史的空間としてのベーリング海峡

アメリカ大陸とユーラシア大陸との間にあるベーリング海峡は、
冷戦時のイメージもあって二つの大陸を隔て分断する障壁としての
イメージがあった。

しかしながら、歴史を遡って近代国家が進出してくる以前の
時代ともなれば、海峡は東西の大陸を分断するものではなく
むしろ二つの大陸を結びつけ、一つの史的空間を構成するための
舞台であったということができる。

現にユーラシア大陸側のロシア・チュコトカ半島にもエスキモー達が
今でも数多く暮らしており、冷戦終結後何十年ぶりかでアラスカ側に
住む同族達と交流することができるようになったというニュースも
記憶に新しい。
※全てのイヌイット、エスキモー達が「イヌイット」を民族名称と
 しているわけではなく、ロシアでは今でもエスキモーが民族名称。

西はグリーンランドに至るまで北アメリカ大陸の極北部一帯の
広大な領域に分布するイヌイット(エスキモー)達の発祥の地こそ
このベーリング海峡の東西両岸世界であり、約1000年の昔、西へ
大進出を始める以前の長い揺籃期をここで過ごしたのであった。

実際にベーリング海峡両岸世界といっても地理的にどのような
広がり、あるいは「隔たり」を持つ世界なのかイメージするために
日本の歴史でもっともなじみのある両岸世界である対馬海峡、
あるいは東シナ海と重ねてみる。


やってみると意外なほどにぴたりと重なってしまう。

チュコトカ半島の付け根にあるアナディル湾は黄海に
セントローレンス島がチェジュ(済州)島に重なるのはまだいいとしても
ベーリング海峡のもっともせまいところに位置する「ダイオミード諸島」と
対馬までぴたりと重なってしまったのには驚いた。

ダイオミード諸島はアメリカ合衆国領の小ダイオミード島とロシア領の大ダイオミード島の二つの島からできているが、対馬も南北の島の間に海が入り込んでいる。
不思議な符合としかいいようがない。

一番海峡が狭まっている辺りを拡大してみる。

拡大しても重なってよく見えないが、対馬のところにダイオミード諸島はある。
対馬の北東部辺りに重なっているのがわかるだろうか。

比較してみるとベーリング海峡は対馬海峡よりもずっと狭い部分が
あることがわかる。

同じように津軽海峡を挟んだ北海道南部から東北北部にかけての地域を
一体の史的空間とする考え方が近年出てきている。

「津軽海峡を挟んで向かい合う南北両側の地域をあわせて、一つの「世界」として見るべきではないか。北海道の道南地方と本州の津軽・糠部、さらに隣接する秋田・久慈・閉伊地方も加えた「津軽海峡周辺」地域を、「海の道」を通じて様々な人びとが日常的に行き来する「北の内海世界」として、積極的にとらえるべきである。」
(「北の内海世界」山川出版社)

ペーリング海峡両岸世界は、黄海・東シナ海東岸から対馬海峡両岸を経て
西日本海両岸に至る、日本とアジア大陸との間に形成された歴史的空間と
同じような広がりを持つ、「最北の内海世界」と呼ぶにふさわしい
史的空間だったのではないだろうか。

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