「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

朝の散歩道~「東ときわ台」から「吉川八幡神社」

2020-08-29 11:03:31 | 日記
訪問日:令和2年8月29日(土)

 「コロナ禍」に続き「猛暑」。長い間歩いていないな。健康(健脚)維持のため、近所をウォーキングすることとしよう。コースは、これまで何度も歩き、ブログでも紹介している「妙見街道」と「花折街道」を自宅から氏神様である「吉川八幡神社」までの往復。行きと帰りは同じコースだが「往路は往路の目線で、復路は復路の目線で」写真を撮影した。何度も何度も見飽きたかも知れませんが「自粛」ムード中の「箸休め」としてご覧ください。


 自宅を出れば、数分で私が住む「大阪府豊能郡豊能町東ときわ台」の外周道路。外周道路と言っても住宅地と「山」との境目だ。左側は、結構深い谷になっている。
 

 軽い坂を登れば数十メートルで「妙見街道」と交わる。
 

 突き当りの高圧鉄塔の下には「吉川峠」への案内板。ここを左、つまり吉川峠と反対方向に曲がる。ここからは、しばらく下り坂だ。
 

 この道は、お馴染みの「妙見街道」。池田市木部で「能勢街道」から分かれ、「能勢の妙見さん」へと続く街道だ。私は、以前ここで大きな「ナメクジ」を発見した。
 

 これが、その時の写真です。最初、木の欠片か犬のフンかと思ったのだが、覗き込むと何と巨大な「ナメクジ」。
 

 すぐに自宅へ戻り、メジャーを持ってきて長さを測ってみた。20cm以上はあるな。ネットで調べると「ヤマナメクジ」と言うらしい。「大きいものでは15cmを超える」ということだから、かなりの「大物」だな。
 

 25.5cmの私の靴と比べてみた。写真のデータを見ると「2012年9月23日17時20分」の撮影になっている。もう8年も前のことなんだな。
 

 「妙見街道」を下っていく。この辺りは、ナメクジだけでなくイノシシやシカ、ヘビなどとも出会う。最近では、先週(8月19日)、能勢電と「クマ」が衝突した。そのクマは現在も逃走中。クマと出会ってもおかしくないのだ。
 

 街道が大きくカーブする左側には、立派な「炭焼窯」の跡。
 

 「クマ。出るなよ!」
 
 
 しばらく歩けば林間道が終わり視界が広がる。
 

 いつもながら素晴らしい「里山」風景だ。ここで深呼吸。遠方に見えるお椀を伏したような山の頂上には、かつてこの地を治めた戦国武将吉川長仲の出城「吉川城」の遺構が今も残る。
 

 「栗畑」を見ながら坂を下っていく。
 

 しばらくすると再び林間に入るが、民家もあり距離も短いので「鬱蒼」感はない。
 

 私は、これまでここで3回「ヘビ」と遭遇している。そのため勝手に「ヘビ坂」と名付けている。
 

 「ヘビ坂」を下ってカーブを左に曲がれば、右に「初谷渓谷」への分岐点。そしてその向かい側には、草むらに隠れた小さな「水路」が。
 

 この案内板が立つまでまったく気にも留めていなかったが、200年以上前に農耕のためわざわざ初谷川から水を引いてきた「コミナミの井手」という水路らしい。
 

 高代寺山(288.9m)をバックに棚田が広がる。稲も色づき始めている。
 

 棚田を過ぎれば「初谷川」を渡る。この少し上流は「大阪みどりの百選」にも選ばれている清流だ。
 

 初谷川を渡れば、すぐ左側に「お地蔵さん」と「東の石灯籠」。
 

 今は、シルバー人材センタとなっている元町営プール跡の横に自動販売機。ここでいつも給水する。「カエルさん、ボタンを押させてね」
 

 そして少し進めば「町立吉川保育所」。その前の交差点で国道477号線を渡る。ここまでは、ずっと下り坂。ここからしばらく「吉川」の盆地を歩く。
 

 信号を渡れば右に「大自然天地日之大神教」という神道系宗教団体の神殿。その後ろに小さな尾根があるが、そこに先ほど述べた吉川氏の居城「井戸城」があったそうだ。私は、あまり古城に対する知識はないが、今も遺構が残るらしい。
 
 
 そして少し歩けば右に「浄土真宗本願寺派西方寺」。その前で左から道が交わってくる。これは、明治時代に入ってから能勢街道の「一の鳥居」から「能勢の妙見さん」までを結ぶために開かれた「花折街道」。ここから「妙見街道」と「花折街道」が重なるので、以後「花折街道」と呼ぶ。
 
 
 能勢電がクマと衝突したのは、あの辺りらしい。山でなはく「人里」じゃないか。
 

 少し歩けば左に阪急バスの停留所。その前の小さな橋で川を渡る。橋の名前は「城之下橋」。そう右に見える山は、「井戸城」があった尾根である。だから「城之下橋」。
 

 バス停、駐輪場を過ぎれば「能勢電鉄妙見口駅」前。駅前には、この辺りでは有名な「かめたに」。私のブログでも何回か登場するお土産屋さん兼お食事処である。
 

 イノシシのはく製も飾られているが、ボタン鍋やしし鍋味噌煮込みうどん、ししとじ丼、猪フルトなどがいただける。ここでは、イノシシは「食材」なのだ。
 

 その向かいには「豊能町観光案内所」。ここからは、緩やかな上り坂だ。「花折街道」を進む。
 

 すぐに橋のたもとで「高代寺」への参道との分岐点。角には町石。そう、ここは「妙見さん」とともに「高代寺」という古いお寺への出発点でもある。今日は、まっすぐ進む。
 

 「吉川自治会館」前を進んで行く。妙見口駅から「花折街道」を案内する石作りのモニュメントが続く。
 
 

 正面には「旧吉川中学校」。今は「オイスカ」という発展途上国への農業支援団体の施設となっている。
 

 「花折街道」の案内板。
 

 これを過ぎれば左に「たまや」。かつての茶店跡であるが、今は自家製ハチミツなどを扱うお店になっている。
 

 「町立吉川小学校」を過ぎて坂を上っていく。
 

 左に「吉川八幡神社」への分岐点が見えてくる。
 

 私は、ここのカーブミラーに映る「吉川八幡神社」への参道がお気に入りだ。
 

 参道を上る。右に見える田畑は、「鏡田、田植え、青田、黄金田、稲刈り、彼岸花、雪、レンゲ畑」と四季の移り変わりを視覚で表してくれる。
 

 十数mではあるが、このコース最大の勾配(たぶん)を登れば前方に「能勢電」の車両が。これは、鉄道愛好家でもある「吉川八幡神社」の宮司さんが、能勢電の実車の一部を展示しているのだという。そして、その横にある小さな小屋は「厩舎」である。
 
 
 写真撮影が禁止されているので横の掲示板を撮影したが、ここには全国でも数社(会社ではなく神社)しかいないといわれる「神馬」がいるのだ。「いづめ」というらしい。
 

 鳥居前の手水屋で身を清めてから参拝する。
 

 「吉川八幡神社」。この地区の氏神様である。以前は、どこの田舎にもある祭りの頃しか人が集まらない鄙びた神社であったが、若い宮司さんが来てからは、境内や神殿も整備され、いろいろと趣向も凝らし、雅楽の音色も流されている。
 

 氏神様に手を合わせる。
  

 参拝を終え、さあここからは「復路」だ。神社前の坂を下っていく。右には吉川の棚田。谷間に開けた集落の様子がよくわかる。
 

 分岐点で「花折街道」と合流し右へ。これまでの「往路」を下る。同じコースだが「復路」目線で説明する。
 

 正面には「町立吉川小学校」。豊能町には4つの小学校があるが、すべて各学年単学級の小規模校であるため統合の話も聞かれる。隣の能勢町では、すでに中学校も含め小中一貫の学校に統廃合されている。
 

 ずっと下り坂だ。
 
  
 「西の石灯籠」を見ながら「花折街道」を下る。
 

 「吉川自治会館」の前には、文化5(1808)年と刻まれた「常夜灯」。かつて「妙見街道」と「花折街道」との交差点である「西方寺」前にあり、長らく民家の庭にあったものが、ここに復元されている。
 

 すぐに「妙見口駅」前に。大阪府最北端そして材木や「能勢の三白三黒」と呼ばれた「米・寒天・高野豆腐」「炭・黒牛・栗」の産出と「能勢妙見」への参拝入口として、古くは「明治」、大正時代には全線開通した古い歴史を持つ駅だ。
 

 ただ、阪急宝塚線を経由して「大阪梅田駅」まで約1時間(600円)で結ぶため田舎の駅ではない。平日の昼間帯は、約10分おきに電車が発着し、終電も0時過ぎまである。
 

 「妙見口駅」前の「かめたに」駐車場奥には「井戸城址」の看板が。
 

 「城之下橋」を渡り、「西方寺」前で「花折街道」と分かれる。そこには、こんな案内板が。
 

 往路で渡った「保育所」前の国道477号線との交差点。右前方には「豊能町消防団吉川分団」の車庫。以前は、先ほどの「吉川自治会館」敷地内にあり、ここの消防車は、ダットラのクラッシックカータイプだったが、今ではいすゞのポンプ車に変更されているようだ。
 
 
「ダットラ」って知ってます?「日産ダットサントラック」の略ですよ(写真は、平成26年4月13日撮影)。
 

 ここからは上り坂だ。交差点を渡り「東の石灯籠」と「初谷川」を過ぎる。里山を背景に吉川の棚田を下から眺める。
 

 往路で通った「コミナミの井手」の前には「初谷渓谷コース」への案内板。
 

 「ヘビ坂」途中のカーブ横にも「炭焼窯」の跡。
 

 駐車禁止のカラーコーンが並ぶ。車利用の日帰り登山者への呼びかけだろうか。以前はなかったのだが、これもコロナ禍による近場へのアウトドアレジャー流行の影響だろうか。
 

 小さな林間道を過ぎれば右に「高代寺山」。山の中腹。一番上に見えるのは、ベンチのあるちょっとした展望台。こちらからよく見えるので、当然、展望台からの眺めも素晴らしい。その下は、NPO団体が運営している棚田。右下に見えるのは「大自然天地日之大神教御教祖供養所」だ。
 

 「栗畑」を過ぎれば、最後の林間道への入口。
 

 ここで、一旦振り返り、里山風景に別れを告げながら深呼吸。
 

 振り返って右の一番奥にある山が、以前登った「天台山(640m)」だ。写真ではわかりづらいが白い電波の反射板がある。
 

 林間道に入る。「クマよ出るな!」ここの山塊は、途中、国道やJRが横切るものの地理的には国内有数のツキノワグマ生息地である「丹波山地」と繋がっているのだ。
 

 ここは、私が「東ときわ台」に引っ越ししてきた約30年前は、ハイキングコース途中の「茶店」だった。今では造園会社になっているようだ。
 

 見た目は、信州や中国地方の山と変わらない。イノシシやシカ、サルそしてナメクジなどの生態系にクマが加わりつつある。「自然回復」+「里山荒廃」のためだろうか。
 

 坂を上り切れば「東ときわ台」の住宅地に。
 

 前方を見れば何か案内板が。
 

 ここで「台場クヌギ」が栽培されているのか。
 

 クマと遭遇することなく無事「東ときわ台」に到着。ここから数分で自宅だ。1時間、約7000歩の歩紀。距離にして5kmちょっとだが、約80mの高低差があり、「充電」にはちょうど良いウォーキングコースだ。朝のシャワーは気持ちがいいぞ。
 
コメント (6)
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