雨、三日目です。 お家に篭っています。。。
みっちゃんのことを話題にしたら、思い出しちゃって、チョッとみッちゃんことを書きます。
子供の頃、ご近所に子供の居ない家はなかったくらい、(あったけど、)
男の子も女の子も、大きい子小さい子、、
同い年の男の子と女の子が一人づつ、しかもお向かいとお隣仲良く遊んでました。
そして、みっちゃんちは斜め向かい。。。
私は3.4歳の頃母の実家である その町にっ引越してきました。
一つ年上のみっちゃんは、お婆さんと叔父さん一家と暮らしていました。
お婆さんは、チョッと怖い人って印象。
叔父さんも叔母さんも役場に勤めていて、昼間 居なかったので、あんまり覚えていない。
初めは、みっちゃんのお母さんも一緒に住んでたんです。
けど居なくなっちゃって、
私はうちの母のように他所で働く事になったのかと思っていましたが、
そんな風にみっちゃんから聞いたのかも、
ちっとも帰ってこないなぁーーって、思ってたら、お嫁にいったんだと聞きました。
祖母が、「みっちゃんに、ゆうたら駄目やよ。」って、
だったら、言わないでって思いましたけど、知らないで、
私が、みっちゃんを傷つける事を言ってしまうことを心配したのかも、
オジサンとオバサンに赤ちゃんが出来て、みっちゃんも可愛がってた。
私も一緒に遊んであげたりしてた、、、と思う。そして、みっちゃんちに遊びに行ってた。
5年生の時、みっちゃんから靴下の編み方を教えてもらいました。
「来年になったら、のん太ちゃんも習うけどね。」って、来年まで待てない私は、すぐに教えてもらって
みっちゃんの教え方は上手で、編み目の増減で大きさを変えることも教えてくれてたのです。
ですから、自分の物は勿論、祖母や大叔母、弟の靴下を編みました。
大叔母は、「ぬくうて、ええよ。」って、喜んでくれました。嬉しくって、何枚も編んだ物です。
家にある残り糸や古いセーターなどを解いて、
そして、サイクリング同様、6年生になっても靴下の編み方を習うことはありませんでした。
みっちゃんに習っておいてよかった~って、思ったものです。
みっちゃんが中学生になって、私も中学生になって、中学では近隣の小学校から集まったマンモス校でした。
新しいお友達が出来、段々、みっちゃんちに行くことがなくなって、
中学を卒業したら、みっちゃんは、どっかに就職してしまいました。
みっちゃんから、おじさんたちの愚痴など聞いたことありませんでした。従弟も弟のように可愛がってたし、
けど、進学しなかったのは遠慮があったのかも、
そして、何時だったか、、、みっちゃんが亡くなったって聞いたとき、
一度だけ、帰郷した都会的な綺麗なオネエサンにに成長してキラキラ輝いた みっちゃんを思い出しました。
私にとって、とっても綺麗な思い出です。