「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

なぜか東京見物~皇居外周歩紀~

2016-07-24 20:25:30 | 日記
訪問日:平成28年7月23日(土)
出 発:JR「東京駅」
到 着:地下鉄「日比谷駅」

 私は、以前3年間、東京で働いていた時期がある。そして、この土曜日(7/23)の夜、かつての同僚との懇親会が東京「有楽町」であり、今回上京することになった。深夜バスに乗り、早朝「東京駅」に着いたので、夜の宴会まで「皇居外周」を歩くことにしよう。東京は坂が多いが、皇居周辺は比較的平坦だ。もちろん「大東京」給水・トイレにも困らない。


 ちょっと早めの午前8時30分、JR「東京駅」丸の内北口を出発。
 

 全国の駅舎が近代的なビルに建て替えられる中、「東京駅」は大正3年建築当時のレンガ造りのまま保存されている。国の重要文化財に指定されている。
 

 「行幸通り」から「東京駅」を眺める。駅前は再開発中であり、若干、通路が複雑になっている。
 

 振り返り「行幸通り」から「皇居」方向を望む。「行幸(ぎょうこう)」とは、天皇陛下が外出されることを言う。
 

 「馬場先濠」から「皇居」に入る。「皇居」とは、「天皇」の「お住まい」であるが、かつての「江戸城」、当然「城」としての面影が残る。
 

 すぐ左は「皇居外苑」。芝生と松林と砂利広場(?)が広がる。「皇居前広場」と呼ばれる広大な広場だ。
 

 案内表示に従い左へ。公園の真ん中に「楠木正成像」。建武中興の忠臣であり、別子銅山の銅で造られている。銅像の後ろにある「皇居外苑事務所」で地図付きパンフレットを入手する。
 

 「内堀通り」を越え進む。そこにはあの「二重橋」。正面に見えるのは「正門石橋」。その奥にある「正門鉄橋」が、昔、木造の二重構造であったことから「二重橋」と呼ばれているそうだ。
 

 正門前で警戒にあたる皇宮護衛官。暑い時期なのに正装しているのだな。
 

 「二重橋」前から「丸の内」の高層ビル街を望む。
 

 「皇居外苑」を濠に沿って北へ。そこには「坂下門」。ここからは入れない。ここの皇宮護衛官は普通の制服だな。
 

 「坂下門」前の「蛤濠」越しに「宮内庁」。いま、天皇陛下の「生前退位」発言で何かと話題が多い。
 

 「蛤濠」沿いに歩いて行くと正面に「桔梗門」。
 

 ここは、事前に整理券をもらった人たちが団体で見学する際の入口になっているようだ。観光客の大部分は「外国人」、その大部分が「中国人」のようだ。
 

 「桔梗濠」と名を変えた濠沿いに進むと石垣の隅に「巽櫓」。櫓越しに先ほどの「桔梗門」と木々に隠れた「富士見櫓」が望める。
 
 
 「内堀通り」をはさんだ一角は「和田倉噴水公園」。休憩所のほか洋風の噴水公園がある。
 

 しかし、その奥は石垣に囲まれた「枡形」になっている。
 

 「和田倉濠」という濠に「和田倉橋」が掛かる。
 

 「内堀通り」に戻り北へ進むと「大手門」。つまり「江戸城」の正門である。
 

 門をくぐれば、やはり「枡形」になっており「多聞櫓」が残る。ここは「皇居東御苑」への入口である。「江戸城跡」は、天皇陛下の「お住まい」である「皇居」部分を除き、先ほどの「皇居外苑」と今から訪ねる「皇居東御苑」、そして「北の丸公園」が公園として一般に公開されているのだ。
 

 公園に入れば、すぐ右に「三の丸尚蔵館」。無料の展示施設で、この日は「駒競べ」という「馬」に関した展示会が行われていた。
 

 更に進めば「同心番所跡」。門番の詰所である。
 

 その前に「百人番所跡」。長さ50mほどの建物で、「根来組」「伊賀組」「甲賀組」「廿五騎組」が4交代で詰めて警護にあたり、常に同心が100人いたことから「百人番所」と呼ばれたそうだ。
 

 「百人番所跡」前から北に上ると左に「白鳥濠」。芝生内立ち入り禁止なのでよく見えない。
 

 その向かいから「雑木林」に入る。武蔵野の面影がそのまま残されている。
 

 そして、その奥には「新雑木林」。「昭和天皇」の御発案に基づき、平成14年に拡張整備されたそうだ。
 
 
 林を進んで行けば「二の丸庭園」。
 

 拳銃を吊った皇宮護衛官がパトロールをしている。やはり、普通の公園ではないのだな。
 

 「諏訪の茶屋」。吹上地区にあったものを明治45年に再建・移転したそうだ。
 

 茶屋の隣は、「都道府県の森」となっている。
 

 「二の丸庭園」を抜ければ「汐見坂」という坂が見えてくる。
 

 そして、坂を上れば、先ほど見えなかった「白鳥濠」を見下ろすことができる。
 

 坂を登り切れば、そこは「本丸跡」。正面に「天守台」が見える。
 

 慶長12(1607)年、二代将軍秀忠により完成されたが19年後の「明暦の大火」で高さ58mの天守閣は焼失、以後、再建されることはなかった。
 

 天守閣跡から南側に広がる「旧本丸」を望む。ここに「大奥」など多くの御殿が並んでいたという。
 

 「天守台」の北から「北桔梗門」を抜けると「北の丸」へと続くが、とりあえず反対側の南方向へ進む。すぐ右に「竹林」。
 

 その隣には「石室」。非常の際の保存庫だったらしく、伊豆石で囲まれた約20平方mの倉庫である。
 

 森に囲まれた小山を上れば「富士見多聞」。「多聞」とは、石垣の上に造られた長屋造りの防御施設のこと。
 

 少し進めば、忠臣蔵で有名な、あの「松の大廊下跡」。「殿、殿中でござる!!」
 
 
 さらに進めば、先ほど「巽櫓」越しに望んだ「富士見櫓」。非公開なのか鉄柵に囲まれている。三層の堂々たる櫓で、天守を焼失した後は、天守閣として代用されたこともあるという。
 

 道なり進めば右に「中雀門」という門の跡が見えるので右へ。
 

 坂を下ると左に「大番所跡」。
 

 そして、すぐ右の石垣の間に先ほどの「百人番所跡」が見える。そう「旧本丸」を一周したのだ。
 

 石垣の間を抜け、「百人番所跡」の前で振り返れば、それは立派な石垣だった。それもそのはず、これは天守閣に続く「本丸中之門」の石垣跡だ。
 

 皇宮警察の車両がパトロールする。
 

 「大手門」から城外に出て「内堀通り」を北へ。
 

 遠くに何やら大きな「像」と「大木」が見える。
 

 像は「和気清麻呂像」。光仁・桓武天皇に仕えた文人で、最初に訪れた「楠木正成」とともに「文武」の二忠臣の象徴として建てられた。大木は、関東大震災で奇跡的に焼け残った「震災いちょう」。残念ながら、エレベーター拡張工事のため見物できなかった。
 

 「大手濠」と名を変えた濠に沿って進むと、遠くに橋が見えてくる。
 

 「平川橋」と呼ばれ、江戸時代そのままの姿を残す唯一の橋である。渡ろう。
 

 皇居には、このような皇宮警察の警備詰所がたくさんある。
 

 橋を渡れば「平川門」。
 

 「鉄砲狭間」は、以前「大阪城」で見た、伏せた姿勢で射撃できる構造だ。
 
 
 門をくぐれば、再度、「皇居東御苑」に入る。「皇居外苑」と「北の丸公園」は、自由に出入りできるが「皇居東御苑」のみ無料だが入口で「入場札」をもらって入る。
 

 すぐに「天神濠」。
 

 「天神濠」を過ぎれば右に「梅林坂」という坂道が見えるので上ろう。
 

 坂を上れば「書陵部」。「書陵部」って、天皇陵を管轄する部署だな。
 

 そのまま進めば「天守台」の北側に出る。
 

 そして「北桔梗門」で「入場札」を返して出る。
 

 この門を境に、右が「平川濠」、左が「乾濠」と呼ばれるが、どちらも石垣が高い。天守の直近なので警備が厳しかったのだろう。
 

 濠を渡れば正面に「国立公文書館」。
 

 その前の歩道橋で道を渡ると「北の丸公園」に続く。
 

 右に「科学技術館」を見ながら進む。
 

 案内表示に従って右の小さな道へ入ろう。突き当たりの左に石段が。「清水門雁木坂」と呼ばれる。
 

 石段を下れば「清水門」。
 

 門をくぐれば左に小さな門が。
 

 門をくぐると城外に出てしまうが、門を出たところは「牛ケ淵」と呼ばれる濠の水を「清水濠」へ流す水門になっている。
 

 「清水門水門」と呼ばれる、江戸時代から残る石垣式の水門だ。
 

 「清水門」を再度くぐり城内に戻る。
 

 「清水門雁木坂」を下から眺める。
 

 元の道へ戻るが、右に「吉田茂」像。さっきは気づかなかったな。
 

 「科学技術館」に続く道には、何やら行列が。
 

 元の道に戻り右へ、そこには見覚えのある建物が。
 

 その前では「豆剣士」たちが竹刀を振っている。
 

 そう「日本武道館」だ。いつか私もここの舞台に立つことが(あるはずない)。
 

 時間は、午前11時30分。少し早いが昼食にしよう。「ザ・フォレスト北の丸」。公園事務所が運営するレストランだ。
 

 「フォレストバーガー」と「アイスコーヒー」を注文(880円)。
 

 食事を終え、ちょっとトイレへ。トイレ前から「日本武道館」を望む。これだけ離れれば、全容が分かるな。
 

 「日本武道館」を過ぎれば「田安門」。
 
 
 門を出たところは「九段坂」。
 

 歩道橋で「靖国通り」を渡る。遠くには「東京スカイツリー」の頭が。
 
 
 そして、歩道橋を下りたところが「靖国神社」。
 

 ♪ 天をつくよな 大鳥居~ ♪
 

 参道途中には、日本陸軍の祖「大村益次郎像」がそびえる。
 

 「靖国神社」は、明治以降の戦没者らを祀る。皇居の外だが、お参りしよう。
 

 手水舎で身を清めた後、一礼して神門をくぐる。
 

 私の先祖も明治38年3月、日露戦争に出征し中国で戦死、ここ「靖国」に神として祀られている。二礼二拍手一礼で参拝。
 

 拝殿から右へ進むと「遊就館」。明治15年に開館し、戦没者らの遺品等を収蔵・展示する。
 

 入館料は800円だが、1階の展示ホールと売店までは無料で入場できる。館内は、写真撮影禁止。
 

 展示ホールには、大砲や「零戦」が展示されている。
 

 館外にも「軍馬」や「軍犬」「軍艦関係者」の慰霊碑などが並ぶ。「靖国神社」を「軍国主義復活の象徴」とか「戦争美化」などと唱える人がいるが、私はどう考えても「慰霊」の対象だと思うのだが…。
  

 

 「靖国神社」からJR「飯田橋駅」方向にかけての街中に足を進める。あっ東京は、いま話題の「都知事選」まっただ中なんだ。
 

 実は、私はこの界隈に「個人的」な思い出がある。
 

 特に「コメント」はしないが、あと7枚ほどお付き合い願いたい。
 

 …
 

 …
 

 …
 

 …
 

 …
 

 …
 

 …
  
 
 「靖国通り」に戻り、歩道橋を渡って右へ。
 

 「大山巌陸軍大将」の像。
 

 「千鳥ヶ淵」に沿って左に曲がる。
 

 ボート乗り場。
 

 その前には「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」。「靖国神社」が宗教施設であるのならば、ここは国立の慰霊施設だ。
 

 ただ、ここは「先の大戦」の戦没者をお祀りするので、私の先祖は祀られていない。
 
 
 「代官通り」を渡ると、濠は「半蔵濠」と名を変える。
 

 「皇居」西側の濠は「土塁式」と呼ばれる構造になっている。この石垣の向こうは「皇居」。天皇陛下の「お住まい」だ。
 

 前方に「半蔵門」が見える。
 

 奥は皇宮警察が、手前は警視庁が厳重に警備していた。
 

 「半蔵門」を過ぎれば「桜田濠」となる。
 

 右側には「国立劇場」。
 

 「桜田濠」の向こうに「霞ヶ関」と呼ばれる中央官庁のビル街が。
 

 「国立劇場」の隣には「最高裁判所」。
 

 そして「三宅坂」を過ぎれば「国会議事堂」。日本の「三権」が集中する。
 

 「国会議事堂」に向かって左側は「和式庭園」。
 

 右側は「洋式庭園」になっている。
 

 「国会前」の交差点を過ぎれば、遠くに「桜田門」が。
 

 「桜田門」は、正式には「外桜田門」と呼ばれるそうだ。万延元(1860)年3月3日、この門外で「大老井伊直弼」が、水戸脱藩藩士らに暗殺される「桜田門外の変」が起きる。
 

 門をくぐれば、やはり「枡形」になっており「内桜田門」という多門櫓になっている。
 

 振り返れば「外桜田門」の間から「国会議事堂」が。
 

 そして「内桜田門」をくぐれば、朝、訪れた「皇居外苑」へと続く。ここで「皇居」を後にする。
 

 目の前には、別名「桜田門」と称される「警視庁」の庁舎がそびえる。
 

 その前には、美しいレンガ造りの建物が。
 

 「旧法務省」。
 
 
 その隣が「東京高等・地方裁判所」の門。有名な訴訟があれば「原告団」が列を成して歩いてくる場所だ。
 

 日本の中心部も休日は閑散としている。「霞ヶ関一丁目交差点」を左に曲がる。
 

 突き当たりは「日比谷公園」。かつて、大藩の屋敷が並んだという。
 

 明治4年、練兵場となったが、その後、明治35年、公園として開園した。
 

 開園当初から営業する洋風喫茶「松本楼」。
 

 芝生の向こうでは「オクトーバーフェスト」が開催されていた。
 

 日比谷公園の北東角から園外に出れば本日のゴール「日比谷交差点」。午後2時20分到着。この下に東京メトロ千代田線・日比谷線、都営三田線の「日比谷駅」がある。
 本日の歩紀「あっそうだ。」今日は歩数計を持ってきていないのだ。でも、かなり歩いたぞ。
 そして、「日比谷」は、「有楽町」駅前(西口)でもある。今日の宴会は、このあたりであるはずだ。まだ、少し時間があるので、ホテルにチェックインし、シャワーでも浴びよう。
 
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そうだ妙見山に登ろう5~「初谷渓谷」から「大堂越」~

2016-07-24 20:22:56 | 日記
訪問日:平成28年10月22日(土)

 最終回は「初谷渓谷コース」から上り「大堂越(おおどうごえ)コース」で下ってくる。「初谷渓谷コース」は、その名のとおり「初谷川」に沿って上り「大阪みどりの百選」にも選ばれ、また、10数回の「沢渡り」を繰り返す自然豊かなコースだ。前回、前々回歩いた「上杉尾根」と「天台山」の尾根の間に流れるのが「初谷川」である。「復路」の「大堂越コース」は、「台場クヌギ」や「炭窯跡」が残り、日本一といわれる「里山」をめぐるコースである。


 午前9時50分、のせ電「妙見口駅」を出発。「天台山コース」同様、右に進む。トイレは駅前で。この後に通る「東の石灯籠」横に自販機があるが、給水もここまでに済ませておこう。ここまでは「そうだ妙見山に登ろう1~のせ電『妙見口駅』周辺~」参照。前回も通った「東の石灯籠」前を通過し、稲刈りが終わった緩やかな棚田越しに「高代寺山」を眺める。


 前回歩いた「天台山コース」との分岐点で標識に従い、左へ入る。


 付近には、日本の国蝶である「オオムラサキ」が生息するようだ。能勢地方は、大阪でも「昆虫の宝庫」と言われ、この他にも「オオクワガタ」や「ゲンゴロウ」「タガメ」などの昆虫が生息する。


 このコースにも豊能町消防署の「緊急通報ポイント」がある。前回の「天台山コース」で合流した「初谷出合」は、「緊急通報ポイント21」だったので「町石」代わりにしよう。


 昆虫の他、多くの野鳥も見られるようだ。


 右に「大阪みどりの百選」碑。豊能町観光案内所のパンフレットでは、すぐ近くに「トーテムポール」があるらしいが、見る限り発見できなかった。


 「初谷川」に沿って歩く。


 左には「台場クヌギ」の台木。台場クヌギについては、後で記す。


 右に「砂防ダム」。川が堰き止めら、小さな広場になっている。「飯盒炊さん」などもできそうだ。「飯盒炊さん」古い言葉だな。今では、普通「バーベキュー」と言うのかな。


 広場の真ん中をせせらぎが流れる。


 きれいな水が。地元の子ども達は、夏になれば、この水たまりで泳ぐそうだ。


 さらに進めば左に小さな洞窟。「冒険心」をそそるな。


 「初谷川」を右に見ながら進む。


 付近には、野生種の桜「エドヒガン」や「里山」を形成する広葉樹林が広がる。


 木で造られた砂防ダム。


 ところどころ小さな崖崩れや落石があるので足下に注意して歩こう。


 「砂防ダム」を見ながら、川沿いに緩やかな坂を登る。


 左は杉林。


 「初谷川」に沿って歩く。前には家族連れのハイカー。


 家族連れのハイカーを追い抜く。この看板の辺りからやや上り坂となる。


 この崖崩れ前から川岸に下りて見よう。


 砂防ダム上の川原から流れは消え、伏流水となる。


 ハイキングコースに戻る。道沿いには治山設備。自然を守るということは大変なんだな。


 消防の「11ポイント」。ここから「沢渡り」が始まる。


 最初の「沢渡り」。雨が降った次の日は、水かさが増していることもあるので、注意して渡ろう。


 沢を渡ったので「初谷川」を左に見ながら進む。


 再度、沢を渡る。


 当然、「初谷川」は右に。


 「砂防ダム」を見ながら進む。


 ダムの上は、広場になっている。このポイントは「ヘリホイスト」のポイントのようだ。遭難すれば、吊り上げられるのだろう。


 「倒木」もある。


 「沢渡り」と「倒木」の「二重奏」。


 「沢渡り」が続く。前方には女性3人連れのハイカー。


 沢を渡れば、左に洞窟。


 上に登れば、洞窟を見下ろすことができる。


 「沢渡り」の繰り返し。ここで、3人連れのハイカーを抜く。










 「沢渡り」の際、石の上でバランスをとるのに、娘たちから誕生日プレゼントでもらった「モンベル2wayグリップ」が大活躍。


 さらに「沢渡り」が続く。






 「18ポイント」を過ぎれば大きな砂利山。
 

 「19ポイント」。あと「2ポイント」だな。


 ハイキングコースの左右は、急峻な崖。


 「20ポイント」を過ぎれば、大きな岩の上を滝のように落ちる沢を渡る。


 このコースで一番の「沢渡り」だろうか。


 この後、もう1回「沢渡り」をした後、支流の小さな「沢」が最後の「沢渡り」である。数えてはいないが12~3回「沢」を渡る。


 杉木立を進む。


 しばらくすれば上に白いガードレールと道路標識が見えてくる。


 坂を登り切れば「府道」に。ここは「初谷出合」。前回歩いた「天台山コース」との合流地点である。ポイントは「21」。


 「天台山コース」を歩いた4日前くらいから、大阪府高槻市から箕面市にかけてクマの目撃報告があった。高槻市、茨木市、箕面市、豊能町、能勢町を結ぶ「U字ライン」が大阪府北部での「クマ目撃情報」の定番だ。おそらくこのコースがクマにとっての「獣道」なのだろう。


 私が「天台山コース」を歩いていた頃は、この周辺に潜んでいたと思われる。

 
 前回の「天台山コース」と同じ道を進む。


 「府道」の途中から「参道」に入る。


 「参道」を進む。


 右に石塔が見えれば「府道」と合流する。


 前回は「府道」と再合流した後、「府道」を左折したが、今回は「府道」を横切って正面の階段に進もう。先ほど追い抜いた女性3人組が、近道をしたのだろうか階段下で休憩をしていた。
 

 木の根でできた見事な階段を進む。


 素晴らしい自然の造作物だ。


 階段を上ると、ここにも大正時代に作られた立派な「鳥居」。裏には「大正5年」の文字。


 このコースでは、唯一、裏から「妙見さん」を参拝することになる。しかし、こんなに立派な「鳥居」があるのだから、「国道」が通る前には、京・茨木方面からのれっきとした参拝口だったのだろう。


 途中、左への分岐点があるが、そのまま真っ直ぐ(右へ)進む。


 「祥雲閣」「妙見山簡易郵便局」前を通って「妙見さん」へ。「正午」ジャストに境内へ到着。この後は「そうだ妙見山に登ろう2~『妙見山頂』周辺~」を参照。


 境内を抜け、信徒会館「星嶺」を過ぎる。以前、閉ざされていた「宝物館」が開いていた。


 そうか、1年のうち10月22日から24日の3日間だけ公開されるんだった。「お風入」という名目で公開されるんだな。「ラッキー!」入場は無料。


 この地を治めた「能勢一族」の所蔵品が公開される。




 「能勢頼次」の鎧や。


 「能勢頼直」の画像などが展示されている。


 「宝物館」の脇から「妙見山」の頂上へ。3回目の山頂(660.1m)踏破。


 今日の昼食は、前回、立ち寄った「奥山茶屋」で購入した「五目おこわ(500円)」。


 「星嶺」前の展望台で「わが町」を見下ろしながら昼食とする。


 午後12時50分、昼食を終え出発。正面の「大鳥居」をくぐり「新滝道コース」との分岐点を「妙見の森リフト」方向に。前回乗った「妙見の森リフト」を左に見ながら進んでいく。


 「法華経寺」という寺を過ぎる。


 「動物霊園」前を更に進む。


 「妙見の森ふれあい広場」手前に「大堂越コース」との分岐点が現れる。


 標識に従い右へ。「熊笹」の中を進む。


 「熊笹」が繁るが、この時期、足下を隠すほどではない。


 急な坂道を下る。


 登りだと、かなり息が切れるだろうな。振り返って上を望む。


 「くの字」「くの字」を繰り返しながら坂を下る。




 「倒木」を越える。


 さらに進めば、ここが「大堂越」。


 標識に従い「ケーブル黒川駅」方向へ。


 スギの木立を進む。


 「イノシシ」か「シカ」の「ぬた場」だろう。「クマ」の足跡ではないようだ。


 坂道を下っていくと右に「炭窯跡」。


 「炭窯跡」を過ぎると、道はハイキングコースから「渓流」の中を歩くコースに変わる。足下に注意を。


 5分ほど歩けば、ハイキングコースに戻る。


 左には「台場クヌギ」。


 小さな支流の「沢渡り」。


 そして沢を渡れば左には「台場クヌギ」が群生する。「台場クヌギ」とは、炭焼きのためクヌギの地上から数m上の枝を伐採し、クヌギの再生力を利用するもので、コブの様になった幹から何本も枝が伸びる。


 この見事な「台場クヌギ林」は、「林業遺産」に指定されているようだ。本当に素晴らしい。


 すぐに「沢渡り」。沢の向こうにも「炭窯跡」が。
 

 コンクリートの橋を渡る。
 

 右にも「台場クヌギ」。
 

 左にいくつか「砂防ダム」を見ながら坂を下る。
 

 

 ここで、再度「沢」を渡る。
 

 そのまま下れば、妙見の森ケーブル「黒川駅」の横に出る。
 

 右には、木造の「新瀧公民館」。その前は、観光客用の駐車場になっている。
 

 細い道を右に入れば「水口家住宅」。今は「酒屋」さんのようだが、かつて「炭焼き」をしていた古民家である。
 

 明治5年頃に造られた入母屋造りの「主屋」や切妻造りの「井戸」、瓦葺きの「蔵」などが国指定の登録文化財に指定されているそうだ。
 

 すぐに「国道477号線」に出るので左へ。
 

 ここは、以前歩いた「北摂里山街道」のスタート地点である。
 

 そのまま真っ直ぐ進み「新滝道コース」の逆コースを歩いて、「上杉池」の下で兵庫・大阪の府県境を越える。「上杉尾根コース」との分岐点で「国道477号線」を渡り、午後2時ちょうど、のせ電「妙見口駅」到着。本日の歩紀「16587歩」。
 

 今日は「おまけ」付き。「妙見口駅」から自宅まで歩いて約20分。いくつかコースがあるが、今日は「花折街道」を通ろう。「西方寺」前の三叉路は、池田から続く「妙見街道」と明治時代になって開かれた「花折街道」との交差点である。
 
 
 「西方寺」の石垣前には、その案内板が。
 

 右へ入る。
 

 「高代寺山」を背景に、稲刈りが終わった「吉川」の棚田。山麓を「のせ電」の復刻塗装電車が走る。
 

 「増見橋」という小さな橋で、今日歩いた「初谷川」を渡る。
 

 すぐ左に「常夜灯」が。
 

 その奥の窪みにはいくつかの祠が祀られている。街道の名残だろう。
 

 「常夜灯」の前が分岐点になっているので左の上り坂に進む。
 

 私が引っ越してきた平成2年当時、この道は砂利道だったが、今は舗装されている。
 

 街道横は、妙見口駅前の「かめたに」という店が所有する「栗林」になっている。
 
 
 「栗林」を過ぎて進む。
 

 よく見ると、右の林の中に何やら石塔が。
 

 「南無妙法蓮華経」と刻まれた法界石塔。
 

 「妙見詣り」には、多くの「講」が作られた。これは、天王寺にあった「開運講」という「講」が建てたもののようだ。これも街道の名残だろう。
 

 「旧街道」は、すぐに「国道477号線」と合流する。「西方寺」の分岐から時間にして7~8分程だ。なお、「国道477号線」は、現在「花折街道」と比定されているが、実際の「花折街道」は「国道477号線」ではなく、「ときわ台」「光風台」「大和団地」というニュータウンが造成される前の尾根沿いにあったといわれる。つまり、今、残っているのは、今日歩いた7~8分程度の道のりのみということだ。
 

 「旧街道」の出口には「イノシシ」注意の看板。私も一度、この道で「イノシシ」を見たことがある。けど、この「イノシシ」の絵は、アフリカに住む「イボイノシシ」じゃない?いくら何でも、能勢に「イボイノシシ」はいないよ。
 
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そうだ妙見山に登ろう4~「妙見4座」から「妙見の森ケーブル」~

2016-07-24 20:21:25 | 日記
訪問日:平成28年8月12日(金)

 夏休みで4連休。「山の日」である昨日は、墓参りのため帰省したので、今日「妙見山」への2回目。「天台山コース」で頂上を目指す。このコースは、「妙見山」の東側に並ぶ2つの尾根のうち外側の尾根伝いに「青貝山」「天台山」「光明山」が並ぶ、ほぼ全コース上りの本格的な登山コースであり、最終の「妙見山」と合わせ「4座」を征服する。内側の尾根が前回歩いた「上杉尾根」だ。途中、特に名所や展望ポイントもなく、ひたすら山の中を歩く。また、このコースは、長い上りが続き、途中、シカやイノシシ、スズメバチ、ヘビ(もしかすればクマ)との「遭遇」も予想されるので、しっかりとした装備と心構えで山に入ろう。
 その分「復路」は、「足湯」に浸かった後、リフトとケーブルを利用し、一気に下る。


 午前10時、のせ電「妙見口駅」を出発。右に進む。駅を出発すると山頂までトイレはない。「長尾街道」と「花折街道」が合流した「西方寺」前を進み「国道477号線」を渡る。ここまでは「そうだ妙見山に登ろう1~のせ電『妙見口駅』周辺~」参照。
 保育所の前を過ぎれば、町営プール跡の隣に「灯籠」と「地蔵尊」が並ぶ。
 

 灯籠は「東の石灯籠」と呼ばれ、以前、妙見口駅前を歩いたときに紹介した「西の石灯籠」と対を成すものだ。かつて大火に見舞われた「吉川」の住民が山中に勧請した「火伏せの神様」である「秋葉社・愛宕社」への参詣路の名残である。
 

 すぐ横に自販機がある。最後の給水ポイントだ。
 

 「初谷渓谷コース」との分岐を過ぎ、真っ直ぐ進む。
 

 小さな集落を過ぎれば、左に崩れた「炭窯跡」。
 

 「栗林」を抜ける。
 

 「栗林」を抜ければ「林間道」に入る。
 

 その前に、ちょっと振り返って見よう。棚田越しに「高代寺山」をバックにした素晴らしい「里山風景」が広がる。
   

 「林間道」を歩く。
 

 右にも「炭窯跡」。この炭窯は立派だな。
 

 この道は、おそらく「妙見(長尾)街道」だろう。
 

 「林間道」を抜けると、わが町「東ときわ台」住宅地。そう、私はわざわざ遠回りをして「妙見口駅」まで歩いたのだ。わが町の裏をハイキングコースが通る。
 

 ハイキングコースの標識に従って左へ。
 

 住宅地と杉林の間の「尾根道」を進む。
 

 「東ときわ台・ときわ台・光風台・新光風台」の眺め。
 

 前方に携帯電話基地局が見えれば「吉川峠」。
 

 「水道タンク」の下に複雑な四つ辻。
 

 「天台山コース」は、左端の「水道タンク」前を入るのだが、今日は「青貝山」に立ち寄るので、携帯電話基地局左の坂道を下って行く。
 

 坂を下り切る前に「青貝山・とんぼ池」の分岐点が現れるので左へ。
 

 

 「林道」を進む。
 

 5分ほど歩くと更に「天台山」と「青貝山」への分岐点が現れるので「青貝山」の表示に従って右の細い道へ。
 

 小さな「鉄の橋」を渡る。
 

 小さな分岐。左右どちらでも「青貝山」へ行けるようだ。本道と思われる左へ進む。
 

 急な坂を上る。
 

 高圧鉄塔の下に出れば「青貝山」への分岐だ。右の上り道に入る。
 

 倒木が多いな。とにかく上へ上へ。
 

 坂を登り切ると小さな広場に出る。ここが「青貝山」の山頂だ。標高391.4m。午前11時10分着。
 

 「三等三角点」がある。眺めは効かない。
 

 下調べでは、おそらく山頂の標識に向かって右へ進めば「天台山」方向へ通り抜けることができるのだが、案内板が破損し、標識の下に放置されている。元の道に戻ることにする。
 

 坂を下る。
 

 しかし、道を間違い、結局、高圧鉄塔の下には出られず、先ほど「青貝山」への左右への分岐点に戻ってしまう。さらに道を間違い、何と「鉄の橋」まで戻ってしまった。仕方ない、振り出しに戻り「天台山」へのハイキングコースに戻る。案内標識は、あまり整備されていないな。
 

 ハイキングコースを進む。
 

 この辺りはクマの生息地ではないのだが、これまで何回かこの山系でクマの目撃例が報告されている。
 

 随分と前になるが、クマがイノシシの罠に掛かり、逃走した後、京都の山中でハンターに射殺されたことがあった。
 

 道の中央が雨でえぐられ歩きにくい。
 

 最近では、平成26年6月、同じくイノシシの仕掛けに掛かり、今は「とよ」と名付けられ「高代寺」の境内で飼育されている雄のツキノワグマ(「熊と会いに『高代寺』へ」参照)。
 
 
 「林間道」を歩く。道は、しっかりとしている。
 

 今月(8月)に入っても既に3件の目撃例が。
 
 
 前回の「上杉尾根コース」でも見られた尾根の中央が深くえぐられ「Vの字」になった道。足ひとつ分の幅しかないので、非常に歩き難い。
 
 
 数日前の8月7日、9日、10日と3回にわたって、隣接する高槻市、茨木市、箕面市でクマが目撃されている。ウロウロしていることには間違いないのだろう。この辺りは、迷いクマの通り道なのかもしれない。
 

 「青貝山」からの分岐点に出る。標識が整備されていれば、ここへ出られたのだろう。「青貝山」から35分で来るのか。だいぶロスしたな。
 

 尾根道を進む。「ブヨ」だろうか顔にまとわりついてくる。手で払う度に「腕の振り」と「呼吸」が乱れてしまう。うっとうしいなぁ。
 

 去年の今頃は「巡礼街道」を歩き、熱中症で死にそうになった。登山は、高度差があるため体力を消耗し汗もかくが、木陰と爽やかな風があり、何よりもアスファルトの照り返しがないので随分と楽だ。ただ、かなり水分補給をする。私は山頂までスポーツドリンク2リットル、ミネラルウォーター1リットルを準備したが、あと500mlプラスした方が良いと感じた。
 

 豊能町消防署の「緊急通報ポイント」。現代風「町石」だ。ただ、段々と数字が大きくなるので先が読めないな。
 

 「林間道」を進む。
 

 「緊急通報ポイント16」。ここは、ヘリが迎えに来てくれるようだ。
 

 そして、その前は大きな「林道」が横切り「広場」のようになっている。
 

 その「林道」には進まず、真っ直ぐ上る。
 

 すぐに大きな施設が現れる。大阪府の「行政防災無線」のアンテナのようだ。
 

 特に案内板はないが「アンテナ」に向かって右側に山へ入る道があるので、そちらに進むと「天台山」の山頂。午後0時25分着。標高640m。「建設省」という表示に違和感を感じないのは、昭和生まれだからかな。
 

 「三等三角点」があるが、眺めは効かない。「天台山」の山頂は、豊能町消防署の「緊急通報ポイント16」のすぐ上にあるので、道中、「緊急通報ポイント」の「16」を目指して歩けば「町石」として活用できるかもしれない。
 

 「行政防災無線」の前を進む。標識がないので分かり難いが、木に巻かれたテープを頼りに山道へ入る。もう少し案内表示が欲しいなぁ。
 

 すぐ先で先ほどの「林道」と合流するので、道が分からなければ「林道」に戻り、「林道」を歩けばよい。
 

 一応、クマ除けの鈴を携行している。
 

 「林道」を進む。
 
 
 草が生い茂っているので「道を間違ったかな?」と思ったが、消防署の「緊急通報ポイント」の標識があったのでそのまま進む。
 

 すぐにハイキングコースに出る。
 

 やがてハイキングコースは、「林道」と合流し、そこで更に「府道」と合流するので、道が分からなければ「林道」を歩けば良い。
 

 「府道」を歩く。
 

 カーブの手前で、右の細い山道へ。標識は見難い。
 

 熊笹が茂っている。こういう道は「ヘビ」が出そうで嫌だな。
 

 左に「府道」を見ながら進む。
 

 「林間道」を進む。似たような風景が続くなぁ。
 

 途中、「妙見山」との分岐点に出るので右へ。「光明山」への標識もある。
 

 急な坂が続く。
 

 ハイカーが付けた標識やテープを頼りに進む。
 

 一番高い所に着けば右に「光明山」の山頂が現れる。午後0時40分着。
 

 「三角点」はないようだが、標識には標高639mとある。展望は効かない。
 

 さらに「林間道」を進んでいく。
 

 「妙見山」への標識に従い左へ。
 

 さらに分岐を右へ。このあたりは案内表示がしっかりとしている。
 

 左下には「府道」が。
 

 いくつかの倒木を越える。
 

 右に高圧鉄塔が見えれば案内板に従い左へ。「府道」と合流する。幸い「クマ」にも「ヘビ」にも遭遇しなかった。そして「ハイカー」ともすれ違わなかった。「山、独り占め」だ。
 

 しばし「府道」を歩く。
 

 「凍結注意」の標識が見えれば、左の山道へ。
 

 右に「府道」を見下ろしながら、いくつかの倒木を越える。
 

 

 5~6分ほどで、再度「府道」と合流する。
 

 再度「府道」を歩く。豊能町観光案内所のパンフでは「県道」となっているが、ここは「大阪府」。「府道4号茨木能勢線」を歩く。
 

 しばらく歩けば道路標識が。「妙見山」方向に左折しよう。
 

標識の下辺りで、左から登山道と交わる。「初谷出合」。次回歩く「初谷渓谷コース」とここで交わるのだ。
 

 突き当たりを左に折れ、さらに「府道」を進む。
 
 
 途中で左斜めに山道が現れるので山に入る。
 

 この道は「妙見山」への参道。ちょっと分かり難いが、左に「法界石塔」が立つ。
 

 坂を上れば「府道」と合流する。ショートカットしたのだ。
 

 「府道」を横断すれば、正面に階段があるが、今日は「府道」を左折する。
 

 「府道」を進む。
 

 山頂の「大駐車場」との分岐点に出るので右へ。
 

 すぐに阪急バスの「妙見山上バス停」。向こうに「大鳥居」が見える。
 

 「大鳥居」をくぐり午後1時40分、標高660.1mの「妙見山頂」へ到着。「妙見4座」を制覇した。この後は、「そうだ妙見山に登ろう2~『妙見山頂』周辺~」参照。
 

 正面の「大鳥居」から「新滝道コース」との分岐を過ぎ、「妙見の森ケーブル」方向へ。
 

 ここは観光地、案内表示は整備されている。
 

 戦前、妙見詣りのためのケーブルが開通し、メインルートとして木製の鳥居が建てられたそうだが、昭和19年、ケーブルが撤去されたことから鳥居も撤去され、今は礎石が残るだけだ。
 

 その向かいには「ブナ林」への入口。約100本のブナが群生し、大阪府の天然記念物に指定されている。
 

 真っ直ぐ進めば突き当たりに「大黒堂」。
 

 すぐ右側には、妙見の森リフト「妙見山駅」。リフトに乗ろう。
 

 片道280円。季節によって頭上には「サクラ」や「紅葉」。足下には「菜の花」や「紫陽花(アジサイ)」が広がる。
 

 「紫陽花」の見頃は終わったようだ。
 

 木陰に入れば涼しい。今までずっと歩いてきただけに、足の裏が地面と接していないことが快感だ。
 

 約12分で「ふれあい広場駅」に到着。ここは「妙見の森」と呼ばれる「のせ電」最大の観光地である。「のせ電」頑張ってるな。
 

 「ふれあい広場」の片隅には「妙見の水」。
 

 地下171mから汲み上げられる天然ミネラルウォーターだ。
 

 広場には「森のカフェあじさい」。時間は、午後2時25分。今日は「ここで昼食にしよう」と思ったが閉まっている。土・日・祝日の午前11時から午後3時までの営業ということは知っていたが、夏休み中は開店しているかなと思っていた。「甘かった」な。
 

 仕方がない。非常食として持ってきた「カロリーメイト」で昼食。山に入るので、この程度の準備はしている。けど、これなら「天台山」か「光明山」の山頂で、休憩がてら「昼食」にすれば良かったな。
 

 「シグナス森林鉄道」。これは、能勢電鉄職員の手作りミニ鉄道。大人200円。「ベガ駅」「アルタイル駅」間を約10分かけて周回するが、今日は運休。
 
 
 「手作り」と言っても本職(プロ)だからね。
 

 続いて「エドヒガンの小径」へ。一周約25分の遊歩道だ。
 

 「桜谷」。春は桜が美しい。また「もみじ谷」とも呼ばれ、秋は紅葉がきれいだ。
 

 「エドヒガン」という野生種の桜が群生する。
 

 階段を下って行く。ひときわ大きな「出会いの妙桜」。高さ約21m。
 

 山桜の群生を見ながら進んでいく。結構、起伏がある。
 

 途中、右に「バーベキュー場」が現れる。
 

 「炭窯跡」も残る。
 

 「炭窯跡」を過ぎれば左へ。「台場クヌギの小径」に入る。
 

 「台場クヌギ」とは、炭を焼くためクヌギの根から数m上の枝を伐採し、クヌギの再生力を利用して再利用するという先人の知恵。
 

 この地方には「台場クヌギ」が多く残る。
 

 さらに進めば「北極星入口駅」。線路の上を仲の良い「姉妹」が歩く。
 

 妙見信仰とは「北極星(北辰)」に対する仏教上の信仰。
 

 「北極星」に向かって線路が伸びるアート作品だ。「銀河鉄道999…」みたいだな。
 

 「小径」の出口には「リフトの見える丘」。ここからは、「ふれあい広場」「妙見の森リフト」そして、妙見山頂の「星嶺」が一望できる。
 

 階段を下りれば、先ほどの「エドヒガンの小径」入口に戻るので右へ。少し歩けば左に「山上のブランコ」。
 
 
 これもアート作品なので実際には乗れない。
 

 その奥には、先ほど通り過ぎた「妙見の森バーベキューテラス」。入場料500円だが、「食材・食器・炭」がセットになったメニューを頼めば入場料込みで「手ぶらバーベキュー」が楽しめる。予約制で営業日も季節によって異なるので要確認。
 

 これで「妙見の森」を一巡した。「妙見の水」の後ろから「いろは坂」という緩やかな坂を下っていく。かつて、幼かった娘の手を引いて、まだ元気だった亡父と老母とともに歩いた道だ。
 
 
 突き当たりに、妙見の森ケーブル「山上駅」。
 

 駅待合室の奥には「山上の足湯」。待ち時間の間、足湯に浸かろう(1回100円)。「オリジナルタオル(100円)」は別売。
 

 「湯船」が二つ。
 

 

 目の前には「高代寺山」。背後に続く「丹波」への山々を眺めながら、足を癒やす。
 

 さあ、ケーブルに乗るぞ。「妙見の森ケーブル」。上りでは車内放送でケーブルの概要が案内されるのだが、下りではしていないようだ。代わって案内しよう。
 

 このケーブルは、大正14年に開業した古いケーブルだが、途中、戦争をはさみ廃線。昭和35年に再開業した能勢電鉄直営のケーブルである。
 

 標高差223mを最大勾配23度、600mで結ぶ。約20分おきに運行するが、冬期は運休するので要確認。能勢の冬は寒いのだ。
 

 午後3時40分発のケーブルに乗り、約5分(片道280円)で「黒川駅」に到着。「黒川駅」を出たところが、以前歩いた「新滝道コース」の入口である。
 

 国道477号線に出て左へ。前回越えた「府県境」を反対側から越えて逆コースを歩き、午後4時10分、のせ電「妙見口駅」に到着。本日の歩紀・・・。実は「万歩計」が壊れてしまったので、今日は持ってきていない。「天台山コース」は、パンフレットでは「約8km、3時間10分」のコース。私は「青貝山」を経由したので、若干、プラスαだろう。「高代寺山」に登れば「妙見5座」というコースもある。
 
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そうだ妙見山に登ろう3~「新滝道」から「上杉尾根」~

2016-07-18 16:46:41 | 日記
訪問日:平成28年7月18日(月・祝)

 さあ、今回から3回に分けて妙見山に登る。まず最初は「新滝道コース」で頂上を目指し「上杉尾根コース」で下ってくる。
 「新滝道」は、谷川に沿った最短のコースである。そして、途中には、神社や多くの「祠」「鳥居」「石仏」「祈祷所」「行場」「丁石」などが残る「信仰の道」でもある。復路の「上杉尾根」も「旧参道」と呼ばれ、崩れた「常夜灯」や「茶屋跡」などが残る。
 明治から大正にかけて最も盛んだった「能勢妙見詣」の参詣者になった気持ちで歩いて見よう。「南無妙法蓮華経」。


 午前9時30分、のせ電「妙見口駅」を出発、駅前を左へ。「花折街道」をゆっくりと上る。「22丁石」前で「国道477号線」を渡る。ここまでは「そうだ妙見山に登ろう1~のせ電『妙見口駅』周辺~」参照。
 そこには「上杉尾根コース」との分岐点。自販機があるので「上杉尾根コース」を「往路」とする場合、ここが最後の給水ポイントになる。帰りは、ここへ出てくるのだ。標識に従い左へ進む。のせ電「妙見口駅」から「ケーブル前」までを結ぶ、阪急バスが走る(運行日・時間は要確認)。
 

 すぐに右の土手上に「常夜灯」が見える。この土手は「上杉池」という池の土手である。
 

 「上杉池」の奥には「旧参道の鳥居」。豊能町教育委員会の案内板によると、吉川の集落から妙見山まで25丁(約2.7km)あり、旧参道に建てられた鳥居は寛政5(1793)年、石灯籠は天保4(1833)年と嘉永7(1854)年に建立されたと記されている。
 

 また、「上杉池」も何でもないような池だが、案内板によると正徳2(1712)年に造立された古い池らしい。
 

 土手もコンクリートではなく、しっかりとした「石組み」だ。
 

 元の道に戻りさらに進む。このページではお馴染みの大阪府と兵庫県の「府県境」を越える。
 

 すぐ右。「上杉池」の土手下に「鳥居」と「21丁石」。この奥にも「鳥居」と「石灯籠」があり、かつての参道だったようだ。
 

 「鳥居」はくぐらず真っ直ぐと進んでいく。「北摂里山街道」の始点を右に曲がる。
 

 正面には、妙見の森ケーブル「黒川駅」。


 構内に自販機があり、頂上までは最終の給水ポイントである。
 

 駅の前を右へ。駅の横には、清潔な水洗トイレ。ここを過ぎれば頂上までトイレはない。
 

 「妙見の森ケーブル」を左に見ながら道を進む。
 

 「妙見大菩薩」と刻まれた石標を右に見ながら大正時代に造られたという「鳥居」をくぐる。
 

 丁石(あと17丁)。
 

 この道は、石仏や祠が多い。
 

御山まで16丁。
 

 「祈祷所跡」らしき建物。
 

 しばらく歩けば右に「鳥居」が。
 

 奥には「白瀧稲荷神社」。
 
 
 付近には鉱脈が走り、元は鉱夫達が祀った神社だと言われるが、その後、多くの神々が祀られ、今は「倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)」つまり「お稲荷さん」が祀られている。
 

 境内では「お香」が焚かれ「神仏習合」の名残が。
 

 滝の「行場」もあり、神社と言うよりも「修行場」なのだろう。
 

 途中にも「祠」や「地蔵」が並ぶ。
 

 

 右に谷川を見ながら歩く。
 

 ここも「祈祷所」だったのだろうか。
 

 「雄滝行場」への入口。
 

 途中から「ゴロタ石」の道となる。
 

 ここにも「石仏」が。
 

 飲むことはできないが、顔を洗ったりタオルを濡らせる所は沢山ある。
 

 いつしか谷川は左側に。
 

 倒れた丁石。御山まで7丁。ずいぶん歩いたな。
 

 途中から階段が現れる。
 

 しばらく進めば、また山道。
 

 結構、険しいな。
 

 「妙見堰堤」という砂防ダムを過ぎれば、また階段が現れる。
 

 こういう案内板は、「折れかかった心」を勇気づけるな。
 

 倒壊した「廃屋」を過ぎる。
 

 「廃屋」を過ぎれば、御山まで3丁。
 

 神仏習合の名残で、参道には多くの「鳥居」が残る。
 

あと2丁だ。昔の参詣者もこうして励まされたのだろうな。
 

 階段の下には、あと1丁(約109m)を示す丁石。ラストスパートだ。
 

 階段を上ったところが「妙見の森ケーブル」方面からの合流点。
 

 すぐ上には、正面の「大鳥居」が見える。
 

 この後、午前11時、「妙見山頂(660.1m)」を制覇し、「妙見さん」に参拝する。ここからは「そうだ妙見山に登ろう2~『妙見山頂』周辺~」参照。
 

 今日は、本堂脇にある「富士屋」で昼食にしようと思ったのだが、何と何と!
 

 平成28年5月31日で閉店したそうだ。前回(5/21)来たときが、最後のチャンスだったのか。「残念!」
 

 せめて建物だけでも、いつまでも残っていて欲しい。
 

 やむを得ない。参道途中にある「奥山茶屋」へ。
 

 以前、この並びには別の食堂があり、両親と一緒に娘を連れてきたことがある。親父も既に亡くなり娘も嫁に。20年以上も昔の話だ。
 

 おにぎりセット(800円)を注文。おにぎり2つと具だくさんの大きな味噌汁。そして手作り漬け物とお団子が付く。
 

 「山菜おこわ」や採れたての野菜も売っているようだ。
 

 

 食事を終え、「大鳥居」前のトイレで着替える。「カエルさん、こんにちわ。」
 

 「大駐車場」を横切り、南の端へ行けば「上杉尾根コース」の登山口。整備されたハイキングコースなので迷うことはない。
 
 
 杉林の坂道を下る。
 

 右に崩れた常夜灯が残る。
 

 「分岐アカマツ林」を過ぎる。
 

 荒れているが「赤松」ということは、昔はマツタケがたくさん採れたのだろうか。
 

 今は、スギ・ヒノキの植林地が広がる。
 

 尾根の上を進む。
 

 「分岐台場クヌギ林」。「台場クヌギ」とは、炭焼きのためクヌギの根から数m上の枝を伐採し、クヌギの再生力を利用したものだ。かつて、この辺りで焼かれた良質の炭は「池田炭」と呼ばれ、茶の湯などで重宝されたという。
 

 クヌギ林。
 

 これは、地元の消防署が立てた「緊急通報ポイント」。山の中だからね。
 

 緩やかなアップダウンが続く。
 

 ベンチが設けられた絶好の「展望ポイント」。
 

 そして絶好の眺めとは、何と「わが町、東ときわ台」。と言うことは、うちの町からも上杉尾根が見えるんだろうな。
 
 
 少し歩けば「八丁茶屋跡」。
 

 今は、案内板に名が残るだけだ。あと「八丁(約870m)」ということだろうか。
 

 ところどころに常夜灯跡が残る。
 

 坂を下る。前には、夫婦連れのハイカー。
 

 途中、右に川西市黒川の眺め。
 

 日本一と言われる「里山風景」が広がる。「里山」とは、動物たちが暮らす「深山」と人間が暮らす「里」との間に広がる山のこと。本来、「里山」とは、人の手が入った山だが、今は荒れクマの出没などが問題となっている。この付近でも、最近、クマの目撃例が報告されている。
 

 坂を下っていけば、工事用ケーブルの下をくぐる。
 

 ケーブルの足場越しに「吉川」の集落。「花折街道」が走る。
 

 ケーブルを過ぎれば、崩れた常夜灯を過ぎる。参道の名残だ。
 

 つづら折りの下りが続く。昨日の雨で、ちょっとぬかるんでいるな。注意注意。
 

 尾根の中央部が深くえぐられた地形。何とかと言ったな。思い出せない。
 

 今回、娘たちに誕生日プレゼントで買ってもらったモンベルの「2WAYグリップ」を使用。足下の悪い下り坂では、絶大な効力を発揮する。
 

 神様だろうか、お地蔵さんだろうか。
 

大きなコンクリートの建造物を過ぎれば登山口の出口のようだ(逆から言えば入口)。
 

 その下で大きくカーブする。
 

 ゴールも近いぞ。
 

 先ほどのケーブルが何かを運んでいる。
 
 
 すぐに、朝、分かれた「新滝道コース」との分岐点に到着。「国道477号線」を渡り、「花折街道」をゆっくりと下って、午後1時30分、のせ電「妙見口駅」に到着。本日の歩紀「13479歩」(11.59km)。結構、早く到着したな。自宅からドアーtoドアーでちょうど5時間だった。
  
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