Noriko-McLane Movie Blog

自分の見た映画の感想を気ままに綴っています。
ネタバレの可能性もあるので、まだ見てない方はご注意下さい。

風立ちぬ

2013-09-01 | Weblog
「風立ちぬ」  (2013.8.30. サンショウウオさん、黒真珠さんと)

この映画は、堀辰夫の恋愛小説「風立ちぬ」と零戦開発者の堀越次郎さんの若き人生とがミックスされた作品となっている。細かいことを言えば、・・・・・・「風立ちぬ」の主人公の恋人の名は「節子」。しかし、この作品では「菜穂子」となっている。実は、堀辰夫の後の作品に「菜穂子」という別の小説があり、主人公の菜穂子は堀の作品の中で結核で入院していたサナトリウムから抜け出して夫に会いに東京に出て来る場面がある。そういう意味では、この映画は、堀辰夫の「菜穂子」の影響も受けている。

映画では、菜穂子はまだ15歳か16歳(?)くらいのときに列車の2等車に乗っていて、隣の3等車にいた次郎の帽子が風で飛んでしまったのを掴む。これが、菜穂子と次郎の出会いである。その直後に彼らはこの列車で関東大震災を経験する。菜穂子と一緒にいたお手伝いさんのお絹が足を痛め次郎は彼女をおんぶして菜穂子の家まで送る。

しかし、ここでは、次郎は名前を明かすこともなく行ってしまう。
その後何年もたって軽井沢で再会したときも、最初は「では、これで!」と、次郎は行ってしまう。男の文化?当時の文化としてこういうのが粋!というのは確かにあると思うが・・・・・

関東大震災の描写は、ジブリのアニメらしいと思った。火事になると炎が恐ろしい声を出して吠えていた。子供が見たら怖がるシーンかもしれない。「ポニョ」とは全然違って、子供には理解困難な映画だったけど~

主役の次郎役の声優さん、めっちゃ棒読みだった。このことによって、あっさりした映画に思えた。たとえば、次郎の少年のころからの夢であった飛行機の設計。いよいよ会社(三菱内燃機株式会社)に入れることが決まり、その初日上司の黒川にいろいろ言われる。ここのところの次郎の返事が全くの棒読み。「はい」だけでも、もうちょっと感情こめて!と言いたくなるほど・・・

主人公の次郎は、丸メガネの線の細いタイプ。実際に堀辰夫も堀越次郎さんもこのような丸メガネをかけている。

背景の景色がとても美しくて見とれてしまうような場面があった・・・かと思うと、いい加減な描き方!こんなのでいいの?と思う背景もあったし、又写真のような背景もあった。

話の内容が急に飛んでしまう場面がいくつかあったように思う。たとえば、次郎が会社からの派遣でドイツに行って、帰り一人だけ西回りで帰り世界を見て来いと言われる。次郎が汽車に乗ってるシーン・・・・次がもう日本のシーンになってた。ここでは、観客は、「これは、もう日本なんやなぁ?」一瞬考えると思う。

軽井沢での再会で、付き合うことを菜穂子の父に承諾してもらって次郎と菜穂子。
菜穂子は、次郎のためにも結核を治して元気になりたいと思って、一人遠くのサナトリウムに入る。

ある日、次郎からの手紙をサナトリウムで受け取った菜穂子は、次郎にどうしても会いたくなって東京にもどってくる。そして、次郎の暮らしている黒川(会社の上司)の家の離れで一緒に暮らすことになる。黒川の勧めもあり、次郎と菜穂子も是非結婚したいと望み、黒川と奥さんにのお陰でこの場ですぐに祝言を挙げる。
この結婚式の菜穂子は子供っぽくてピンとこなかった。それに比べて黒川の奥さんは、テキパキしていてすごく素敵にみえた。それに、黒川がチビ短足頭でっかちなのに、奥さんはそれなりに綺麗!!

結婚しても、菜穂子は結核だからずっと寝てなければならない。夫の次郎は飛行機の制作で毎日忙しいが、菜穂子にはとても優しい。また、黒川の奥さんも次郎の妹のカヨも菜穂子を温かく見守っている。

零戦のテスト飛行のために次郎が2,3日帰れないと言った次の日、菜穂子は珍しく「気分がいいので散歩に行ってきます。」と、黒川の奥さんに言い残して出ていく。
しばらくして、菜穂子はサナトリウムにそっともどっていったことがわかる。
次郎の妹は連れ戻そうとするが、黒川の奥さんはそれを止めて、「一番綺麗なところを好きな人に人に見てもらったのね。」と言う。この言葉はすごくいい!菜穂子の、~自分がそばにいても迷惑をかけるだけ!ここにいるよりもサナトリウムにもどって、まず元気になろう!~という気持ちが黒川の奥さんの言葉でグッと引き立ってくる。

最後のシーン。イタリアの著名な航空機設計者であるジャン・カプローニ伯爵登場。次郎と話している。彼は、夢の中で幾度も次郎に希望やアドバイスを与えてきた。次郎は、ジャン・カプローニに自分の設計した零戦が一機も帰ってこなかったと告げる。そして、菜穂子も「あなたは元気に生きて・・・」と、言って行ってしまう。

最後の部分の次郎の受け答えも淡々と棒読みで、まぁ、かえってそれがよかったのかもしれないけど・・・・・・
最後は、菜穂子が死ぬから完結するし、菜穂子自身も美しいまま次郎の心に残るのだろうと思った。特攻隊が乗った零戦を作ったという悲しさがやんわり伝わって来る。

実際には、堀越次郎さんは、戦争が終わって大旅客機の制作もしている。

この映画では、タバコを吸うシーンが多々出て来る。これは、時代背景を考えても当然のことだ。でも、次郎と同期の本庄がいつも次郎に「タバコないか?」と聞くけど、こういうのはよくないと思う。次郎の「これが最後のだったんだ。もうないよ。}と、言うとシケモクをする。(灰皿から吸いカスのタバコに又火を付けて吸うこと。)最低!

でも、次郎が自分の新しいアイディアを本庄の飛行機に使うように持ってきた時に、本庄は、「今は使わない。次郎がそのアイディアを自分の飛行機に使った後で使わせてもらうよ。」と言う。ここのところ、なかなかの奴!

今までのジブリの作品と違って人の半生という長い時間を映画にしているので、少しはしょられたりしてわかりにくい部分もあった。宮崎駿さんが飛行機好きなのはわかるけど、菜穂子は飛行機の世界には全く関係ない気がして、堀辰夫の世界と堀越次郎さんの世界が完全にミックスされてない気もした。

点数を付けるとしたら 67点
 
  

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4 コメント

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Unknown (サンショウ)
2013-09-04 15:52:01
ちょっと詰め込みすぎで、話の展開が速かったね。

ちっちゃい頃の夢の中で飛行機に乗る場面が一番たのしかった。
シベリアたべてみたい。
風立ちぬ (のぶとっしみ)
2013-09-11 09:16:52
風立ちぬ いざ生きめやも

私はこのヴァレリーの詩を、死んでしまった婚約者の死を乗り越えて
「生きねばならない、生きていこうではないか」と、ずうっと解釈してきました。

しか~し!
9月1日の日経の朝刊に万葉集の時代の反語表現で、「生きようか、いや生きようとはしまい」
新しい生に向けて雄雄しく立ち上がるのではなく、
「生きる事への執着を手放す新しい死生観」とあるのを読んで赤面!
出征兵士がこの本を携えて行ったのは、生の賛歌ではなく
死にゆく者の心に寄り添い救いを与える力がこの小説にあったらしい。

ウン10年前に、私に習った塾の生徒諸君、許してね!

ノリコマクレーンさんは、どう解釈してましたか?

サンショウさまへ (ノリコ・マクレーン)
2013-09-15 12:12:24
コメントありがとうございました。

シベリア、お菓子かなぁ?
おいしそうやったねぇ♡

次郎が子供たちがお腹ペコペコ何だと思ってシベリア上げようとしても、子供たちは(見知らぬ人から物をもらうのはいけないと思ったんだろうな~)もらわなかったでど、本庄は次郎の部屋で置いてあるシベリアさっさと2つのうち1つを食べてしまう。あつかましいなぁ本庄!

のぶっとしみさまへ (ノリコ・マクレーン)
2013-09-15 12:19:34
コメントありがとうございました。

「風たちぬ いざ生きめやも」
文法的には、確かに ~生きようか いや生きようとしまい」になるのですが、本来の意味は、~生きていこう~という意味があるんだとどこかで読んで・・・・・よくわからないなぁと思ってました。

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