「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

関西5珍名山を歩く1~「ポンポン山」と4つの天台寺院を訪ねる

2023-04-23 01:58:48 | 日記
訪問日:令和5年4月22日(土)
出 発:高槻市営バス「神峯山口バス停」
到 着:阪急電車「西向日駅」

 関西のちょっと変わった名前の山5つを選び、勝手に「関西5珍名山」と名付け今回から5回に分けて歩こうと思います。まず第1回は大阪府高槻市と京都市西京区の府境にそびえる「ポンポン山」です。ふり仮名を振る必要はないですね。山頂を挟んで大阪府側と京都府側にある4つの天台寺院を訪ねながら歩きます。前半ポンポン山までは上り。その後ゴールまで下りです。途中寺院に参拝者用トイレがありますがコンビニや商店はありません。買い物は高槻駅までの間に済ませておきましょう。生水が平気な方は湧き水があります。最後は町歩紀です。


 高槻市は大阪府第4位の面積を誇りますが北部は山間部です。市街地を網の目のように走る路線と広大な北部の山間部とを結ぶこの市営バスは、コミュニティバスの域を超えた大阪シティバス(元大阪市バス)と並ぶ府下有数の公営バスです。


 今日のスタートは、その高槻市営バス「神峯山口バス停」です。結構「田舎に来た」感がありますが、JR大阪駅から高槻駅まで約25分(260円)。駅北口で市営バスに乗り換えて約20分(220円)。乗り換え時間を入れても1時間ほどで来ることができます。午前8時55分、今日も元気に出発です。遠くには新名神高速が見えます。この信号を右に曲がるのですが、ちょっと寄り道をして左に曲がりましょう。


 すぐに小さな橋が架かっており下を流れるのは芥川です。下流側は鱒釣り場になっています。この付近は「原」という集落で、ここは「大森晴嵐」という原八景のひとつに数えられています。


 さっきの交差点まで戻り、のんびりとした田園風景を眺めながら真っ直ぐ進んで行きましょう。


 突き当たりの古民家は、甘酒、どぶろくなどを扱うお店のようです。右に曲がります。


 すぐに神峯山寺やポンポン山への石標と案内表示がありますが、無視して真っ直ぐ進みます。


 狭い盆地や石灯籠、古民家などを見ながら進んで行きます。




 左に大きな鳥居と祠が見えてきました。その横にはこれから訪れる目的地の案内表示が立っています。(午前9時7分)


 これは「牛地蔵」と呼ばれる牛の姿をしたお地蔵さんです。大坂と京の間を往き来した荷役牛を供養するため祀られたそうです。手を合わせていきましょう。ここも原八景のひとつです。


 そして鳥居をくぐって坂を上っていきます。狭いですが自動車も通れる舗装道です。


 しばらく進んで行くと何やら石柱に掛けられたしめ縄が見えてきました。これから訪れる神峯山寺の御本尊様は毘沙門天であり、商売の神(仏)様であることから大阪の商人たちが掛けたしめ縄で「勧請掛け」と言うそうです。(午前9時13分)


 道の左には宝篋印塔や五輪塔が並びます。


 そのまま進んで新名神のトンネルを越えます。この道は東海自然歩道です。


 舗装道を進んで行けば正面に立派な山門が見えてきますが、その手前を左に入ります。そこには茶屋があり、そばやぜんざい・コーヒーなどの軽食・喫茶が可能です。トイレもあります。


 そして先ほどの山門まで戻りましょう。これは「神峯山寺」の山門。「かぶさんじ」と読みます。苔むしてわかりにくいですが、左の石柱には「日本最初の毘沙門天」と刻まれています。神峯山寺は日本で初めて毘沙門天が祀られたそうですよ。(午前9時23分)


 金剛力士像が立つ立派な仁王門です。


 紅葉シーズン以外は無料で拝観できます。つまりここは紅葉の名所なのです。


 天台宗の寺院であり寺伝によれば文武天皇元(697)年、役小角(えんのおづぬ)により開山された1300年以上の歴史を有する古刹です。


 御本尊様である3体の毘沙門天が祀られた本堂でお参りをします。


 本堂の右にある長い階段を上れば、開山の祖である役小角を祀った「開山堂」があります。上ってみましょう。


 開山堂です。


 開山堂前から境内を眺めます。創建当時は21坊を抱えた山岳信仰の聖地らしい荘厳さを感じます。


 来た道を戻り山門をくぐって左へ。案内表示に従って次の目的地である本山寺に向かいます。


 コンクリート舗装された坂道を広場や霊園などを見ながら上って行きます。


 山門から15分ほどで川久保方面からの合流点。ただこのコースは台風で荒れてしまい今は歩けないそうです。(午前9時52分)


 チェーンソーの音も聞こえ、生業(なりわい)として林業が成り立っているようです。


 坂道を上っていきますが急坂というほどではありません。ただ登山ですので坂道は当然ですよね。


 右に十二丁石が見えてきました。この後、丁石が続きます。一丁(町)は約109mです。(午前10時5分)


 あれれ?十一丁石はどこだったのでしょうか?


 九丁石はありました。道が新しいので実測と一致するかは「?」ですが気分的に楽ですね。丁石には道案内のほかそのような効果もあるのでしょうか。


 やがて本山寺の「洗心門」です。門というよりゲートという感じですね。もちろん門を英語に訳せばgateですが、日本人が持っている門とゲートの感覚は違いますね。右にコインパーキングがあり、ここまで車で上って来ることができます。(午前10時11分)


 洗心門をくぐればすぐに八丁石。


 コンクリート道に沿って旧道もあるようですが、倒木があれば元に戻らなければならないので私はコンクリート道を進みます。


 七丁石は旧道だったのかな?


 五丁石はありました。


 やっぱりコンクリート道を歩かなければならないんですね。


 お地蔵さんの前で小休止です。(午前10時20分)


 四丁石を過ぎます。


 三丁石。あと300mちょっとだな。


 三丁石を過ぎると参道らしくなってきました。


 二丁石。もうすぐです。


 さらに上って行くとポンポン山との分岐に出るので本山寺方向に進みます。(午前10時28分)


 案内表示のすぐ後ろには本山寺の勧請掛け。その下に一丁石が立ちます。


 勧請掛けをくぐって真っ直ぐ進んで行けば「中の門」です。江戸時代に伏見城から移築されたものだと言われています。


 突き当りを左に行けば参拝者用のトイレがあります。綺麗に使いましょう。


 そして右に行けば「本山寺」に到着です。ここも天台宗の寺院で「ほんざんじ」と読みます。先ほど訪れた神峯山寺と同じ頃に創建された古刹で、毘沙門天を御本尊様としてお祀りします。神峯山寺の奥の院的な立地ですが別寺だそうです。(午前10時31分)


 目の前の石段横には手水所。


 「清浄水」と呼ばれミネラル分が豊富な霊水だそうです。私が子どものころは手水舎の水をガブガブ飲んでいましたが、現代人の胃腸は水道水はおろかミネラルウォーター仕様でできていますので自己責任でどうぞ。


 ここも山岳信仰の聖地らしい荘厳さが感じられます。


 石段を上れば「本堂」。お参りします。(午前10時39分)


 先ほどの分岐点まで戻る必要はありません。本堂の右側がポンポン山への道です。案内表示もあります。


 稜線に沿って進んで行きます。


 ここからは急な階段になります。きついですよ。


 しかし2~3分ほどで先ほどの分岐点から進んできたポンポン山へのハイキングコースと合流します。(午前10時45分)


 山道を進んで行きます。


 こんな注意標識が続きます。10枚以上見たかな。この辺りでは毎年クマやクマのものと思われる足跡や糞の目撃情報があります。


 切株で作られた椅子がありました。今日は快晴ですがちょっと強い風が吹いており歩紀には心地よい気候です。あまりに風が気持ち良かったのと、ちょっと時間に余裕があるので休憩します。(午前10時56分)


 リュックを解いてコンビニで買った行動食のバナナを食べます。


 15分ほど休憩して「さあ出発」。やがてしめ縄と祠がある二本の大きな杉の木に着きました。「天狗杉」です。普通は「夫婦杉」でしょうね。天狗は神峯山寺や本山寺を開山した役小角により山伏の化身として広まったそうですが、それと関係があるのかも知れませんね。(午前11時17分)


 ここからポンポン山に向かいますが、山頂と同じくらいの高度に達していますので、ほぼ平坦な道と上った分だけ下る、下った分だけ上るというアップダウンを繰り返しながら大阪と京都の府境を進んで行きます。


 路面もしっかりした歩きやすい道です。


 ほぼ整備された一本道ですし、分岐点には案内標識も完備しているので道に迷うことはありません。


 ファミリー向けの上りやすい山ですが、ただ「こいつ」だけですね。


 それと倒木が結構多いです。地球温暖化の影響でしょうか?毎年台風が大型化し、全国各地の山が荒れているような気がします。


 山頂への分岐点に着きました。左の階段を上ります。(午前11時49分)


 今日の目的地である標高678.9mの「ポンポン山」に登頂です。たくさんのハイカーがいました。


 私が住む大阪府豊能町の最高峰「鴻野山」と同じ高さです。「6789」と数字が並びます(最近の測定では678.8mだそうです)。


 ケルンの後ろに二等三角点があります。江戸時代には「加茂勢山(かもせやま)」と呼ばれていたそうですが、ここで足を踏みならすと「ポンポン」と音がすることからポンポン山と呼ばれるようになったそうです。地図にもポンポン山と書かれています。けど、そんな音はしないな。


 山頂からは大阪と京都が一望できます。こちらは大阪方面です。淀川や生駒山地が見えます。


 そしてこちらは京都方面。京都タワーや比叡山が見えますが、どちらも黄砂、PM2.5の影響でしょうか?晴天なのにちょっと霞んでいますね。


 時間は。さあ昼ご飯にしましょう。


 今日はJR高槻駅中央改札口前のコンビニで買ったおにぎりとカップラーメンです。お湯はポットに入れて持ってきました。沸騰していませんがカップラーメンを作るには十分です。


 食事を終え午後0時20分出発です。先ほどの分岐点を左に曲がり「釈迦岳」「杉谷~善峯寺」方面に進みます。ここからはずっと下りです。


 しばらく府境の道を歩いて行きます。


 こちら側の倒木もひどいですね。


 ただ路面はしっかりしています。


 ツキノワグマの生息地である京都の奥山と山塊が繋がっており、繁殖期(5~7月)になれば雄クマの行動範囲が広がることから毎年北摂山系でもクマが目撃されるそうです。ただ雌クマはいないので生息地ではないそうですよ。


 釈迦岳との分岐点に出ました。案内表示に従い左の「杉谷」方向に進みます。(午後0時35分)


 山道を下って行きます。ここは「京都市西京区」。政令指定都市ですよ。


 途中何カ所か倒木がありました。くぐり跨いで進んで行きます。




 「野歩紀」から「里歩紀」に変わります。


 次ぎに訪れる善峯寺への分岐点に出ました。右に進みます。(午後0時56分)


 案内表示の左側には「従是八町(これより八町)」の碑が立っています。善峯寺まで八町(約870m)なのでしょうか。


 クネクネ道を下って行きます。


 二町ほど歩いたのでしょうか。六町石を過ぎました。


 この後、もし上りであれば心が折れるほどたくさんのヘアピンカーブを下って行きます。




 大きな道路に出ました。正面は善峯寺の駐車場です。徒歩の参拝者も入れるということなので入ります。(午後1時13分)


 標識に従い駐車場を抜ければ何やら木造の門が見えてきました。その手前の階段を上ります。


 階段を上ればそこには「善峯寺」の山門。「よしみねでら」と読みます。平安中期の長元2(1029)年、源算上人という人が開いた1000年近い歴史を有する天台宗の寺院です。西国三十三ヵ所の20番札所でもあり多くの信仰を集めています。入山料500円を納め境内に進みましょう。(午後1時20分)


 山門をくぐれば正面に本堂である観音堂。御本尊様である千手観音がお祀りされています。元禄5(1692)年に建立されたそうです。


 右に進めば境内は3~40分で諸堂を一巡できる回遊式庭園になっています。基本的にはスタンプラリーのように標識に書かれた番号どおり進めばOKです。山の中腹なので結構良い運動になりそうです。歩いてみましょう。


 まずは鐘楼堂。貞享3(1686)年に建立され「厄除けの鐘」と呼ばれています。


 次は護摩堂。元禄5(1692)年の建立です。


 元和7(1621)年建立の国指定重要文化財である多宝塔は改装工事中のようです。「残念」


 その先には開山堂。貞享2(1685)年建立。


 少し進めば「幸福地蔵」。


 続いて鎮守社。元禄5(1692)年建立。かつて神の国である日本に大陸から仏教が伝来した際、仏いわく「あなたたちを救いに来ました」。それに対して神々が「それでは私たちがあなたたちを護ってあげましょう」と言い、世界でも例のない異宗教同士の共同体である「神仏習合」が成立したと何かの本で読んだことがあります。元来、日本って戦いを好まないそんな国なんでしょうね。


 鎮守社前の坂を下れば小さな門があります。くぐればすぐ左に宝篋印塔。伝教大師筆の法華経が納められていると伝わります。


 その奥には当山の中興に尽くされた徳川綱吉の生母である桂昌院の遺髪を納めた御廟。


 場所的に改装工事中の多宝塔裏になるので、改装中の姿を撮影しました。


 鎮守社まで戻り案内表示に従って進めば釈迦堂。明治時代に入って建立された比較的新しいお堂です。と言っても130年以上を経ています。


 釈迦堂の左側を抜けて行けば稲荷社に突き当たります。


 右に上って行けば薬師堂。


 ここからは京都市が一望できます。一般公開はされていませんが、夜景がきれいでしょうね。


 薬師堂を過ぎれば青蓮院親王の御陵。ここは宮内庁の管轄らしく天皇陵と同じ制札が立っています。


 御陵から坂を下って行けば青蓮の滝。


 下れば稲荷社前に戻るので右へ。そこには阿弥陀堂。ここも改装中なのでしょうか。フェンスで囲まれていました。


 映画やドラマのロケ地になりそうな白壁の横を下って行きます。


 お城と見間違えるような立派な石垣も見られます。


 白壁を過ぎれば左に経堂。宝永2(1705)年の建立。すぐ前には見頃は過ぎましたが桂昌院のしだれ桜。


 そして経堂と工事中の多宝塔前には遊龍の松。国の天然記念物に指定されている樹齢600年を越える大きな松の木です。どれだけ大きいかというと全長37mですが上に向かってではなく横に伸びているのです。すごいですよ。巨大な盆栽です。


 そして遊龍の松前の階段を下りればスタート地点の本堂前に出ます。境内にはいくつかの参拝者用トイレがあります。マナーを持って使いましょう。


 初めにくぐった山門を本堂側から望みます。(午後2時4分)


 境内を後にして駐車場を抜けたところにあった小さな門をくぐります。振り返れば「東門」だったんですね。


 コンクリートの坂道を下っていきます。


 観光バス駐車場に出ました。ここにも参拝者用のトイレがあります。ここから先はところどころ自動販売機がありますよ。


 善峯道と呼ばれる参詣道をゴールに向かって歩きましょう。「よしみねの里」というお食事処を左に見ながら坂道を下っていきます。


 間もなく右に善峯寺休憩所。ベンチやトイレがあります。


 さらに進み竹の子料理屋さんを過ぎれば右から道が交わってきますので入って行きましょう。角に石標があります。「右よしみね」と刻まれています。(午後2時25分)


 そこは「乙訓景観十景」の一つに選ばれている「小塩町里山の原風景」。私が大好きな日本の原風景です。


 先ほどの石標まで戻り元の道を進めば十輪寺。天台宗の寺院です。


 階段を上れば小さな山門がありました。拝観料400円を納めて境内に進みましょう。(午後2時31分)


 嘉祥3(850)年ころの創建と伝わります。応仁の乱で焼失後、寛延3(1750)年に再建された本堂には延命地蔵尊が祀られています。


 本堂前には美しい庭園があります。


 鐘楼も良い雰囲気ですね。紅葉やしだれ桜の名所でもあります。


 六歌仙のひとり在原業平ゆかりの寺であり「業平卿之墓」と伝わる宝篋印塔。


 当時流行ったと言われる「塩竃」の跡などもあります。


 参拝を終え十輪寺から少し進んだところにも「業平朝臣塩汲道古跡」。(午後2時49分)


 ここは十輪寺の飛地らしく業平が塩竃用の海水を溜めておいた池が残っています。


 善峯道は市街地までずっと続いています。「里歩紀」から「町歩紀」に変わりました。


 「小塩交差点」には常夜灯が一対ありますが、これは大歳神社のものなので真っ直ぐ狭い道を進みます。


 田畑が広がってきました。平地に着いたようです。


 善峯道は「ひまわり園」という施設の前を右に入ります。時計はつぶれていますね。(午後3時5分)


 そしてこの辺りには竹林が広がります。京都府長岡京市に入ったようです。


 竹林の中を抜けて行きます。


 「向イ芝」という四つ辻で丹波街道を渡り善峯道を進みます。結構深い竹林です。


 竹林の中に「井ノ内車塚古墳」。古墳時代後期(6世紀前半)に造られた全長39mほどの前方後円墳だそうです。(午後3時16分)


 竹林をどんどん進みましょう。途中多くの店がありましたが、この辺りはタケノコの産地です。食品名では「筍」でしょうか。今が旬です。


 左に小さな神社が見えれば市街地です。


 信号を渡ってまっすぐ進めば古い家が並ぶ一角がありました。路地を覗き込めば虫籠窓のある旧家などもありましたよ。


 信号を越え井ノ内橋で小畑川を渡ります。清流が流れていました。もうすぐゴールです(午後3時32分)


 次の信号で右に入り向日町警察署の前あたりで京都府向日市に入ります。「むこう」と読みます。関西では競輪場で有名
なところです。


 信号を渡り大阪王将を右に見ながら路地を進んだ四つ辻は「西国街道」。ちょっと左に曲がってみましょう。西国街道は都市化が進みあまり街道の雰囲気はないのですが、ここは何となく昔の面影が残っていますね。


 少し歩けば右に「石塔寺」という大きな寺院が見えてきます。特に観光地というわけではありませんが、日蓮宗のお寺で「南無妙法蓮華経」の題目石塔が建てられたことから石塔寺と呼ばれ、付近には御塔道という路地名などが残るそうです。


 石塔寺前から元に戻り次の路地を左に入ります。200mほど歩けば左に小さな公園が。ここは長岡京の一部である「朝堂院」の楼閣跡らしいです。


 そしてその先には本日のゴール阪急電車「西向日駅」。時間は午後3時49分。本日の歩紀「32660歩」(22.2km)。ここから「大阪梅田駅」まで約40分(380円)です。現地付近まで大阪から1時間足らずの距離にありながら深い山や豊かな自然。古刹、日本の原風景など「野」「里」「町」歩紀が楽しめる素晴らしいコースでした。


 さて今日の例会は阪急「川西能勢口駅」前のモザイクにある「サイゼリヤ」です。途中下車することなく川西能勢口駅まで来れば400円。阪急電車って安いですね。京都府から大阪府を抜けて兵庫県までですよ。
 エスカルゴのオーブン焼きと生中で「乾杯~」。この後、赤ワインデカンタ(250ml)とパスタ・ピザを注文して合計1800円(税込)。立ち飲みより安いな。日本のファミレス、すごいですよ。
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「出石」に蕎麦を食べに行ってきました

2023-04-08 00:17:59 | 日記
訪問日:令和5年4月6日(木)

 今日は仕事がお休み。雨予報の天気予報が外れ天気を持ち直したようなので、以前厚揚げを食べに福井県に行ったように、今回は兵庫県の「出石(いずし)」まで蕎麦を食べに行きました。


 地元のスーパーや道の駅で休憩しながら県道や3桁国道を走るのが「我が家」流のドライブです。


 地元のスーパーでは「地野菜」や「地鶏」海辺であれば「地魚」のように、その地方で獲れる味覚と巡り会うことができます。そして私が大好きな「地酒」とも。


 自宅から2時間30分ほどで「出石」に着きました。時間は11時45分。まずは目的の「出石蕎麦」を食べましょう。今日訪ねたのは「さらそば甚兵衛」です。ここは「兵庫県豊岡市出石」。


 お店の前の小さな池にはきれいな錦鯉が。


 「皿そば」5枚の「手打ち出石皿そば」に7皿プラス(1皿150円)して注文しました。


 とりあえず第1の目標を達成し、出石の町を歩きました。「甍(いらか)の波」


 有名な「辰鼓楼」です。江戸時代後期の火の見櫓で、太鼓をたたいて時を告げたことからこの名が付いたそうです。明治時代に取り付けられた時計が出石のシンボルになっています。


 出石は、室町時代から江戸時代にかけて続く城下町です。明治9年の大火で町の80%が焼失しましたが、残された町割りは「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されているそうです。










 室町時代に築かれた「有子山城」がその後整備され、明治時代の大政奉還まで五万八千石の城下町として栄えたそうです。


 復元された「登城門」。


 町内には40軒ほどの「蕎麦屋」さんが見られます。


 「出石皿そば」と呼ばれるこの蕎麦は、江戸時代中期信州上田藩から出石藩に国替えとなった蕎麦好きの藩主「仙石政明」が連れてきた蕎麦職人により引き継がれ、出石焼きと言われる白い小皿で出されるのが特徴です。


 お腹が一杯なったので出発です。ちょっと「道の駅」に立ち寄りました。


 「朝倉山椒」って有名なブランド山椒らしいですよ。


 次ぎに立ち寄ったのは「海鮮せんべい但馬」。結構有名な「えびせん」のお店です。


 食べきれないほどの試食品が提供されコーヒーも無料です。


 お土産ランキング第一位の「海鮮いかフライ」を購入しました。


 最後は「道の駅スプリングひよし」で日帰り温泉です。露天風呂はちょっと塩の味がする肌に「ぬるっ」とした源泉でした。


 地元スーパーならではの地酒ワンカップをゲットしながら、自宅に向けてひたすら3桁国道を走ります。安全運転で。

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