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読書、映像・音楽の鑑賞の記録など

ピナ・バウシュの死に関連して

2009-07-09 00:43:39 | その他

 昨晩の記事でも触れたが、先月30日にピナ・バウシュが亡くなった。
 
 すでに浅田彰の追悼文が『朝日新聞』に掲載されていた。浅田彰といえば、

  浅田彰【ピナ・バウシュの魅力】
   http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/asada/voice9908.html
  浅田彰【そしてダンスは続く――ピナ・バウシュの軌跡】
   http://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/asada/pina99.html

という二つの文章がまだ読めるようだ。

 また、小林康夫がピナ・バウシュの死に寄せて書いている文章も見つけた。

   http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2009/07/post-251/

 東京デザイン・センター・ホールでのピナ・バウシュと公開対談のときのことを回想している。公開対談に際し、赤い薔薇を舞台一面に撒き、さらに小さなテーブルの上にも一輪置いて、この舞踏家・振付家を迎えたという。以下、この印象的なエピソードを抜き出してみる。

 そのときどんな話をしたか、もう憶えてはいないが、会が終わって、ピナが舞台から立ち去るときに彼女はテーブルの上の薔薇をすっと手にとって退場。その後、渋谷のレストランで会食したのだが、そこに現れたピナは赤い薔薇をずっと手にもったままで、わたしの真向かいに座るとそれをちょうどわたしがそうしていたように、テーブルの真ん中にそっと置いたのだった。なんというエレガンス!なんという「人間」。

 ピナ・バウシュの芸術や思想は、その人とブッパータール舞踊団のメンバーの身体を通じて、舞台上に現前する。だから、そうすることに、いくばくかの意味があるとも思えないが、追悼の意味で2006年東京での『カフェ・ミュラー』の映像を見る。

 そういえば、このblogのために書いた最初の記事は、ピナ・バウシュも出演していたフェデリコ・フェリーニの『そして船は行く』についてだった。






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