梅木よしてる徒然日記

人生60歳代からが黄金の時代だとか、我が家は黄金の人生??悪戦苦闘の人生ですが、黄金の人生を目指しています。

宗真寺 施食会

2008-08-03 21:09:17 | Weblog
 8月3日は、通常「お施餓鬼」と言っている宗真寺の行事が行われました。
3日は、肱川町のドラゴンボートもあり、肱川町の議員からも漕ぎ手の依頼がありましたが、当寺の総代を務めており、しかも同じの方の新亡も2人あり、お施餓鬼の方に出席しました。
「施餓鬼」とは正に字面の如く「餓鬼に施す」という意味である。とのこと。
「餓鬼」とは六道(天上道、修羅道、人間道、畜生道、餓鬼道、地獄道)のうち、餓鬼道に落ちて苦しんでいる亡者のこと。
餓鬼が口にしようとするものは忽ち炎と化し、何一つ食べることが出来ず飢えの苦しみには際限がない。
自分の力ではこの苦しみから脱することが出来ない餓鬼に、食べ物を施そうというのが「施餓鬼供養」である。
実際には、食べることで(つまり他の命を奪うことで)自己の命を繋いでいる自分の罪深さ、或いは食べ物に対する感謝の念を自覚するための供養である。
「いただきます」「ごちそうさま」という日常的な言葉の中にも、この教えが生きているのだそうです。
 学校の給食の時間に、みんなそろって「いただきます」と言っているのを見るととても好ましく感じますが、最近の父兄の中には私の子供には「いただきます」と言わせないでほしいと、言われる方もあるそうです。
義務教育だから、給食代も国なり市が持つべきで親が負担することはない、などとの考えをされる父兄もあるとか。理解に苦しみます。
「ありがとうございます」「感謝します」「ついています」を毎日沢山使いたいものです。

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