豪州帰りの「えりー」日記

メルボルンでの学生ワーホリ経験をシニカルに慎ましくご紹介。その経験を映像業界で活かしたり殺したりな趣味ブログ。

私的メルボルンワーホリ総括的な①

2018-10-14 23:11:11 | 日記
最後の投稿から早2ヵ月程度経とうとしています。私はまた独り暮らしを始め、大学に通い、出国前のバイトに復帰し、以前の生活を取り戻し、当たり前のように日本での日々を満喫しております。つまりこの日本にまた染まりつつあるこの瞬間にこそ、約10ヵ月に及ぶメルボルンでのワーホリ生活を総括する必要があるのではないか!(引っ越しやネット環境整備まで時間がかかってしまった結果今更新しているというのは内緒です)

お酒をちびりながらそして感傷に浸りながらしたためておりますので自分語り多めですが、ぜひ最後までお付き合いください。とある大学生の世に語られることのない小さな冒険譚です。

出国前の記憶

出国寸前、関西空港国際線ターミナル内で撮った写真。スターバックスのお姉さんに「行ってらっしゃい」と書いてもらったカフェオレを乗らない飛行機と共に。きっとあのお姉さんは「ただいま」を聞けるはずもない旅立つ人たちへ一方的な「行ってらっしゃい」を何度も何度も送ったのだろう。そんなお姉さんに「ただいま」と帰りを伝えたら何となくロマンチックな響きがするが、どう考えても気持ち悪がられるに違いない。私はあのお姉さんの顔を覚えていないし、お姉さんも私の顔を覚えているはずがない。

遡ること2017年12月、当時大学で勉学(たぶん)と部活とバイトの日々を送っていた私は部活でうまくいかない鬱憤もあり、「このまま4年間過ごして卒業してもいいものかと疑問に思い始めます。もちろん4年続けて卒業することは素晴らしいことなのですが、変化のない日々に少し飽きを感じてしまったのは事実です。ふと「海外で留学する」という1つの目標を思い出します。忙しい生活の中で忘れてしまった、受験生からの大学生活でやってみたい憧れの1つでした。そんな中、同じ学部の友人に「留学しようかなあ」なんて軽はずみな言葉を投げかけてみたところ、「やったらワーホリやらん?」と返してくれました。その後ワーホリについて色々調べてみると、驚きの連続で、これなら自分でも出来るかもしれないと決心を固めました。「留学=大学派遣の交換留学」という考えしかなかった私に新たな選択肢を与えてくれた瞬間だったかもしれません。

ここで気になった方がいるかもしれませんが、なぜ大学派遣の交換留学という選択を取らなかったのか、ですが、単純に色々なものを背負って留学することに対して抵抗感を感じていたのです。大学派遣ですから、もちろん大学からの期待を背負う形になります。また、そこでの学費、生活費は親に頼るしかありません。私は日本での学費や家賃を助けてもらっている上に、留学に対してもう100万ほど出してもらうことが意味するものへの覚悟がありませんでした。そしてもう1つの理由は「自由」が欲しかったのです。それは勉学と部活とバイトの日々で失われていた「自由」、決まったルーティンをこなす日々に隠れていった自由です。大学派遣であれば現地の大学の学生になり、そこで学生として日々を過ごすことになります。もちろん質の高い教育や経験が得られることは間違いありませんが、学生なので様々な制限があり、とても自由ではありません。私はそのような「大学派遣で得られる」経験ではなく、自由で、もっと冒険じみた、誰にも描けないような経験が欲しかったのです。

という訳で同年12月より部活を休部することにしました。もちろん理由はオーストラリアでのワーキングホリデーに向けての資金作り、2018年9月まで勉学に支障が出ない程度にバイトに精を出しました(フル単)消費も出来る限り控え、友人たちと行った北海道旅行、家族で行った台湾旅行とフィリピン首都マニラ独り旅がこの9カ月間での思い出です。人間明確な目標があれば意外と頑張れるもので、2018年9月には65万程度溜めることが出来ました。もしかすると同じ志を持つ友人がいたからかもしれません。しかし節約のために下げに下げた物欲センサーは現在も戻らず仕舞い、欲しいものを簡単に諦める能力が身に沁みついてしまいました(人によっては欲しい能力?)そんなこんなで9月には大学のカリキュラム通りの教育実習を終え、翌10月半ばに引っ越しを済ませて出国へと荷物をまとめていきました。この頃既に友人はシドニーへ旅立っていました。10月末、ついに出国、関西空港国際ターミナル内でぼんやりとその時間が来るのを待っていました。おもしろい経験をしよう、と友人はシドニー、私はメルボルンへ、2人の冒険はここから始まります。

次回は総括②、入国してからを振り返ります。
それでは!


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