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「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

転居のご挨拶

2025-05-05 11:44:41 | 日記
 gooブログのサービス終了に伴い「はてなブログ」に転居することとなりました。フォロー・訪問・コメント・リアクションしてくださった皆さんありがとうございました。

 転居と言っても「引越し」の手続きは私の知識・技術・時間の関係で「無理」です。家財道具はそのまま置いて行くので一からの出直しです。サービス終了とともにすべての記事は消えます。

 14年間ありがとうございました。

 転居先

      https://aruki3.hatenablog.jp/

です。

 新たに記事をアップしていますが、画像の貼り付け方法や誤って貼り付けた画像の削除方法など何が何やらさっぱりわかりません。しかしgooブログも一からのスタートでした。勉強しながら頑張ろうと思います。

                                                       野里町歩紀
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新聞斜め読み~空き家問題~

2025-04-28 22:04:39 | 日記
 ある日の投書欄です。テーマは「空き家問題」。私は計画的に造成されたニュータウンに住んでいますが、それでもちらほら廃墟のような住宅や雑草どころか雑木が生い茂る更地が見受けられます。社会的に大きな問題であり、誰にも降りかかってくる可能性のある問題であるとともに、私自身が現在直面している問題でもあります。


 私は母が亡くなると同時に明治以降の先祖が眠る墓地と300坪ほどの土地を相続しました。土地には平成に入って亡父が退職したころ墓参りと別荘的な用途のため2LDKほどの小さな木造平屋建て住宅が建てられました。数年間父が住んだこともあり、私も子どもが小さいころ別荘代わりに何回か泊まったことはありますが、今では年数回、墓参りのため立ち寄る程度で長らく「空き家」状態です。この間、固定資産税やシルバー人材センターにお願いしている年3回の草刈り代を支払い続けています。電気・水道は止めたため掃除も行き届かず廃墟ではないものの住める状態ではありません。一応、今は車で帰省しペットボトルで水を持参して墓掃除と墓参りをしていますが、いつまで続けられるでしょうか。墓地は非課税であるものの私には娘しかいないのでいずれ「墓終い」もしなければならないでしょう。新聞に投稿されている方と同様、まさに「負」動産です。

 どうしたものか思案中です。
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和菓子で感じる日本の伝統文化2~「ちまき」~

2025-04-27 12:14:44 | 日記
 今日のお店は岡山県瀬戸内市の「岡山夢菓匠敷島堂」です。「なぜ岡山?」実はお墓参りのため故郷に帰省していたのです。


 私の故郷である瀬戸内市はかつて岡山県邑久(おく)郡と呼ばれ、平成の大合併により「邑久町」「牛窓町」「長船町」の3町が合併して誕生しました。かつての自治体名はそのまま行政区名として引き継がれています。そして昭和後期から逐次整備し始められた「山陽自動車道」や「岡山ブルーライン」の開通により、関西方面からの日帰りが可能となった岡山・倉敷バスツアーの通過地点となった邑久郡は、ちょうどツアー客の休憩・お土産の立ち寄りスポットとして一躍注目を浴びるようになり、今では岡山を代表する観光地のひとつとなりました。

 瀬戸内海沿いの小高い丘にオリーブ畑が広がっていた牛窓町は、かつて朝鮮通信使の寄港地であった牛窓港周辺にホテルやヨットハーバー、ペンション村などが建設され「日本のエーゲ海」と称するリゾート地となりました。
 内陸部の長船町は、名刀と謳われる「備前長船」に因み「刀剣の里」として刀剣博物館がオープン。刀剣ファンや外国人観光客に人気のスポットです。
 そしてその中間点にある邑久町は、明治・大正・昭和を生きた画家・竹久夢二の生誕地であり、今でも生家が残ることから「夢二の里」として売り出しました。バブルの後押しもあったと思いますが、特に有名な名所旧跡や温泉もない片田舎が「町おこし」だけで成功した数少ない例だと思います。

 そして「夢二の里」に大きく貢献したのが「敷島堂」さんではないでしょうか。竹久夢二の子孫から承諾を得、「夢二」と冠した和菓子に夢二の「美人画」が描かれた包装紙を施し、それまで吉備団子くらいしかなかった岡山の名産品に参入。団体客がバスで押し寄せるほどの人気になったのです。私の記憶では町道沿いにあったどこの町にでもある団子やおはぎ、卒業・入学シーズンの紅白饅頭、慶事の赤飯などを扱う小さなお店だったように思うのですが、今では邑久町の田んぼのど真ん中に観光バスも停まれる駐車場や工場を備えた総本店が建てられ、JR岡山駅などにも出店を有する大きなお店になりました。岡山名物のマスカットや白桃などを使った洋菓子も作っているようですよ。向こうに見える山の麓が夢二や私の故郷である「山田(上山田、下山田)」と呼ばれる集落です。


 あっ忘れていました。今日の和菓子は「ちまき」です。諸説あるそうですが中国で健康や尚武を願い、端午の節句に食べられていたお菓子で日本では平安時代には伝わっていたようです。「♪ 五月五日の背比べ ちまき食べ食べ 兄さんが ♪」の「ちまき」です。


 主に西日本を中心に広まった習慣のようで、東日本ではおこわを包んだ「中華ちまき」が連想されるようですが、竹の葉や皮で包まれた米粉を蒸して作られたお菓子です。大阪市内の公立小中学校では、5月になると給食のデザートとしても出されますよ。
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ついで弁当

2025-04-19 12:21:46 | 日記
 またまた長女からヘルプです。今日は孫の弟君が幼児教室の遠足のため、小学校3年生になったお姉ちゃんとお留守番です。

 庭の「スーパーアリッサムスノープリンセス」。さすがネットで検索しただけあって、今年も簡単な草抜きと施肥、水やりだけで雑草とネコのウ〇チから解放され可憐な花を咲かせました。


 娘の家に行く途中、能勢電車「一の鳥居駅」前を通過するのですが、駅前には広大なニュータウン造成地がバブルの崩壊により長らく放置されていました。しかし最近になって今はやりの物流配送センターが建設されたのです。それに伴い入口の三叉路に信号機が設置され交差点名も表示されました。交差点名は「舎羅林寺(しゃらりんざん)」。以前「関西5珍名山を歩く」で登った山ですね。こういうのが地名として定着するのはうれしいことですね。


 ということで今日の昼食はいわゆる「ついで弁当」です。孫と同じものを食べています。
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通勤定期

2025-04-17 21:47:30 | 日記
 よく「関西万博の経済効果は2兆ウン千億円」「阪神タイガースが優勝すれば何百億円の経済効果」などの声を聞きますが、経済に疎くきわめて行動範囲の狭い私としては、あまりピンときませんでした。ところが最近「これが経済効果というものか」と実感したことがあります。

 私は現役を退き今では「週4日」「時間外勤務なし」の身。現役時代、通勤手当は全額支給されていましたが、再就職後は「日割り計算の回数券払い」でした。ところが電鉄各社が回数券サービスを廃止するとともに軒並み運賃値上げをしたことから通勤手当が定期(6カ月)に戻ったのです。ということで今では「通勤定期」を持っています。するとどうでしょうか……。

 回数券は途中下車すれば前途無効です。休日にプライベートで使用すれば目減りしていきます。そのため平素は勤務先と自宅との往復。まるで「ひきこもり老人」です。趣味である月1回の「歩紀」は別として休日は自宅近くのウォーキングや図書館で過ごすなどお金を使わない日々でした。ところが通勤定期があると休日に電車に乗って町へ出たり、帰宅途中にちょっと寄り道するようになりました。すると何に使っているのかわからないのですが千円ほどのお金が財布から消えていきます。コンビニや自販機、百均などに落ちているのでしょう。月数千円の微々たる金額ですがこれが「経済効果」というものなんでしょうね。以前人が動くことが「働く」こととお話ししました。人が動けが経済も潤うのです。人が動けばお金が落ちます。私みたいな馬鹿な人間でも。動くためにはお金が必要です。経営者だけではなく消費者も守りましょうよ。

 値上げと増税、裏金作りでは国が滅びますよ……。だって人が動かないんですから。
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中国という国

2025-04-13 21:22:44 | 日記
 最近、通販でよく物を買います。ほとんどがMADE IN 「CHINA」「VIETNAM」「INDONESIA」などなど。しかしこれは人件費の安いアジア諸国で製造しているだけで、資本や技術は「JAPAN」であることが多いです。ところが最近、中国から国際便で送られてくる正真正銘の「MADE IN CHINA」の製品が増えてきました。はっきり言います。クォリティー「低い」ですね。まあ使う上では問題ないのでしょうが溶接部分にグラインダーをかけてなかったり、家具などでは生地で隠れる部分はそのまま。いやいや「粗のまま(笑)」。それ以前に梱包している段ボール。あれ何ですか?ボール紙ですか。それを訳の分からないガムテープでぐるぐる巻き。玄関先で受け取った時、破れて中身が見えていました。宅配便の方は「すみません。海外からなんで…」。「海外?」。中国でしょ。素人以下の仕事ですね。

 先日もある家具を購入したのですが中国から国際便で送られてきました。同梱されている組み立て用の工具。ちなみに上が日本の商品です。下が中国商品です。日本商品で厚さ1mmほどです。「チャイナ」はカッターナイフの刃のように薄かったので組み立てている時、指を切っちゃうかと思いました。


 最近よく「ありえへん衝撃映像」というバラエティー番組を観るのですが、インフラ施設の崩壊や崩落。ガス爆発。過積載車両の横転などなど。ほとんどが中国〇〇省。ホンマに「ありえへん」ですね(あの番組、関西系かと思っていましたがテレ東でした「関西ヘイト?」)。

 でもあの国ってアメリカと並ぶ世界二大先進国なんですよね。核兵器や空母を保有する軍事大国でもあります。まあ「富」は「党」と「軍」に集中し「民」には回ってこない。あれを「一党独裁国家」っていうのでしょうか。どんなに転んでもあんな国にはなりたくないな。
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チーズハムトーストサンド

2025-04-12 10:49:54 | 日記
 今日の朝食はチーズハムトーストサンドです。コンソメスープや目玉焼きなども添えられています。娘の家で食べています。そう、またヘルプがあったのです。飲み物は自宅の自家焙煎機で淹れたコーヒーを持って来ました。


 午前中だけのヘルプだったのですが何のヘルプだったっけ?自治会とか何とか言ってたな。まあ理由は何でも良いです。孫とふたりで留守番をしています。
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和菓子で感じる日本の伝統文化1~「さくら餅」~

2025-04-11 22:18:39 | 日記
 「暖簾(のれん)」とともに代々引き継がれてきた古い看板で一番最初に思いつくのは「呉服店」でしょうか。日本の老舗百貨店のほとんどが呉服商から発展したそうです。


 その次は私の大好きな「酒店」。「酒造蔵(造る)」「酒販店(売る)」「居酒屋(呑む)」。どれも良いですね。


 そしてもうひとつあるとすれば「和菓子屋さん」ではないでしょうか。「御菓子司」なんていう古い看板をよく見かけますね。「おんかしつかさ」と読むそうです。日本には「四季」があります。そして四季折々いろんな伝統行事が行われます。そこに欠かせないのが「和菓子」です。和菓子屋さんは単なる食品や甘味を売るのではなく、日本の「伝統」を売っているのです。だからこそ代々引き継がれてきたのでしょうね。ということで今回から「歩紀」の合間などに町で見かけた古い和菓子屋さんの甘味を思いつくまま紹介しようかなと思います。私は左党ですが、甘党でもあるので大丈夫です。


 「春」ですね。春といえば「桜」。と言うことでまず最初は「さくら餅」でいきましょう。今日のさくら餅は、大阪市淀川区「十三本町商店街」にある昭和2年創業「花月堂」で求めました。


 食べ物のほとんどに「関西風」と「関東風」がありますが、さくら餅も関西風と関東風があるそうです。もちろんこれは関西風。さくら餅は花見のほかひな祭りなどでも食べられ春の季語にもなっているそうです。桜の葉っぱの香りがすごいですよ。

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「わが町」花見ウォーク

2025-04-09 15:52:35 | 日記
訪問日:令和7年4月9日(水)
出 発:能勢電車「ときわ台駅」

 大阪市内のサクラは快晴だった先週末が見頃だったようですね。ただ私が住む大阪府豊能郡豊能町は、大阪市内より気温が3~5度ほど低いことから今日あたりが見頃のようです。天気も快晴。そして私は今年度から水曜日が週休日になったのです。ということでわが町「ときわ台」「東ときわ台」をサクラを見ながらぶらぶら歩こうと思います。静かな町です。マナーあるウォーキングを心がけましょう。住民のひとりとしてお願いします。


 環状ルートなので都合のいいところをスタート・ゴールにすればいいのですが、一応能勢電車の「ときわ台駅」をスタート地点としました。大阪梅田駅から2回乗り換えがありますが約1時間(630円)で着きます。駅構内にトイレがあります。ここは大阪府豊能郡豊能町。


 駅前の小さなロータリーから見えるサクラを目指して午前10時20分、今日も元気に出発です。


 ほぼシャッター街化していますが、ここは大阪府最北端の「駅前」商店街。


 商店街前の「ときわ中橋」で初谷川を渡れば突き当りに「ときわ台1丁目公園」。入って行きましょう。


 スロープを上がれば遊具のある小さな児童公園になっており、その奥に階段があるので上ります。結構急な階段ですがここで一気に高度を上げるので、あとは緩やかな坂道コースとなります。サクラがきれいですね。


 以前あった立派なソメイヨシノの大木は古木となったため計画的に一列伐採されてしまいました。


 それでもまた残っているサクラが頑張っています。


 満開と言ってもいいでしょうね。


 最後の階段を上ったところにある「ときわ台自治会館」の角を左に曲がれば見事なサクラです。


 快晴の空とサクラ。


 サクラに沿って進みましょう。


 道なりに進み一つ目の四つ辻を左に折れます。ここにも立派なソメイヨシノがあったのですが、やはり計画的に伐採されてしまいました。残念。


 元の四つ辻に戻って左折。住宅街の外周を歩けば「ときわ台2丁目公園」。小さな児童公園ですがサクラがきれいですね。


 道なりに進み前方にNTT基地局のアンテナが見える手前の四つ辻を左に曲がって坂を上れば信号のある交差点があります。信号を渡ってから右に進みましょう。


 この道は「国道477号線」です。ここから「東ときわ台」に入ります。すぐ先に「セブンイレブン」がありますが、この三叉路を左に曲がります。(午前10時42分)


 この道はバス道です。右には手作りベーカリーのお店。


 その向かいに阪急バス「東ときわ台2丁目バス停」がある三角形の「東ときわ台2丁目2号公園」があるのでバス道から離れ左の道に入ります。


 前方に階段が見えますが、その階段を上れば左に「東ときわ台2丁目1号公園」。ここも小さな児童公園ですが、10本ほどのソメイヨシノが植えられとてもきれいです。


 手が届くところまでサクラが垂れています。


 夜は公園の街灯でライトアップされるのできれいですよ。


 公園前の坂道を上り、突き当りを右に曲がれば先ほどのバス道と合流します。遠くにはきれいなサクラが見えています。


 途中、横断歩道を過ぎたところから「東ときわ台小学校」まで約450mにわたって素晴らしいサクラ並木が続きます。(午前10時53分)


 サクラのトンネルを歩きましょう。


 路面を見ていただけばわかりますが、まだサクラは散っていません。


 突き当りの小学校内にもきれいなサクラが。


 振り返って今歩いたサクラ並木を眺めます。


 小学校前でバス道は右に曲がります。この道は「ハナミズキ」の並木です。まだ咲いていませんが5月頃、そして紅葉の時期になればきれいですよ。


 小学校の敷地に沿って左に曲がれば講堂横のサクラもきれいです。娘たちの母校も令和8年度には近隣の3小学校と中学校が統廃合され小中一貫校となるようです。


 突き当りを右に曲がり、さらに突き当りを右折して次の辻を左に曲がれば、道は自然と「東ときわ台9丁目公園」へと続きます。(午前11時7分)


 公園内にはシカのフンがたくさんありました。この辺りは夜から早朝にかけてシカたちが闊歩しています。


 シカのフンを踏まないように気をつけながら公園を進みましょう。


 公園を抜ければ広い道に出るのですが、ちょっと寄り道をして左に進みます。途中から「箕面市」に入りました。この道は最近開発された箕面森町の企業エリアを経て北大阪急行(大阪メトロ御堂筋線)「箕面萱野駅」までバスが走ります。


 そして大阪の大動脈「新御堂筋」へと続く「箕面グリーンロードトンネル」。日本全国につながる新名神高速道路「箕面とどろみインター」へ続く道でもあります。ここの法面でもよくシカを見かけます。実は私のブログの「プロフィール画像」はこの法面で草を食むシカなんですよ。


 箕面市に入って2~3分歩けば左に大きな谷が現れます。今立ってるところは箕面市ですが、見えている谷は豊能町の「光ケ谷」。ここには「エドヒガン」という野生種のサクラが群生します。そのためわざわざ道をそれたのです。正面の山は「妙見山」。(午前11時17分)


 以前はもっとよく見えたのですが、今は斜面に植林された松の木が大きくなり過ぎ景色をさえぎっています。


 遠くには池田市の五月山から続く山地。北摂の山地にはたくさんのエドヒガンが群生します。ソメイヨシノのように一斉開花はしないそうですが、きれいな眺めですね。


 さあUターンしましょう。わが町に戻りました。


 次の信号でバス道と合流するので真っ直ぐ進みます。個人宅の庭木ですがきれいなサクラですね。


 その先で角に酒屋さんがある交差点に出れば右へ。そこにもきれいなサクラ並木があります。娘たちの小学校入学式の日、ここで記念撮影をしました。


 郵便局を過ぎれば右にショッピングセンター「ときわ壱番地」。阪急オアシスがあるので何でも揃います。なお時計は故障中のようですね。(午前11時36分)


 すぐ向かいでは小中一貫校開校に向けて旧吉川中学校が解体中です。今、生徒さんたちは「光風台小学校」の仮校舎に通っています。


 ときわ壱番地には豊能町唯一の書店。全国で「書店ゼロ自治体」が増える中、貴重な本屋さんです。


 ときわ壱番地のサクラもきれいです。信号のある交差点の向こうに阪急バスが停まっていますが、ここは「支所前バス停」。この辺りはニュータウンの中心部。消防署や交番、町役場支所などが並びます。この交差点を左に曲がりましょう。


 駐車場脇を真っ直ぐ進み健康福祉センターと町立図書館の間にある階段を下りれば、ここもサクラがきれいです。


 ここはバブル期の「箱もの」行政で建てられた町立文化ホールである「ユーベルホール」。町財政を圧迫しているそうですが、それでもロビーを活用したミニコンサートや寄席などを定期的に開催し、一定の集客はあるようです。わが町で一番サクラがきれいなところかもしれません。


 前を走るのは国道477号線。つまり一周してきたのです。この時季、国道を走るドライバーはユーベルホール前のサクラを見て「きれいだな」と思っているでしょうね。


 そして時間は。公園は「くつろぎの場」。ベンチなども設けられています。団体での高歌放吟や酒盛りに至らないのであれば、缶ビール片手にスーパーやコンビニで買った弁当を広げるのもアリだと思いますよ。ただしゴミは持ち帰り。立ち〇ョン禁止。


 ちゃんとした食事をしたいのであれば、国道を挟んだ向かいに「かめたに」があります。ここは「琵琶湖一周歩紀」のひとり打ち上げでお世話になった店です。


 私はここで「オムライスAセット」(税込1300円)で昼食とします。この時点で本日の歩紀「7238歩」(4.92km)。すぐ先の「吉川交番前交差点」を左に曲がり、7~8分坂道を下ればスタート地点の「ときわ台駅」。先ほどの「支所前バス停」からは「光風台駅」や「箕面萱野駅」まで阪急バスがありますが、私は自宅まで歩いて帰ります。人混みとは無縁の花見を堪能しました。

 

 
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桜ノ宮で花見

2025-04-07 22:02:34 | 日記
 令和7年4月6日(日)

 妻と施設に入所した義母を連れ出して大阪市のど真ん中「桜ノ宮」に花見に出かけました。まずは「帝国ホテル大阪」の地下駐車場に愛車「蘭丸」を入庫。そしてホテル内の「CAFE COUVERT」で土・日・祝限定ランチで昼食。これで4時間の駐車料金をゲットです。


 そしてホテルの目の前が「大川(旧淀川)」。大阪市内有数の花見スポットです。


 明け方まで雨が降っていましたが昼前からは快晴です。


 まずホテル北側の「源八橋」を渡りましょう。川に沿ってサクラ並木が続きます。


 「満開」と言ってもいいでしょう。


 川面にはたくさんの遊覧船が浮かんでいます。


 ここは大阪の中心地。遠くに大阪城天守閣が見えます。


 水陸両用観光バスが出発。


 大阪市内なのでたくさんの人が市バスや地下鉄、徒歩・自転車で訪れています。インバウンドで外国人観光客だらけと思っていましたが、周りからはほぼ「大阪弁」しか聞こえません。


 「桜宮橋」でUターン。太陽を背に受けるのでひときわサクラがきれいです。


 令和の「舟遊び」。


 サクラの向こうには「泉布観」と「旧桜宮公会堂」。


 そろそろ4時間。ホテルに戻ります。島根県の物産展が開かれていました。大阪市内では今日が最後の「花見日和」でしょうね。

 
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冷しゃぶうどん

2025-04-05 14:28:31 | 日記
 毎週土曜日は長女が息子(孫②)を「幼児のいえ」に連れて行っている間、妻が長女の娘(孫①)とお留守番です。しかし今日は次女の息子(孫③)が保育園の入園式のため送り迎え。そのため私が孫①と留守番をすることになりました。と言っても間もなく小学校3年生になる孫はひとりでゲームをして遊んでいます。私もソファーに寝転んでテレビを見ています。楽な留守番です。そして今日のお昼は「冷しゃぶうどん」。


 去年植えたスーパーアリッサムスノープリンセス。ちらほら花が咲いています。ところが真ん中に何とチューリップが。結構深く耕したのですが球根が残っていたんですね。もう枯れていますが春ですね。
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80年代の韓国歩紀~金海国際空港から帰国の途へ

2025-04-04 21:47:10 | 日記
 8月21日、1週間の韓国滞在を終え帰国です。釜山近郊の「金海(キメ)国際空港」から大阪国際空港に向かって出発します。直線距離で約580km。大阪から鹿児島くらいの距離でしょうか。飛行機は上昇したかと思うと眼下には九州や中国地方が見えてきます。近いですね。しかしここは外国です。滑走路脇には機関銃が並んでいました。


 チケットの半券が残っていないので便名や出発時間は忘れてしまいましたが、私を日本まで運んでくれる「大韓航空機」です。そしてこの日からおよそ10日後の9月1日、サハリン上空で発生した旧ソ連軍戦闘機による「大韓航空機撃墜事件(韓国語ではKAL機撃墜事件)」で大韓航空の名は全世界に知れ渡ることになります。
 一言だけ言わせてください。いつの時代も「蛮国」ですね。所詮「一党独裁国家」ですから。


 韓国歩紀はこれで終わりです。楽しんでいただけましたでしょうか。この後3回韓国を訪れるのですが最終はもう25年くらい昔のことです。死ぬまでにもう一度今の韓国を訪れたいと思うのですが…。
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高齢化社会

2025-03-29 08:55:07 | 日記
 先日、近所のスーパーでの光景です。食品コーナーで青果類の入れ替えをしていた店員さん。見たところ70歳過ぎの高齢者の方でした。突然咳き込みこのままでは倒れるのではないかと思うほどでした。何とか持ち直しましたが気管支の発作だったのでしょうか。

 また妻から聞いた話です。車を運転中、左から突然軽貨物車が出てきて前の車にぶつかったそうです。幸いクリープ状態だったので事故自体は大したことはなかったそうですが、目撃者として警察から事情を聞かれました。その過程で運転手のおじいちゃんが運転中に気を失ったという事故であることがわかりました。

 心無い人は「食品売り場で咳をするなよジジィ」「年寄りはトットと免許を返納しろ」と言うかも知れません。しかし、どちらも仕事中の出来事です。高齢者でも働かなけれは食べて行けないのです。これがこの国の実情です。埼玉県での陥没事故の運転手さんも74歳でトラックのハンドルを握らなければならなかったのです。私も70歳まではそれなりの仕事をしなければならないと思っています。温かい目で見て欲しいとは言いません。ただご理解を…。
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「乙訓」歩紀~「松」「竹」「梅」を訪ねる~

2025-03-26 01:46:43 | 日記
訪問日:令和7年3月25日(火)
出 発:阪急「大山崎駅」
到 着:阪急「東向日駅」

 摂津国から山城国へ。つまり大阪と京都の府境を越えたところ。京の都に至るまでの間に「乙訓(おとくに)」という地名があります。大阪から近いのでその存在は知っていましたが、京都への通過点であるため、あまり意識したことはありませんでした。現在の行政区でいうと「大山崎町」「長岡京市」「向日市」の2市1町。記紀にも「堕国」「弟国」として登場する古い地名です。「松」「竹」「梅」を訪ねながら「乙訓」の地を歩こうと思います。古の地も現在は大阪・京都にまたがるベッドタウン。給水・トイレにはまったく困りません。今日は平日ですが私は「春休み」。ただ夏のような陽気です。春はどこへ行ってしまったのでしょう。


 今日のスタートは阪急京都本線「大山崎駅」。大阪梅田駅から高槻市駅で乗り換えて約35分(330円)。すぐ近くに阪急電車と並行して走るJR「山崎駅」があり、大阪駅から同じくらいの時間で来られるのですが運賃は150円の差があります。阪急電車は本当に安いんですよ。そしてここへ来るまで4回乗り換えました。いずれも同一ホームでしたが乗り換え時間は1分~2分。電車って本当に1分の遅れもなく来るということを実感しました。大山崎駅のトイレはとてもきれいでしたよ。そして今日の「野里町歩紀」の姿です。


 駅の改札口は一番前つまり京都寄りにあります。午前9時45分。今日も元気に出発です。ここは京都府乙訓郡大山崎町。


 セブンイレブンがある改札口前の府道を左へ進めば数分で右に「離宮八幡宮」。とても立派な神社です。東門を過ぎて惣門から境内に入ります。


 平成22(2010)年に創建1150年を迎えたという古社です。さっそく今日一日の安全を祈願しましょう。


 拝殿前には「本邦製油発祥之地」碑。八幡社なので応神天皇をお祀りしますが、当地は荏胡麻油発祥の地ということで「油」の神様だそうです。日本にはいろんな神様がいらっしゃいますね。


 参拝を終え惣門を出ると三叉路の角に鉄枠でガードされるように「右西國道」と刻まれた小さな石標。右に進みましょう。


 少し歩けば左に「従是東山城國」の国境碑。以前、高槻まで西国街道を歩いた時はここから西に進みましたが今日は反対側(東)に進みます。


 神社北側の路地を抜ければJR「山崎駅」。JRらしいちょっとレトロな木造駅舎です。以前、西国街道を歩いた時の出発駅ですが、大阪方面行ホームに大阪と京都の府境標識が立ちます。そして「山崎駅」と「ディリーヤマザキ」。絵になりますね。


 小さな駅前広場のすぐ横には「妙喜庵」という臨済宗寺院。「待庵」と呼ばれる茶室は国宝ですが見学は予約制だそうです。


 線路に沿って進み次の踏切で東海道本線を渡ります。踏切を渡った正面は「天王山」への登り口になっています。右に曲がります。


 途中「山埼院跡」の石碑。奈良時代の高僧行基が教えを広めるため天平3(731)年建立したそうです。


 そのまま進んで行けば右に「大山崎瓦窯跡公園」。「平安京」造成に際して瓦を焼いていたそうです。この手の遺跡は北摂地方に多いですね。(午前10時7分)


 公園からの眺め。ここで「桂川」「宇治川」「木津川」が合流し「淀川」になります。正面の山は石清水八幡宮がある「男山」。この狭い川沿いを「東海道新幹線」「JR東海道本線」「阪急京都本線」「国道1号線」が走ります。今日は黄砂が酷いみたいですね。ただ花粉はスギからヒノキに変わったのでしょうか。私は辛くありませんでした。


 公園前も天王山への登山口になっていました。天王山は標高270mほどの山でハイキングコースが整備されています。


 公園を過ぎれば左に「観音寺二の鳥居」。ちょっと入ってみましょう。


 階段を上ればすぐに「仁王門」が建ちます。


 その奥には本堂。観音寺は昌泰2(899)年、宇多天皇の勅願により創建されたと伝わります。本尊は十一面観世音菩薩ですが「歓喜天」が祀られていることから「山崎聖天」として親しまれています。これまでたくさんの聖天さんにお参りしました。


 二の鳥居まで戻り左へ。10分ほどで「名神高速道路」をくぐります。さらに進んで行けば民家の石垣に埋もれるように「右やなぎ谷」と刻まれた石標が。この四つ辻を右に曲がります。


 ゆるい坂を下り阪急電車のガードをくぐって住宅街を抜ければ東海道線に突き当たります。そこにはこれまで何回か見たことがあるような風景が。入ってみましょう。(午前10時35分)


 いわゆる「まんぽ(まんぶ)」です。「円明寺架道橋」といい東海道線の開通により分断された水路や人道を通すため明治8年に作られました。レンガが螺旋状に組まれていることから「ねじりまんぽ」と呼ばれています。高さは150cmないので私でもしゃがまなければ通れません。
 

 反対側に出ました。こちら側はアーチ状にレンガが組まれていました。


 まんぽをくぐり300mほど歩けば「小泉川」を渡りますが正面には名神高速道路と大山崎ジャンクションで交わる「京都縦貫自動車道」の高架橋が。その高架下は小泉川に沿って「天王山夢ほたる公園」という小さな広場になっています。橋で川を渡り左へ。公園に入ってみましょう。


 公園の奥。高架下に「山崎合戦古戦場」碑がポツンと立ちます。(午前10時41分)


 その奥には案内板。「本能寺の変」で織田信長を討った明智光秀と信長の家臣であった羽柴(豊臣)秀吉が天正10(1582)年7月、この付近で衝突。その戦いが「山崎合戦」。「天王山の戦い」とも呼ばれています。


 陸橋で「大山崎中学校前交差点」を越え、地図を頼りに北東に進めば住宅街のはずれに「明智光秀本陣跡」碑。


 横の案内板を見れば、ここは「境野1号墳」という被葬者等は不明ですが4世紀後半に造営された前方後円墳だそうです。そして山崎合戦の際、ここに明智光秀が本陣を構えました。大坂・天王寺の「茶臼山古墳」も徳川家康や真田信繁が陣を構えましたが、古墳は高さがあり周辺を堀や垣で囲まれていることが多いので本陣としては最適な場なのでしょうね。ただ本来はお墓ですよ。


 本陣跡を東に進み突き当りを左へ。「恵解山口交差点」を渡り真っ直ぐ進めば右に大きな前方後円墳が現れます。「恵解山(いげのやま)古墳」です。全長128m、乙訓地域最大の前方後円墳で、5世紀前半この付近を支配した有力者の古墳と推定されています。(午前11時2分)


 円墳部の頂上は分譲墓地になっており、それ以外が史跡公園として整備され付近の古墳とともに「乙訓古墳群」として国の史跡に指定されています。埴輪などが復元されています。


 古墳を反時計方向にぐるりと回ります。


 円墳部の先から長岡京市立第八小学校と長岡第三中学校の間を進みます。長岡京市に入っているようです。橋を渡って左に曲がり住宅街を抜けて行けば「真言宗勝龍寺」。


 唐から帰朝した弘法大師空海により大同元(806)年に創建されたと伝わる古刹です。「ぼけ封じ」のお寺ということなのでお参りしておきましょう。


 勝龍寺左側の路地を抜けて行くと突然「お城」が。「勝龍寺城」です。三方を堀で囲まれており「勝龍寺城跡公園」として整備されています。(午前11時18分)


 勝龍寺城は暦応2(1339)年、足利尊氏の命により細川頼春が築城しました。


 そして天正6(1578)年、城主細川藤孝の嫡男、細川忠興のもとに明智光秀の娘、玉(後の細川ガラシャ)が嫁入り、ここで新婚生活を送ったそうです。公園内にはふたりの像が立ちます。


 公園の北東角には「隅櫓」。

 
 公園はサクラの名所でもあります。見ごろにはちょっと早いようですね。


 公園の北西角には「北門跡」。当時の石垣が残ります。


 北門跡から龍勝寺城跡公園を後にし、堀に沿って東へ進みましょう。堀の角には先ほど内側から眺めた隅櫓。いい感じですね。


 その先の三叉路を左折し、角にコンビニがある「東神足交差点」を左折。300mほどでJR東海道線のガードをくぐれば「神足商店街」のアーチ。「こうたり」と読むようです。藤原鎌足もそうですが「足」と書いて「たり」と読みます。訓読みの「足りる」という字ですが、韓国語では足のことを「タリ」と言うんですよね。(午前11時34分)


 そしてこの道は「西国街道」。


 これは「長岡京市立神足ふれあい町家」。江戸時代末期建築の旧家だそうです。


結構宅地化が進んでいますが、ところどころ旧家が残ります。


 まだまだ街道は続きますが、右にフレンドマートという大きなスーパーが見えれば府道を左に曲がりましょう。


 結構広い道ですが「万代」というスーパーを過ぎればキュッと道が狭くなります。その先で阪急の踏切を渡ります。突き当りには大きな鳥居。「長岡天満宮」です。(午前11時51分)


 鳥居をくぐり「八条が池」という池の真ん中を進めば途中「旧太鼓橋」がありました。


 キリシマツツジが有名ですが見ごろは4月下旬ころのようです。


 境内のポスター。こんな感じなんですね。


 八条が池を渡り左に曲がれば「二の鳥居」。


 鳥居をくぐりながら石段を上って行けば社殿が現われました。長岡天満宮は菅原道真が大宰府に左遷された折、この地に立ち寄られたことが縁で創建されたそうです。由緒は不詳ですが「応仁の乱」で焼失、明応7(1498)年に再建されたとの記録が残ります。


 参拝を終え社務所脇を抜けて行きます。そこには「梅林」。天満宮と言えば「梅」ですよね。


 見ごろは3月中旬から下旬。


 時期的にはちょっと遅かったようですが、木によっては満開でした。まず「梅」をゲットです。


 来た道を戻ります。時間は。昼食にしましょう。


 今日の昼食は境内にある「開田茶屋龍八」。神社によくある喫茶・軽食のお店です。


 「Aセット(天ぷらうどんといなり寿司)」(税込1200円)を注文しました。


 食事を終え午後0時25分、再スタート。境内を旧太鼓橋まで戻り八条が池に掛けられた「ふれあい回遊のみち」に進みます。


 八条が池は寛永15(1638)年、八条宮智忠親王によって築造された灌漑用ため池で周囲約1km。サクラの名所で夜はライトアップされます。


 長岡天満宮を後にし、市立図書館を右に見ながら北へ歩きます。


 途中、左の路地に入れば「今里大塚古墳公園」。直径45mの円墳ですが前方後円墳の可能性もあるそうです。(午後0時41分)


 古墳時代後期である7世紀前半の築造で、この地域を治めていた首長クラスの古墳と考えられています。


 元の道に戻り北へ。「文化センター通り」という大通りを渡ります。


 その後、京都銀行が角に立つ交差点を渡ってから右へ。ひとつ目の辻を左に入ります。突き当りには「真言宗乙訓寺」の山門。右に「弘法大師ゆかりの寺」碑が。山門をくぐりましょう。(午後0時54分)


 乙訓寺は西暦600年ごろ推古天皇の勅願を受けた弘法大師により開かれたと伝わります。


 ボタン寺としても有名で4月中旬から下旬にかけて2000株のボタンが見ごろを迎えます。


 山門まで戻りお寺西側の道を北へ。府道209号線に出て西へ進みます。途中から府道10号線に変わりますが、この道は「光明寺道」と呼ばれます。


 そして突き当りに「西山浄土宗総本山光明寺」の総門が立ちます。総門の前には「浄土門根元地」碑。光明寺は建久9(1198)年、法然上人の弟子熊谷蓮生によって建立されたと伝わります。(午後1時18分)


 総門をくぐれば左には「もみじ参道」。ここは「紅葉寺」としても有名です。今は見ごろではないので右の表参道から境内に進みましょう。


 この道は「表参道女人坂」。


 境内には「法然上人像」と「鐘楼」。 


 その向かいには「法然上人袈裟掛之松」。法然上人がこの地の村役・高橋茂右衛門夫妻に念仏を説いた後、しばらくこの地に留まろうと思い立ち、袈裟を掛けた松の木だそうです。その松は寺の裏山に生えているそうですが、昭和57年ここに株分けされました。


 その先には「皇太子殿下御手植之松」。昭和天皇が皇太子時代にお手植えされたそうです。2本の「松」をゲットです。


 そして正面には本堂である「御影堂」。宝暦4(1754)年の再建です。本尊は「法然上人像」。奥には火葬された法然上人の分骨が葬られる「御本廟」があります。


 御影堂の右には「円光大師御石棺」。法然上人の石棺で光明を発したという伝説があります。


 その奥には御影堂と回廊でつながった「阿弥陀堂」。


 御影堂前を通り過ぎ石段を下って行きます。


 石段の下には「円光大師火葬跡」。法然上人の17回忌に当たる安貞2(1228)年、法然上人の亡骸はここで荼毘に付されたそうです。後ろ に見えるのは「勅使門」。


 さらに進めば法然上人が念仏を説いた高橋茂右衛門の屋敷跡碑。


 その先の「もみじ参道」に進みましょう。


 「薬医門」の向こうにも「もみじ参道」が続きます。


 参道を抜ければ総門に戻りました。約25分の見学でした。


 午後1時50分、総門前の「光明寺前交差点」を左へ、この道は「丹波街道」です(写真は道路を渡って撮影しているので右へ進みます)。


 バッティングセンターを過ぎればもう「竹」が見えてきましたね。


 すぐ先を右に曲がり「竹林」を進みます。


 竹林を抜ければ府道10号線と合流するので左へ。大きな交差点を渡れば急に道が狭くなりますが、そのまま畑の中の小道を進みます。「新大垣橋」で「善峰川」を渡れば右に曲がり川沿いに歩きましょう。善峰川の上流には以前訪れた「善峯寺」があり、そこには日本一と言われる「遊龍の松」があるのですが、今日はコースが違うので訪ねることはできません。


 「小畑川」と合流すればその先の「東山交差点」を直進。向日市に入りました。動物病院がある角を左折します。


 「大牧公園」を通り抜けたところで完全に道に迷いました。グーグルマップでやっと「伝高畠陵古墳」に到着しました。桓武天皇皇后陵に治定されている直径約65mの円墳です。(午後2時28分)


 そしてこの前の道は「西ノ岡竹林通」。


 さらに進めば「竹の径」に入ります。


 途中左に「寺戸大塚古墳」。全長100m近い大きな前方後円墳で、この辺りを任された有力者の墓と考えられています。


 ずっと続く「垣」は編み方によって名前が違うそうです。


 京都の洛西から長岡京市にかけては竹で有名です。おそらくここの竹は日本一でしょうね。


 真っ直ぐ進めば「京都市洛西竹林公園」。付近が市境なので公園自体は京都市のようです。きれいなトイレがあったので休憩しましょう。(午後2時43分)


 公園前の三叉路を「阪急洛西口駅」方向に入ります。


 竹の径は続きます。


 黙々と歩く野里町歩紀の影です。なんだか「某共和国」の武装ゲリラのような影ですね。


 この奥には広大な竹林が広がります。「竹」ゲット。「松」「竹」「梅」揃いました。


 「松竹梅」は古代中国において寒い中でも育つそれぞれの植物の特徴から「歳寒三友」として画の題材などとして好まれたそうです。その後、日本に伝わってからは「縁起物」とされ、そこから宴席や料理などのランクとして利用されるようになりました。


 配水所のタンクが見えれば右に入り、浄水場を過ぎて向日市立第二向陽小学校に突き当たれば左へ。


 小学校の向かいの寺院墓地の中には「南条古墳」。古墳時代中期に造営された7基あった円墳のうちのひとつだそうです。間もなくゴールです。(午後2時57分)


 そのまま墓地前を北に進み、突き当りをUターンする形で右に曲がれば「淳和天皇御火葬塚」。承和7(840)年、桓武天皇の子「淳和天皇」がここで火葬されました。


 その先の四つ辻を左に入れば「南条公園」。小さな児童公園ですが、奥にある「妙玄池」という池も古墳の遺構のようですよ。


 そのまま進み、次の四つ辻を左に入れば「物集女車塚古墳」。「もずめ」と読みます。付近には縄文時代から集落があったといわれ、全長46mの前方後円墳は継体天皇とゆかりの深い人物の墓と考えられています。


 ぐるっと回れば前方後円墳の全容がよくわかります。


 古墳前の府道を6~70m北に進めば「物集女交番」。別に変わった建物だったので撮ったわけではありません。実は物集女車塚古墳前で「ナナコカード」を落としたことに気づいたのです。スマホケースに入れていたので写真を撮る時に落としてしまったのでしょう。クレジット機能はないしチャージ残額も300円ほどだったので被害は少なかったのですが、ここで遺失届を出しました。それよりも遺失届を取ってくれた交番相談員さん。私が大山崎から歩いてきたと聞いて驚いていました。そうでしょうね。


 20分ほど時間ロスをしてしまいましたが交番前の府道を南へ進み「寺戸事務所前交差点」を左に曲がれば本日のゴール阪急電車「東向日駅(西口)」。午後3時55分到着です。ここから「大阪梅田駅」まで約45分(390円)。付近にはいくつかJR駅がありますが、190円ほど安い阪急電車をゴールにしました。琵琶湖一周歩紀では随分とJRに貢献しましたからね。


 本日の歩紀「29015歩」(19.73km)。今回「松」「竹」「梅」を訪ねましたが、それ以外にもたくさんの「花の名所」「もみじの名所」がありました。それぞれ見ごろは違いますが「花めぐり」も楽しいでしょうね。


 今日のひとり打ち上げは阪急宝塚線「石橋阪大前駅」西口の「ショッピングストリートいしばし」にある「大阪王将阪急石橋店」です。京都王将と呼ばれる黄色い看板の「餃子の王将」にはよく行きますが、大阪王将は初めてですね。


 まずは冷たい生中(税込550円)で乾杯です。


 その後「王将定食(ギョーザ)」(税込1170円)で夕食です。昼に続いて炭水化物+炭水化物ですね。かなりエネルギーを消費したので体が欲するのです。
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80年代の韓国歩紀~簡単な記念品

2025-03-21 23:41:50 | 日記
 旅行中、毎日酒を飲みました。当時韓国での飲酒スタイルは透明なビンの「眞露(チルロ)」という焼酎を飲むのですが、今の日本で売られている緑色の「眞露(ジンロ)」とは違い甘味料としてサッカリンが使われているといわれ、水割りやロックではなく「ソジュジャン」という小さな盃でストレートで飲みました。ビールやウィスキーは一般的でなかったようですが庶民向けのビールとして「クラウンビール」がありました。韓国語でビールは日本同様「麦酒」と書いて「メックチュ」というのですが、「メックチュ チュセヨ(ビールちょうだい)」といえばクラウンビールが出てきました。もう一つ「OBビール」というのがありましたが、これは戦前のキリンビールだそうです。ちょっと高級で「ウォカーヒル」で出されていました。


 「チルロ」と「ジンロ」は韓国語と日本語の単なる漢字の発音方法の違いです。読み方は違うのですが韓国語にはたくさんの漢字が含まれています。日本語のようにいくつかの読み方(例:行=行(ぎょう)列、行(こう)進、行(あん)灯)があるのではなく、例外を除いて読み方は一つだけです。基本的には「呉音」と呼ばれる音読みです。「麦酒(メックチュ)」「焼酎(ソジュ)」、日本酒は「正宗」と書いてチョンジョン。ウィスキーは「ウィスキー」でも「洋酒(ヤンジュ)」でも通じると思います。ワインは「葡萄酒(ポドジュ)」です。酒の話ばかりですみません。毎週「宿酔(スクチュィ)=二日酔い)ですから。
 以前、職場で韓国からの来賓を迎え通訳をしたときのことです。こちら側の責任者が日本人形を「簡単な記念品ですが」と言いながら手渡そうとしたところ、相手側の韓国人は通訳をする前に韓国語で「簡単な記念品でしょ」と言いました。韓国語で「簡単な記念品」は「カンダナン キニョンプン」と発音するのです。
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