北ユーラシアの歴史
貂主の国
北の防御性集落と激動の時代
2006-10-28 / 書籍
#ネタ切れた時の書籍頼り・・・
◆北の防御性集落と激動の時代
南は北緯40度付近、盛岡市のあたりから、
北は渡島半島南部に至る地域において、
10世紀~12世紀にかけて”防御性集落”と呼ばれる
一連の集落群が出現した時代がありました。
岬上の地形を堀で区切ったもの、孤立した丘の上、
周りに堀をめぐらしたものなどいくつかに分類することが
できますが、概ね「外敵」からの防御機能を備えた集落ということで
このように呼ばれています。
こうした防御性集落が出現した時代背景に関しては活発に調査・議論が
行われているところで、「北の防御性集落と激動の時代」はまさにその
最新の成果をまとめた本になっています。
北東北地方が日本に組み込まれる、その最終段階において
どのような社会的緊張がもたらされていたのか、様々な角度、
立場からの論考が寄せられていて非常に興味深い内容です。
「北の」となっているのは古代日本における「倭国大乱」の時代、
西日本一帯を中心にいっせいに高地性の防御性集落が出現したことに
対しての「北」かと思われます。
◆アイヌ文化と北海道の中世社会
同様の施設が北海道やサハリンなどに分布しており、これまた
昔から考古学的に研究されてきました。アイヌのチャシが有名ですが
アイヌ文化期以前にも各時代各文化の特徴を備えた防御性集落が
あります。
本書では2章をチャシやそうした集落の考察に割いている他、環境変動、
物流経済、栽培、各種物質文化等多岐にわたるテーマを扱っています。
「チャシの築造技術に関する考察」では必要な土木作業量や人工の
推定からオホーツク文化期とアイヌ文化期の比較を行うなど私には
興味深いものでした。
◆Ханты-Мансийский Автономный Округ В Зеркале Прошлого
こうした防御性集落の出現というのはなにも日本の北方史特有の
現象というわけではなく、既に先人(江上波夫氏、加藤晋平氏)が
指摘しているとおり、実は西シベリアにも同様の現象をみることが
できます。
こうした防御性集落は、早いところでは1000年紀の前半(もっとも
ずっと古く新石器時代の遺跡で防御性集落とされているものもありますが)に
出現し、2000年紀前期後葉を盛期として西シベリアに広がっていきました。
※のち16世紀になってロシアが進出してきた際の記録などに数多く
(100近く)の集落の存在が記されています。
西シベリアにもまさに「北の防御性集落と激動の時代」が訪れていたのです。
この後に続く16世紀には、10程度の小王国が割拠する”戦国時代”が
到来していたことは以前触れたとおりです。
南の草原地帯からの干渉、ノヴゴロドやヴォルガ=ブルガールの
勢力伸張、あるいはそれに伴うウラル山脈の西側に住んでいた
ウゴル諸族の東側への進出、北方民族の玉突き現象等、
様々な時代の様々な要因が西シベリアの緊張状態を生み出したのだろうと
思いますが、よくわかっていません。
構造的にはまさに前に書いた「岬上の地形を堀で区切ったもの、
孤立した丘の上・・・」という文句がそのまま通用するものです。
両者の時代背景、空間分布や規模・構造について比較すると面白そうです。
また、アイヌのユーカラ中で半ば伝説化したチャシの名前が出てくるように、
ハンティ、マンシといった西シベリアの先住民に伝わる英雄譚にも
集落の名前が出てきます。
その中にあって近年、発掘調査の結果実在を確認できた集落がありました。
その名を「エムダール」。
シュリーマンの事績にならって「シベリアのトロイ」と呼ばれたりもしています。
現在も発掘調査は進められている最中ですが、その成果が
世の中に出てきつつあります。
本論文集もその一つで、1章をエムダール関連の論文に割いています。
この文献だけでは全体像をつかむというわけにも行きませんが
遺跡全体の地形図があるのがうれしいところです。
このエムダール、7,8世紀には人が住み始めたらしいのですが、
防御性施設が作られたのが12世紀とのこと。やはりこの辺りに
西シベリアの画期があったように思われます。
◆Prehistory of the Western Siberia
少々時代が古いのですが、西シベリア考古学における基本文献です。
遺跡情報、地図もしっかり載っていてぜひとも手元においておきたい一冊。
北の防御性集落と激動の時代同成社このアイテムの詳細を見る | アイヌ文化と北海道の中世社会北海道出版企画センターこのアイテムの詳細を見る | ||
Ханты-Мансийский Автономный Округ В Зеркале Прошлого ハンティ=マンシ自治管区 ~過去を映す鏡の中~第1集 | Prehistory of Western Siberia 西シベリアの先史時代 |
◆北の防御性集落と激動の時代
南は北緯40度付近、盛岡市のあたりから、
北は渡島半島南部に至る地域において、
10世紀~12世紀にかけて”防御性集落”と呼ばれる
一連の集落群が出現した時代がありました。
岬上の地形を堀で区切ったもの、孤立した丘の上、
周りに堀をめぐらしたものなどいくつかに分類することが
できますが、概ね「外敵」からの防御機能を備えた集落ということで
このように呼ばれています。
こうした防御性集落が出現した時代背景に関しては活発に調査・議論が
行われているところで、「北の防御性集落と激動の時代」はまさにその
最新の成果をまとめた本になっています。
北東北地方が日本に組み込まれる、その最終段階において
どのような社会的緊張がもたらされていたのか、様々な角度、
立場からの論考が寄せられていて非常に興味深い内容です。
「北の」となっているのは古代日本における「倭国大乱」の時代、
西日本一帯を中心にいっせいに高地性の防御性集落が出現したことに
対しての「北」かと思われます。
◆アイヌ文化と北海道の中世社会
同様の施設が北海道やサハリンなどに分布しており、これまた
昔から考古学的に研究されてきました。アイヌのチャシが有名ですが
アイヌ文化期以前にも各時代各文化の特徴を備えた防御性集落が
あります。
本書では2章をチャシやそうした集落の考察に割いている他、環境変動、
物流経済、栽培、各種物質文化等多岐にわたるテーマを扱っています。
「チャシの築造技術に関する考察」では必要な土木作業量や人工の
推定からオホーツク文化期とアイヌ文化期の比較を行うなど私には
興味深いものでした。
◆Ханты-Мансийский Автономный Округ В Зеркале Прошлого
こうした防御性集落の出現というのはなにも日本の北方史特有の
現象というわけではなく、既に先人(江上波夫氏、加藤晋平氏)が
指摘しているとおり、実は西シベリアにも同様の現象をみることが
できます。
こうした防御性集落は、早いところでは1000年紀の前半(もっとも
ずっと古く新石器時代の遺跡で防御性集落とされているものもありますが)に
出現し、2000年紀前期後葉を盛期として西シベリアに広がっていきました。
※のち16世紀になってロシアが進出してきた際の記録などに数多く
(100近く)の集落の存在が記されています。
西シベリアにもまさに「北の防御性集落と激動の時代」が訪れていたのです。
この後に続く16世紀には、10程度の小王国が割拠する”戦国時代”が
到来していたことは以前触れたとおりです。
南の草原地帯からの干渉、ノヴゴロドやヴォルガ=ブルガールの
勢力伸張、あるいはそれに伴うウラル山脈の西側に住んでいた
ウゴル諸族の東側への進出、北方民族の玉突き現象等、
様々な時代の様々な要因が西シベリアの緊張状態を生み出したのだろうと
思いますが、よくわかっていません。
構造的にはまさに前に書いた「岬上の地形を堀で区切ったもの、
孤立した丘の上・・・」という文句がそのまま通用するものです。
両者の時代背景、空間分布や規模・構造について比較すると面白そうです。
また、アイヌのユーカラ中で半ば伝説化したチャシの名前が出てくるように、
ハンティ、マンシといった西シベリアの先住民に伝わる英雄譚にも
集落の名前が出てきます。
その中にあって近年、発掘調査の結果実在を確認できた集落がありました。
その名を「エムダール」。
シュリーマンの事績にならって「シベリアのトロイ」と呼ばれたりもしています。
現在も発掘調査は進められている最中ですが、その成果が
世の中に出てきつつあります。
本論文集もその一つで、1章をエムダール関連の論文に割いています。
この文献だけでは全体像をつかむというわけにも行きませんが
遺跡全体の地形図があるのがうれしいところです。
このエムダール、7,8世紀には人が住み始めたらしいのですが、
防御性施設が作られたのが12世紀とのこと。やはりこの辺りに
西シベリアの画期があったように思われます。
◆Prehistory of the Western Siberia
少々時代が古いのですが、西シベリア考古学における基本文献です。
遺跡情報、地図もしっかり載っていてぜひとも手元においておきたい一冊。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
カマ川流域の動物文様
ここのところ、冬に向けて西シベリア本を鋭意執筆中(だったらいいな・・・<おい)です。
一応柱としては旧石器時代、新石器時代、青銅器時代、鉄器時代、中世・・・と各時代を立てているんですが、どれもこれも食いかじっては飽きて別の時代に、という繰り返しで一向にどれも完成しません。
間に合うのか・・・
というところでデジタル・クワルナフの馬頭さんから強力な差し入れが!
ウラルの西側、カマ川流域から発掘された、青銅製の装飾品の数々を掲載したカタログです。ロシアに行かれたときに購入されたということで過分なお土産大感謝です。
カマ川上流域から北、今のコミ共和国の領域や、ウラルを超えて西シベリアのハンティやマンシといったウゴル系諸族の領域にかけて、「ペルミ動物文様」と分類される独特のデザインが分布していたのですが、この本はその良き概説本。写真が盛りだくさんで英露文併記といううれしいつくりになっております。
西シベリアのオビ川流域とヴォルガ=ブルガールとの交易関係にはカマ川流域の勢力の介在があって、オビ地方のニーズ(信仰や伝統)に見合ったものをブルガールの工芸職人に伝えて作らせていたのではないかという話があります。ウラル西麓にもウゴル系の集団が暮らしていたということですから、今度の本作りにも役に立つこと必定。
気合入れて読ませていただきます。
一応柱としては旧石器時代、新石器時代、青銅器時代、鉄器時代、中世・・・と各時代を立てているんですが、どれもこれも食いかじっては飽きて別の時代に、という繰り返しで一向にどれも完成しません。
間に合うのか・・・
というところでデジタル・クワルナフの馬頭さんから強力な差し入れが!
カマ川流域の古代遺産 |
ウラルの西側、カマ川流域から発掘された、青銅製の装飾品の数々を掲載したカタログです。ロシアに行かれたときに購入されたということで過分なお土産大感謝です。
カマ川上流域から北、今のコミ共和国の領域や、ウラルを超えて西シベリアのハンティやマンシといったウゴル系諸族の領域にかけて、「ペルミ動物文様」と分類される独特のデザインが分布していたのですが、この本はその良き概説本。写真が盛りだくさんで英露文併記といううれしいつくりになっております。
西シベリアのオビ川流域とヴォルガ=ブルガールとの交易関係にはカマ川流域の勢力の介在があって、オビ地方のニーズ(信仰や伝統)に見合ったものをブルガールの工芸職人に伝えて作らせていたのではないかという話があります。ウラル西麓にもウゴル系の集団が暮らしていたということですから、今度の本作りにも役に立つこと必定。
気合入れて読ませていただきます。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )