今朝も降り出す前の一仕事、でしたが、仕事途中に小雨。
と、言っても気にならない程度、
で、帰ってみれば、雨は上がって、、、
でも1日降りそうな気配になったり、上がったり、、、でした。
ハッキリしろ
庭の花です。名前の通り、リンゴの香りがします。
高校卒業前に、女子だけ集められて美容教室が開催されました。
某化粧品会社の販売員さんが数名。
基礎化粧品からメークの仕方まで説明されたのだと思います。
モデルは、その会社に就職が決まったという、違うクラスの子。
美人さんだったし、お洒落さんって、印象で
自分に合った仕事を選んだんだぁ~って、ちょっと羨ましかった。
そして、
そっか、、社会に出て行くのだって、、、改めて感じたものでした。
卒業前と言うわけではなかったけど、
マナー教室ってのも開催されました。
希望者のみでしたが、金沢のホテルでお部屋に案内され
洋式のお風呂!の使い方を習いました。
湯船で完結させるの?でした。
そして食事のマナーを前菜からデザートまで少量づつだったと思います。
緊張して、味わえなかったのか?メニューの記憶は無い。。。
今日は1日断続的に雨。
その合間を縫って、買い出しに行って来た以外はお籠りでした。
ブログ友のようちゃんの今朝の話題は、
お孫さんが、藁を打って→縄をなって さらには、草履まで作ったって。
凄ーい。
好奇心旺盛な今、それにこたえてあげられる大人たちがいるってのは幸せですね。
対抗するわけじゃありませんが、思い出したので、
私が小学生4年生の時、夏休みの宿題に藁草履モドキを作ったことがありました。
テレビで藁草履を作ってるのを見たのです。
今のようにビデオがあるわけでも無く、、作り方の仔細を覚えるには至りませんでしたが
作りたいと思ったのです。
材料は何だったのか?
藁をなうことも出来なかったので、紐状のものを三つ編みにしました。
髪が長かったので、毎朝 三つ編みに編んで登校でしたから、これはお手の物。
その縄状にしたものを、糸で縫い付けながらグルグルと巻いて行ったのです。
そして鼻緒を付けて出来上がり、
《小さなピンクのミニチュア布草履》のようなものを作り上げました。
夏休みの作品は教室の後ろに並べられました。
一人の男子が、「お前、作ってモオタやろ。」って、わざわざ私に言いに来ました。
とっても悔しかった。
自分で工夫して、作ったのです。
本来の藁草履の作り方と明らかに違う。その違いも分からないくせに
作ってもらうどころか教えてくれる人も居ないだから、
そんな事が一度に頭の中で噴出して、言葉にならなかった。
そんな お門違いな指摘をした子の顔すら覚えていなくって、
懸命に工夫したのに、
一人で頑張ったのに、
誰かに作ってもらったものを持って行くなんてこと絶対しない。
言い返したい事があり過ぎて、立ち尽くした 教室の景色のみ残っています。
なぜ4年生と断言できるかって言うと、立ち尽くす教室の風景を今でも思い出すことが出来るから、
(教室の配置は、1・2年生は1階。3年生は別棟の2階。4~6年生は本館2階の配置が6年間変わりませんでした)
そして今も手芸、作ることが好きです。
決して器用なわけじゃなく、たぶん不器用。
でも手仕事の好奇心はあるのです。
青空は良いですねぇ~~

実家は田舎町でしたが、子供の足でも行ける範囲にお店が並んでいました。
魚屋さんもあったのに、
リヤカーに魚を載せ売り歩く行商にオバサンが何人か居て、其々お得意さんが居たようです。

それを秋に1年分買ってたのだと思います。
大きな塊に括ってあって、それを納戸に運び込んでくれてました。
と、ばかりに出してくれたオバサン。美味しかったのです。
セーターの様でした。紺色。
やっと雨が降りました。庭の花も畑のイチゴや野菜、大きく伸びをしてくかな。
そして、ニックキ雑草たちも
マツバウンランは比較的最近目にするようになった花だと思います。
スズメノエンドウと絡み合っています。
「ワシは明治生まれだけど、I君(チチ(舅))は大正生まれで若いよ。」
って、言うのが、叔父のジョークでした。
叔父は明治45年生まれ、チチ(舅)は大正2年生まれで同学年でした。
明治45年に大正に変わり、大正元年。
その翌年の大正2年月生まれのチチ(舅)は、叔父と一緒に入学したのでした。
チチ(舅)と叔父は従妹同士、家も近い幼馴染。
そのチチ(舅)が生まれて間もない頃、夫の実家が建てられたそうです。
家の中心の大黒柱は、誰もが驚く太さです。
普通の柱なら4本は取れると言います。
けっこう湿度の高いこの地方では、平屋で高床が一般的だったようです。
土間だった台所を床を上げて、最新(当時)の流し台を設置したのは、
ハハ(姑)の自慢でした。
庭を造園して、縁側を広縁にしてソファを置き、
チチ(舅)は、庭を眺めるのが日課でした。
新しい保険証と入れ替えの時、確認すると
有効年月日 令和3年3月31年 交付年月日 令和2年4月1日
古い保険証を見ると、
有効年月日 平成32年3月31日 交付年月日 平成31年4月1日
と、なっていました。
断捨離中なので、少し時間をかけて見直しも、、
我が家でも見直し中。
置きっぱなしにして、開く事も無かったオルゴールを開いてみました。

祖母の葬儀の時に母の従兄弟たちが遠く関東から来てくれました。
と言っても、その当時の木の実?のネックレス。
若かった私には地味。と、仕舞い込んでました。