キャッ、4日も留守をしてしまいました。
なぁ~んも無いまま、クリスマスも過ぎ、
ツリーを片付けた後、お正月の飾りの前に、少し丁寧目に お掃除しよう
と、テレビの下の棚を拭き掃除。
そこに、いつも目に入るところに、入れています。
小さい箱です。
A4のクリアファイルと比べると
実家から(無断で)貰ってきた物。
子供の頃、お勝手の棚に置かれてたものです。
上に投入口があって、鍵の付いた引き出しです。
なので、大事な物が入ってたように記憶してるのですが~~
鍵は見当たりません。
あの頃も鍵など使っていなかったとも思います。
それに、きっちり締まりません。
なのに、これは欲しかったのです。
使用目的など無く、ただ手元に置きたかった。
母が施設に入る時、当面必要な預金通帳・年金証書などは私が預かり
空き家になるのでその他の大事なもの(と思われるもの)は、弟に送りました。
更に和歌山の施設に転所する時、もうこの家に来ることもないかな?
と、思ったら、これは持ち帰ろうって、
当座、母の通帳などを入れていました。
母が他界し、中身は全て弟に渡しましたが、これだけは残しておいたのです。
中には、母のアドレス帳だけが入っています。
どう言う訳か、アドレス帳が2冊あったので、
弟が、「1冊渡しとくよ。」と、
あっと言う間に、3回忌も過ぎました。
息子たちが小さい頃、おやつ用の調理器具はガスコンロと電子レンジに冷蔵庫。
ホットケーキ、ハハ(姑)からのサツマイモでテンプラや焼き芋。
サンドイッチもおやつになったし、そのパンのヘタを揚げてお砂糖を振っただけの物。
冬になると、里から、豆餅が送られてきてた。
プリンやゼリーも作ることが出来た。
ま、その程度の物だったけど、
子供におやつは必須。
楽しみでもあるけど、運動量を補うには3食では足りないと聞いたこともある。
なので、おやつは必ず用意してた。
果物も
バナナやミカンは子供でも剥いて食べられる。
バナナが減ってても不思議にも思わなかった。
ある日
息子が冷凍庫から、バナナの皮を剥いてラップに包んだものを取り出してきた。
得意げなその表情。
バナナを切って冷凍しただけのアイスを作ったら、好評でした。
「作って置くから、食べていいよ。」って、言ってたんだけど、
忘れてたんだと思う。
冷凍庫に無くなって、自分で作ろうと思ったんだと思う。
ふと思い出して、
久々
何十年ぶりにバナナを冷凍しています。
(私は半分に切って個包装で冷凍しています。)
今朝の朝ご飯はヨーグルト和えのシリアルに冷凍バナナ。
美味しゅうございました。
今日も風は強く、畑の水桶はうっすらと凍っていました。
ネタが無いので、(笑)
暫く歩いていないな?と、
散歩に出ました。風が冷たい。。
勾配の激しい道です。
小学生の頃のことです。
とても大人しい男の子が居ました。
その子の声を聞いたことがありません。たぶん。。。
ある時、「今日ね、」と始まった噂話。
その子を女子数人が監禁した。と、言うのです。
「なんで!!」
授業中 質問されても、誰かが声をかけても返事が返ってこない。
このままじゃいけない、話が出来るようにならないと、
だから、最初の一歩。
「(音楽室に監禁して)声を出したら、出してあげるって言ったんやて、」
結局、何も言わない彼に女子たちが根負けして事は終了。
6年間、一緒でした。なんとなく面影は覚えていますが、
そんな事件が無ければ、忘れてたかも、、
その当時もボォ~~としてた私は、その子がその後どうしてたか??
今、思うと、さぞつらい時間だったことでしょう。
気にかけることもなく、女子数名もいつもと同じでした。(と、感じてた。)
で、月日は流れ、
里帰りして、暮らしてた金沢に電車で帰る時、
乗り換えのホームでバッタリ同窓生にあって、おしゃべりしてると
改札を入ってくる若いカップルに目が行きました。
小柄な体型も顔つきも子供の頃の面影そのままの声を聞いたことの無い彼です。
声は聞こえませんが笑顔で話しています。
同じホームにやってくるのを二人で隠れるように見ていました。
だって、話したことないし、なんて言って良いのか分からなかった。
「新婚旅行かな?」
「結婚出来たんや」どうやって結婚までこぎつけたのでしょう??
卒業後の彼のことは、全く知らないのです。卒業前も(笑)
電車が着て、別の車両に乗ってそれで終わりでした。
雪が降り出した途端 大雪だそうです。
そのニュースを見たら、まず40数年前の光景を思い出しました。
北陸自動車道の開通も無い頃です。
当時の勤務地の金沢から夫の実家に向けて車を走らせていました(夫が )。
積雪の為の渋滞で動きがとれず、まさに立ち往生してた時のことです。
8ヶ月ぐらいだった息子は、その時とてもお利巧でした。
車にお湯をタップリ入れたポットとミルクと即席の離乳食を積んで
布おむつもあるだけ積んでたと思います。
そんな状況で、不安はなかったように思います。
息子の寝顔が可愛かった。と、思う。
母が入院した知らせを受けたのは大雪の年でした。
ゴム長靴を買って雪道を母の病院へ通ったのは、まだ新しい記憶なのに、
忘れてた。
記憶を辿ってたら、
ラッセル車(除雪車)を初めて見たのは小学生のころ。
同じく小学生の頃、道路に雪が高く積もって家から階段を作って道路に上がったこと
その階段に隠れて、お向かいの子と遊んだこと、
毎年、雪が降り出すと朝礼で「道の端を歩かないように」と、注意を受けた事。
思い出しています。
例年だと、そろそろお祭りの稽古が始まるころです。
お寿司の話が出ました。こちらでは秋刀魚寿司、巻き寿司、地域によっては箱寿司。
ブログでもお寿司の話題が続いて、作りたい(食べたい)の思いが強まり、
作りました。 何年ぶりでしょう。
結婚するまで作ったことは無かったのですが、
子供たちのお弁当、誕生会、巻きずしを作っていました。
寿司飯だけじゃなく、ふりかけを混ぜたご飯を細巻きにして
細いオニギリ?
小さかった息子たちが食べやすく目先が代わって喜んだ。。。と、思っています。
具がちゃんと真ん中に納まるようになってたし、
此方に来てから、お祭り(他の行事の度)に、ハハ(姑)から大量のお寿司が届きました。
取りに来るようにの電話に、喜び勇んでいきました。
秋刀魚寿司・海苔巻き・卵巻き寿司が お寿司屋さんか?!と思うほど、並んでいました。
(もろ蓋2段)
沢山 配るのだと思ってたのですが、そうじゃなかった。
数日後に、、、また届きます。
まだ残ってるので、と、言っても置いて行かれます。(義妹んちも同様です。)
つまり、ハハ(姑)も持て余したのでしょう。
の経験を持って、翌年は減らしてくれるかと思ったら、同じ、
家族は、お寿司にウンザリ恐怖さえ、、、
ハハ(姑)のお寿司攻撃に備えて、私が作る事を止めたのです。
お寿司って少しだけってわけにいきません。
今回、私は4本。
具は、チラシ寿司用・巻き寿司用を冷凍しています。
巻き寿司も1.5本分冷凍。
この知識があの時あれば、、ハハ(姑)をガッカリさせることも
私たちも寿司恐怖症にならずに済んだのに、、
とはいえ、久々のお寿司づくりは段取りが悪く時間が掛かりました。
それで、2日もブログを休んだのではありませぬ。。。タティングレースも楽しんでいました。