎる。先ほど通ったので左に曲がるが、やはり案内標識が欲しいな。


 坂を下って行く。


 「山のトイレ」の手前、この分岐点で「祐泉寺」方向に曲がる。(午後0時34分)


 急な坂を下っていく。ここからは、ずっと下りだ。


 ハイキングコースを塞ぐように巨石が。


 途中「銀杏」の木があるのだろう。一面、黄金色の絨毯。ベンチもあるので、多くのハイカーが休憩がてら写真を撮っていた。


 陽ざしが反射し、黄色にライトアップされているように見える。幻想的だな。


 鉄の小さな橋を渡れば、せせらぎ沿いに歩く。


 所々、ハイキングコースというより「沢沿い」に歩く。昨晩、雨が降ったので増水しているかと思ったが、そうでもないな。


 自然の造形物。


 やがて「祐泉寺」。写真ではわかりづらいが紅葉が美しい。(午後1時)


 静かに佇む天台宗の寺院である。


 せせらぎ沿いの道を下る。


 右に釣り堀池が見えれば「山道」は終わる。


 釣り客の駐車場を過ぎれば、その先に「鳥谷口古墳」。


 7世紀後半に築造されたそうだが被葬者はわからない。(午後1時14分)


 高台にある古墳から「大池」という貯水池越しに「奈良盆地」を望む。


 元の道に戻り「大池」に沿って歩けば突き当たるので左へ。池の向こうには「雌岳(左)」と「雄岳(右)」が。


 緩やかな坂を下っていくと「當麻山口神社二の鳥居」。


 道を挟んで鳥居の向かいには「傘堂」。一本柱の上に瓦葺きの屋根がのる。(午後1時27分)


 郡山藩主本多政勝の菩提を弔うため延宝2(1674)年に建立され、奈良県の指定有形民俗文化財に指定されている。


 どんどん進み「當麻山口神社一の鳥居」をくぐる。


 鳥居をくぐってすぐに右の細い道に入り、墓地の横を抜けていく。


 田んぼに突き当たり左に曲がれば墓地の入口があるので入ってみよう。


 まっすぐ進めば「中将姫墓塔」。「中将姫」については、「當麻寺」に着いてから述べる。(午後1時36分)


 墓の入口まで戻り真っ直ぐ進んでいけば三叉路に出る。振り返れば旧家をバックにお地蔵さんと石灯籠。


 真っ直ぐ進んでいけば前方に「當麻寺北門(黒門)」が見えるが、左に曲がり正面へ向かう。


 道なりに直角に曲がれば左に「當麻寺薬師堂」。国の重要文化財に指定されている。


 さらに旧家の間を道なりに進んでいけば「仁王門」。「當麻寺」に着いたぞ。(午後1時44分)


 「東大門」とも呼ばれる「仁王門」の前には「當麻村道路元標」。


 「當麻寺」は、僧坊である「中之坊」と西塔の別当である「西南院」、伽藍三堂と言われる「曼荼羅堂(本堂)・金堂・講堂」、浄土宗大和本山である「奥院」は、それぞれ拝観料が必要だが、境内自体は自由に散策できる。


 境内に入る。正面には白鳳時代に造られた日本最古といわれる「梵鐘」。国宝に指定されている。


 「當麻寺」の創建は、推古天皇の時代までさかのぼると言われ、奈良時代から鎌倉時代にかけて盛衰・変遷を経て、現在に至っている。


 左には、いくつかある僧坊の中で最も大きい「中之坊」(拝観料500円)。


 受付の横には、役行者によって創製されたという日本最古の漢方薬「陀羅尼助」を作ったと伝わる「行者の大釜」。


 「書院」の前には芭蕉の句碑。


 「書院」。江戸初期に建造され国の重要文化財に指定されている。




 「書院」から庭園の眺め。


 その前には「後西院天皇玉座」。ここから庭園を眺めていたんだな。


 「書院」を出れば「中将姫」の守り本尊である「導き観音様」をお祀りする「本堂」。「中将姫」とは、奈良時代の貴族「藤原豊成」の娘と言われ、「當麻寺」の信仰の中心となっている「當麻曼荼羅」を一夜にして織り上げたと言われる伝説の主人公である。多くの説話が残るので、興味のある方は調べてみて下さい。


 順路に従い、先ほど「書院」から眺めた庭園「香藕園(こうぐうえん)」へ。「香藕園」は「東塔」を借景とした庭園である。


 「東塔」は、平家の兵火により焼失。乾元2(1303)年に再建されたと言われ国宝に指定されている。「乾元」。日本には、いろんな元号があるなぁ。


 庭園から茶室「丸窓席」を望む。これも江戸初期の建造で国の重要文化財。


 庭園入口には「中将姫誓いの石」。


 「中之坊」を出て左に伽藍三堂を望む。


 一番奥に天平時代の建造と伝わる国宝「本堂(曼荼羅堂)」。「當麻寺」の本来のご本尊は「弥勒仏坐像」であるが、鎌倉時代以降「中将姫」が織り上げたと伝わるここの「當麻曼荼羅」が信仰の中心となっているそうだ(伽藍三堂共通拝観料500円)。


 「本堂(曼荼羅堂)」の前には「中将姫像」


 右に「講堂」。鎌倉時代の再建で重要文化財に指定されている。


 左に「金堂」。これも鎌倉時代の再建で国の重要文化財。「當麻寺」の本来のご本尊である「弥勒仏坐像(国宝)」をお祀りする。


 「金堂」の裏には「石灯籠」。この石灯籠は、無銘であるが日本最古と言われ、これも重要文化財に指定されている。


 「石灯籠」の奥から案内表示に従い「西塔」へ。詳しい文献が残っていないため詳細は定かではないが、飛鳥時代に建造され平安時代に再建されたと言われる。これも国宝である。先日、改修を終えたばかりだ。


さらに奥には「西南院」(拝観料300円)。


 正面の「庫裏」に受付がある。


 「庫裏」の右には「本堂」。「十一面観音菩薩・聖観音菩薩・千手観音菩薩」の「三観音」をお祀りする。


 「本堂」の左から「庭園」に向かうが、まず「みはらし台」へ。ここからは「西塔」と「東塔」が見渡せる。「国宝」のツーショットだ。


 続いて「庭園」へ。池の水面には「西塔」の逆さ姿が。


 庭園の片隅には、静寂の中、水の滴る音色とその余韻を楽しむ「水琴窟」。


 「音」を楽しむなんて、素晴らしい文化だな。


 そして「西塔」をふと見上げると、山の日陰に入った「西塔」の「宝珠」部分にお日様の光が。何て素晴らしい光景なんだ。


 庭園から望む「書院」も素晴らしい。


 「西南院」を出て「本堂(曼荼羅堂)」裏の「鐘楼」から「奥院」へと進む(拝観料500円)。


 まず「宝物館」を拝観。


 「宝物館」横の紅葉は真っ盛りだ。


 「御影堂」と「阿弥陀堂」。「當麻寺」は真言宗寺院であるが、「奥院」は「浄土宗総本山知恩院」の大和本山となっており「真言宗」と「浄土宗」が並立する珍しい寺院である。「法然上人二十五番霊場第9番札所」でもある。以前訪れた箕面の「勝尾寺」もそうだったな。


 境内から望む「雌岳」「雄岳」。


 ここからも「奥院」の「楼門」と「西塔」「東塔」を望むことができる。


 一番奥には「浄土庭園」。


 私の「歩紀」としては珍しく約1時間30分かけての見学を終え「仁王門」から「當麻寺」を後にする。門前には、料亭やお土産屋さんが並ぶ。(午後3時17分)


 「仁王門」から東へ真っ直ぐ伸びる県道160号線を進む。県道だが車より人が歩くことを前提とした道。と言うよりもかつての参道を車が通れるように整備したのだろう。


 「當麻寺交差」で「国道165号線」を渡る。


 国道を渡れば左に石灯籠、地蔵堂と並んで「史跡當麻蹴速之塚」碑。(午後3時24分)


 「當麻蹴速(けはや)」とは、日本書紀によると無敵の力士で、それを聞きつけた垂仁天皇から使わされた野見宿禰(のみのすくね)と対戦し、蹴り殺されたと伝わる。後世、野見宿禰とともに「相撲の神様」と奉られている。


 その後ろには、「葛城市観光休憩所」。無料の休憩スペースとトイレがある。


 こんな置物も。


 併設して「相撲館けはや座」。平成2年オープンの比較的新しい施設であるが、本物の「土俵」や相撲に関する資料が展示されている(入館料300円)。


 途中、右にちょっとレトロなお医者さんがあったので1枚。

 
 「相撲館けはや座」から県道を300mほど進めば角に和菓子屋の「中将堂本舗」。「中将姫」にちなんだお菓子を販売する。


 そして、その角を左に曲がれば突き当たりに今日のゴールである近鉄南大阪線「当麻寺駅」。午後3時43分着。本日の歩紀「22574歩」(15.35km)。現在では、「當麻寺」を含め当用漢字の「当」を使っている。今日出発した「磐城駅」のひとつ大阪寄りの駅で「大阪阿部野橋駅」まで約45分(570円)。前回に続いて「軽登山」と「古刹参拝」。紅葉には1週間ほど早かったが、いい「歩紀」だったな。
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