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世界はやがてジャパネスクの時代を迎える(非公式)

卑屈ということは、一面からは、その人間のずるさの証拠とも言えましょう

2014-10-12 | 陰陽・出と入り

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●「今日の言葉」
 ~不安な時代だからこそ「覇術」ではなく「王道」を語る珠玉の言葉を~
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“卑屈ということは、一面からは、その人間のずるさの証拠とも
 言えましょう。何とならば、人間の卑屈の裏には、
 必ず功利打算の念が潜んでいると言ってよいからです”

 (森信三『修身教授録 一日一言』(致知出版社)より抜粋)


……IISIA代表・原田武夫のコメント:

─毎日大勢の方々と出会う日々を始めてから早いもので7年が経つ。その中で
 つくづく思うことが一つある。

─それは「人間には二種類いる」ということである。「人類皆兄弟」とは
 とある賢人の言葉だが、しかし同時に二つの対応がいることも事実なのだ。

─一つはいわゆる「ネガティヴな事共」とは全く無縁な人たちだ。この方々
 と会っていると実にすがすがしいし、「意味」を感じる。

─そしてもう一つが「ネガティヴな事共」にどうしても走っていく人たちだ。
 「ダメだよ」といってもずんずんと悪い方向へと進んで行ってしまう。

─後者の典型が「卑屈」なわけで、正に「打算」の連続の人生という風に
 見える。しかし結果的にそれらがことごとく失敗するところにも
 特徴がある。

哀しいかな、これが我が人間を巡る現実なのだ。しかしこれもまた、「陰陽」
という考え方に則れば、甘受しなければならない原理原則なのかもしれない。

打算と妬み、そして卑屈を繰り返しつつ、結果として不幸に終わる人生。
そこから変わるにはまずもってこの「現実」に気付くことが必要だ。

そして少なくともこれに「気付く」ことによって、たったひとかけら
ではあっても救われるきっかけをつかむことが出来る。それもまた事実。

そこで「変わることが出来るか」、あるいは「変わることが出来ないか」は
後は宿命とでもいうべきもの。もはや他人は関係がない世界。

それにしても……実に酷でもあり、同時に美しきもの。
これが「世界」であり、「人間」であり……そして私たち人間なのだ。

 

(メールマガジン 2012年7月30日号 より)

http://archive.mag2.com/0000228369/index.html



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