「野里町歩紀 ~思いつくままに~」

野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~ に次ぐ第二歩です

神戸9区を歩く~エチゾチックKOBE「中央区1(旧生田区)」

2022-05-30 20:48:52 | 日記
訪問日:令和4年5月28日(土)
出 発:阪急電車「高速神戸駅」
到 着:阪急電車「花隈駅」

 港町として栄えた「神戸市」は、長崎や横浜同様、古くから中国やシルクロードを通じて大陸・南蛮文化の影響を受け、また、開国以降は欧米を中心とした西洋文化とともに発展してきた異国情緒溢れる街である。「中央区」は、ブランド名としても世界的に有名な「KOBE」という表現がぴったりだ。「生田区」と「葺合区」との合区により誕生したが、今日はほぼ旧生田区内を歩く。


 今日のスタートは「高速神戸駅」。神戸高速鉄道に乗り入れている阪急電車「大阪梅田駅」から直通で約30分(450円)。阪神電車も乗り入れている。午前8時58分改札口を出発する。


 「湊川神社」への案内表示を頼りに地下駅から14番出口に出れば、左に湊川神社の立派な神門が現れる。一礼して境内へ。


 兵庫区から同神社にかけた付近一帯は、延元元(1336)年5月、後醍醐天皇に忠誠を尽くす楠木正成が、劣勢を覚悟で足利尊氏との戦いに挑み自害した「湊川の戦い」戦場跡と伝わる。楠木正成を主祭神として明治5年5月創建された。今日一日の安全を祈願しよう。


 参拝を終え、先ほどくぐった神門に向かう。左奥には「御墓所」。元禄5(1692)年建立されたという「楠木正成墓碑」は国の史跡に指定されている。


 神門を出て左に曲がり「湊川神社前交差点」で中央幹線を渡れば正面にJR「神戸駅」。大阪~神戸間の官設鉄道として明治7(1874)年5月に開業した古い歴史を持つ駅だ。近代化遺産に指定されている。(午前9時10分)


 駅舎前を高架に沿って南に進み、1つ目の信号を左に曲がってJRのガードをくぐり、続いて上を阪神高速が走る浜手幹線を歩道橋で越える。盲学校、湊小学校を過ぎて真っ直ぐ進んでいけば右は川崎重工業神戸工場。かつて「湊川砲台」という砲台があったそうだが現在は完全に工場の敷地内だ。この煉瓦塀は当時の名残だろうか。(午前9時28分)


 この先は工場に突き当たるので元に戻り、先ほど通り過ぎた「湊小学校前交差点」を右折すれば右に「ハーバーランド公園」という公園があるので入って行く。(午前9時32分)


 岸壁に突き当たり左へ進めば「はねっこ」という橋で入江を渡ることができる。


 そのまま進めば左に「神戸煉瓦倉庫」。三菱倉庫の跡地らしいが横浜港ほど大きくはない。


 左に神戸アンパンマンこどもミュージアムを見ながら進んで行けば、岸壁の角に「旧神戸信号所」が立つ。神戸港最古の信号所で大正10年に建設、平成2年まで現役だったそうだ。


 目の前は、先ほどの川崎重工業神戸工場のドック。運が良ければ海上自衛隊の潜水艦を見ることができる。今日は運が良かったようだ。


海に沿って歩く。ここは高浜岸壁。旅客船のターミナルになっている。(午前9時41分)


 後ろには「神戸ハーバーランド」。平成4年に開業した大きなショッピングモールで、飲食店やブティック、シネマなどのほか大観覧車もある。


 岸壁に沿って進んで行けば、対岸に見える「神戸ポートタワー」へと続く。昭和38年、神戸港のシンボルとして建設された高さ108mの展望タワーで、国の登録有形文化財に登録されている。現在、令和5年度の営業再開に向け耐震工事中だ。(午前9時49分)


 今日は帆船「海王丸」も停泊しているようだな。


 タワーの東側は「メリケンパーク」。ホテルオークラ神戸や神戸海洋博物館などが並ぶ。


 海沿いに行けば「BE KOBEモニュメント」。夜はライトアップもされ、写真スポットとして人気があるらしい。


 東側の岸壁は「メリケン波止場」。「♪窓を開ければ 港が見える メリケン波止場の灯がみえる・・・♪」ここからアメリカまでつながっていたんだな。


 その先には「神戸港震災メモリアルパーク」。(午前10時)


 阪神淡路大震災で崩れた岸壁や傾いた街灯が当時のままの姿で残されている。


 当時の悲惨さを伝える貴重な災害遺産だ。


 国道2号線バイパスと阪神高速をくぐれば右に地蔵尊が建つ小さな緑地がある。緑地の中央には「神戸海軍操練所碑」と「陸奥宗光顕彰碑」が並ぶ。かつてこの付近に勝海舟が設置し、坂本龍馬が初代塾頭を務めたという神戸海軍操練所があり、後の外務大臣陸奥宗光がここで学んだ。


 海上保安庁の巡視艇や公用船が並ぶ桟橋の前を通り過ぎれば、突き当たりには「網屋吉兵衛顕彰碑」。船底の貝殻やフナムシの処理で貢献した人物のようだ。船の運航には大切なことなんだろう。


 その横の橋もレトロだな。ガス燈(実際は電灯)が立つ。「京橋」というのか。あっ、阪神高速を走っていると良く耳にする名前だ。


 北に見える「京橋交差点」の信号を渡り、向かい側の歩道へ行こう。NTTドコモ神戸ビルの前には「神戸海軍操練所跡碑」という錨の形をしたモニュメントが立つ。先ほども訪ねたが、元治元(1864)年、この付近に海軍士官の養成機関として設置された。


 東側が埋め立て地になっている京橋を南に渡り、左に曲がる。


 400mほど歩けば右に「神戸税関」。江戸幕府により開設された兵庫運上所が明治元年1月、神戸税関に改称された。昭和2年に竣工した庁舎は2代目である。(午前10時21分)


 税関前からバイパス、阪神高速をくぐって歩道橋を渡る。六甲の山並みに向かってフラワーロードが延びる。「神戸まつり」のパレードなどが行われるメインストリートだ。ただコロナで2年連続中止され、今年も代替イベントだったようだ。


 フラワーロードの左側は「花時計広場」。


 広場を抜ければ「東遊園地」。遊具等がある遊園地ではなく、緑豊かな都市公園である。入口を入れば「1.17希望の灯り」。阪神淡路大震災で犠牲になった方々の慰霊と復興を願って建てられたものだ。


 「復興の灯」として毎年12月に「神戸ルミナリエ」が行われる(昨年、一昨年はコロナのため中止)公園だが、今日は工事中のため塀で囲まれ中には入れないようだ。


 塀の上からカメラを差し入れて撮影した午前5時47分を刻む彫刻時計「マリーナ像」。後ろには、その慰霊と復興を背負うかのように9区の頂点「神戸市役所」がそびえる。


 公園の北西角から東遊園地を後にする。公園の西側には「神戸旧居留地」が続く。いくつかのレトロビルがあるのでビルを訪ねながら一巡しよう。公園から西に進み2つ目の角に「高砂ビル」。昭和24年に建てられたそうだ。(午前10時38分)


 さらに西に進み次の信号を左に曲がる。2つ目の角には「神戸市立博物館」。昭和10年竣工の横浜正金銀行の神戸支店が神戸市の所有になり、昭和57年から博物館としてオープンした。国の登録有形文化財に登録されており、夜はライトアップされるそうだ。


 博物館の西隣の角には「旧居留地15番館」。明治13(1880)年に建てられ、アメリカ合衆国領事館として使用されていた。ちょっと小ぶりだが、重厚というより落ち着いた雰囲気の美しい建物だ。阪神淡路大震災で全壊したが復元され、国の重要文化財に指定されている。


 そのまま南に下れば海岸通という大通りの角に「チャータードビル」。イギリスのチャータード銀行神戸支店として昭和13年に竣工したそうだ。


 海岸通を西に進めば2つ目の角に「神戸商船三井ビルディング」。大正11(1922)年竣工。立派なビルだな。旧居留地では最も重厚な建造物ではないだろうか。


 その向かいには「シップ神戸海岸ビル」。大正7(1918)年、三井物産神戸支店として竣工。震災で全壊してしまったが、旧ビルの4階までを外壁として使用し、高層ビルに再建されている。外壁部分は国の登録有形文化財に登録されている。


 2つのレトロビルの間を北に上れば2つ目の角に「旧居留地38番館」。昭和4年、ナショナルシティバンク神戸支店として竣工されたそうだが、現在は「神戸大丸」の一部として高級ブランドショップになっている。


 北隣には神戸大丸。いわゆる「神戸マダム」たちがショッピングを楽しむハイソな空間だ。


 そして大丸の西側大通りを挟んで向かい側に何やら中華風の門が見える。これは「長安門」といい「南京町」いわゆる「神戸中華街」の東門である。旧居留地を後に中華街へ進んでみよう。


 長安門をくぐる。中華街は東西約270m、南北約110mの狭いエリアに100を越える中華料理店や食材店などがひしめき合っている。(午前11時4分)


 街は「南京町広場」を中心として「南京路」と名付けられた通りが十字に走っており、それぞれ東路、西路、南路、北路と呼び、4つのエリアに分けられている。

 
 中央の十字路北東角には街の中心部「南京町広場」。


 多くの人が休憩したりテイクアウトの中華料理をほおばっていた。老祥記は行列のできる店。


 南に見えるのは「海榮門」。街の南口だ。


 南京路から入る細い路地は「○○街」と名付けられている。


 「九龍街」には「臥龍殿」。立派な建物だがトイレだ。


 主な店は南京路に沿って並んでいるので、目当ての店がなければ南京路を往復すれば良い。


 南京路の西端には「西安門」。街の西口だ。その先には「元町商店街」が見えるのでアーケードを左に曲がる。(午前11時24分)


 阪神淡路大震災でも大きな被害を受けたそうだが、いち早く復興し300もの店が並ぶ。


 旧西国街道に並んだ旅人相手の店が明治に入り商店街に発展した。140年以上の歴史を持つ商店街を抜ける。


 アーケードを出れば「きらら広場」という小さな緑地があり、そこには「兵庫県里程元標」。兵庫県の道路起点として明治43年2月に建てられ、元は相生橋西詰にあったものが、昭和6年、橋の撤去により湊川神社前に移され、さらに平成16年ここに移設されたらしい。(午前11時36分)


きらら広場の並びには、タワーマンションになっているがレトロな外壁で囲まれたビルが建つ。これは、明治33(1900)年に建てられ「旧三菱銀行神戸支店」として使われていたそうだ。


 元に戻り「元町通6丁目交差点」を渡り、JRガード下から「モトコータウン6」と書かれた入口に入る。


 「モトコー」とは「元町高架」の略だそうだ。お洒落な街「神戸」にあって、ここはちょっと「DEEP」な空間が広がる。


 完全に終わっているな。


 途中、道路が横切る隙間から外の明かりと新鮮な空気が入ってくる。そんな感じだ。


 工事中で塞がれていたので、一旦、高架の南側に沿って歩く。


 また、入ることができた。


 ガード下らしい店だな。


 やがて「モトコー」は元町駅に突き当たるので南側に出る。先ほど歩いた「元町商店街」と併走するので1kmほどの長さがある。そして時間は。


 今日はこの興味をそそる「丸玉食堂」で昼食としよう。店内はいかにも昭和という感じで「ワンタン麺(650円)」を注文したが、「店内写真撮影禁止」だったので画像はありません。ご想像にお任せします。


 食事を終え午後0時10分出発。少し進めば「元町駅」。1階部分がJR西日本と阪神電鉄の合同駅舎になっており、高架部分をJRが地下を阪神電車が走る。


 駅の東口にある「元町駅交番」。この交番も渋いな。


 交番前の交差点から南を見れば、午前中に通った神戸大丸が見える。大丸方向に歩けば左に「三宮センター街」のアーケードが見えるので入る。(午後0時17分)


 神戸でも最も賑やかな商店街だろう。


 アーケードを抜ければ商店街は左右に分かれる。右は「三宮本通商店街」だ。左のセンター街に進む。ブティックや貴金属店が多いお洒落なアーケード街である。


 アーケードを抜ければ正面に「神戸阪急百貨店」。ここも神戸マダムたちの街。この辺りから東側は「旧葺合区」になる。


 阪急前の「三宮交差点」を右に曲がり2つ目の信号角には「中央区役所」。中央区は、昭和55年12月、概ね生田川西部の旧生田区と東部の旧葺合区が合区して発足。神戸沖の人工島「ポートアイランド」も中央区に属する。人口約12万6000人。震災では243名の方が亡くなっている。「合掌」(午後0時37分)


 区役所東側を北に進み「東横イン」を過ぎて次の信号で左折する。何でもない路地だが、この道は「旧西国街道」。


 ねっ。


 右のガードをくぐってすぐ左に折れ、JR「三ノ宮駅」と阪急「神戸三宮駅」の北側を抜ける。JRは「三ノ宮」と書くんだな。


 「三宮北交差点」を渡り、マクドナルドの前を通って西へと進むと250mほどで右に大きな鳥居が見える。


 「生田神社」の「二の鳥居」だ。当初は石造りだったそうだが阪神淡路大震災で倒壊。伊勢神宮から檜の古材を譲り受け、平成27年に再建された。(午後0時50分)


 続いて朱色の「三の鳥居」。「一の鳥居」は、駅南側のビル街にある。


 さらに「楼門」をくぐる。


 生田神社は、神功皇后が新羅征伐に際してご神託を受け、神功皇后元(201)年創建された。阪神淡路大震災では本殿が全壊した。ご神託を授けた女神「稚日女尊(ワカヒルメノミコト)」を主祭神とする。


 神社の裏は「生田の森」という鬱蒼とした森が広がる。そしてこの辺りも「源平合戦」の戦場跡らしい。


 森の中には神功皇后をお祀りする社が。


 「東門」から神社を後にする。この道は「東門筋」。


 東門筋を北に上り山手幹線に出れば右へ。次の交差点で山手幹線を渡る。この坂道は「北野坂」。


 途中にある「スタバ」も異人館風だ。


 坂を登り切れば「北野通」に突き当たるので右に曲がる。これより「北野異人館街」を歩くが、写真が多くなるのでコメントは最小限に。そして各館は店舗になっていたり入館料が必要なので、基本的に外観のみを望む。(午後1時13分)


 北野通沿いには、まず「旧バラスティン邸」。明治末のロシア人貿易商の邸宅跡。


 「神戸トリックアート不思議な領事館」。明治末期の建築でパナマ領事館などとして使用されていた。


 「英国館」。明治42年建築の旧フデセック邸だ。


 「洋館長屋(フランス館)」。明治41年建築。元は2世帯のアパートだったらしい。


 「ベンの家」。明治末期の建築で、現在は小さな博物館になっている。


 その向かいには「ラインの館」。旧ドレウェル邸で無料公開されている。


 中に入ってみよう。




 向かいの「神戸北野美術館」は改装工事中だ。


 神戸北野美術館の東隣には「旧ムーア邸」。明治31年の建築。


 その角で左に曲がり「不動坂」を上る。結構、長い坂道だ。


 坂の途中には「プラトン装飾美術館(イタリア館)」。大正初期に建てられ、洋式庭園にはプールがあり、プールサイドでランチやカフェが楽しめる。


 不動坂をどんどん進む。


 坂の頂上には、その名のとおり「坂の上の異人館」。明治後期の中国人実業家の邸宅で、一時期、中国領事館として使用された。(午後1時33分)


 その隣に「北野外国人倶楽部」。明治後期の木造住宅。旧フリューガ邸。


 その奥に「山手八番館」が並ぶ。明治後期の建築で旧サンセン邸だ。


 その先には「うろこの家」。北野でも有名な異人館のひとつだが7月末まで修復工事中。明治期に建てられた旧ハリヤー邸で国の登録有形文化財に登録されている。


 坂を下れば右に「ウィーン・オーストリアの家」。18~9世紀の貴族の家を再現。オーストリアの文化やモーツアルトに関する資料を展示している。


 この前の坂道は「オランダ坂」と呼ばれる。


 ウィーン・オーストリアの家は通り抜けられるようになっているので入って行くと、左には「デンマーク館」。


 細い坂道に出るので左に下ると「香りの家オランダ館」。大正中期に建てられた元オランダ総領事邸。


 デンマーク館から下ってきた道の左側にある路地に入り、薄暗い木陰を進んで行けば「旧トーセン邸」という洋館があるが廃墟となっている。


 坂を下れば「神戸市北野観光案内所」。年中無休でトイレなどがある。(午後1時46分)


 案内所の北側には「北野天満神社」。境内は長い階段の上にある。


 治承4(1180)年、平清盛が京都の北野天満宮から勧請して創建したと伝わる。


 素晴らしい景色が。「海が見えるぞ」


 階段を戻り、神社前の下り坂は「トーマス坂」と名付けられている。


 そして観光案内所の前には「風見鶏の家」。うろこの家と並び異人館街のなかでもシンボル的な存在だ。


 明治42年頃に建てられたドイツ人貿易商トーマスの邸宅。国の重要文化財に指定されている。


 風見鶏の家の前には「北野町広場」。


 公園の奥には「萌黄の館」。明治36(1903)年に建てられたアメリカ総領事ハンターシャープの邸宅。これも国の重要文化財に指定されている。


 萌黄の館裏の三叉路を下っていけば北野通に合流する。結構、効率の良いルートで異人館街を回ることができたな。


 北野通を右に曲がれば「バグワン・マハビールスワミ・ジェイン寺院」。「ジャイナ教」というインド宗教の礼拝施設のようだ。


 その先には煉瓦壁風に造られた交番が。左に曲がり異人館街を後にする。(午後2時11分)


 この道は「ハンター坂」と呼ばれる。前回「王子公園」で訪れた「旧ハンター住宅」の主に因んで名付けられたのだろう。ハンター坂を下り「カトリック神戸中央教会」が見えれば右に曲がる。


 細い道を250mほど進めば左に「神戸ムスリムモスク」。ムスリムとはイスラム教徒という意味。かつては回教寺院やイスラム寺院と呼ばれ「♪昔 アラブの 偉いお坊さんが・・・♪」という歌もあったが、モスクは寺ではなくイスラム教の礼拝施設である。お坊さんもいない。


 昭和10年、日本最初のモスクとして建造され、空襲、震災でも被害を免れた。イスラム教徒以外でも内部が見学できる(写真撮影禁止)。


 モスクと行吉国晴記念館という建物の間にある狭い路地をすり抜けていく。山手幹線に出れば左にはレトロなビルが。機動隊が厳重に警備するこのビルは「韓国領事館」(職質されないよう、ちょっと離れた場所から撮影しています)。


 山手幹線を西に進み右の細い道に入っていく。5分ほどで右に立派な門が見えてくる。ここは元神戸市長であった「小寺家」の本邸庭園で「相楽園」という。入園料300円を払って入ろう。(午後2時40分)


 園の一番奥には、明治43(1910)年ころに建てられたという「旧小寺家厩舎」。国の重要文化財に指定されている。


 その隣には、イギリス人貿易商ハッサムの住居であった「旧ハッサム住宅」。元は北野の異人館街にあったものが神戸市に寄贈され、昭和36年ここに移設されたそうだ。これも国の重要文化財に指定されている。


 邸宅の前には、阪神淡路大震災で落下した煙突がそのままの状態で保存されている。


 南は美しい日本庭園になっている。


 池の畔には、かつて姫路藩主が川遊びで使用していた「川御座船」の屋形部分を移転した「船屋形」。これも国の重要文化財に指定されている。


 見学を終え、立派な門を後にして山手幹線へ。目の前には兵庫県の本丸「兵庫県庁」がそびえる。(午後3時2分)


 1号館と2号館の間を進んで行けば、次の角に重厚な建造物が見えてくるが、一旦左に曲がろう。正面に「神戸栄光教会」という煉瓦造りの教会が建つ。


 教会前の信号を渡って、この重厚な建物の周りをぐるっと回り正面へ。ここは「兵庫県公館」。明治35(1902)年、兵庫県庁本庁舎として建築され、昭和60年から迎賓館、県政資料館として使用されている。


 迎賓館は、土曜日のみ一般に無料公開されているが、コロナ禍以降、一般公開は中止されている。敷地内には入れるので、外観を撮影しよう。


 神戸大空襲により大部分を焼失したため、二度の大改修を経て当時の姿に復元。国の登録有形文化財に登録されている。


 さあ、間もなくゴールだ。兵庫県公館前から神戸生田中学校を左に見ながら坂を下る。JRに突き当たるので右へ曲がる。高架下は昭和で時間が止まっているな。それもそのはず、この高架下が午前中に歩いたモトコーなのだ。


 3~4分で右に巨大な石垣が現れる。


 ここは「花隈公園」。石段を上っていこう。(午後3時19分)


 永禄11(1568)年、織田信長が荒木村重に築かせたと言われる「花隈城」の跡である。荒木村重が織田信長に反旗を翻した「有岡城の戦い」では、伊丹有岡城の支城として使用されたが落城。その後、廃城となった。


 現在は、模擬石垣と天守台が復元され、市民の憩いの場となっている。


 JR高架に戻りさらに5分ほど歩けば、右の路地奥に「浄土真宗本願寺派本願寺神戸別院」が見える。天正元(1573)年、顕如が開基したと伝わる。


 平成7年、阪神淡路大震災と老朽化に伴い改築されたが、昭和4年に建築されたインド様式のモダンな雰囲気を継承している。その姿から「モダン寺」と呼ばれているそうだ。


 神戸別院から先ほどのJR高架前まで戻る。そしてこの道路の地下には高速神戸鉄道が走っている。本日のゴール「花隈駅」に到着。午後3時35分。本日の歩紀「30646歩」(20.87km)。阪急電車が乗り入れており「大阪梅田駅」まで約30分(450円)。国内はもとより世界的に有名な観光地であり「お洒落で華やかな街」もやはりあの地震で大きな傷を受けていた。
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