「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

呑み歩紀1~伊丹郷町~

2016-01-10 17:25:14 | 日記
訪問日:平成28年1月10日(日)
出 発:JR「伊丹駅」
到 着:JR「猪名寺駅」

 1月から3月は、地球温暖化とはいえ1年で最も寒い時期であり、野山や木々の色合いも薄れる。今回から3回ほど「酒蔵めぐり」をしよう。
 第1回目は、「伊丹郷町(いたみごうちょう)」を訪ねる。伊丹は、江戸積酒造業の銘醸地として発展。最盛期には70軒を越える造り酒屋があったが、江戸末期から明治にかけて急激に衰退、今では2軒を残すのみとなった。しかし、伊丹の酒「丹醸(たんじょう)」は、うまい酒の代名詞にもなった酒所である。市街地を歩くので給水・トイレには困らない。そして暖まろう。


 今日のスタートは、JR「伊丹駅」。兵庫県伊丹市は大阪府と隣接し、JR福知山線で「大阪駅」から20分足らず240円で到着する。
 

 駅東側から府県境の「猪名川」にかけて「イオンモール伊丹」というショッピングモールとして開発されている。大規模店や小売店舗、飲食店、映画館などが入る複合商業施設。「猪名川」を渡れば大阪府豊中市だ。
 

 また、大阪・キタに直結するため、駅前には高層マンションも並んでいる。
 

 午前10時、駅西口をスタートする。
 

 駅の階段を下りたところが「有岡城跡公園」。
 

 「有岡城」とは、南北朝時代に伊丹氏によって建築されたという「伊丹城」が、天正2(1574)年、織田信長の家臣、荒木村重によって攻め落とされ、大改修のうえ「有岡城」と改められた。
 

 礎石や井戸跡などが残るのみで天守や櫓はない。
 

 公園の片隅に当時の石垣が残る。
 

 石は当時重要な建築資材。ここでも福知山城や大和郡山城のように石塔などの一部を利用した、いわゆる「転用石」が使われている。
 

 また、この城は、あの「黒田官兵衛」が一時幽閉されていたところとしても有名だ。
 
  
 しかし、天正6(1578)年7月、突如、荒木村重は謀反を起こし「有岡城の戦い」という籠城戦を繰り広げ、翌天正7年10月、織田信長に攻められ落城する。
 

 公園の東側道路を北に進み高架道路をくぐってさらに進む。
 

 すぐに阪急バス「北ノ口」停留場。この辺りは、城下の北端にあたることから「北ノ口」と呼ばれる。昔の町並みは意外と狭かったんだな。
 

 道の東側を流れるのは「駄六川」。「有岡城」の天然の要害となっていた。
 

 次の信号を左に入れば地蔵尊。町の北口を守ったのだろうか。地蔵の前には道標も。
 

 地蔵尊左側の路地を進み、一旦、県道(通称「産業道路」)に出て右折。
 

 「伊丹東消防署前交差点」を渡って、さらに北へ進む。
 

 次の路地を左に入り道なりに進んでいく。この道は、伊丹市の北に隣接する兵庫県川西市にある「多田神社」への参詣道として利用されたことから「多田街道」と呼ばれる。
 

 街道は、一旦、「産業道路」と合流するので信号を渡り左へ。前方に「伊丹緑地」と呼ばれる公園をくぐるように突き抜けるトンネルが見えるので、そこから右の筋へ進んで行こう。
 

 「多田街道」の標識に従って路地に入る。
 

 少し歩けば「水車小屋」。大正年間まであったものを地元の人たちの協力により平成17年に復元されたものである。
 

 「水車小屋」を過ぎれば四つ辻に出るが、この辻は「西国街道」との交差点だ。
 
  
 角には道標も残る。
 

 この道は、伊丹市の「都市景観形成道路」に指定されている。
 

 四つ辻を渡った右手に「辻の碑(いしぶみ)」。
 

 この石碑は、高さ92cm、幅76cmの自然石でできており、今は覆屋に納められているが、長年の風雨により摩耗され銘文は読み取れない。
 

 「多田街道」は、さらに北へ続くが、この辻を左に曲がり「西国街道」に進むことにしよう。豊中市との境に「大阪国際空港(伊丹空港)」があるので、ひっきりなしに飛行機が低空で飛ぶ。
 

 「北園1交差点」を渡ると坂道になる。
 

 案内表示に従って、ぐるっと回り込む。


「伊丹坂」と呼ばれるようだ。
 

 地蔵尊の前を通り過ぎる。
 

 そこには「伝和泉式部の墓」。「和泉式部」とは「和泉式部日記」の作者として有名な平安時代の女流歌人である。
 

 「和泉式部」の墓は全国にいくつもの伝承地があり、ここもそのひとつだ。
 

 「伝和泉式部の墓」を後にし、突き当たりを右に戻って、次の突き当たりを右には戻らず左に進む。次の突き当たりを左へ。そして次を右に曲がり閑静な住宅街を抜ける。
 

 四つ辻を左に進めば階段が。
 

 土手を下り右へ。
 

 少し歩けば右に「白洲屋敷跡」碑。ここに、戦中・戦後、英国留学経験で培った語学力を活かし、外交・貿易・戦後処理等で活躍した「白洲次郎」の実家があったという。
 

 この緑道は、伊丹段丘という台地の崖っ縁を利用した「伊丹緑地」といわれる公園だ。
 

 高架道路をくぐり分かれ道に出れば真っ直ぐ右の道を進んでいく。
 

 この道も「北摂里山博物館」に指定されているんだな。
 

 左にこの後訪れる「猪名野神社」の境内が見えてくる。途中、いくつか境内への入り口があるが、神社は正面から参拝するのが私の流儀なので真っ直ぐと進んでいく。
 

 この地蔵尊を過ぎて一方通行道路を左に入る。
 

 100mほどで「猪名野神社」の前に出る。延喜4(904)年創建と伝わる古社だ。
 

 「猪名野神社」は、有岡城下を囲むように築かれた砦のひとつ、北の守りを担った「岸の砦」跡に鎮座し「伊丹郷町」の氏神様として素戔嗚尊を祀る。本殿は。貞享3(1686)年に建立されたという。
 

 境内の北西奥には、先ほどの「岸の砦」跡と思われる土塁が残る。
 

 境内には、造り酒屋や商人たちが寄進した石灯籠97基が並ぶ。
 

 「恵比寿様」も祀られており、ちょうど「えびす祭(えべっさん)」が行われていた。
 

 道中の安全祈願を終え、境内を後にして南へ進む。鳥居の前には「中満屋」。古い和菓子屋さんだ。
 

 「宮前商店街」。参道らしい雰囲気を残しているが建物は何となく新しい。そう、この辺りは、平成7年1月17日の「阪神淡路大震災」で大きな被害を受けたのだ。
 

 左に「真言宗御室派金剛院」を見ながら進む。
 

 参道の出口左角には、平成26年「足湯」がオープンした。ただ、年始の営業は1月11日(明日)からということで閉鎖されていた。
 

 参道は「伊丹商工プラザ」と「伊丹アイフォニックホール」の間を抜けた所で大通りと交わる。
 

 目の前の「伊丹1交差点」は、スタート地点であるJR「伊丹駅」から真っ直ぐ進んできたところであり、ぐるっと回って元の位置まで戻ってきたことになる。
 

 そして、この一角が「伊丹郷町」の中心部なのだろう。「みやのまえ文化の郷」として整備されている。
 

 「浄土宗光明寺」の隣には「市立美術館」。ここには、国文学者・俳人であり、元伊丹市長でもある岡田利兵衛の所蔵品を集めた「柿衞(かきもり)文庫」も併設されているが、今日は休館日だった。
 

 「みやまえ文化の郷」には、ふたつの旧家が保存されている。奥の大きい屋敷は「旧岡田家住宅」。店舗・釜屋・酒蔵からなる。
 

 店舗は、江戸時代の延宝2(1674)年の建築で、兵庫県下最古の町家だそうだ。
 

 「岡田家」の所有になったのは明治33年のことで、元は伊丹の酒造家「松屋与兵衛」が建てたものである。
 

 中はかなり広く、当時の酒釜などが展示されている。
 

 酒蔵は、年代が判明しているものとして全国最古のものらしく、伊丹の酒造の歴史を今に伝える貴重なものだ。
 

 いずれの建物も酒造りの歴史などをパネルなどで展示している。
 

 手前の旧家は「旧石橋家住宅」。江戸時代後期に建てられた商家で、虫籠窓や出格子窓など、当時の店構えを残している。
 

 「宮前商店街」から移築されたそうだ。「クラフトショップ」として利用されている。
 

 「みやのまえ文化の郷」を出て南側の通りを西へ。
 

 「伊丹みやのまえ3号館」というビルの前を左に入る。そこには「法巌寺」「正善寺」「大蓮寺」という3つの浄土宗寺院が並ぶ。
 
  
 その前には「三軒寺前広場」。三つのお寺の前ということか。
 

 この通りは「酒蔵通り」と呼ばれているようだ。
 

 通りを東に進めば、伊丹に残る2つの酒造家の1つ「伊丹老松酒造」。元禄元(1688)年の創業と伝わる。
 

 店舗の前には、酒造りに使われている名水「老松丹水(井戸水)」が。
 

 多くの人が行列を作っていた。
 

 次の角には、もう1つの「小西酒造」。天文19(1550)年の創業と伝わるが、今では「白雪」として全国的に有名な酒造メーカーである。
 

 付近には、いくつかの「蔵」があるようだ。ここにあるのは「ブルワリービレッジ白雪長寿蔵」。
 

 敷地内には「ブルワリーショップ」。
 

 たくさんのお酒が並んでいる。
 

 実は「小西酒造」は日本酒のほか地ビールも醸造している。
 

 また、ベルギービールを中心とした外国ビールの輸入元でもある。
 

 隣接するレストランでは、日本酒やビールに合う料理で食事ができる。時間は午後12時5分。いつもどおりぴったりだ。昼食にしよう。
 

 今日は、通勤定期を使ったため交通費が390円で済んだので、その分、食事で贅沢をしよう。「長寿蔵弁当」(1700円)を注文。この後、食後のコーヒーor紅茶が付く。
 

 そして「白雪麦酒ブロンド(280ml)」(580円)と「伊丹諸白淡にごり(120ml)」(450円)も。「にごり」というが、透明なビンやグラスで向こうが見えない程度で真っ白な濁り酒ではない。
 

 昼食(+晩酌?)を終え、「ブルワリービレッジ白雪長寿蔵」の南の筋を南へ。「浄土真宗本願寺派法専寺」前を通る。
 
 
 突き当たりを右に曲がり、次の信号を左折して「伊丹シティホテル」前を過ぎる。
 

 「曹洞宗墨染寺」に突き当たって右へ、すぐに左折して「伊丹4交差点」で「産業道路」を渡る。
 

 次の信号を右に入る。ここは、大坂に続く道「大坂道」だ。
 

 この旧家は、伊丹市の「都市景観形成建築物」に指定されている。
 

 「大坂道」を進む。
 

 いくつか旧家が残る。
 

 城下を囲む砦のひとつ「鵯塚(ひよどりづか)砦」は、この辺りにあったのだろうか。
 

 この側溝の石垣は「野積み」なので当時の水路跡だろう。
 

 土蔵風の消防団庫が現れれば左に曲がり「伊丹南口踏切」でJR福知山線を渡る。
 

 左には「東リ」という大きな工場が建つ。大正8年「東洋リノリューム」として設立された企業である。リノリュームとは建材の一種であるが、創業当時は軍艦の甲板材料として日本の軍需産業を支えたそうだ。
 

 工場敷地内にある「東リ旧本館」。大正9年に建てられたもので、大正期の面影を色濃く残しているが一般公開はされていない。現在、改修のうえ一般公開を検討中だとか。
 

 この道は、兵庫県尼崎市との市境だ。
 

 この旧家を過ぎると左折。
 

 すぐに「真言宗御室派法園寺」前に出る。ここは市境を越え尼崎市に入っている。
 
 
 その東隣には「猪名野神社」。午前中に訪れた「猪名野神社」の元宮と言われる。
 

 「法園寺」「猪名野神社」ともに広大な森林は「佐璞丘(さぼくがおか)公園」と呼ばる。
 

 ここに「史跡摂津国猪名寺廃寺址」がある。「猪名寺」とは、飛鳥時代から室町時代にかけて存在した寺院で、発掘調査の結果、金堂、五重塔を回廊が囲む「法隆寺様式」の大伽藍配置であったらしい。
 

 織田信長と荒木村重の「有岡城の戦い」で焼失し、廃寺になったといわれる。今は礎石が残るのみ。廃寺の一角に再興されたのが、先ほどの「法園寺」であるとの説がある。
 

 「佐璞丘公園」前から南へ。「猪名寺交差点」で県道を右に曲がる。
 

 しばらくすると踏切に出るので左に曲がれば今日のゴールであるJR「猪名寺駅」。スタート地点の「伊丹駅」から1つ大阪寄りの駅だ。午後1時35分着。本日の歩紀「12150歩」(10.44km)。ほろ酔い気分もすっかり醒めたな。
 
コメント (2)
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