開幕前の恒例行事だった「カープ激励の夕べ」を欠席しただけでなく、阿南準朗監督に二軍行きを直訴した俺への対応をめぐって、球団は大騒ぎとなった。
自宅まで来た球団職員に今後の対応などを協議したいという旨を伝えられ、俺も広島市内のホテルまで足を運んだ。同席した阿南さんからは「こんなことで汚点を残して野球人生を棒に振るな。ユニホームを着たヨシヒコが本当の姿なんだ」と言われて、球団への謝罪と翌日に控えた開幕戦からの出場を促された。それはありがたかったし、阿南さんにも迷惑をかけたという思いもあった。ただ、俺も思いつきで行動を起こしたわけではないし「はい、そうですか」と言える精神状態ではなかったので「すぐには気持ちを切り替えられません。時間をいただきたい」と、阿南さんの申し出を断った。そして球団から下された処分が「謹慎2週間」と「現役選手登録抹消」だった。念のために付け加えておくけど、別に引退させられたわけじゃない。今で言う「出場選手登録」のことを、当時は「現役選手登録」と言っていたんだ。まあ、それはいいとして、阿南さんの説得に応じなかったことを「戦う意思がない」と取られ「職場放棄」を理由に謹慎処分を言い渡された。
阿南さんも大変だったと思う。明日から開幕という時に、俺の問題に振り回されて選手たちの練習を見ることさえできなかったんだから。でも、引き下がる気持ちにはなれなかった。確かに謹慎処分は「汚点」かもしれないけど、俺にしてみては「気持ちの整理もつけずに出場することの方がチームメートやファンに迷惑をかけることになるし、その方が汚点」と考えていたからだ。開幕当日は、球団から「謹慎期間中は球団施設の使用を一切認めない」と言われていたので、広島市内のホテルにあったスポーツジムで1時間半ほど汗を流した。でも、そんなことぐらいでモヤモヤが晴れるはずもなかった。出かけるわけにもいかないので開幕戦は自宅でテレビ観戦した。いるはずの場所に自分がいないのは不思議な気がしたし、むなしさもあった。
このままでは事態も好転しない。自分自身もつらかったし、これ以上、チームに迷惑をかけるわけにもいかなかったので、騒動から3日たった4月11日に球団幹部を訪ねて一連の騒動を謝罪した。そして翌12日の昼に謹慎処分が解除され、13日には一軍の移動前練習に参加した。
現役選手登録の関係から、一軍復帰は25日まで待つことになった。この年はオープン戦でも打率1割7分6厘で42位、6失策とサッパリだったけど、4試合ほど出場した二軍戦では10打数6安打と絶好調。一軍復帰戦となった26日のヤクルト戦では、先発の荒木大輔から2打席連続ヒットを放って存在感をアピールした。
チームメートは明るく迎えてくれたし、ファンの声援も温かかった。でも何かが違う。歯車が狂い始めたというか、あらがうことのできない時代の流れのようなものを、俺はヒシヒシと感じていた。