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世界はやがてジャパネスクの時代を迎える(非公式)

パックス・ジャポニカへの道 「綜合文化人」宣言(その3)

2014-02-11 | パックス・ジャポニカ

皆様、こんにちは。原田武夫です。

つい先ほど、マーケットの”猛者”であり、同時に高い志と我が国に対する深い憂慮を抱かれ、活動されていらっしゃる人生の大先輩とのランチMTGを終えました。

結論。
これからこの方が陰の立役者になられる形で立ち上げられる「救国のシンクタンク」において、枢要な役割をお引き受けすることとしました。

「ガラパゴス」「失われた20年」と揶揄され、すっかり萎縮してしまっている我が国。
しかしその我が国だからこそ、このタイミングでヴィジョンを出し、世界を指導していくことが出来るのだという逆説的なテーゼ。

これを論として掲げ、そして世界に対して喧伝することで「渦」を大きくしていく考えです。

人生の大先輩から云われました。
「原田さん、今は正に安岡正篤がかつて語った”暁鐘”の瞬間ですよ。今この瞬間に動くべきだ。そうすればその鐘の音を聞いて、多くの草莽の士がこの国の至るところから手を挙げ、やがて巨大な力になるはずです。そのための場を、私は創りたい」

2014年2月6日。
この瞬間が、正に私・原田武夫の人生にとっても忘れ得ない日となる。
そう直感的に想った次第です。

今年は・・・動きます!!!
「綜合文化人」としてのスタートです!!
http://bylines.news.yahoo.co.jp/haradatakeo/20140103-00031230/

 

https://www.facebook.com/iisia.jp/posts/10202790316622052?stream_ref=10


 
2014年1月3日 7時10分

我が国が必要としている「綜合文化人」とは一体何者なのか? (京都・大徳寺にて)

イノヴェーションをもたらすのはもはや政府や公的機関ではない

昨日のコラムでは歴史的な「日本バブル」がいよいよ本格化しつつも完全に冷え切ったままである国民マインドを再び温めるためには「未来に向けて気づく力」を私たち日本人が取り戻す必要があることを指摘した。そしてこれを実現するためには、様々に異質なものが出会い、互いに刺激することで新しい価値を生み出すという意味での「メディチ効果」を招く場所を新たに創り出していくことが必要であると説明した。私の研究所が発行している公式メールマガジン(無料)公式ブログで繰り返し明らかにしているとおり、いわゆる「個人」は遅くとも今月半ばには大幅な日本株買いへとようやく転じ、「日本バブル」が文字どおり体感レヴェルで誰の目にも明らかになっていく。またそのことは私の最新著「ジャパン・ラッシュ」(東洋経済新報社)の中でも詳しく書いた次第である。しかしその結果、あの「平成バブル」でおかした過ちを繰り返さないためにも、日本人は年頭にあたって今こそ立ち止まり、しっかりと考えていく必要があるのだ。

「これだけ高い税金を支払っているのだから、そうした”場”は政府や公的機関が創るべきなのではないか」

そんな読者の声がここで聞こえてきそうだ。だが、残念ながら我が国の政府や公的機関に状況の変化に機敏に対応することは望めないのが現実だ。

なぜならば米欧が中心となり、これまで世界秩序として推し進められてきた「金融資本主義化」「グローバル化」「フラット化」は、従来型の国民国家とそれの機関である政府・議会・官僚制と全くもって逆行する動きだからである。そしてこれらの動きが一歩前に進む度に「規制」という形で政府や公的機関は対応するのが関の山なのである。

特に我が国の場合、1970年代までの高度経済成長期において国外から輸出という形でもぎ取ってきた大量の富を蓄えており、これを再分配して食いつないできている。そして様々な理由をつけてはこれを再分配しているのが我が国政府の役割であり、その政府を選ぶのが国会(議会)の唯一と言っても良いほどの仕事になっているのだ。「再分配」とは「現在富を持っている者から合法的にこれを奪い去り、持たざる者にタダで与えること」を意味している。一連の増税論議が正にその典型なのであるが、現行の政治システムにおける国会議員たちはそうした強権的な措置を正当化するための「単なる数合わせマシーン」と化してしまっている。そうした彼ら・彼女らにイノヴェーションのための真に創造的な”場”づくりを求めるのが土台無理な話なのである。

無意味化した「戦後知識人」と「マスコミ文化人」

そうである以上、やはり「メディチ効果」をもたらし、イノヴェーションを我が国社会において実現するための”場”を創るのは、民間セクターの仕事ということになってくる。それはより自由な立場から行われるべきであり、まずは意識が高く、使命感のある個人が手を挙げ、これにそれぞれのセクターをトップ・レヴェルにて率いながらも、その役割だけに飽き足りず、志を均しくする個人たちが糾合するという「運動体」であるべきなのだ。ところがこのように考えれば考えるほど、はたと悩んでしまわざるを得ないのである。なぜならば、このように最初に「言葉の狼煙(のろし)」を上げ、一つの運動体が出来上がるように仕向けるのが「言論人」であり「文化人」の役割なのであるが、現代の我が国にはこの役割を果たしている者が皆無だからである。

我が国の「言論人」「文化人」について第二次世界大戦後の流れをざっくりと書いてみるとこうなる:

 

●まず”敗戦”直後から「戦後知識人」なる一群が現れた。丸山眞男南原繁、そして鶴見俊輔らがその典型だ。彼らの行ったことは、要するに「戦争を始めてしまってごめんなさい」と我が国を一億総懺悔へと導くことだった。そこに見られたのは戦前日本の全否定であり、新たに戦後秩序を創るべくGHQという名前で進駐してきた米国を絶えず意識した上での発言であった。時に「学生運動」や「ヴェトナム反戦運動」などが起きたが、これらは結局のところそうした「海の向こうから与えられた秩序」に対する適応過程の一部にすぎなかったのである。そしてそこに置いていわばカタリュザトア(脱硫装置)として働いていたのがこれら「戦後知識人」だったのである

●これに対して1980年代後半から突如として浮上し始めたのが「マスコミ文化人」たちである。田原総一朗櫻井よしこ宮崎哲弥、そして新しい例としては佐藤優池上彰がその典型である。彼ら・彼女らには4つの共通の特徴が見られる。一つはこれら「マスコミ文化人」たちはその言論の内容というよりも、企業としてのマスメディアの圧倒的なマーケティング能力によっていずれも登場しているという点である(たとえば「テレビ」=田原総一朗・櫻井よしこ・池上彰、「出版」=佐藤優)。二番目としては、そのため一見したところ政府当局や米国に対して批判的なように見えなくもないが、その実、うまく立ち回っているということである(その意味で政府当局や米国といった「枠組みを与えてくれる存在」を前提とした議論しか彼ら・彼女らはしない)。もっといえば「定見」があるようでいて、実は無い。そして3つ目として「マスコミ文化人」たちはマスコミからその都度与えられる枠内であっても受け手の側に印象に残るよう、時に暴力的な言葉を平気で吐く、という点である。最後に4番目として、いずれも「金融資本主義化」「グローバル化」「フラット化」という国際社会の現実とは実に縁遠い発言を繰り返しているという点も指摘しておかなければならない(「株価」の話など持ち出そうものならば、「そんな不潔な話をするな」とでも言わんばかりの反応を見せる。しかし我が国は資本主義国であることを忘れてはならない)。

 

我が国においてこれまで見られたこれら二つのタイプの言論人・文化人は、2014年を迎えた今、もはや存在意義を全く失ったというべきである。なぜならば私が公式英語ブログでも明らかにしたとおり、いよいよ本格化する「日本バブル」の向こうに待っているのは単なる景気低迷ではなく、「デフォルト(国家債務不履行)処理を事実上行うことを通じ、日本という国家そのものが存亡の危機に立たされること」に他ならないからである。つまり「戦後知識人」や「マスコミ文化人」たちが大前提としていた枠組みそのものが消えてなくなってしまう危険性があるということなのだ。その時、彼ら・彼女らは必死になって”論じる”のは間違いない。だが、その議論はどうにもこうにも納得がいかないものになるのだ。なぜならば事そこに及んだ時、私たち日本人が求めるのが「新しい枠組みの創造」であるのに対し、「戦後知識人」(の生き残り)や「マスコミ文化人」たちは相も変わらず「誰がこんな日本にしたのか?安倍晋三総理大臣か?財務省か?民主党か?あるいは米国か?」といった調子でこれまでと同じく「枠組みは誰かに創ってもらいながら、それを与えてくれた絶対的な存在に対して乱暴な言葉でたてつくふりをする」ことに終始するからである。

「デフォルト(国家債務不履行)処理を事実上行うこと」とは、要するに戦後日本がこれまで貯めこんで来た富がいよいよ雲散霧消させられてしまうことを意味する。本来ならば「国民福祉税」という形で1990年代初頭に手を打ち始めていればよかったものの、正にこれをブロックしたのが当時の我が国のマスコミであり、「未来について気づく力」を失っていた私たち日本人はこれに拍手喝采したのである。そしてその前に「平成バブル」ですっかり使い込んだのも他ならぬ私たち日本人なのだ。そのツケは余りにも莫大なものであり、最初は「誰のせいだ」「彼のせいだ」と例によって「マスコミ文化人」たちが騒ぎ立てるに違いないが、やがてそのレヴェルで済む問題ではないことが誰の目にも明らかになるのだ。

新時代に求められる「綜合文化人」とは?

だが、日本語では実にうまく言ったものであり「災い転じて福と為す」と古から云う。早ければ2年後には事実上始められるはずの我が国における「デフォルト(国家債務不履行)処理」と同時に、私たち日本人が持っている長所を掻き出し、これを今後ますますデフレ縮小化に苦しみ始める国際社会に対して打ち出していくこと(=我が国固有のルールによる世界秩序の再編、「パックス・ジャポニカ」の実現)、それと同時に我が国社会に溜りに溜った澱を吐き出させることで、我が国の未来は明るく輝いたものになることが未だ可能なのである。

そしてこれを可能にするための”場”づくりを行うことこそ、2014年から生まれるべき言論人・文化人に求められる役割なのだ。こうして新たに生まれ出づる言論人・文化人に求められる能力・態度は次のとおりである:

 

●「イノヴェーション」「ゼロから創造」「そのための社会統合(インテグレーション)」を行うのが自らの役割であると最初から決意していること。誰かから与えられた枠組みを批判的に云々するのが役割ではなく、救国のための「新たな価値・枠組みの創造」が自らに課せられた使命であることを知っていること

●米欧が主導してきた秩序が行き着いた先である「金融資本主義化」「グローバル化」「フラット化」のいずれについても、その構造的な問題点を熟知しているのみならず、「その次」に向けた具体的な提案力・構想力を持ち合わせていること。もはや「誰かのせいにする」という態度は許されないと腹をくくっていること。他人に責任をなすりつけるという意味での「他責」ではなく、あくまでも全てを最後に負うという「自責」へと常に立ち返るための修練を日々行っているという意味で「経営者」としての経験があることが望ましい

●問題意識と志を均しくし、同時に我が国に真の刷新をもたらす動きの最先端にあってこれをリードしている仲間たちを糾合し、もってイノヴェーションをもたらす「メディチ効果」を発揮するための”場”づくりを行うためのリーダーシップをとることが出来ること。そこでは各人が持ち寄る能力に対して「いいね!」と率直に語り、互いに高め合うのが基本となる。これは、マスコミの番組に”場”をもらってそこに相手を誘い込み、テレビ・カメラの前で完膚なきまであげつらうといった「マスコミ文化人」の行動パターンと真逆の行為である

●「事実上のデフォルト(国家債務不履行)処理」を行うまでに追い詰められた我が国に、再び富をもたらし、同時にそのことを通じて国際社会に対し、”インフレ拡大経済”という意味でのこれまでの金融資本主義の「次」となる範を示すため、我が国の持つ次の長所について深い造詣を持ち、専門家たちと議論することが可能であること:

―世界有数の技術力

―争いではなく、あくまでも「平和」を根本とする社会の在り方

―自然の破壊ではなく、それとの調和を基本とする文化(「●●道」と呼ばれるものの根幹にあるもの)

―「対称性」「造作」を前提とする米欧の芸術に対し、「非対称性」「自然(じねん)」を基本とする我が国の芸術

―これらを可能とする日本人に特有の右脳優位の脳システム(及びこれを持ち合わせない米欧に対して与える右脳優位の「人工知能」)

 

このような意味で、2014年を迎えた我が国がこれからに向けて必要としているのは、日本が持ち合わせている「長所」を綜合的に知っており、かつこれを高めることで未曽有の危機を乗り越えるための”場”づくりをすることの出来る文化人である。こうした存在、そう、これまで戦後日本には存在してこなかった者たちのことを「綜合文化人」と呼ぶことをこの場で提唱したい。もはや再分配のためのマシーンと化した政府や公的機関、あるいは相も変わらずの不毛な批判ばかりを商業主義に則って吐きつつ、マスコミ上における自らの優越的な地位をあくまでも守ろうとする「マスコミ文化人」たちではない。こうした「綜合文化人」こそが、民間セクターの場にあって我が国全体でイノベーションをもたらし、ひいては人類社会の在り方に大きな変革をもたらす役割を担い始めるべきなのである。

まずは「フクイチ」から始まる

同じく我が国では古より「隗より始めよ」という。何事もまずは自分から始めよ、という意味である。「綜合文化人」への脱皮を宣言するにあたり、私自身、次の問いへの答えをまずは手始めに年初から示していくつもりである:

 

「『日本バブル』だといっても我が国に暗雲を垂れ込めさせ続けているのが福島第一原子力発電所から続く放射性物質の放出。その最大の難関であり、同時に従来の技術では解決不可能と考えられていたトリチウム汚染水問題を、我が国で正に生まれ出づる最新技術をもって処理するとどうなるのか」


「綜合文化人」としては地に足のついた答えを提示し、かつそれを現実にしていくための”場”づくりをしなければならない。そしてそのための道筋について、今月開催する年頭記念講演会で私自身の口からお話したいと考えている。2014年は実に激動の一年になりそうである。(全三回終了)


原田武夫

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)代表取締役

http://bylines.news.yahoo.co.jp/haradatakeo/20140103-00031230/


 

パックス・ジャポニカへの道 「綜合文化人」宣言(その3)

http://blog.goo.ne.jp/shiome/e/82e9567c0d98c46b5361de63b0d93ec9

 


 

パックス・ジャポニカへの道 「綜合文化人」宣言(その1)

http://blog.goo.ne.jp/nobody-loves-you/e/39f4957454d5c227b8ce9e455c43e71c


パックス・ジャポニカへの道 「綜合文化人」宣言(その2)

http://blog.goo.ne.jp/nobody-loves-you/e/958b8975e94aa0843e95876f9db77494



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