ウイグル無頼

むとうすさんとこ馬頭さんところでまじめな書評をされている中、
そして反町ハーンがモンゴルの人々の反感を買いながら日本のスクリーンに踊る昨今、

「せっかくだから俺はこの本を選ぶぜ」

ウイグル無頼

講談社

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草原だか中国だかわからない「なんちゃってユーラシア」を自由奔放に生きた無頼漢が
ついには大ウイグル帝国を建国する波乱万丈の人生を描ききった全1巻の大作。
モンゴルなんて目じゃないですよこれからはウイグルですよ(棒読み)

敬愛する故・横山光輝大先生の膨大な作品群にあって、連載から30年目にしてようやく
単行本化されたというひっそりぶりには似つかわしくない、ある意味激しい作品です。
間違ってもジャイアント・ロボにゲスト出演したりしませんが。

ウイグル無頼というからにはウイグルな話のはずなんですが、
どのくらいウイグルかと言うとこの位。

かのモンゴル帝国ですらなしえなかったレナ川流域をも支配した「大ウイグル帝国」!
広大なユーラシア大陸に踊る文字は大ウイグル帝国とシベリアのみ。きっとジャパンは海の底。
現代ウイグル人もびっくりのウイグルっぷりです。

そして危険な薀蓄もちらりほらりと・・・

「ウイグル地方では宗教上の理由から鍋は家の定まったところに
おかねばならず、少しでも動いていればタブーを冒したことになり、死の制裁が加えられる。」
「毛沢東が二十世紀の奇跡と言われる長征を行った時、紅軍がこれを知らずに
多くの犠牲者を出したのは有名な話である」


「知っているのか雷電!?」とか「な、なんだってーっ!?」の世界ですね。
まぁ、日本コミック界で「ウイグル」と言えば「北斗の拳」のウイグル獄長が
有名ですが、上には上がある、ということなのでしょう。

こんなん、歴史モノじゃないよ、と思うところですが妙に実際のアイテムを持ってきたりして

こんな紹介文とともにイラン系武装集団による遠距離弓射攻撃が行われてたりします。


こちらが実際に南シベリアはミヌシンスクから発掘された弓状遺物ですね。

現在では弓という解釈は少数派で、馬車に体をしっかり預けられるようにするための腰金具であるとか
旗印のための金具であるとかいう説が有力である、というのは先日まで中近東文化センターで
開催されていた「古代ユーラシアの青銅器」展のカタログにも記載されています。

この作品、最後はすごい終わり方で幕を閉じますが、これは是非手にとって
ユーラシア世界の非情さを体感していただきたいと思う次第です。はい。
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北東ヨーロッパの考古学

カマ川・ヴャトカ川周辺地方から北、ヴィチェグダ川からペチョラ川にかけての考古学本。

◆ПАМЯТНИКИ ЭПОХА КАМНЯ,РАННЕГО МЕТАЛЛА И СРЕДНЕВЕКОВЬЯ ЕВРОПЕЙСКОГО СЕВЕРО-ВОСТОКА
:石器時代、初期金属器時代、古代における北東ヨーロッパの諸遺跡
スィクティフカル 2005


ヴィチェグダ川上流、ムィエルディノ遺跡出土の青銅製遺物(一千年紀前半)

ヴォルガ=ブルガールの影響がカマ川上流の古コミ=ぺルミャクに及んでいた頃、
その北のヴィチェグダ川流域には後のコミ=ズィリエンにつながるヴィム文化が
広がっていました(図中で三角印が集中しているのがヴィチェグダ川)。

白海に注ぐ北ドヴィナ川は、西南から流れてくるスホナ川、北東から流れてくる
ヴィチェグダ川とT字の形をなしていますが、その頭の横棒の部分、
ベロオーゼロ、ヴォログダ方面からスホナ川を辿り、さらにヴィチェグダ川を遡るコースは、
ノヴゴロドをはじめルーシ諸侯が豊富な毛皮資源を求めて進出した道のりでもあります。
その先にはペチョラ川、さらにウラルを越えてオビ川下流地域に至るユグラの地が
広がっていました。

現在、ヴィチェグダ川からウラルに至る地域はコミ=ズィリエンの国、コミ共和国が
広がっています。といってもコミ人の人口比は全体の1/4程ですが。

このコミ共和国、学術系に力を入れているのかどうかはわかりませんが、
結構考古学関係の文献が手に入ります。鉱物資源とかでお金が豊富なんですかね。
4,50ページほどの小冊子で考古学モノのシリーズが出ていたりもします。

本書はそんなコミ共和国にあってヴィチェグダ川の遺跡にフォーカスして最新の調査結果を
まとめたものです。扱っているのは石器時代からとなっていますが、
やはり見ていて楽しいのは一千年紀前半の動物意匠。
鉄器時代に入るとカマ川地方のアナニノ文化の影響がここにも及び、
ペルミ様式とも言える動物意匠が見られるようになります。

カマ川地方のものにはユニークで美しいものも数多いのですが
本書に掲載されているのはスケッチ担当のやる気が足りないのかそもそも
ほんとうにそんな感じなのか判断に迷う”ユニーク”(笑)なもの。

上記のは一番まともで本書の表紙も飾っているものですが、以下のは如何なものかと。



8はなんかもう「ヴィチェグダのモゲ太」もしくは「カーバンクル」ということでひとつ。
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中近東文化センター

前回の続き
第9回 2月4日(日)
 中央ユーラシア中部の青銅器 
    畠山禎(横浜ユーラシア文化館学芸員)

その前の回の川又先生のも聞いてみたいところですが正直内容がはっきりしない。
その点、「中央ユーラシア中部」ですからね。
これはもうアンドロノヴォ文化をテーマに話してくださるのではないかと
勝手に期待値が高まるばかりです。
セイマ=トゥルビノ文化も出てこないかと密かに期待しています・・・


ということで忘れずに(というか前日思い出した)行って参りました。
用意されたPCがMacだったこともあってpowerpoint資料のエフェクトが無効化されるという
不運に見舞われつつも予定通り挙行されたわけです、が、
肝心の対象範囲は南シベリア一帯でありました・・・orz

南シベリアは確かに重要な地域ではありますが、中央ユーラシアという文化的枠組みの
成立において、アンドロノヴォ文化複合体の出現という現象は最重要事項だ

、という認識なんですがこれは一般的じゃないんですかね・・・・

ウラルから西シベリアにかけての北ユーラシアの青銅器時代も、
つまるところアンドロノヴォ文化のインパクトが様々な北バリエーションを
生み出しながら北方へ伝播していく過程であるのでその出発点は大変重要です。

マスターキートン流にいうなら、これはもう文明の名に相応しい存在なんですけどねぇ。
大都市とか文字とか、定義のうるさい人にはいろいろ言われるでしょうが。

というわけでしょんぼりしながら帰ってきたのでありました。
勝手に期待するほうが悪い>俺
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グラデーション

先日のコメントでの話しに関連して。


モンゴル北部ダルハド盆地のシャマニズム

ダルハド盆地には、民族形成過程にあるグラデーションをなしている民族として、ダルハド集団、ウリヤンハイ集団、ツァータンの大きく分けて三つがいます。まず、それぞれの集団の特徴を述べます。

・・・の以下あたり興味深いです。
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ユーラシアを喰らう

コメントの方でまじめな人のようなことを書いていたら疲れてしまったので方向を変えて食の話題。

日頃このブログでは「北ユーラシア」とか「中央ユーラシア」とか、
東西南北中央不敗もといユーラシアという言葉はよく使うのですが、
東京という街は怖ろしいところでおそらく世界で唯一、

 中級ユーラシア

という称号を冠する店があったりします。

・・・なんだ「中級」って。

まあとにかく、これを見てください。

「永遠の美女の地の郷土料理、エジプトのコロッケ」
中級ユーラシア料理 元祖日の丸軒
中級ユーラシア料理「元祖日の丸軒」の怪人

元祖ってなんだろう。なぜ日の丸なのか。むしろ「マッハ軒」の方があっている気がするし。
そしてアンドレ。さすがユーラシア。全てが謎。

まぁそんなわけでユーラシアと言うぐらいだからきっと羊肉もあるでしょう。
ということで参加者募集です。
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イェニセイ川の先史時代

ウラル東麓やオビ川流域タイムィル半島の歴史についての資料がなんとかそれなりに
集められるのに対し、イェニセイ川中下流の情報はほとんど見ることができませんが、
ようやく関連本を入手。

中央シベリアの
言語と先史(2004)

以下、目次。

I.The languages of Central Siberia:Introduction and overview
II.Yeniseic linguistics
Yeniseic counting systems
Patterns of plural formation in Kott nouns and adjectives
On distinguishing loanword from the original Proto-Yeniseic lexicon
Incorporation and word formation in Ket
III.Selkup linguistics
Morphological reanalysis in the Selkup verb
Synonymy, allomorphy, and free variation in Selkup derivational suffixes
The Selkup worldview as reflected in basic number words
Shared Selkup-Ket terminology in ritual and spiritual terminology
IV.South Siberian Turkic linguistics
Shaman and bear: Siberian prehistory in two Middle Chulym texts
South Siberian sound symbolism
Lingistic reflections of Xakas ethnohistory
V.Archeological perspectives on Central Siberian language groups
Cultural origins of the taiga-dwelling peoples of the Middle Yenisei
A Paleoasiatic substrate among the Ket: Evidence from sunken earth dwellings
Prehistoric cultual links along the Yenisei
Revelations from a bronze idol

5章で中央シベリアの考古学を扱っています。ケットとか。
基本的に言語学の本なので歴史については大した分量はないのですが、
それでも貴重な情報です。研究史や参考文献のリストもあるのでここから
手を伸ばしてみようかと。

4章でハカス語に見る借用語について触れているのが興味深いです。
遠くイスラム文化圏からの借用語もある模様。
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貂主の国の「今」

むとうすさんのところで「タタールのくびき」を購入されたということで、
躊躇した自分の優柔不断さを呪いつつ、衝動買いに走る今日この頃。

北の民の人類学―強国に生きる民族性と帰属性

京都大学学術出版会

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ロシア、アメリカ、中国、そして日本といった現代の「強国」「大国」の中で生き抜いている
北方少数民族の「今」を錚々たるメンバーが語っています。

以下、目次です。

 序章 北の民の民族性と帰属性(煎本孝、山田孝子)
 第I部 共存への道
  第1章 アイヌ文化における死の儀礼の復興をめぐる葛藤と帰属性(煎本孝)
  第2章 カナダ・イヌイットの文化的アイデンティティとエスニック・アイデンティティ(岸上伸啓)
 第II部 「自然」のシンボル化
  第3章 自然との共生
      サハのエスニシティとアイデンティティ再構築へのメッセージ(山田孝子)
  第4章 「我々はカリブーの民である」
      アラスカ・カナダ先住民のアイデンティティと開発運動(井上敏昭)
  第5章 アイデンティティ構築におけるブッシュ・フード及びブッシュの役割
      オマシュゴ・クリーの事例から(大曲佳世)
 第III部 社会変動を生きる
  第6章 チュコトカ自治管区におけるトナカイ牧畜の変化の多様性
      危機に対するチュクチの対応(池谷和信)
  第7章 トゥメト・モンゴル人の民族的アイデンティティの変遷(雲肖梅)
  第8章 中国満州族のアイデンティティ 清朝時代と中国成立以降(汪立珍)
 第VI部 民族性と帰属性の諸相
  第9章 デルス・ウザーラの言語に見るアイデンティティ(津曲敏郎)
  第10章 サハ共和国北部における重層するアイデンティティとエスニシティ(佐々木史郎)
  第11章 モンゴルの文様から見る民族性 美意識の継続と変化(阿拉坦宝力格)
  第12章 「考古学文化」とエスニシティ 極東ロシアにおける民族形成論再考(加藤博文)
 終章 未来の民族性と帰属性(煎本孝)



まぁ読む側としてはこれだけまとまった文献を読むのはうれしいのですが、
対象となっている各民族集団にとっては極めて厳しい状況にどう向き合っていくかという
非常に重いテーマです。

前のエントリーの多様性の議論にも通じるところがあるのですが、
基本的に近代国家というのはその枠内にいる人間を国民として均質化せずには
成り立たない仕組みになっているので、ただでさえ少数集団な上に広域に分散している
北ユーラシアの人々は極めて強い同化圧力の下に晒されています。

それは単に対国家、対多数派集団への同化圧力というだけでなしに、これに対抗するに
少数「民族」という、「国家」とある種同類の概念への帰属を強制される、
あるいは依拠せざるを得ない状況に追い込まれてしまうという二重に悲劇的な状況

を意味しています。

民族の設定は民族誌の時代に学者が設定し、あるいは政府が管理の都合上設定したもので、
当事者の意識とあっていたかという点では大いに疑問です。
同じ環境下(例えば森林ツンドラ地帯)で暮らす、異民族のサブ集団同士の親和性の方が、
同じ言語系統に属すると研究の結果設定された同じ民族の、全く異なる環境(南の草原地帯)で
暮らすサブ集団との親和性よりもはるかに勝っていたことでしょう。

本来、非常に多様性に満ちていた北ユーラシア世界(他の地域でも同様でしょうが)が、
「国家対民族」という対立軸に収斂されている様は見ていて非常に胸が痛みます。

故にこの「貂主の国」のサイトではそういったものがまだ全てを覆い尽くしていない、
民族誌の時代までしか扱わないつもりだったりします。
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