明日のカープ

広島東洋カープの昨日・今日・明日を見つめます

第1回『プロのレベルに驚き「1年でクビ」覚悟』

2013-05-09 14:12:55 | 赤い疾風伝説
平成25年1月7日から全34回にわたって東スポに掲載された記事。
高橋慶彦ファンは必見。あまりに内容が濃く、それでいて今のカープにない貴重な体験を慶彦自らがおもしろおかしく、なおかつ大真面目に語っている。
これは書き留めておく必要があると思い、随時掲載していくこととする。
その第1回目。



いきなりで何だけど、実を言うと自分がプロ野球選手になるなんて夢にも思ってなかった。ガキのころから甲子園に出ることを目標にしていて、それは城西高3年の夏にかなえられたんだけど、その先のことなんてまるで考えていなかったから。1974年のドラフトでカープに3位指名されて「いっちょうやってみるか」ぐらいの軽い気持ちでプロ入りを決めたんだけど、当然のことながら甘い世界じゃなかった。

最初に驚いたのは、入団に際して球団と正式契約を交わすときだった。提示されたのは契約金800万円、年俸120万円で、いきなりフロントの人から「悪いけど、ウチはお金がなくて」って言われてね。まあ、お金にこだわっていたわけではないから気にもしなかったけど、何ともカープらしいよね。

プロ1年目は年明け1月の合同自主トレから始まった。当時は今のように「オフシーズン」というものがなかったから、広島市西区にある県営球場で先輩たちに交じってトレーニングした。パンチパーマの選手が多くてちょっとビビったけど、割と気さくに声をかけてもらったりしてね。「ワレは足が速いらしいの」なんて言われて、オフに日本ハムからトレードで来たばかりの大下剛史さんと競争させられたりもした。

練習メニューは走り込みがメーンで量も豊富だったけど、付いていけないほどではない。先輩たちも気を使ってくれていたから、特に不安を感じることもなかった。でも、そんな印象は2月1日にキャンプが始まると180度変わったね。まず先輩たちの目つきが変わったし、誰も声なんてかけてくれない。1年目ということで一軍のキャンプに参加させてもらったんだけど、何もかもレベルが違うわけよ。

打撃練習をしてもストレートは速くて対応できないし、カーブを投げられようものならバットも当たらない。それどころか打撃マシンの球ですら、まともに芯で捉えられないんだから。

この年のシーズン中にジョー・ルーツ監督の後を継いで指揮を執ることになる守備走塁コーチの古葉竹識さんに「いいか慶彦、プロでは足だけでもメシが食えるんだぞ」って励ましてもらったりしたけど「なるほど」と冷静に理解できるような精神状態ではなかった。正直なところ「1年でクビになる」と思ったね。



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