訪問日:平成27年3月7日(土)
出 発:地下鉄「玉出駅」
到 着:南海「新今宮駅」
今回のテーマを「労働者の町」としたが、日本国憲法で国民は勤労の義務を負い、おおよそ国民のほとんどは「労働者」だ。しかし、ここでいう「労働者」とは「日雇い労働者」のことである。西成区の北部、JR環状線と南海本線、旧南海天王寺線に囲まれた三角地帯。かつては「釜ケ崎」と呼ばれた「あいりん地区」。1k㎡に満たない地区に2万人を超える「日雇い労働者」「失業者」「路上生活者」があふれている。
数十回におよぶ暴動事件、昼間から道路に寝込む泥酔者、白昼堂々の路上賭博・覚醒剤の売買など治安的に大きな問題があり、また人口12万人のうち3分の1の世帯が生活保護受給者であるなど社会的な問題も多い。
私のページでは、社会問題や政治的なテーマは取り扱わない。また「あいりん地区」は、観光客が物見遊山や興味本位で立ち入る場所ではない。しかし、現実の問題として「西成区」と言えば「労働者の町」をイメージするのは事実であることから、今回のテーマとした。
西成区は、大正14年の区編制により誕生したが、かつての大阪市は「西成郡」「東成郡」「住吉郡」の3郡に分かれており、本来、「西成」とは古い地名である。「西成区」の違った一面を求めて歩いてみた。
地下鉄四つ橋線「玉出駅」。「国道26号線」と「南港通」が交差する「玉出交差点」の地下にある。交差点南端が「住之江区」との区境であるが、駅自体は「西成区」に所在する。「住之江区」編の終着点でもある。午前9時40分、5番出入口を出発する。
「玉出交差点」から「国道26号線」を北へ。リニューアルしたようだが「喫茶白樺」の前を過ぎ、銀行の手前を左へ。
「玉出西2丁目」の町を抜ける。
路地を進めば「生根神社」が現れる。元々は「住吉大社」の分社だったらしい。
「少彦名命」「蛭児命」「菅原道真」を祀る。今日一日の安全を祈願する。
境内を通り抜けると…。こちらが正面だったのか。失礼しました。
参拝を終え「玉出中1丁目交差点」で「国道26号線」を渡る。そこには「玉出本通商店街」。
230mほどのアーケード街が続く。
途中から左に「玉二商店街」。
ええ雰囲気やな。
続いて「玉新本通商店街」のアーケード。
ここもええ雰囲気。
次ぎに「玉出東商店街」。アーケード街が続く。
アーケードを抜ける。
「南海本線」のガードをくぐり更に東へ。
「玉出東交差点」に突き当たる。大阪唯一のチンチン電車「阪堺電車阪堺線」。
右には「日本キリスト教団玉出教会」。
「阪堺線」に沿って北上する。すぐ右に「南海電車玉出変電所」。
明治44年築の煉瓦造り。今も現役だ。
目の前の「南海高野線」ガードをくぐり北へ。阪堺電車もガードをくぐる。
2つ目の信号を左へ入ると「天下茶屋跡」。
豊臣秀吉が「住吉大社」参拝の折、休憩した茶屋があったという。今は石碑と蔵跡が残るだけだ。
その裏には、レトロなアパート。もう閉鎖しているのだろうか。
元の道に戻る。目の前には「紹鴎の森」。
天神社があるため「天神ノ森」とも呼ばれる。
そして森の奥に「天神森天満宮」。菅原道真を祀る。
梅がほころんでいた。
現在の社殿は、元禄15(1702)年に建てられたものを昭和12年に再建したものである。ただ、境内の大楠は、樹齢400年を越えることから、それ以前から祀られていたのだろう。
境内を抜けると何やら立派な蔵が。
先ほどの「阪堺線」に沿って北上する。ここは、路面電車ではなく専用路線を走る。
線路の東には「天神の森公園」。
公園内を通り抜け、再度「阪堺線」を渡って西に進めば、正面に「天下茶屋公園」。
公園内には付近を治めた豪族阿部氏の菩提寺「阿部廃寺」の礎石が残る。大阪府の「指定有形文化財」に指定されている(「阿倍野区」編参照)。
公園からNTTの横を北上し「松虫通」を越えて進んで行く。所々古い民家が残る。
さらに進んで行くと右に「梅谷歯科医院」。
大正時代に建てられ「登録有形文化財」に指定されているレトロな歯医者さんだ。
そのまま北に進みコンビニのある角を右に曲がって「天水湯」というお風呂屋さんの前を通りすぎる。
突き当たりを左に折れれば「天下茶屋駅前商店街」前に出るのでアーケードに入る。
「天下茶屋駅」へ続く150mほどの商店街。
「グンゼ」「レナウン」。昭和やね。
アーケードを抜けると「天下茶屋駅」。南海本線・高野線と地下鉄堺筋線が乗り入れる、結構、大きな駅だ。
高架の駅舎をくぐる。時間は午前11時。食事にしよう。「デイリーカナート」を過ぎて左に曲がり、フットサルインドアコートなどを備えたスポーツ施設の前に「REVO(レボ)」。和牛専門の洋食店だ。ただし、まだ「準備中」。
ここへは何回か来たが、結構、有名な店で行列ができる。時間調整をして午前11時30分のオープンと同時に入店。3人目だった。その後、あっと言う間に満席に。「元祖塩とんかつ(1000円)」を注文。この前にコンソメスープが出る。
食事を終え、一旦、南に下り「西成区役所」の南角を右折。
「国道26号線」の「岸里交差点」を渡る。
「南海汐見橋線」のガードをくぐる。
「3軒長屋」を右に見ながら進む。
「大黒湯」。雰囲気からしてもう閉店しているようだな。
すぐ右に「中央通商店会」というアーケード街。
活気のあるアーケード街を進んで行く。
途中で左からのアーケードと交差し「西天商店会」と名を変える。
アーケードの西には「いさみ温泉」というお風呂屋さん。西成区はお風呂屋さんが多いな。
ちょっと東へそれて見る。「文化住宅」と呼ばれる集合住宅も多い。
商店街に戻りさらに北へ進むと突き当たる。
左に曲がれば「銀座商店街」と名を変える。60mほどの短い商店街だ。
アーケードを抜け、次の一方通行路を右へ。すぐに「あさひ湯」というお風呂屋さん。
路地を抜け、次の交差点に交われば、とりあえず右へ曲がる。そこには「南海汐見橋線」の「西天下茶屋駅」。レトロな駅だ。線路を挟んで駅舎が並ぶ。
「南海汐見橋線」は、難波から高野線が延びる前に高野山への出発口として作られた路線で、始発である「汐見橋駅」には何回か訪れた。大阪市内を走るローカル私鉄線だ(「浪速区」編。野里町歩紀~摂河泉をゆく~「浜寺から『織物の町』『小栗街道』を経て『信太の森』へ」参照)。
先ほどの道を西に戻る。
工場横を抜ける。
高速の高架をくぐって右へ進む。
「地蔵堂」のある角から小さな路地を入る。
モータープールの間を抜けて行く。
「津守幼稚園」を過ぎれば「新なにわ筋」に出るので右へ。次の信号の角に「津守神社」が。江戸時代に開墾された「津守新田」の守り神として勧請されたそうだ。
「天照大神」や「住吉さん」「お稲荷さん」などを祀る。
神社の北側からポンプ場の横を西に進めば突き当たるので右へ。この道は「木津川」沿いの道だ。
少し進めば左に「落合下渡船場」。市内に8つ残る大阪市営の「渡し」のひとつだ。今日は、予報では夕方から小雨のはずだったが、昼過ぎから雨が降ってきた。
「大正区」との間を結ぶ(「大正区」編参照)。
川沿いを右に「下水処理場」「浄水場」や「西成公園」「府立西成高等学校」を見ながら、さらに進んで行く。
この辺りには造船所もある。
そして「落合上ノ渡交差店」を左に入る。
先ほどの「落合下渡」の上流で「大正区」との間を結ぶ渡し船である(「大正区」編参照)。
渡船場から東へ進み路地を抜ければ「南海汐見橋線」に突き当たるので右に曲がる。
「府立西成高等学校」前の「津守駅」を過ぎて踏切を渡れば「津守商店街」。
「新なにわ筋」を渡った所からアーケードが現れる。
すぐに「阪神高速」に突き当たる。
「阪神高速」をくぐった所から新たにアーケード街が。東西約1kmの大阪でも有名な商店街「鶴見橋商店街」である。結構、雨が強いのでアーケードは助かる。
商店街は「8番街」から始まる。アーケードに入ってすぐ右に「桑原医院」という古い病院。
商店街内には「将棋クラブ」。この辺りは「7番街」。
まるで「じゃりんこチエ」の世界やね。
「6番街」は、宝石店があったりして結構明るい雰囲気が。
「6番街」を過ぎれば「鶴見橋2丁目交差点」で一旦、アーケードが途切れる。
交差点を越えれば「5番街」。
「スーパー玉出」を過ぎれば左に「荻野産婦人科」。
もう廃業しているのだろう。
その角を南へ。大衆演劇の「鶴見橋鈴成座」。
隣には「関西ニューアート」というヌード劇場。かつての「鶴見橋ミュージック」というストリップ小屋だ。
商店街に戻る。左に「千成温泉」が見えれば「4番街」。大阪では「お風呂屋さん(銭湯)」を「温泉」という。「富士山」ええね。
「3番街」に入り、薬局横の路地を入る。
突き当たりに「八開荘」という古いアパート。お地蔵さんが建つ。
入ってええのかな?西成らしいなぁ。
商店街に戻り「2番街」に入る。「越前屋」というスーパーを過ぎれば、狭い路地を右へ。
突き当たりに「丸美質舗」。古い質屋さんだ。
「2番街」に戻る。「1番街」に入る四つ角を右へ入ろう。60mほどで「旭温泉」というお風呂屋さん。手前の看板には「焼増し」。デジカメの時代に。これも西成らしいなぁ。
路地に入り、文化住宅の前を北に。すごい密集度。
北に戻れば「1番街」。
アーケードは、国道26号線「鶴見橋交差点」で終わる。
国道を渡れば「花園中央商店街」。ちょっと見えにくいが、正面には「あべのハルカス」。すぐに「南海本線・高野線」のガードに突き当たるので右折しよう。
次の角に「大阪府西成警察署萩ノ茶屋交番」。この辺は、十数年に1度の割合で暴動が起きる土地柄。交番も機動隊バス並みに金網で「完全武装」している。
目の前は南海「萩ノ茶屋駅」。
暗いガードをくぐれば「萩ノ茶屋本通商店街」。
この辺りは、昼間から酔っ払いがフラフラと歩く「デンジャラスゾーン」だ。
安い店も多いが一見ではなかなか入れない。
まあ。そう言うことですね。
この商店街を中心にした1k㎡にも満たない地域が「あいりん地区」と呼ばれる。一旦、アーケードが途切れた南北の大通り。すぐ北に「大阪府西成警察署」。暴動が起きたときは、ここで「西成警察」を守る機動隊と暴徒との間で攻防戦が繰り広げられる。ここは、観光客が物見遊山で立ち入る場所ではない。例えばカメラを構えてトラブルとなり、恐怖を感じて逃げたとしよう。それを追いかける者が1人、2人と増え、それが「暴動」に発展するおそれが十分にある地域である。昔は、タバコ欲しさに郵便配達人が襲われたという。さっさと通り過ぎることにする。
さらにアーケードに入る。左に「阪堺線今池停留場」。入口前には「立小便禁止」の大きな看板。
「阪堺線」のガード下の「飲み屋」では昼間から「酒盛り」。ちょっと「小便臭い」な。
「堺筋」を越えた所からは「今池本通」と名を変える。
アーケードは「飛田本通南商店街」に突き当たるので右折する。
アーケードを抜けて左に曲がったところに「大阪府西成警察署飛田交番」。ここも機動隊バス並みの重武装だ。
そして、ここから東に進み「阪神高速」の高架をくぐると………。そこは、日本最大の遊郭「飛田新地」。ここも1k㎡に満たない地域に150軒ほどの「料理屋」と呼ばれる店がひしめく。
「料理屋」の中で行われているのは、仲居と客の「自由恋愛」である。ここは写真撮影禁止であり、もし撮影をしていると「料理屋」の婆さんから「写真撮影禁止やで。」と注意され、それを無視して撮影し続けていると、知らない間に「怖いお兄さん」たちに囲まれるかも。警察以上に「監視カメラ」が街を見張っている。
「飛田新地」の南端にある料亭「鯛よし百番」。大正7年築で国の「登録有形文化財」に指定されている。
そして、ここは「本物」の料亭であるので、この建物に限っては、写真撮影をしていてもトラブルに巻き込まれることはない(と思う)。
東の突き当たりにある土手に沿って北に進む。
ここは「阿倍野区」との境界だ。一応、地域外の「阿倍野区」側から撮影した。かつてここは「刑場」だったらしい。多くの人たちの「怨念」がさまよっているのかも知れない。
「飛田新地」の北を東西に走る「新開筋商店街」。このアーケードが遊郭と住宅地の境界である。
なつかしい「コクヨ」「たばこ」の看板。ここで右へ進む。
途中から右の路地に入ってみる。ここのお好み焼き屋さんは、お好み焼きの煙を流すための煙突が。
「山王2丁目」の街をさまよう。「日之出温泉」。
「阿倍野区」へと続く階段。「上町台地」とは、かなり「標高差」がある。
路地を抜ける。「和光浴場」。「浴場」だって……。
ここの交番も完全武装。やはり「普通の地域」とは違うのだな。
道は「国道25号線」から続く大通りと交わり、ここから北は「JR大阪環状線」を挟んで「天王寺区」だ。左に曲がる。「阪神高速阿倍野入口」の進入路手前の路地を左に折れると古い旅館。
そしてその前には、金網に囲まれているが「てんのじ村記念碑」。「てんのじ村」とは、戦前からあった小さな演芸小屋に「あそこであれば仕事にありつける」と多くの芸人が集まり、いつしか200人を越える芸人たちが暮らすようになったといわれる「上方演芸発祥の地」と言われた場所である。
しかし、そんな華やかさではなく、姿を消していった多くの芸人たちを偲んで、昭和52年、有志により建てられたのが、この記念碑である。
大通りに戻り「阪神高速」をくぐる。
今は「ビジネスホテル」と言うが、かつては「ドヤ」と呼ばれた「簡易宿泊所」。
低料金であることから、一般観光客、特に外国人観光客が利用するようだ。
「太子交差点」を過ぎれば、阪堺電車阪堺線「新今宮駅前停留場」。以前の「南霞町停留場」で、平成2年10月の暴動の際、放火により全焼した。ここは「あいりん地区」の北の端にあたる。
暴動があった後は、完全武装の機動隊員が10人くらいでパトロールをする。今でも命がけのパトロールだろう。
環状線のガードから向こうは「浪速区」。しかし「労働者の町」は、しばらく続く。
さらに西へ進んでいく。左には「あいりん地区」が広がる。
右側には、いくつか古いアパートが残る。
道路越しに「あいりん労働公共職業安定所」。毎朝、ドヤ(簡易宿泊所)や段ボール小屋(路上生活)から溢れ出た「日雇い労働者」たちが職を求めて集まる。そしてマイクロバスに乗せられ各地の現場へと散っていく。
目の前には南海本線・高野線のガード。そこは本日のゴールである南海「新今宮駅」。午後3時着。本日の歩紀「21668歩」(18.63km)。アーケードとお風呂屋さんの多い、ちょっと「セピア」な街だった。
出 発:地下鉄「玉出駅」
到 着:南海「新今宮駅」
今回のテーマを「労働者の町」としたが、日本国憲法で国民は勤労の義務を負い、おおよそ国民のほとんどは「労働者」だ。しかし、ここでいう「労働者」とは「日雇い労働者」のことである。西成区の北部、JR環状線と南海本線、旧南海天王寺線に囲まれた三角地帯。かつては「釜ケ崎」と呼ばれた「あいりん地区」。1k㎡に満たない地区に2万人を超える「日雇い労働者」「失業者」「路上生活者」があふれている。
数十回におよぶ暴動事件、昼間から道路に寝込む泥酔者、白昼堂々の路上賭博・覚醒剤の売買など治安的に大きな問題があり、また人口12万人のうち3分の1の世帯が生活保護受給者であるなど社会的な問題も多い。
私のページでは、社会問題や政治的なテーマは取り扱わない。また「あいりん地区」は、観光客が物見遊山や興味本位で立ち入る場所ではない。しかし、現実の問題として「西成区」と言えば「労働者の町」をイメージするのは事実であることから、今回のテーマとした。
西成区は、大正14年の区編制により誕生したが、かつての大阪市は「西成郡」「東成郡」「住吉郡」の3郡に分かれており、本来、「西成」とは古い地名である。「西成区」の違った一面を求めて歩いてみた。
地下鉄四つ橋線「玉出駅」。「国道26号線」と「南港通」が交差する「玉出交差点」の地下にある。交差点南端が「住之江区」との区境であるが、駅自体は「西成区」に所在する。「住之江区」編の終着点でもある。午前9時40分、5番出入口を出発する。
「玉出交差点」から「国道26号線」を北へ。リニューアルしたようだが「喫茶白樺」の前を過ぎ、銀行の手前を左へ。
「玉出西2丁目」の町を抜ける。
路地を進めば「生根神社」が現れる。元々は「住吉大社」の分社だったらしい。
「少彦名命」「蛭児命」「菅原道真」を祀る。今日一日の安全を祈願する。
境内を通り抜けると…。こちらが正面だったのか。失礼しました。
参拝を終え「玉出中1丁目交差点」で「国道26号線」を渡る。そこには「玉出本通商店街」。
230mほどのアーケード街が続く。
途中から左に「玉二商店街」。
ええ雰囲気やな。
続いて「玉新本通商店街」のアーケード。
ここもええ雰囲気。
次ぎに「玉出東商店街」。アーケード街が続く。
アーケードを抜ける。
「南海本線」のガードをくぐり更に東へ。
「玉出東交差点」に突き当たる。大阪唯一のチンチン電車「阪堺電車阪堺線」。
右には「日本キリスト教団玉出教会」。
「阪堺線」に沿って北上する。すぐ右に「南海電車玉出変電所」。
明治44年築の煉瓦造り。今も現役だ。
目の前の「南海高野線」ガードをくぐり北へ。阪堺電車もガードをくぐる。
2つ目の信号を左へ入ると「天下茶屋跡」。
豊臣秀吉が「住吉大社」参拝の折、休憩した茶屋があったという。今は石碑と蔵跡が残るだけだ。
その裏には、レトロなアパート。もう閉鎖しているのだろうか。
元の道に戻る。目の前には「紹鴎の森」。
天神社があるため「天神ノ森」とも呼ばれる。
そして森の奥に「天神森天満宮」。菅原道真を祀る。
梅がほころんでいた。
現在の社殿は、元禄15(1702)年に建てられたものを昭和12年に再建したものである。ただ、境内の大楠は、樹齢400年を越えることから、それ以前から祀られていたのだろう。
境内を抜けると何やら立派な蔵が。
先ほどの「阪堺線」に沿って北上する。ここは、路面電車ではなく専用路線を走る。
線路の東には「天神の森公園」。
公園内を通り抜け、再度「阪堺線」を渡って西に進めば、正面に「天下茶屋公園」。
公園内には付近を治めた豪族阿部氏の菩提寺「阿部廃寺」の礎石が残る。大阪府の「指定有形文化財」に指定されている(「阿倍野区」編参照)。
公園からNTTの横を北上し「松虫通」を越えて進んで行く。所々古い民家が残る。
さらに進んで行くと右に「梅谷歯科医院」。
大正時代に建てられ「登録有形文化財」に指定されているレトロな歯医者さんだ。
そのまま北に進みコンビニのある角を右に曲がって「天水湯」というお風呂屋さんの前を通りすぎる。
突き当たりを左に折れれば「天下茶屋駅前商店街」前に出るのでアーケードに入る。
「天下茶屋駅」へ続く150mほどの商店街。
「グンゼ」「レナウン」。昭和やね。
アーケードを抜けると「天下茶屋駅」。南海本線・高野線と地下鉄堺筋線が乗り入れる、結構、大きな駅だ。
高架の駅舎をくぐる。時間は午前11時。食事にしよう。「デイリーカナート」を過ぎて左に曲がり、フットサルインドアコートなどを備えたスポーツ施設の前に「REVO(レボ)」。和牛専門の洋食店だ。ただし、まだ「準備中」。
ここへは何回か来たが、結構、有名な店で行列ができる。時間調整をして午前11時30分のオープンと同時に入店。3人目だった。その後、あっと言う間に満席に。「元祖塩とんかつ(1000円)」を注文。この前にコンソメスープが出る。
食事を終え、一旦、南に下り「西成区役所」の南角を右折。
「国道26号線」の「岸里交差点」を渡る。
「南海汐見橋線」のガードをくぐる。
「3軒長屋」を右に見ながら進む。
「大黒湯」。雰囲気からしてもう閉店しているようだな。
すぐ右に「中央通商店会」というアーケード街。
活気のあるアーケード街を進んで行く。
途中で左からのアーケードと交差し「西天商店会」と名を変える。
アーケードの西には「いさみ温泉」というお風呂屋さん。西成区はお風呂屋さんが多いな。
ちょっと東へそれて見る。「文化住宅」と呼ばれる集合住宅も多い。
商店街に戻りさらに北へ進むと突き当たる。
左に曲がれば「銀座商店街」と名を変える。60mほどの短い商店街だ。
アーケードを抜け、次の一方通行路を右へ。すぐに「あさひ湯」というお風呂屋さん。
路地を抜け、次の交差点に交われば、とりあえず右へ曲がる。そこには「南海汐見橋線」の「西天下茶屋駅」。レトロな駅だ。線路を挟んで駅舎が並ぶ。
「南海汐見橋線」は、難波から高野線が延びる前に高野山への出発口として作られた路線で、始発である「汐見橋駅」には何回か訪れた。大阪市内を走るローカル私鉄線だ(「浪速区」編。野里町歩紀~摂河泉をゆく~「浜寺から『織物の町』『小栗街道』を経て『信太の森』へ」参照)。
先ほどの道を西に戻る。
工場横を抜ける。
高速の高架をくぐって右へ進む。
「地蔵堂」のある角から小さな路地を入る。
モータープールの間を抜けて行く。
「津守幼稚園」を過ぎれば「新なにわ筋」に出るので右へ。次の信号の角に「津守神社」が。江戸時代に開墾された「津守新田」の守り神として勧請されたそうだ。
「天照大神」や「住吉さん」「お稲荷さん」などを祀る。
神社の北側からポンプ場の横を西に進めば突き当たるので右へ。この道は「木津川」沿いの道だ。
少し進めば左に「落合下渡船場」。市内に8つ残る大阪市営の「渡し」のひとつだ。今日は、予報では夕方から小雨のはずだったが、昼過ぎから雨が降ってきた。
「大正区」との間を結ぶ(「大正区」編参照)。
川沿いを右に「下水処理場」「浄水場」や「西成公園」「府立西成高等学校」を見ながら、さらに進んで行く。
この辺りには造船所もある。
そして「落合上ノ渡交差店」を左に入る。
先ほどの「落合下渡」の上流で「大正区」との間を結ぶ渡し船である(「大正区」編参照)。
渡船場から東へ進み路地を抜ければ「南海汐見橋線」に突き当たるので右に曲がる。
「府立西成高等学校」前の「津守駅」を過ぎて踏切を渡れば「津守商店街」。
「新なにわ筋」を渡った所からアーケードが現れる。
すぐに「阪神高速」に突き当たる。
「阪神高速」をくぐった所から新たにアーケード街が。東西約1kmの大阪でも有名な商店街「鶴見橋商店街」である。結構、雨が強いのでアーケードは助かる。
商店街は「8番街」から始まる。アーケードに入ってすぐ右に「桑原医院」という古い病院。
商店街内には「将棋クラブ」。この辺りは「7番街」。
まるで「じゃりんこチエ」の世界やね。
「6番街」は、宝石店があったりして結構明るい雰囲気が。
「6番街」を過ぎれば「鶴見橋2丁目交差点」で一旦、アーケードが途切れる。
交差点を越えれば「5番街」。
「スーパー玉出」を過ぎれば左に「荻野産婦人科」。
もう廃業しているのだろう。
その角を南へ。大衆演劇の「鶴見橋鈴成座」。
隣には「関西ニューアート」というヌード劇場。かつての「鶴見橋ミュージック」というストリップ小屋だ。
商店街に戻る。左に「千成温泉」が見えれば「4番街」。大阪では「お風呂屋さん(銭湯)」を「温泉」という。「富士山」ええね。
「3番街」に入り、薬局横の路地を入る。
突き当たりに「八開荘」という古いアパート。お地蔵さんが建つ。
入ってええのかな?西成らしいなぁ。
商店街に戻り「2番街」に入る。「越前屋」というスーパーを過ぎれば、狭い路地を右へ。
突き当たりに「丸美質舗」。古い質屋さんだ。
「2番街」に戻る。「1番街」に入る四つ角を右へ入ろう。60mほどで「旭温泉」というお風呂屋さん。手前の看板には「焼増し」。デジカメの時代に。これも西成らしいなぁ。
路地に入り、文化住宅の前を北に。すごい密集度。
北に戻れば「1番街」。
アーケードは、国道26号線「鶴見橋交差点」で終わる。
国道を渡れば「花園中央商店街」。ちょっと見えにくいが、正面には「あべのハルカス」。すぐに「南海本線・高野線」のガードに突き当たるので右折しよう。
次の角に「大阪府西成警察署萩ノ茶屋交番」。この辺は、十数年に1度の割合で暴動が起きる土地柄。交番も機動隊バス並みに金網で「完全武装」している。
目の前は南海「萩ノ茶屋駅」。
暗いガードをくぐれば「萩ノ茶屋本通商店街」。
この辺りは、昼間から酔っ払いがフラフラと歩く「デンジャラスゾーン」だ。
安い店も多いが一見ではなかなか入れない。
まあ。そう言うことですね。
この商店街を中心にした1k㎡にも満たない地域が「あいりん地区」と呼ばれる。一旦、アーケードが途切れた南北の大通り。すぐ北に「大阪府西成警察署」。暴動が起きたときは、ここで「西成警察」を守る機動隊と暴徒との間で攻防戦が繰り広げられる。ここは、観光客が物見遊山で立ち入る場所ではない。例えばカメラを構えてトラブルとなり、恐怖を感じて逃げたとしよう。それを追いかける者が1人、2人と増え、それが「暴動」に発展するおそれが十分にある地域である。昔は、タバコ欲しさに郵便配達人が襲われたという。さっさと通り過ぎることにする。
さらにアーケードに入る。左に「阪堺線今池停留場」。入口前には「立小便禁止」の大きな看板。
「阪堺線」のガード下の「飲み屋」では昼間から「酒盛り」。ちょっと「小便臭い」な。
「堺筋」を越えた所からは「今池本通」と名を変える。
アーケードは「飛田本通南商店街」に突き当たるので右折する。
アーケードを抜けて左に曲がったところに「大阪府西成警察署飛田交番」。ここも機動隊バス並みの重武装だ。
そして、ここから東に進み「阪神高速」の高架をくぐると………。そこは、日本最大の遊郭「飛田新地」。ここも1k㎡に満たない地域に150軒ほどの「料理屋」と呼ばれる店がひしめく。
「料理屋」の中で行われているのは、仲居と客の「自由恋愛」である。ここは写真撮影禁止であり、もし撮影をしていると「料理屋」の婆さんから「写真撮影禁止やで。」と注意され、それを無視して撮影し続けていると、知らない間に「怖いお兄さん」たちに囲まれるかも。警察以上に「監視カメラ」が街を見張っている。
「飛田新地」の南端にある料亭「鯛よし百番」。大正7年築で国の「登録有形文化財」に指定されている。
そして、ここは「本物」の料亭であるので、この建物に限っては、写真撮影をしていてもトラブルに巻き込まれることはない(と思う)。
東の突き当たりにある土手に沿って北に進む。
ここは「阿倍野区」との境界だ。一応、地域外の「阿倍野区」側から撮影した。かつてここは「刑場」だったらしい。多くの人たちの「怨念」がさまよっているのかも知れない。
「飛田新地」の北を東西に走る「新開筋商店街」。このアーケードが遊郭と住宅地の境界である。
なつかしい「コクヨ」「たばこ」の看板。ここで右へ進む。
途中から右の路地に入ってみる。ここのお好み焼き屋さんは、お好み焼きの煙を流すための煙突が。
「山王2丁目」の街をさまよう。「日之出温泉」。
「阿倍野区」へと続く階段。「上町台地」とは、かなり「標高差」がある。
路地を抜ける。「和光浴場」。「浴場」だって……。
ここの交番も完全武装。やはり「普通の地域」とは違うのだな。
道は「国道25号線」から続く大通りと交わり、ここから北は「JR大阪環状線」を挟んで「天王寺区」だ。左に曲がる。「阪神高速阿倍野入口」の進入路手前の路地を左に折れると古い旅館。
そしてその前には、金網に囲まれているが「てんのじ村記念碑」。「てんのじ村」とは、戦前からあった小さな演芸小屋に「あそこであれば仕事にありつける」と多くの芸人が集まり、いつしか200人を越える芸人たちが暮らすようになったといわれる「上方演芸発祥の地」と言われた場所である。
しかし、そんな華やかさではなく、姿を消していった多くの芸人たちを偲んで、昭和52年、有志により建てられたのが、この記念碑である。
大通りに戻り「阪神高速」をくぐる。
今は「ビジネスホテル」と言うが、かつては「ドヤ」と呼ばれた「簡易宿泊所」。
低料金であることから、一般観光客、特に外国人観光客が利用するようだ。
「太子交差点」を過ぎれば、阪堺電車阪堺線「新今宮駅前停留場」。以前の「南霞町停留場」で、平成2年10月の暴動の際、放火により全焼した。ここは「あいりん地区」の北の端にあたる。
暴動があった後は、完全武装の機動隊員が10人くらいでパトロールをする。今でも命がけのパトロールだろう。
環状線のガードから向こうは「浪速区」。しかし「労働者の町」は、しばらく続く。
さらに西へ進んでいく。左には「あいりん地区」が広がる。
右側には、いくつか古いアパートが残る。
道路越しに「あいりん労働公共職業安定所」。毎朝、ドヤ(簡易宿泊所)や段ボール小屋(路上生活)から溢れ出た「日雇い労働者」たちが職を求めて集まる。そしてマイクロバスに乗せられ各地の現場へと散っていく。
目の前には南海本線・高野線のガード。そこは本日のゴールである南海「新今宮駅」。午後3時着。本日の歩紀「21668歩」(18.63km)。アーケードとお風呂屋さんの多い、ちょっと「セピア」な街だった。