川崎市市民ミュージアム「アイヌ-美を求める心」

サイト

2010年09月18日~2010年11月07日まで開催。
「北海道白老の財団法人アイヌ民族博物館所蔵の貴重なコレクションから300点を厳選して、近世・近代のアイヌ民具・工芸品のもつ美術的な側面を紹介します。また、当会場では、特別展示として、尾張徳川家関係資料のなかから、木彫熊ならびに八雲(ユーラップ)アイヌの民族資料を初公開します。」
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NHK「地球ドラマチック」10月24日放映 「発見!シベリアのミイラ」

NHKの番組サイト

以前、西シベリアはオビ川下流のサレハルド周辺で発見されたミイラの話を取り上げましたが、それとは別の、ヤクーツク地方のミイラが放映されるとのこと。

番組紹介サイトの写真を見ると木槨の中に白樺の皮を敷いているようで、ヤクート族の衣装のような感じですね。割と最近のものでしょう。飛鳥時代・奈良時代に相当する時代のサレハルドのミイラとは年季の入り具合を比較するべくもない、というか。

ちょっと検索してみましたが、どうもこの記事で触れているもののようですね。
17th Century Mummy Found in Yakutia

17世紀ですか。そりゃミイラとしてはぴちぴちの新人さんですね(えー
それどころか、既にロシア人がうろつき始めていた頃ですよ。

それはそれで興味が尽きないところではありますが、サレハルドの方を放送してくれればいいのに、と思った次第。
あっちの方が銅の延べ板で覆われているとか、キャラ立ちしているんですがねぇ。
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津軽下北遠征(0)


いい加減ですが、大体こんな感じで回ってきました。
レポートは徐々に・・・
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津軽下北遠征計画

今年はどうやらGWっぽいGWを過ごせそう、
しかもこのまま行けば1日2日も休めて9連休にできそうな感じ。
去年の今頃はデータセンターからの呼び出し電話に即応できるように
東京近辺に縛り付けられていたのが遠い昔のようです。

ということで昨日から俄かにどこかに行くプランを考えたのですが
ここは一発本州最北の地、津軽と下北を巡ってみようと計画中。

この地域には古くは三内丸山や亀ヶ岡文化が栄え、奈良・平安時代には
津軽海峡を挟んで擦文文化圏を形成、10世紀~11世紀にかけては
数多くの防御性集落を擁する「激動の時代」を経験し、安倍氏、
奥州藤原氏の後背地として、鎌倉時代・南北朝時代には「蝦夷の沙汰」を
取り仕切る安藤氏の活躍の舞台として、歴史世界を形作っていました。

源頼朝が「鬼界島から外ヶ浜まで」の日本全土を掌握した、その最果ての地が
津軽半島東部沿岸地帯の外ヶ浜であり、同時にそれは西浜の十三湊とともに
北方世界、北ユーラシアへの玄関口でもあったのです。

江戸時代になってもその残照は19世紀に至るまで続き、本州北端の地には
「村」と呼ばれるアイヌ人の集落が点在していました。
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今回の旅は、そうした北ユーラシア世界との境界地域の重層的な歴史を
できる限り体験し倒すのが目標です。

自分の肌で、足で、がっつり感じたいという事で移動手段には
「折り畳み自転車」を使います。天気次第ですけどね。
車ではわからない地べたの感覚、距離感を味わいつつも高速移動の
可能な自転車は、まさに歴史散歩にはもってこいです。

今のところ、往復の指定席券は押さえました。帰り道、野辺地-八戸間の
チケットは最後の一枚(青森-八戸間は既に完売)でした。GWの1週間前を
切って動き出した割にはまずまずの幸先です。

4月30日出発5泊6日の予定ですが、今日は先行して宿の少ない蟹田、竜飛崎、尻屋崎の
宿を押さえにかかりました。蟹田、竜飛崎は1軒2軒目でなんなく取れましたが
尻屋崎はどうも何かあるらしく(海の仕事?)1軒を除いてそもそも
休業とのこと。残る一軒もとうに満員で結局尻屋崎は全滅(といっても
4軒しかそもそも宿がないのですが)。仕方なしに5キロ程離れたところに
宿を確保しました。残るは弘前と青森。適当なビジネスホテルなら取れるでしょう。

現地滞在5日半と相当長く確保したつもりですが、つらつら見るべき遺跡や
スポットの数、走行距離のことを考えると相当ハードな行程になりそうです。
距離だけなら1日60キロとゆったり目ですが、遺跡見るのに山登ったりとか
カメラ持ってうろうろしたりとかしますからねぇ・・・

お天気がやはり気になります。これはまぁ自転車がだめな場合のプランを
考えるとして、急遽休めなくなる事態が起きないといいんですが。
無事に残り3日間が過ぎることを願うばかりです。
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中近東文化センター

前回の続き
第9回 2月4日(日)
 中央ユーラシア中部の青銅器 
    畠山禎(横浜ユーラシア文化館学芸員)

その前の回の川又先生のも聞いてみたいところですが正直内容がはっきりしない。
その点、「中央ユーラシア中部」ですからね。
これはもうアンドロノヴォ文化をテーマに話してくださるのではないかと
勝手に期待値が高まるばかりです。
セイマ=トゥルビノ文化も出てこないかと密かに期待しています・・・


ということで忘れずに(というか前日思い出した)行って参りました。
用意されたPCがMacだったこともあってpowerpoint資料のエフェクトが無効化されるという
不運に見舞われつつも予定通り挙行されたわけです、が、
肝心の対象範囲は南シベリア一帯でありました・・・orz

南シベリアは確かに重要な地域ではありますが、中央ユーラシアという文化的枠組みの
成立において、アンドロノヴォ文化複合体の出現という現象は最重要事項だ

、という認識なんですがこれは一般的じゃないんですかね・・・・

ウラルから西シベリアにかけての北ユーラシアの青銅器時代も、
つまるところアンドロノヴォ文化のインパクトが様々な北バリエーションを
生み出しながら北方へ伝播していく過程であるのでその出発点は大変重要です。

マスターキートン流にいうなら、これはもう文明の名に相応しい存在なんですけどねぇ。
大都市とか文字とか、定義のうるさい人にはいろいろ言われるでしょうが。

というわけでしょんぼりしながら帰ってきたのでありました。
勝手に期待するほうが悪い>俺
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ユーラシアを喰らう

コメントの方でまじめな人のようなことを書いていたら疲れてしまったので方向を変えて食の話題。

日頃このブログでは「北ユーラシア」とか「中央ユーラシア」とか、
東西南北中央不敗もといユーラシアという言葉はよく使うのですが、
東京という街は怖ろしいところでおそらく世界で唯一、

 中級ユーラシア

という称号を冠する店があったりします。

・・・なんだ「中級」って。

まあとにかく、これを見てください。

「永遠の美女の地の郷土料理、エジプトのコロッケ」
中級ユーラシア料理 元祖日の丸軒
中級ユーラシア料理「元祖日の丸軒」の怪人

元祖ってなんだろう。なぜ日の丸なのか。むしろ「マッハ軒」の方があっている気がするし。
そしてアンドレ。さすがユーラシア。全てが謎。

まぁそんなわけでユーラシアと言うぐらいだからきっと羊肉もあるでしょう。
ということで参加者募集です。
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業務連絡

ということで、「西夏史への招待」の武藤さんが上京されるのに合わせて
迎撃イベントを企画したいと思います。

12月2日の前夜祭は中華街で関帝廟を見ながら満洲やサハリンにおける関帝信仰について
熱くトークをかましつつ(゜д゜)、酒食にふけりながら満族袍服の裔であるところの
チャイナ服を研究者ばりの鋭い眼光で観察(おいおい)。

翌12月3日は中近東文化センターの企画展「古代ユーラシアの青銅器」を
見に行くという案を提唱しますが特に決まっていません。乞うご提案。
で、夕方からは時代屋に場所を移して茶屋でだべる。ひたすらだべる。
その後呑み屋に移行しつつ、武藤さんをお送りする、というような感じですかね。

いかがでしょうか。
参加ご希望の方はご連絡ください。
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