訪問日:平成25年7月20日(土)
出 発:地下鉄「太子橋今市駅」
到 着:地下鉄「千林大宮駅」
大阪市旭区。東成区からの分区により昭和7年に誕生。「日出る朝日」をイメージして「旭」区と命名されたとか。同名の区が横浜市にもある。大阪市の北東に位置し、北には淀川が流れる。人口約9万2千人。国道1号線や京阪本線が横切り、大阪~京都の途中にある住宅街だ。空襲を免れたため、昔の区割りがそのまま残り、大規模な都市開発はされていない。
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今日のスタートは、地下鉄谷町線「太子橋今市駅」。谷町線は、大阪市営地下鉄だが大阪府八尾市の「八尾南駅」から大阪府守口市の「大日駅」までを結ぶ。この辺りは、国道1号線の真下を走り、国道に面した二つの町名を駅名に冠しているため「野江内代」「関目高殿」「千林大宮」と若干長い駅名が続く。やはり、駅名に町名が反映されると「駅前」として地価等に影響するのだろうか。9時50分出発。
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6番出入口から地上に出ると真ん前が国道1号線、通称「京阪国道」。左に進むと、すぐに「太子橋」交差に出る。交差点の10mほど手前に大阪府守口市との市境があるので、ここは守口市だ。角には、タイル貼りの古い建物が建つ。
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交差点を左折して市境の道に沿って歩くと、すぐに小学校の前に出る。この学校は「大阪市立太子橋小学校」。この校舎の端っこが大阪市旭区に引っかかるため、そこで住所を取っているが、校舎の大部分と校庭の全ては大阪府守口市緑町にある変わった学校だ。
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小学校北側の阪神高速道路下にある信号を渡って進むと、途中、二戸一の古い住宅。旭区にはこんな住宅がたくさん残っている。遠くに見える堤防の階段を目指す。
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堤防の中ほどに石垣で台座が組まれている。
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そして、その台座には「平太(へいた)の渡し跡」の石碑が。かつて、ここには民営の「平太渡し」という渡し船があったそうだ。しかし、豊里大橋の開通により昭和45年3月、淀川最後の渡しが290余年の歴史を閉じた(最下流の安治川に天保山渡しがあるくらいかな)。
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堤防を上ると目の前には淀川の流れ。ここら辺りは、川幅が500m以上あるだろう。今は、平太の渡しに代わって開通した「豊里大橋(全長561.4m)」が大阪市東淀川区へと続く。
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右に淀川を見ながら下流に向かって歩く。しばらくすると左手の堤防下に大きな建物が現れる。これは、大阪工業大学と常翔学園と呼ばれる附属の中学・高校の校舎群。常翔学園高校は、旧大工大附属高校で、高校ラグビーの強豪校だ。
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左側に、後ほど訪れる「城北公園」の緑を眺めながら大阪一の大河「淀川」に沿って進む。
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「菅原城北大橋(全長1355.7m)」という橋をくぐる。この橋は有料橋で、通行料金が100円であることから「100円橋」と呼ばれている。
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橋をくぐると左は、ちょっとした休憩スペースになっており、小さな祠と石碑が立つ。「千人つか」。昭和20年6月「大阪大空襲」での死者数万人のうち、身元が分からなかった数千体の遺体がこの淀川河川敷で荼毘に付され、その犠牲者の冥福を祈るために建立されたものだといわれる。
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そして「菅原城北大橋」を過ぎたころから右側に「わんど」が見られるようになる。「わんど」とは、川の水深を確保し、流れを緩やかにするため、川に突き出された「水制」と呼ばれるT字形の工作物に、永年、土砂や水草、藻などが溜まりできた小さな「湾」のことをいう。特にこの辺りに多く見られる。
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本流の流れに影響されないため独特の生態系が生じ、天然記念物の「イタセンパラ」という小魚などが繁殖するそうだが、最近では、外来魚に駆逐され絶滅の危機に瀕しているとか。
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「わんど」を見ながら進んで行くと左手の堤防下に小さな神社が見えてきた。堤防の階段を下りていくと途中に「赤川廃寺」。かつてこの辺りに「大金剛院(赤川寺)」という寺があったそうだが、大坂夏の陣で兵火により炎上し廃寺となった。そして明治32年の淀川大改修により伽藍の位置もわからなくなったとか。今は小さな石碑が残るだけだ。
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細い道を抜け神社の前に。横には古い屋敷が残る。神社は「日吉神社」といい、近江「日吉(ひえ)大社」の御祭神「大山咋神(オオヤマクイノカミ)」を祀る。今日一日の無事を祈願する。
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お参りを終え、古い屋敷前の路地を入り、ぐるっと回って再度堤防に登ると目の前には白い鉄橋が。
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JR城東貨物線の「赤川橋梁(全長610.7m)」だ。この鉄橋は、本来、複線用に作られているが、城東貨物線が単線のため、上流側を大阪市が借り受け、歩行者・自転車専用の「赤川仮橋」として使用されている。
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もしかすれば列車とすれ違えるのではと思い、線路横の歩道を歩く。
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対岸(東淀川区)に着く。時間は、午前10時50分。そこには踏切があり、JRの人が工事をしていたので、何時頃に列車が通過するのか訪ねたところ「12時20分」とのこと。
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どうしようかと迷ったが、今日は「急ぎの旅」ではないので待つことにした。ちょうど鉄橋の下が影になっていた。暇つぶしに川を眺める。遠方に見えるのは「大阪キタ」のビル群。
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待つこと1時間30分。踏切の音と共に吹田(北側)方面から貨物列車がやってきた。
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貨物専用のため「駅すぱあと」では検索できないが日に数本運行されている。運が良ければ至近距離で貨物列車とすれ違うことができる。
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しかし、あくまでも「仮橋」。城東貨物線は複線化され「おおさか東線」として平成30年に生まれ変わるため、今年(平成25年)秋で約80年の歴史に幕を閉じるそうだ。今回が見納めだろう。
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赤川鉄橋から先は「都島区」になる。堤防を下り、淀川を後にする。途中、「福助湯」という銭湯。普通、大阪では「お風呂屋さん」という。大阪市内には銭湯が多い。まだ、家風呂がないお宅が多いのだろう。
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赤川3丁目と4丁目の間の道を進んでいくと10分ほどで「城北公園通」という大きな道に出るので左折する。
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前方に先ほどくぐった「菅原城北大橋」の高架橋が見えてくれば、すぐ左に「城北公園」が。
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旧淀川の河川敷を利用して昭和9年5月に開園された古い公園だ。戦時中は、空襲時の避難場所になっていたと言われる。公園は「菅原城北大橋」の橋脚により分断されており、西側には大きな池がある。
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ここは花菖蒲が有名で花の時期(5月下旬~6月下旬)には「城北菖蒲園」が開園(午前9時30分~午後5時、200円)される。今は閉園時期なのだが、工事用のフェンスで囲むのは、ちょっと「粋じゃないね。」
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公園の遊歩道を抜け、東口へ向かう。
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東口から城北公園通に出て左折(東)する。阪神高速の高架をくぐり「中宮4東」交差を左折する。途中には古い住宅が残る。そしてこの道は、先ほど堤防上から眺めた大阪工業大学へ続く通りだ。
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大阪工業大学は、大正11年に創設された専修学校を母体とした大阪でも古い私立大学である。著名な建築家である初代校長・片岡博士が設計、中之島の「中央公会堂」をモチーフした正門は「片岡メモリアルゲート」と呼ばれている。
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大阪工業大学を後にして南へ進む。城北公園通を過ぎてさらに進むと「中宮中公園」という児童公園に突き当たる。公園の奥には神社が見えている。
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一旦左折。次の角には「錦水湯」という銭湯が。レトロな雰囲気である。しかし、銭湯自体が昭和に隆盛を極めた産業であり、今残っている銭湯が「昭和の雰囲気」を醸し出しているのは当然のことだろう。
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先ほど公園の奥へ見えた神社方向へ回る。この辺りは、結構、古い住宅が残っている。特に切妻屋根の玄関だけが独立し、奥でつながっている長屋がいくつか残る。
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神社横には、蔵の残る大きなお屋敷も。
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「大宮神社」。由緒によると応神天皇、神功皇后らをお祀りする、いわゆる「八幡宮」であったが、明治に入り近隣の神社を合祀し「大宮神社」と改め、現在に至る。
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境内社である「行者社」。背景の長屋が良い。
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拝殿前のモチの神木は「いぼ大神」として信仰が厚く、木肌と身体を交互に撫でれば病が治るといわれる。
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神社前のカラフルな路面は、アーケードではないが「千林大宮商店街」と呼ばれ、古い建物が残る。国道1号線を越えた所で、後ほど訪ねる「千林商店街」につながる。
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旭区は、空襲を免れたため大規模な都市開発はされておらず旧来の住宅街が続くが、結構、住宅の建て替えが進んでおり、所々古い建物が残るものの街並みを形成するまでには至らない。
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真っ直ぐ進むと「旭消防署」交差に出る。消防署としては大きい方だが、屋上に望楼が残る旧式のスタイルだ。こういうのは、立て替えられる前に撮影しておかなければ。
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この交差点を右折すると「欧風料理イスタンブール」という小さなお店がある。以前、テレビで放映された頃は行列ができていたが、現在は落ち着いているようだ。午後1時30分。赤川鉄橋で1時間30分、時間潰しをしたため少し遅くなったが、昼食とする。
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トルコライスとランチが定番である。前回来たときはトルコライスを注文したので、今回はランチ(950円)にした。ここの海老フライは丸ごとではなく、頭を落とし鯵のフライのように開いて揚げられている。一手間加えているということだ。
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食事を終え、旭消防署交差を右(南)へ。前方に見える阪神高速道路の手前にお地蔵さんがあり、その向こうから下へ下りられるようになっている。
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阪神高速の下には「城北川(城北運河)」が流れる。戦前、開かれた運河で旧淀川と寝屋川を結ぶ。
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運河沿いはランニングコースになっている。
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3つ目の「城北橋」で国道1号線をくぐり、次の「古市橋」からスロープで上の道に上がる。この道は、大阪の京橋口から京都へ向かう「京街道」と呼ばれる道だ。
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春日湯という銭湯裏の児童公園に「京かいどう」の案内碑が建てられている。
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また、この道は「森小路京かい道商店街」となっている。
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ほとんどは新しく建て替えられているが、所々古い店も残る。
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有名なアイスモナカの店なのだろうか行列ができていた。
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そして、アイスモナカの店を過ぎると目の前にアーケードの入口が見えてくる。「日本一安い」と言われる千林商店街だ。
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ここは、「探偵ナイトスクープ」というテレビ番組で「大阪のおばちゃん」のインタビューの地であるとされ「千林商店街のおばちゃん」の意見が大阪の標準であると紹介されていた。
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掲げられている看板も「昭和チック」だ。
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表はきれいに改装されているが、元の店舗は結構古いようだ。
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商店街自体は活気にあふれているが、ちょっと路地に入ると古い建物が残る。
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立派な蔵のある屋敷。
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この屋敷の母屋は、トタンで覆われているが藁葺き屋根だ。
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商店街に戻り、さらに進んで行くと右に京阪電車「千林駅」が現れる。エントランスはアーチ状になっており、切符売場と改札口があるので、何か劇場の入口のような雰囲気がする。
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京阪千林駅を過ぎるとアーケードも終わる。商店街を出たところは大阪府守口市になる(京阪ガード下からの眺め)。
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一旦、商店街に戻り、すぐ右の路地に入ってみよう。細い道を進み千林会館(公民館)という建物を左に曲がる。するとそこには「千林長屋」と呼ばれる古い住宅が並んでいる。
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先ほど見た玄関だけが独立し、裏は長屋でつながっている建物だが、ここの長屋はひときわ立派だ。2棟で10軒以上の長屋が並んでいる。一部、町家カフェとなっている家もある。
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千林長屋を過ぎると、すぐ左に「123」というパチンコ屋さんがある。昭和32年、ここに「ダイエー」1号店が開店したとか。そのため千林商店街は「ダイエー発祥の地」とも言われている。
ただ、元々の店は「主婦の店ダイエー薬局」という薬局であり、ダイエー創始者の中内功氏の祖父が創設した前身の「サカエ薬局」は神戸市兵庫区東出町というところにあったことから、そこに「ダイエー発祥の地」碑が建っているらしい。しかし、ダイエーを名乗ったのが、ここ千林商店街であるのなら、ここが「ダイエー発祥の地」と言って良いのでは。しかし、今は跡形もない。
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パチンコ屋さんを過ぎ、千林商店街北側の路地を縫っていく。この辺にも古い建物が残る。
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「朝日地蔵」というお地蔵さんが祀られていた。
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地蔵尊前にも板塀が続く。
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古い質屋さん。大阪弁は、なぜか店を「さん」付けで呼ぶ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/d3/3a267dfce4ff621649d31eee580faba5.jpg)
そのまま進んで行くと、再度「千林商店街」のアーケードが見えてきた。実は、一番最初にアイスモナカの店を過ぎたところから入ったアーケードは、向こうに見えるアーチで、ここから右(西)に140mほど、まだアーケードが続いているのだ。アーケード入口右にはレンガ造りの「珈琲屋さん」が。
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右に曲がり残りのアーケードを歩く。このきらきらお目々の学生さんは、下に並んでいるどこの学校の学生さんだろうか?
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国道1号線に出たところで全長570mの「商店街の旅」は終わる。
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国道を渡り、午後2時35分、本日のゴールである地下鉄「千林大宮駅」の2番出入口に到着。本日の歩紀「16015歩」(13.77km)。
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出 発:地下鉄「太子橋今市駅」
到 着:地下鉄「千林大宮駅」
大阪市旭区。東成区からの分区により昭和7年に誕生。「日出る朝日」をイメージして「旭」区と命名されたとか。同名の区が横浜市にもある。大阪市の北東に位置し、北には淀川が流れる。人口約9万2千人。国道1号線や京阪本線が横切り、大阪~京都の途中にある住宅街だ。空襲を免れたため、昔の区割りがそのまま残り、大規模な都市開発はされていない。
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今日のスタートは、地下鉄谷町線「太子橋今市駅」。谷町線は、大阪市営地下鉄だが大阪府八尾市の「八尾南駅」から大阪府守口市の「大日駅」までを結ぶ。この辺りは、国道1号線の真下を走り、国道に面した二つの町名を駅名に冠しているため「野江内代」「関目高殿」「千林大宮」と若干長い駅名が続く。やはり、駅名に町名が反映されると「駅前」として地価等に影響するのだろうか。9時50分出発。
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6番出入口から地上に出ると真ん前が国道1号線、通称「京阪国道」。左に進むと、すぐに「太子橋」交差に出る。交差点の10mほど手前に大阪府守口市との市境があるので、ここは守口市だ。角には、タイル貼りの古い建物が建つ。
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交差点を左折して市境の道に沿って歩くと、すぐに小学校の前に出る。この学校は「大阪市立太子橋小学校」。この校舎の端っこが大阪市旭区に引っかかるため、そこで住所を取っているが、校舎の大部分と校庭の全ては大阪府守口市緑町にある変わった学校だ。
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小学校北側の阪神高速道路下にある信号を渡って進むと、途中、二戸一の古い住宅。旭区にはこんな住宅がたくさん残っている。遠くに見える堤防の階段を目指す。
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堤防の中ほどに石垣で台座が組まれている。
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そして、その台座には「平太(へいた)の渡し跡」の石碑が。かつて、ここには民営の「平太渡し」という渡し船があったそうだ。しかし、豊里大橋の開通により昭和45年3月、淀川最後の渡しが290余年の歴史を閉じた(最下流の安治川に天保山渡しがあるくらいかな)。
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堤防を上ると目の前には淀川の流れ。ここら辺りは、川幅が500m以上あるだろう。今は、平太の渡しに代わって開通した「豊里大橋(全長561.4m)」が大阪市東淀川区へと続く。
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右に淀川を見ながら下流に向かって歩く。しばらくすると左手の堤防下に大きな建物が現れる。これは、大阪工業大学と常翔学園と呼ばれる附属の中学・高校の校舎群。常翔学園高校は、旧大工大附属高校で、高校ラグビーの強豪校だ。
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左側に、後ほど訪れる「城北公園」の緑を眺めながら大阪一の大河「淀川」に沿って進む。
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「菅原城北大橋(全長1355.7m)」という橋をくぐる。この橋は有料橋で、通行料金が100円であることから「100円橋」と呼ばれている。
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橋をくぐると左は、ちょっとした休憩スペースになっており、小さな祠と石碑が立つ。「千人つか」。昭和20年6月「大阪大空襲」での死者数万人のうち、身元が分からなかった数千体の遺体がこの淀川河川敷で荼毘に付され、その犠牲者の冥福を祈るために建立されたものだといわれる。
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そして「菅原城北大橋」を過ぎたころから右側に「わんど」が見られるようになる。「わんど」とは、川の水深を確保し、流れを緩やかにするため、川に突き出された「水制」と呼ばれるT字形の工作物に、永年、土砂や水草、藻などが溜まりできた小さな「湾」のことをいう。特にこの辺りに多く見られる。
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本流の流れに影響されないため独特の生態系が生じ、天然記念物の「イタセンパラ」という小魚などが繁殖するそうだが、最近では、外来魚に駆逐され絶滅の危機に瀕しているとか。
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「わんど」を見ながら進んで行くと左手の堤防下に小さな神社が見えてきた。堤防の階段を下りていくと途中に「赤川廃寺」。かつてこの辺りに「大金剛院(赤川寺)」という寺があったそうだが、大坂夏の陣で兵火により炎上し廃寺となった。そして明治32年の淀川大改修により伽藍の位置もわからなくなったとか。今は小さな石碑が残るだけだ。
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細い道を抜け神社の前に。横には古い屋敷が残る。神社は「日吉神社」といい、近江「日吉(ひえ)大社」の御祭神「大山咋神(オオヤマクイノカミ)」を祀る。今日一日の無事を祈願する。
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お参りを終え、古い屋敷前の路地を入り、ぐるっと回って再度堤防に登ると目の前には白い鉄橋が。
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JR城東貨物線の「赤川橋梁(全長610.7m)」だ。この鉄橋は、本来、複線用に作られているが、城東貨物線が単線のため、上流側を大阪市が借り受け、歩行者・自転車専用の「赤川仮橋」として使用されている。
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もしかすれば列車とすれ違えるのではと思い、線路横の歩道を歩く。
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対岸(東淀川区)に着く。時間は、午前10時50分。そこには踏切があり、JRの人が工事をしていたので、何時頃に列車が通過するのか訪ねたところ「12時20分」とのこと。
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どうしようかと迷ったが、今日は「急ぎの旅」ではないので待つことにした。ちょうど鉄橋の下が影になっていた。暇つぶしに川を眺める。遠方に見えるのは「大阪キタ」のビル群。
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待つこと1時間30分。踏切の音と共に吹田(北側)方面から貨物列車がやってきた。
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貨物専用のため「駅すぱあと」では検索できないが日に数本運行されている。運が良ければ至近距離で貨物列車とすれ違うことができる。
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しかし、あくまでも「仮橋」。城東貨物線は複線化され「おおさか東線」として平成30年に生まれ変わるため、今年(平成25年)秋で約80年の歴史に幕を閉じるそうだ。今回が見納めだろう。
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赤川鉄橋から先は「都島区」になる。堤防を下り、淀川を後にする。途中、「福助湯」という銭湯。普通、大阪では「お風呂屋さん」という。大阪市内には銭湯が多い。まだ、家風呂がないお宅が多いのだろう。
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赤川3丁目と4丁目の間の道を進んでいくと10分ほどで「城北公園通」という大きな道に出るので左折する。
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前方に先ほどくぐった「菅原城北大橋」の高架橋が見えてくれば、すぐ左に「城北公園」が。
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旧淀川の河川敷を利用して昭和9年5月に開園された古い公園だ。戦時中は、空襲時の避難場所になっていたと言われる。公園は「菅原城北大橋」の橋脚により分断されており、西側には大きな池がある。
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ここは花菖蒲が有名で花の時期(5月下旬~6月下旬)には「城北菖蒲園」が開園(午前9時30分~午後5時、200円)される。今は閉園時期なのだが、工事用のフェンスで囲むのは、ちょっと「粋じゃないね。」
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公園の遊歩道を抜け、東口へ向かう。
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東口から城北公園通に出て左折(東)する。阪神高速の高架をくぐり「中宮4東」交差を左折する。途中には古い住宅が残る。そしてこの道は、先ほど堤防上から眺めた大阪工業大学へ続く通りだ。
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大阪工業大学は、大正11年に創設された専修学校を母体とした大阪でも古い私立大学である。著名な建築家である初代校長・片岡博士が設計、中之島の「中央公会堂」をモチーフした正門は「片岡メモリアルゲート」と呼ばれている。
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大阪工業大学を後にして南へ進む。城北公園通を過ぎてさらに進むと「中宮中公園」という児童公園に突き当たる。公園の奥には神社が見えている。
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一旦左折。次の角には「錦水湯」という銭湯が。レトロな雰囲気である。しかし、銭湯自体が昭和に隆盛を極めた産業であり、今残っている銭湯が「昭和の雰囲気」を醸し出しているのは当然のことだろう。
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先ほど公園の奥へ見えた神社方向へ回る。この辺りは、結構、古い住宅が残っている。特に切妻屋根の玄関だけが独立し、奥でつながっている長屋がいくつか残る。
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神社横には、蔵の残る大きなお屋敷も。
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「大宮神社」。由緒によると応神天皇、神功皇后らをお祀りする、いわゆる「八幡宮」であったが、明治に入り近隣の神社を合祀し「大宮神社」と改め、現在に至る。
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境内社である「行者社」。背景の長屋が良い。
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拝殿前のモチの神木は「いぼ大神」として信仰が厚く、木肌と身体を交互に撫でれば病が治るといわれる。
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神社前のカラフルな路面は、アーケードではないが「千林大宮商店街」と呼ばれ、古い建物が残る。国道1号線を越えた所で、後ほど訪ねる「千林商店街」につながる。
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旭区は、空襲を免れたため大規模な都市開発はされておらず旧来の住宅街が続くが、結構、住宅の建て替えが進んでおり、所々古い建物が残るものの街並みを形成するまでには至らない。
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真っ直ぐ進むと「旭消防署」交差に出る。消防署としては大きい方だが、屋上に望楼が残る旧式のスタイルだ。こういうのは、立て替えられる前に撮影しておかなければ。
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この交差点を右折すると「欧風料理イスタンブール」という小さなお店がある。以前、テレビで放映された頃は行列ができていたが、現在は落ち着いているようだ。午後1時30分。赤川鉄橋で1時間30分、時間潰しをしたため少し遅くなったが、昼食とする。
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トルコライスとランチが定番である。前回来たときはトルコライスを注文したので、今回はランチ(950円)にした。ここの海老フライは丸ごとではなく、頭を落とし鯵のフライのように開いて揚げられている。一手間加えているということだ。
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食事を終え、旭消防署交差を右(南)へ。前方に見える阪神高速道路の手前にお地蔵さんがあり、その向こうから下へ下りられるようになっている。
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阪神高速の下には「城北川(城北運河)」が流れる。戦前、開かれた運河で旧淀川と寝屋川を結ぶ。
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運河沿いはランニングコースになっている。
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3つ目の「城北橋」で国道1号線をくぐり、次の「古市橋」からスロープで上の道に上がる。この道は、大阪の京橋口から京都へ向かう「京街道」と呼ばれる道だ。
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春日湯という銭湯裏の児童公園に「京かいどう」の案内碑が建てられている。
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また、この道は「森小路京かい道商店街」となっている。
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ほとんどは新しく建て替えられているが、所々古い店も残る。
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有名なアイスモナカの店なのだろうか行列ができていた。
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そして、アイスモナカの店を過ぎると目の前にアーケードの入口が見えてくる。「日本一安い」と言われる千林商店街だ。
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ここは、「探偵ナイトスクープ」というテレビ番組で「大阪のおばちゃん」のインタビューの地であるとされ「千林商店街のおばちゃん」の意見が大阪の標準であると紹介されていた。
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掲げられている看板も「昭和チック」だ。
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表はきれいに改装されているが、元の店舗は結構古いようだ。
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商店街自体は活気にあふれているが、ちょっと路地に入ると古い建物が残る。
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立派な蔵のある屋敷。
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この屋敷の母屋は、トタンで覆われているが藁葺き屋根だ。
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商店街に戻り、さらに進んで行くと右に京阪電車「千林駅」が現れる。エントランスはアーチ状になっており、切符売場と改札口があるので、何か劇場の入口のような雰囲気がする。
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京阪千林駅を過ぎるとアーケードも終わる。商店街を出たところは大阪府守口市になる(京阪ガード下からの眺め)。
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一旦、商店街に戻り、すぐ右の路地に入ってみよう。細い道を進み千林会館(公民館)という建物を左に曲がる。するとそこには「千林長屋」と呼ばれる古い住宅が並んでいる。
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先ほど見た玄関だけが独立し、裏は長屋でつながっている建物だが、ここの長屋はひときわ立派だ。2棟で10軒以上の長屋が並んでいる。一部、町家カフェとなっている家もある。
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千林長屋を過ぎると、すぐ左に「123」というパチンコ屋さんがある。昭和32年、ここに「ダイエー」1号店が開店したとか。そのため千林商店街は「ダイエー発祥の地」とも言われている。
ただ、元々の店は「主婦の店ダイエー薬局」という薬局であり、ダイエー創始者の中内功氏の祖父が創設した前身の「サカエ薬局」は神戸市兵庫区東出町というところにあったことから、そこに「ダイエー発祥の地」碑が建っているらしい。しかし、ダイエーを名乗ったのが、ここ千林商店街であるのなら、ここが「ダイエー発祥の地」と言って良いのでは。しかし、今は跡形もない。
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パチンコ屋さんを過ぎ、千林商店街北側の路地を縫っていく。この辺にも古い建物が残る。
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「朝日地蔵」というお地蔵さんが祀られていた。
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地蔵尊前にも板塀が続く。
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古い質屋さん。大阪弁は、なぜか店を「さん」付けで呼ぶ。
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そのまま進んで行くと、再度「千林商店街」のアーケードが見えてきた。実は、一番最初にアイスモナカの店を過ぎたところから入ったアーケードは、向こうに見えるアーチで、ここから右(西)に140mほど、まだアーケードが続いているのだ。アーケード入口右にはレンガ造りの「珈琲屋さん」が。
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右に曲がり残りのアーケードを歩く。このきらきらお目々の学生さんは、下に並んでいるどこの学校の学生さんだろうか?
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国道1号線に出たところで全長570mの「商店街の旅」は終わる。
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国道を渡り、午後2時35分、本日のゴールである地下鉄「千林大宮駅」の2番出入口に到着。本日の歩紀「16015歩」(13.77km)。
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ありがとうございました。
コメントありがとうございます。千林界隈は古い建物が残り良いところですね。他にも色々歩いていますので、今後ともよろしくお願いします。
野里町歩紀