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電気羊に旅を

「東南アジア一人旅32日」からブログタイトルを変更。東南アジア・中国・ネパール・インドの旅日記あり。南米ネタを公開中

幸せの選択肢

2008年09月25日 | 写真でヒトコト
西チベット 村

西チベットをランクルに乗り、3人の日本人と旅をしていたとき、
「幸せとは何だろう」ということを4人で語りあうことがあった。

車で数時間走った先に、ぽつんぽつんと数個の家が集まっただけの村。また数時間走った先にぽつんぽつん。
どうしてこんなところに・・・、
この人たちは何して生活しているんだろう?何が楽しいんだろう?



西チベット 村

日本人として生まれた僕は、ある行動をすることに何か制限を受けることは少ない。

実生活において宗教的タブーに縛られることはほとんどないし、言論・表現・職業選択の自由は当たり前。日本のパスポートを持てばほとんどの国に行くことが出来る。ネットを使えば沢山の情報を手に入れられるし、(お金さえ払えば)ほとんどのものが手に入る。

そんな日本に生まれた僕たちは、西チベットの人々のような生活をしている人と比べて、
どれだけ幸せを感じているのだろうか?

欲しいものを買うために働く。買ったらお金がなくなり働く。
美味しいものを食べるために働く。食べたらお金がなくなり働く。
いい家に住むために働く。住んでるだけでお金がなくなり働く。
旅行をするために働く。家族のために働く。
生きるために働く。幸せになるために働く・・・。

気が付けば、時間ばかりが過ぎていた・・・な~んて、そんなのが「幸せ」かな?

ある家に生まれて、当然のように小中高と学校に通って、当然のように受験勉強して、さぁどこの大学はいる?さぁどこの会社行く?さぁこの会社続ける?辞める?
正社員?派遣?フリーター?ニート?ホームレス?
何を食べる?何を買う?どこに暮らす?誰と結婚する?



西チベット カイラス近くからみた山

数年前にやっていたテレビの特番で中国四川省のシャングリラを取りあげていた。
その山奥で暮らすある家族と中村トオルが数日時間を共有する。
その家のお母さんと山を数時間歩き、ある川のそばを通った際、中村トオルが訊ねる。

「お母さん、これはどこへ流れているんですか?」
「私はこの村から出たことないから、ここから先のことは分からないわ。」
「え、ということはお母さん出たことないの?」
「村から出たことはないし、出ようとも思わないの」

その村には都会に憧れる人はいないのだろう。それは村の暮らしに何も不満がないから。
自分の暮らしと比較するものを知らなければ、それが不満なんて思いもしないだろう。



西チベット ある商店

DVDを知ってしまったら、ビデオテープなんて使ってられないし、
i-podを知ってしまったら、カセットテープなんて不便極まりない。
新製品が出ると自分が持っている旧型が陳腐に思えてくる。
知らなきゃ良かったなんてさえも思わず、新たな「幸せ」を求めてそれを手に入れるためにまた努力する。

知ることは幸せなんだろうか?
制約がないことは幸せだろうか?

テレビに映る、飢えで苦しんでいる人、戦争被害者、病気で苦しんでいる人・・・道端で寝ているホームレス・・・
「不幸な人がいる」ということを知ることで感じる感情は幸せとは思いたくない。

「井の中の蛙 大海を知らず」という言葉の後に、さらに続く言葉があるそうだ・・・



西チベット ランクルから見た空

「井の中の蛙 大海を知らず されど空の深さを知る」 (※1)


選択肢が多いほど人は迷う。
僕にとって、「幸せの選択肢」は三択くらいがちょうどいい。





(※1)「空の広さ」「空の青さ」などバリエーション有り

<参考サイト>
国民総幸福量(ウィキペディア)
お金持ちの不思議。(ひろゆき@オープンSNS)
選べない選択肢が増えるということ(304 Not Modified)


[写真 西チベット]

人は一人きりで 始める旅がある

2008年06月11日 | 写真でヒトコト
チベット砂丘

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

人は一人きりで 始める旅がある
人は一人きりで 見つめる夢がある

だから淋しくなる だから逢いたくなる
とても愛しくなる とても大事になる

『ONE/遊佐未森』より

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敦煌の砂漠

僕は、一人旅が好きだ。

基本的に あれこれ他人に自分の行動を制限されるのが好きではないし、人に合わせるのが苦手だから・・・というのが理由のひとつ。

何処へ行くのか、何に乗るのか、何を食べるのか、誰と話すのか、何時起きるのか・・・
一人だと、なんでも自分で決められる。
なんでも自分で決めてきた。
そのことは、自分自身で旅を作っていく、思い出を作っていくという充実感を僕に与えてくれる。

だけど、寂しくなる時もある。
素晴らしい景色をみたり、美味しいものを食べたり、面白い出来事やトラブルに遭遇したり・・・
誰とも思い出を共有できない。
時々「一人」が「独り」に感じることがある。


チベット砂丘
西チベットでは、仲間と一緒にランクルをチャーターして13日間の旅をした。
今まで旅をしてきた中で、これだけ長い間、誰かと行動を共にしたのは他にない。

メンツも良かった。
リーダー的存在で頼りになるサンポさん。
いつも先のことを考え情報収集を欠かさないサダ氏。
宿でスカウトしてメンバーとなったムードメーカーなタクマ君。

ちょっぴり不安なことは4分の1に分け合って、楽しい思い出は4倍に。
仲間との旅もいいもんだ。

それに・・・


チベット砂丘 アシュラマン?
こんなことも出来るしっ!



写真1・3・4枚目[2005年 チベット・ある砂丘]
写真2枚目[2005年 中国・敦煌]

武器を持つイキモノ

2008年05月08日 | 写真でヒトコト
チベット・ラサ ヤクのモニュメント

動物や昆虫には、武器を持っているものがいる。
角、牙、爪、毒など・・・
又 身体の大きさ、重さ、個体数そのものが武器となることもある。

何万年もかけて進化をしてきた過程で武器を持つという選択をし、
生存競争を勝ち取った種だけが、現在 私たちの前にその武器を持った姿を見せている。

これから未来、彼らが武器を捨てるのか、さらに強化・洗練させていくのかわからないが、
今の彼らには武器が必要なのだ。

生き残るために。


[写真;チベット・ラサ市内にあるモニュメント]

ダライ・ラマが微笑む場所で

2008年03月15日 | 写真でヒトコト
ネパールカトマンズ ファンタレモンとダライ・ラマ14世
チベットを旅した24日間、一切 ダライラマの写真や肖像画を見ることはなかった。
そこでは、ダライ・ラマ14世がインドへ亡命して以来、彼の写真を持つことさえ中国政府に禁じられているからだ。

チベットの旅を終え、やってきたネパール・カトマンズ。

チベット仏教の寺院ボダナートの見学後、売店で 珍しいファンタレモンを見つけた。
差し出された涼しげなレモン色の下で、ダライ・ラマが微笑んでいた。

「ここは中国ではない」と実感した瞬間だった。


現在、チベットのラサ、インド北部、ネパールでチベット僧侶達がデモや暴動を起こしているとの報道がある。
チベット僧侶達のことが心配だ。



[2005年7月 ネパール・カトマンズ]

[3月16日追記]
予想通り日本メディアの報道はひどい・・・。
参考→「酔夢ing voice」様 チベット虐殺、再び。民族の叫びを弾圧する支那の侵略

漢字るタトゥー

2008年03月10日 | 写真でヒトコト
ギリシア カランバカで会った日本語Tシャツを着たオージー

痛いニュースでこんな記事が取り上げられていました↓。
“馬糞”“痴漢”“痔”など、変な文字のタトゥーを入れるアメリカ人が急増

上の写真はギリシアのカランバカの町であったオーストラリア人。
(検索したらハワイでも→Mahalo's Cafeさん)

海外を旅していると、とんでもない日本語Tシャツを着ている外人を見かけることがありますが、なんだかホンワカした気持ちになります。
欧米人にとって漢字は意味は分からなくてもその見た目が COOL(カッコイイ)に感じるらしい。
ちなみに漢字ではないが、
映画「マトリックス」でマトリックス世界(?)で流れていた緑色の文字列をよく見ると反転したカタカナが使われていましたね。

日本人のTシャツなどに書かれた英語の文字も欧米人からみたらおかしな使われ方をしている場合もあるでしょう。
その辺りは、あまり細かいことを気にせず、お互いに生暖かく見守っていきたいですネ。

ポルトガル・リスボンのタトゥー屋さん

さて、ポルトガルの首都リスボンの街角で見つけた路上タトゥーのお店。
そこに掲げられた看板を覗くと・・・。

ポルトガル・リスボンのタトゥー屋さん
漢字一文字の下に英単語が書かれています。
状況から考えると漢字の意味と英単語を対応させているのだろう。

「美 Beautiful」
「好 To give Love」

うんうん、この二文字は正しい。

「徳 Love」
「的 Like」

「徳」も愛情の一つの形態と思えば間違ってはいないか・・・。
「的」は「○○的~」と形容詞的な使われ方をするので、似ているという意味の「Like」ならまあ許せる。

しかし・・・

「届 dragon」
「佛 Faith」
「夫 Dog」
「更 Street Boy」
「津 Victory」
「方 Happy」
「来 Good Luck」
「旦 Energy」
「誕 Smile」
「国 CLUB」
「定 Dream」

上記のような文字は、英単語の意味を信用して彫ったお客さんはちょっとかわいそうですね。
「Dragon(竜)」のつもりが「届」って・・・。

中国は簡体字とよばれる本来の漢字を簡略化した漢字を使用しており、上記の看板ではそれらが使われているので、日本語ではなく中国語の書物や辞書を利用したものと思われます。
一応、エキサイト辞書の中日辞典で調べてみても上記の英単語のような意味は確認できませんでした。南無三。

ポルトガル・リスボンのタトゥー屋さん
こちらは、漢字一文字とアルファベット一文字を対応させたと思われますが、こちらも中日辞典で調べても中国語の発音と似ているものは一つか二つくらい。

イイんです・・・見た目がCoolと感じるなら!


私の体験ですが、以前 オーストラリアのビーチで、腰の部分(おしりの割れ目のすぐ上)に縦で
「プリティー」とタトゥーが彫られている若い女の子を見ました。

後ろから抱きしめたくなりました。



●過去の関連記事
 ○シ毎タトのニホソゴ
 ○中国看板を読む


[2006年 ポルトガル・リスボン]

ペルー鉄道でなごむ

2008年02月16日 | 写真でヒトコト
ペルー鉄道
今回は、クスコ→プーノを走るペルー鉄道を簡単に紹介。
距離380km、8:00amクスコ発、6:10pmプーノ着の約10時間の旅となる。
17USドル(約2000円)。
バスの方が安くて早いのだが、風光明媚な車窓と世界最高峰の停車駅があるというこの路線、乗ってみる価値はあります。

ペルー鉄道
最後部の特別席。
鉄板とガラスを強引に貼り付けた投げやり感がなごみます。

ペルー鉄道
列車の職員に声をかけると快く写真撮影に応じてくれてなごみます。

ペルー鉄道
運転手にも挨拶。列車の番号が756でなごむ。

ペルー鉄道 職員の女性
車両に乗り込むときにのチケットチェック。
駅員の女性が綺麗です。
よく見ると、にっこりして見せた歯が矯正をしていてなごみます。

ペルー鉄道
車内はこんな感じ。乗客はまばら。
わざわざテーブルクロスが敷いてあって、そこに小さな花瓶が置いてあります。
これが運行中 振動で動いてテーブルの端に少しずつ移動するが落ちそうで落ちない・・・ってトコロを見てるとなごみます。

ペルー鉄道
車窓の風景。
ペルーの自然や田舎の町並みや人々の生活する姿は見ていて飽きない。
マレーシアの鉄道などでもあったけど、田舎を走るとこうやって子供が手を振ってくれるのが非常になごみます。

ペルー鉄道
自転車の前の荷台に乗ってるパナマ帽をかぶったおばあちゃん。
その姿がなんともかわいくてなごみます。

ペルー鉄道
ただひたすら列車と競争する男の子。
必死な顔とキテレツな走り方でなごみます。

ペルー鉄道
踏み切りを待つ人々。

ペルー鉄道
アジアの国でもよくあるのだが、
めったに列車が通らない路線だと、それをいいことに線路の両脇を商業スペースとして使っている。

ペルー鉄道
町中を通るときに汽笛を鳴らしながらゆっくり通るのは、線路上の人々をどかすためだろう。
汽笛がうるさくて何人かが耳を手で押さえたりしているのがなごみます。

ペルー鉄道 LA・LAYAラ・ラヤ駅
ラ・ラヤ駅で約10分停車する。
標高4319m。定期運行をする路線では最高峰の駅である(ひょっとしたら その後チベット鉄道に抜かれたかも)。

ペルー鉄道 LA・LAYAラ・ラヤ駅
ここではその停車時間内にお土産を買わせようとミニマーケットの人々が民芸品やらマフラーなどを売り込みに来る。
一週間に8回しか列車が通らないこの路線、相手も必死である。

ペルー鉄道 LA・LAYAラ・ラヤ駅 子供
そこにいた子供。そのかわいさになごみます。

ペルー鉄道
短い停車時間に後ろ髪引かれながら出発。クスコの市場で買ったパンをつまみに風景を楽しむ。
リャマやアルパカが放牧されている風景に何度も出会いなごみます。
写真はリャマ。
リャマとアルパカは姿が似ていますが見分け方は、「頭の悪そう」なのがアルパカです。

ペルー鉄道 チチカカ湖
日が暮れてきた頃、ようやくチチカカ湖が見せてきます。

ペルー鉄道 プーノ駅
列車では初めてなことだが、今回、でかい荷物は別車両に預けられていた。
盗難などがないよう、一度ホームに全ての荷物を並べて、全員いっせいに各自回収するというシステム。
みんな待ちきれずうずうずしているところがなごみます。

プーノ ロモ・サルタード
チチカカ湖のほとりの町プーノに到着。
宿に荷物を置き、宿で教えてもらったおいしいレストランでロモ・サルタード。
8sol(約300円)。ペルーに来て何度も食べたお気に入り料理。
おいしさになごみました。


長い列車の旅、自分にお疲れ様。


[ペルー クスコ→プーノ間 ペルー鉄道]

ちゅ!

2008年01月21日 | 写真でヒトコト
ペルー 空中都市マチュピチュ
テレビの旅系の番組で、最も行きたい世界遺産として紹介される「空中都市マチュピチュ」です。
この写真は、この遺跡が紹介されるときに必ず撮られる定番の場所「見張り小屋」から撮影したものです。

「マチュピチュ」と呼ばれている遺跡は、この写真の後方(写ってない)に位置する標高2940mのマチュピチュ(山)と遺跡の奥に見える2690mのワイナピチュ(山)の中間の尾根に位置しています。ちゅ、多いよ。

ちなみに、マチュピチュ遺跡観光の基点となる麓のマチュピチュ村に温泉があるのですが、5つくらい浴槽があるうちのそれぞれにカップルがいて、ちゅっちゅ、ちゅっちゅとイチャついていてかなり鬱陶しいです。

あまり知られてませんが、
注意深く見ると、この写真の奥に見えるワイナピチュの山の形があるものに見えてきませんか?

答えに行く前に、まず下の写真を見てください。

ペルー 空中都市マチュピチュ
これは、ワイナピチュの頂上に登ってマチュピチュの遺跡を見下ろしたところです。
世界遺産全体をヘリコプターやセスナではなくて、このように山から見下ろせることができるのはなかなか貴重です。

このマチュピチュの町全体の形が、かつてココに住んでいたインカの人々が太陽の使いとして信じていた「コンドル」をかたどっているといわれてるようですが、そう見えますか?

ペルー 空中都市マチュピチュ コンドル
先日、テレビ番組「世界の絶景100選」で上記のような線を引いて説明してました。

ちょっと無理がありますね・・・。

クスコの石組み
次に、同じペルーの国にクスコという世界遺産の町があります。かつてはインカ帝国の首都でしたが、16世紀にスペイン人の侵略により多くの建物は破壊されてしまいました。
しかし、カミソリの刃一枚も通さないといわれる精巧な石組みは残されました。

クスコ ピューマ石
町中に一角に上の写真の石組みがあります。何かに見えてきませんか?

答えは下↓。

クスコ ピューマ石
ピューマをかたどっているそうです。これは言われてみればナルホドォですね。
意図的か偶然かはわかりませんが・・・。
(クスコの町に行かれる方は)この近くを通ると、やたらと子供がここへ案内しようとしてきます。おそらくチップを要求してきて面倒なので、近くに看板があるので見つけて自力で探してください。アルマス広場から北東へ歩いて、有名な「12角の石」を過ぎたところに案内の看板があります。

クスコ ピューマ石
輪郭はこっちかも。記憶があいまいです・・・。
(※注;看板にはピューマの形が描かれているのですが、僕はこの看板を撮り忘れたので、上の写真の輪郭は間違っているかもしれません。後日可能なら調べます。)

あと、完全な上空写真はないので紹介できませんが、このクスコの町全体もピューマの形をしているそうです・・・テレビで何度もみましたが僕にはそうは見えません・・・。

そんなこんなで、ペルー人(インカ人)は、なにかの動物に「見立てる」ことが好きなようです。

さて、マチュピチュ村で下のような絵葉書を見つけました。

マチュピチュ ワイナピチュの顔
インカ人の顔らしいですよ。

マチュピチュ ワイナピチュの顔
ちゅっ!

マラスの塩田でプロピーナ

2007年09月02日 | 写真でヒトコト
ペルー・マラスの塩田
前回の記事のモライから20分ほど車を走らせたところにマラスの塩田がある。

ペルー・マラスの塩田
こんな対象物のない写真では分かりづらいだろうが、かなりの大きさがあり、はじめてこれを見たときは相当感動したのだが、おそらくこの写真ではその感動が伝わらないだろう。

ペルー・マラスの塩田
標高3000mのこの地に塩田があるのは、近くに塩分濃度が高い温泉が湧き出ているからとのこと。
雨季の時期の4~9月には真っ白に輝く塩の段々畑になるらしいが、この時(2006年2月8日)はご覧の通りの茶い色。

ペルー・マラスの塩田
これは入場口にある売店で売られている「マラスの塩」。
この旅に来る前、ネットである人の旅日記を読んで、ここの塩のおいしさの評判を聞いていた。
自分用とお土産用で3つ購入。
南米での宿でパスタを自炊するときなどに活躍。
塩自体にちゃんと味がついていて凄く旨い。

いろいろな大きさがあるのだが、どれも1sol(40円)とのこと。適当だなぁ。

ペルー・マラスの塩田
ベンチに座って僕が選んでいる様子を眺めていた店のおばちゃんに
塩の袋を持たせたらにっこりとポーズをとってくれた。
好きですこういうおばちゃん。
ちゃんと宣伝しておいたよ。

ペルー・マラスの塩田
この写真に見られるように、壁面に塩のうすい板状のものがくっついている。
収穫(?)の最盛期ではないが、この時期でも塩を採集する作業は行われている。

ペルー・マラスの塩田
はるか下の方で塩を集めているおばちゃんの写真を撮ったら、
それに気づいたおばちゃんが、こんなにも距離があるのに手のひらを前に差し出し、こう言ってきた。

「プロピーナ~(チップくれ~)」

ペルー人、どんだけ!




[ペルー・マラスの塩田]