日暮らし通信


その日暮らしの生活でも、感謝しています

日頃、見た事・聞いた事・感じた事・そして言いたい事などを発信します

梅雨の合間に

2015年06月15日 16時55分25秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

百合の花

空堀川沿いにて
(H270615 撮影)



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今日は散歩の前に妻の髪の毛をカットした

日常、主夫として生活していると ”増えなくても、伸びなくてもいいのに” と思っているのに、そんな私の気持ちに関係なく間違いなく増えて、伸びるのは 「床に溜まる綿埃(わたぼこり)」 と 「妻の髪の毛」 だ

両方ともそのままにしておく訳にいかず、掃除して、そして妻の髪の毛をカットする仕事はあまり気が進まないが私の義務のようなものだ

掃除は掃除機に任せることでやる気させあれば済むことだが、髪の毛のカットとなるとそう簡単には扱えないことだ

妻の週二回のディサービス行きを考えるとあまり見っとも無い髪型にすることも気になるので、何とか上手にカットするように心掛けるのだが、そのカットはそう簡単な仕事でもない

実際には妻の髪の毛はそうは長くないが特有なDNAのせいか 「(くせ)っ毛」 のため短くても先端がカールしてしまうタイプだから、その 「癖っ毛」 を見ながらカットする時期を決める

一般的には女性はどのくらいの間隔でカットするのかは定かではないが、妻が先にカットしたのが4月3日のことだから、今回は二が月を過ぎてしまったが、 「癖っ毛」 対策として短めにカットするのでいつも髪型は ”ボーイッシュ” な感じになってしまう

今日のカットも ”あまりいい出来ではない” との自己採点だが、特別にカット技術を持ち合わせていないので仕方のないことだ

カットが終わって妻に手鏡を持たせて ”どうかなあ~ こんな形で” と採点を迫ったのだが ”ああ~ サッパリした” と、いつも通りの答えだった

良いとも、悪いとも、言わないその採点ではなくて、少し何とか言って欲しいのだが、もし 「悪い」 と言われても修正技術を持っていないので ”コメント無し” の妻の採点を有難いと思うしかない

想い起こせば妻が元気な頃、ある日突然美容院へ行って 「パンチパーマ」 にして帰って来た時はビックリした

たった一度の 「パンチパーマ」 だったが、今日妻の髪の毛をカットしながらふとそんなことを想い出した







ある出来事

2015年06月14日 15時37分22秒 | 日暮らし通信

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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

ニューギニアインパチェンス

自宅庭にて
(H270613 撮影)



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 ”世の中にはそんな事があるのか?” と、常識では考えられない出来事が起こった

それは山口県下関市の障害者施設に通っていた知的障害者を虐待する映像が内部告発者によって公開されたことだった

顔はマスキングされていてもその職員の言動は明らかに過ぎたる行為で許せない内容だった

そしてこのような事実が浮かび上がってくると、次から次へと市側対応のアンマッチさが目立つばかりになってしまった

この問題、メディアの取材が入らなければ、まだまだ続いていたであろうし、ここでは日常的に施設内で繰り返されていたに違いない

内部告発者が施設の上司、監督する市側にも伝えたようだが、充分な調査もなされずに済まそうとしたことは許されることではない

当然、虐待した当事者や穏便にしようとした関係者を激しく罰することが必要で、虐待した当事者の職員は懲戒免職、そして暴行容疑で逮捕されたが、他の職員も同じような行為をしていた可能性は無いのであろうか?

このような知的障害者の施設に限ったことではなく、高齢者を介護する他の施設でもこれに似たような話を聞いたことがあるはずだ?

おそらくはこのような虐待は他の施設でも起こっていると懸念してもおかしくはないのかもしれない

ところで妻がお世話になっているディサービス施設では大丈夫だろうか?

疑念が増した私は妻に 「怒られたことはないか? 何か言われたことはないか? 何か(いじ)められたことはないか?」 と聞いてみたが、妻は簡単に 「大丈夫」 と答えるので安心するしかない

しかし、私の杞憂も少し度が過ぎているのでは? と反省気味でもある

それにしても問題の映像を見る度に ”こんなことが公然と行われているのか?” と驚くしかない

 ”弱者には気遣いと、優しさを” と、常人は目線を下げて弱い者たちを見守って欲しいと願っている







アジサイを撮る

2015年06月13日 14時23分58秒 | 日暮らし通信


妻がディサービスに行く水、木曜日以外は必ず二人で散歩する

今の時期はどの場所にいても視線の中に必ず何らかの花が咲いているが
その主役は 「アジサイ」 だろう

そのアジサイは意外と街中の民家で何ケ所でも咲いているので
家を出る時、今日の撮るテーマは 「アジサイ」 にしようと決めた

スローモーションのようにゆっくりとした私たちの歩みの中でも
妻は時折、立ち止まって 「アジサイ」 の花を楽しんでいる

短い時間の散歩で、何と言う名の種類のアジサイかは? 判らないないが
いろいろなアジサイが咲いていた

今日の散歩で撮ったアジサイをご紹介しよう

















和歌では 『紫陽花(アジサイ)』 は夏の季語らしいが
アジサイは平安時代から和歌の世界で詠まれていたらしい

  あぢさゐの 下葉にすだく蛍をば 四ひらの数の 添ふかとぞ見る
                      - 藤原定家 -



    写真説明: 今日見たアジサイ
    撮影場所: 街中にて


満開 「大盃」

2015年06月12日 15時12分35秒 | 街角から

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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

満開 「大盃」

ある農家の庭先にて



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今日もいつものように妻と散歩に行くのだが、起きてすぐ着せた半袖シャツで大丈夫だろうか? とまた考えてしまった

9時過ぎ、雨は止んでいるが空はドンヨリとした梅雨特有の曇り空で、また降り出しそうな空模様だ

途中で降られたら面倒だからと、急遽妻に衣装交換を要求、やはり長袖シャツに着替えさせたが、9時半過ぎ家を出る時には、雨対策として妻用に 「合羽」 を買い物カートに入れるのも忘れなかった

この頃ではあちこちで最近まで咲いていた生垣のサツキの花ももう終わってしまった。街中の花の主役はサツキからアジサイにバトンタッチされたようだと、その季節の移り気を感じながらの私たちの散歩だ

途中、ある農家の庭先を見てびっくりした

写真のようにサツキが満開だった。この種類は街中ではポピュラーな 「大盃(おおさかずき)」 と言う種類で、その歴史は江戸時代に遡るほど古いサツキの一種だ

この半円形に仕立てられたサツキはいまが満開。でも街中にある 「大盃」 は殆どもう花を終えているのに、この木だけは何故今が盛りに咲いているのだろうか?

根元を見ると数本の株立ちから成り立っているようだが、この太さだとかなりの樹齢を数えているようだ

それにしてもぎっしりと花数が多い。だがサツキは花後の刈り込み次第で、如何様にも花を咲かせることができる

特にこの大盃は木姿を気にしなければ充分に刈り込んでも芽吹いて花芽を付けるから、初心者でも安心して扱える種類だ

 ”それにしても良く咲いているなあ~” が私の実感だったが、今日は買い物に行く途中で思いがけない満開の 「大盃」 に出逢った

だが今年のサツキも終わり、サツキ愛好家は植え替えに剪定にと、暇を惜しんで働くはずだ

私もサツキに熱中した若かった時代を想い出した。サツキの剪定、植え替えは6月中に終わらせる、それが来年に花を咲かせる重要なポイントでもある







北山公園菖蒲苑

2015年06月11日 16時48分16秒 | 日暮らし通信


今日は9時半に自転車で家を出て、25分後には 「北山公園菖蒲苑」 に着いたが
この公園は 「新東京百景」 に選ばれているので最近は訪れる人も多いようだ

しかし、私にとってはかつては田圃だったこの辺りは
公園と言うよりは 「昔の遊び場」 として私の記憶にメモリされているが
昔という表現は昭和20~30年代に遡ることになる

さて入口の 「善行橋」 は、昔は名前が ”あったかなあ~” と
記憶を巻き戻したが定かではない

この川は今では 「北川(きたがわ)」 と言われているが
昔は 「後川(うしろがわ)」 と呼んでいたように記憶している




 「善行橋」 の中央で川上を見たこの風景
何とも汚れた現在の姿だが
私にとってはすこぶる想い出のある場所である

この川の上流を遡って行くと水源は 「村山貯水池」 に辿りつく

かつてはこの公園辺りは一面の田圃が続いていたが
春先からは所々に小さな堰が造られて水を止めていたが
時々 「村山貯水池」 からの放流があって
その堰から田圃に水が引き込まれるようになっていた

この写真の所にも堰があってそれは通称 ”ドードー” と呼ばれて
の子供たちにとっては願ってもない泳ぎ場となっていた

そんな想い出の場所もこのようになってしまったのが残念だが
今は貯水池からの放流は無いのだろう




苑内南側には沢山のテントが張られて、いろいろな商品が商いされているが
この菖蒲苑が始まった頃は、このような商売はなされていなかったから
ゆっくりと静かに菖蒲を楽しんだものだった




苑内東側から西方を望む




北側から南方を見ると休憩所と背後には
この街には似合わない高層ビルが建っている

このようなビルが何故、財政乏しい我が市に建ったのでしょうか?




南側には高さ三メートルほどの展望台があって
そこから見た苑内です








この写真、何の変哲もない樹木が並んでいるようですが
中央は少し樹木の膨らみが少ないように見えませんか?
それと樹木の高さが少し低いようにも見えませんか

実は太平洋戦争の時代にはこの部分が削られて
その土はすぐ前にある線路から貨車で
所沢飛行場へ運ばれたそうです

戦後は 「西武園線」 も開通していませんでしたが
線路はそのままでこの辺りの線路には貨車が停まったままでした

その頃はこの部分は山肌が露出していて茶色でした
土地の人たちはこの削った部分を 「崩れ山」 と呼んでいました




今、苑内の菖蒲は6、7分咲きとのことですが
今年は花数が少ないと、ガイドさんの説明でした

長い文になってしまいましたが
咲いていた菖蒲をご紹介して終わりにしましょう














    写真説明: 菖蒲を撮る
    撮影場所: 北山公園菖蒲苑にて (H270611 撮影)



梅雨入り雑感

2015年06月09日 15時21分13秒 | 日暮らし通信
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

雨に打たれたペチュニア

自宅の庭にて
(H270609 撮影)



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昨日、関東地方は梅雨入りした。昨年より三日遅いとのことだった

梅雨と聞くと一般的には暗いイメージを想像するが、日本文化にとっては沢山の恩恵があるらしい

さて、梅雨とはどんな定義なのだろうか? ネットでの説明を引用させてもらうと


『梅雨 (つゆ、ばいう) は北海道と小笠原諸島を除く日本、朝鮮半島南部、中国の南部から長江流域にかけての沿海部、および台湾など、東アジアの広範囲においてみられる特有の気象現象で、5月から7月にかけて毎年めぐって来る曇りや雨の多い期間のこと。雨季の一種である』

と、説明している

この説明によると、どうも梅雨は日本だけではなく、アジアの広範囲に影響を与えている雨季のようだ

さて、この梅雨は私たちの生活にどのように影響する? と、思案しても極く狭く行動範囲が限られている要介護家庭にとってはあまり影響もなさそうだ

だが待てよ、よくよく考えてみて主夫の立場からすれば 「洗濯物が乾かないなあ~」 と、それくらいの愚痴がせめてもの梅雨の影響かもしれない

かつてはこの梅雨の時期、雨に咲くアジサイが撮りたくて妻とあちこちの公園や植物園に行ったのを想い出して我慢することにしましょう

昨日は20時過ぎから雨となって今朝の7時過ぎまでは本降りの雨の音がした

今朝、庭のペチュニアを見ると激しい雨に打たれたのだろうか、萎れている花が多い

私は春先から秋口までがペチュニア、秋口から春先まではパンジーを植えて花を楽しんでいるが、パンジーは真冬の寒さでも元気に咲くが、ペチュニアは花びらが雨に少し弱い、というのが実感である

昨日からの雨でペチュニアも頑張ったのだろうが、萎れた花を見ると少し可哀想な気もする

午前中、花殻を摘まんで花姿を整えたが、二番花も少し花数が少なくなり、茎も間延びしてきた

梅雨の間にもう一度切り戻してみようか? とも考えている

関東地方の梅雨明けは7月21日頃とか? まだ梅雨に入ったばかりなのにもう梅雨が明けた真夏の日差しを期待しています






芋殻の煮付け料理

2015年06月08日 15時24分15秒 | 日暮らし通信
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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

名知らずの花

空堀川沿いの民家にて



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まだ梅雨入り宣言も出ない昨日の午後、長男夫婦と孫を連れた次女夫婦がやって来た

もう始めての誕生日が過ぎた孫もやっと歩きだして体重も増えたようだ

実家に来るのは月に一回程度だが、私にとって助かるのは夕食の支度が免除されることだ

この日ばかりは長男の嫁さんと次女が相談して夕食一切を作ってくれるので大助かりだ

さて夕食はどのようなメニューなのだろうか?

次女は 「ハンバーグ」 と 「ゴーヤチャンプル」 を作るらしいが、後者は始めて作るらしいのでどんな味になるのだろうか?

嫁さんは料理達者だ。いろいろなオカズを短時間で手っ取り早く作るのにはいつも感心している

最近、私は嫁さんに好きな 「芋殻(いもがら)の煮付けを作って」 と、頼んだのだが、最初はサトイモの葉柄(ようへい)である 「芋殻」 そのものを説明しないと判って貰えなかった

そこで嫁さんは実家のお母さんにも相談したそうだが、その地では 「芋殻」 ではなく 「ズイキ」 と言うそうで、偶然実家にそのズイキがあって送ってくれたとのことだった

だが料理上手の嫁さんにしては珍しくその煮付けに苦労しているようで、なかなか私の口にあう 「芋殻の煮付け」 が完成しないようで、試食すると少し煮過ぎたようで、あの特有なシンギリシンギリする芋殻が柔らかくなっていた

嫁さんはさらにこの 「芋殻の煮付け」 に挑戦するとのことなので、次回を楽しみにしています

さて、いつも妻との食事では、隙間だらけの食卓も昨日はお皿のオンパレードでたくさんの料理で埋まってしまった

次女が作ったハンバーグも美味しくて妻の食欲も上がったようだったが、私が気にしていた 「ゴーヤチャンプル」 も始めてにしては味もよく付いていた

このように沢山の料理があったので、私は12年物のスコッチ・ウイスキー 「TOMATIN」 のオンザロックを飲むことにしました

いつも静かな妻との食事と違って、大勢で食べる夕食はまた違った意味で賑わいのあるひと時となった

その賑わいも8時過ぎに皆が帰ると、また妻との二人だけの静けさに戻ってしまった








農のある風景

2015年06月07日 14時46分47秒 | 街角から


いつも妻と歩いて近くのスーパーへ行く途中
ある農家が畑に写真のように南北に ”長~い(うね)” を作った

昨年は東西に畝を作っていたので
今年は連作を避けてこのような位置にしたのであろうか?

地方ではこのように長い畝は当たり前かもしれないが
この辺りではもう広い農地も少なくなったので
このように長い畝は見ることもなかった

ざあ~っと目測しても100メートル以上はある長い畝だ

畝はビニールシートで覆ってあるので
この畝には何を植えるのか? と興味を持っていたが
今日見るとその畝の一部にはサツマイモの苗が植えられていた

この農家では写真手前にあるような
 「サツマイモの苗床(なえどこ)」 を造って苗を育てているので
その苗を植えているようだ

それにしてもこのような長い畝は始めて見た

因みにこの写真、住宅の手前が空堀川です




買い物帰り、空堀川沿いから右手 (北の方角になります) を見ると
久しぶりに耕運機が農作業中でした

何か畝造りの最中のようですが
この農家も広い農地の持ち主です

でも手前の緑色の植物は雑草です
この辺りの農家ではこんな管理の仕方が多いのです

今はこのような耕運機で作業するので
人出も少なくて便利でしょうが
昔はこの広い農地を人間が(くわ)を使って耕していたのだから
時間も人出もかかったことでしょう

そしてどの畑を見ても雑草など生えていなかったから
昔のいわゆる ”お百姓さん” は優れたノウハウを持っていたはずだ

私は日本にはやはり 「農のある風景」 がよく似合うと思っている




    写真説明: 農のある風景
    撮影場所: 空堀川沿いにて (H270607 撮影)




我が家の安否確認

2015年06月06日 14時57分42秒 | 日暮らし通信

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■□ 撮影場所 □■

空堀川沿いにて


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ブルーサルビア


百合遠景




先日、お世話になっているケアマネさんから電話があり、市役所へ提出していた 「高齢者緊急通報システム利用申請」 は不受理になりましたのことだった

私自身はあまり期待はしていなかったが、ケアマネさんがかなり下準備して市役所へ説明をするなどの後押しをしてくれたが、条件に非ずとのことらしかった

私が要介護の妻と暮らすようになってからの一番の悩みは 「もし、私に何らかの異常が生じた場合、妻はそのSOSを外部に伝えることが出来ない」 ことだった

この件については転居以来、私も第一懸案事項として、行政側にも何回も質問したが、現状では私たちの年齢構成では 「安否確認」 については得策な方法が無いことが判った

そこでケアマネさんがいろいろと調べた結果、市にはこのシステムがあることが判ってその利用を薦めてくれた

このシステムは電話回線を使って利用者と民間の警備会社が連携して緊急時に対応するもので、市が一部を補助する緊急システムだった

しかし、我が家のように私が特に異常な身体状態では無いので利用は出来ないとのことらしいが、それと利用申請者が多く、経費も掛るのでかなり絞って利用を受理しているようだ

市では高齢者対策として民生委員や老人相談員による家庭訪問などを行って、高齢者の安否確認を把握しようとしているが、条件が 「75歳以上の独り暮らし」 または 「二人とも75歳以上の夫婦」 なので私たちには該当しない

前述した 「私の一番の悩み」 は今も消えた訳ではないが、行政側の仕事なんて所詮は ”お役所仕事” 、敢て期待することは止めることにした

それにしてもお役所の仕事ってどうして柔軟性に欠けているのであろうか?

それと高齢者への味方だと思っていた民生委員や老人相談員もあまり頼りにならないのが現状だが、私は行政側に過度なサービスを期待しているわけではない

いい策が無い 「我が家の安否確認対策」 だが、私には結論は判っている

それは 「私がいつまでも元気でいること。妻より先に私が逝かないこと」 だと、ありふれた簡単な結論だった







今日のアジサイ

2015年06月05日 15時28分35秒 | 日暮らし通信


今日は昨日より5,6度気温が低い

朝起きて、妻には半袖シャツを着せたが
買い物に行く時には、長袖シャツを重ね着させた

関東地方の梅雨入り宣言は未だお預け状態だが
午後からのドンヨリした外気を見るともう梅雨モードのようだ

今、この辺りでは花の主役はやはり 「アジサイ」 だろう

梅雨に似合いのこの花は、雨模様でも鮮やかな色を失うことがない

私も降りしきる雨の中でもアジサイを撮ることが好きだが
雨の滴をタップリと花びらに載せながら咲くアジサイは見応えがある

今日も妻との散歩中出逢ったアジサイを見ながら
 ”六月は何だっけ?” と、妻に問うと
 ”六月はアジサイ” と答えた妻の気持ちの中にも
アジサイは失われていない記憶として残っているのだろう










15時過ぎ、庭の外気温は22度、ちょっとヒンヤリしています



    写真説明: 今日の散歩で見たアジサイたち
    撮影場所: 街中にて (H270605 撮影)




C46輸送機 (機体番号:91-1143)

2015年06月04日 18時08分13秒 | 所沢航空記念公園


今日は飛行機を見たくなったので、9時過ぎ独りで所沢航空記念公園へ行った

いつも終日妻と一緒にいると 「たまには独りになってみたいものだ」 と思い続けているが
いざ独りで歩き始めると何か隣の空間が気になってしまう

独り歩きだから自由気儘にと急かされても
いつも妻と一緒に歩いているペースがそう変わるものでないことが判った

だから習慣というのは恐ろしいもので
良い習慣は善の知恵になってその人の善行を養い
悪い習慣は悪行に繋がって世の為にならない行為となる

そうなると現在の日本の教育方針は大丈夫であろうか?

さてやっとC46輸送機が見える所にやってきた
いつ見ても飛行機は私の空への憧れをまた新たにする

このようなレシプロエンジンの機体はセスナ級の小型飛行機を除いては
もう見ることができない貴重な機体です

このC46輸送機 (機体番号:91-1143) は
おそらくは第二次世界大戦中に造られた機体だから
もしかしたら私と同じくらいの歳を経ているのかもしれない

戦後、多数のC46輸送機が民間の航空会社に払い下げられたが
まだ北米や南米で飛んでいるとの説もある




いつもこの機体を見る度に嘆くのは鳥たちによる糞害だ

飛行機と言うのは意外と隙間が開いている物体だから
このように地上展示中の機体が鳥たちにとっては格好の住宅となる

それにしても折角お化粧直ししたばかりなのに
もうこのように汚れてしまった










入居者はスズメだけかと思っていたら
ヒヨドリまでもが入りこんでいた

(あたか)も 「このエンジンは俺のものだあ~」 と言わんばかりに
2000馬力のR-2800エンジンのスピンナーに陣取ってアピール中だった






これは3月5日に撮ったC46輸送機だが
こんなに綺麗な機体だったのに
鳥たちのお陰で今は汚されてしまった




また別のスズメがフェンスにやって来た
C46輸送機に住みたくて、空き家を狙っているようです





    写真説明: 展示中のC46輸送機
    撮影場所: 所沢航空記念公園にて (注記以外は H270604 撮影)



私の 「五月病」

2015年06月03日 16時34分25秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

雨に咲くサツキ (大盃(おおさかずき)

ある路肩にて



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要介護の妻を見ていると ”元気で自由に自分の意志で動ける人は幸せだ” と、私はいつもそう思っている

その健康の有難さを忘れている人は世の中にはたくさんいるだろうが、その人たちだって自分が(やまい)になった時には嫌と言うほどその有難さが判るはずだ

私も最近、自分の体のことで悩んでしまった

4月末あたりから何となく体が重くなって、少しだるさを感じるように勢いが消えてしまった

動いている間は何とも感じないのだが、ゆっくり体を休めているとやはり何となく疲れているような倦怠感に悩まされてしまった

そうなるといろいろと悪い結果に結び付けてしまうが、何と言ってもどうにもならないのが、自分で料理できないから食生活がコントロールできないいことだった

食べる物と言ったらいつも買ってきた出来あいの食べ物ばかりだから、それがいつも心配だった

そしてこの体の変調は恐らくは肝機能や血糖値の異常によるものではないかと考えるようになったので担当医に相談した後、5月28日に採血、採尿して検査することになった

さて一週間後の結果を聞く間も悩みは尽きなかったが、肝機能や血糖値の異常があった場合はどうすればいいのだろうか? と、また変な妄想に苦しんでしまった

結果も判っていないのに小さなことにも拘る私特有の欠点は一生私を苦しめそうだ

そして今日が結果が判る日、だが朝から本降り模様の雨の降り方も、何か不吉な予感を感じてしまった

9時半過ぎ、やっと 「○○○さん、どうぞ」 の声に診察室に入って検査結果を聞いた

 「肝機能や血糖値は異常ありません。他のデータも特に異常ありません」 との医師の声は輝いた幸せの響きに聞こえた

昨年、10月に検査したデータともほぼ一致した正常な値だった

ともかく良かったと安堵したが、偏った食生活は少し修正する必要を感じたが、医師からは特にコメントは無かった

 「幸せの定義は?」 と聞いたら誰もが違った条件を答えるに違いない

しかし 「健康であること」 の条件は必ずどの人の 「幸せの定義」 にも共通している大事な条件であることは明らかである

でも私を苦しめたあの倦怠感の原因は一体何だったのだろうか? 俗に言う 「五月病(ごがつびょう)」 だと思って深追いしないことにしよう

医師からよい結果を聞いた後は、不思議なことに体が軽くなってきたのは有難いことだった

 「人間 = 私」 とは? 複雑さも備えているが、半面、単純・簡単であるメンタルな面を持った生き物であると実感した






コスモス咲く

2015年06月02日 14時39分09秒 | 街角から

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

コスモス一輪

ある路肩にて



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今日もまた妻と歩いて家を出て近くのスーパーへ買い物に向ったが、(あたか)も ”夫婦亀(めおとがめ)” のようにゆっくりと歩いて約10分ほどは歩き続ける

この間、民家が多く立ち並ぶ狭い道路が続くが、意外といろいろな花が咲いているので、妻は時々立ち止まって見ることもある

この辺りは広大な土地持ちの農家が何軒もあるが、どの家でも若い人が農作業をしているのを見たことがない

農業が機械化されたと言っても人的労働力が低下しているのは現実で、そのため無耕作の農地ばかりが目について、作物の植え付けが無い空間が続いている

たまには農作業をしている人もいるが、それは皆高齢者ばかりなのを見ると 「日本の将来の農業」 はどうなるのであろうか? と不安になってしまう

本来日本は 「農業国」 のはず、いつからこのような変化が起きてしまったのであろうか?

そんな想いを脳裏に浮かべながら歩いていたら妻が立ち止まって ”もうコスモスが咲いているよ” と指差す先にはコスモスが咲いていた

 ”もうコスモスが咲く時期だっけ?” と、私もその花を眺めた

その広い休耕地の北外れにポツリと一本のコスモスが風に揺れながら固い蕾を従えて一輪咲いていた

コスモスは私にとっては不思議な花だ

この花を見ると ”武骨で不粋な私” でも、ふと安らぎの時を得て一瞬穏やかになったような気持ちなる

そんな気持ちでシャッターを押すから、コスモスの花を撮っても失敗することは少ない

それは ”写真は撮る人の心が写る” と、先輩から教えられた教訓に繋がっているのであろうか?

たった一輪でも活き活きとしたコスモスの花を見ていると、人間なんて何と小さな存在だろうか? と、また変な空想に捕われてしまった

 ”花一輪にも心あり” コスモスは私にとってはやはり不思議な花である







花のある風景

2015年06月01日 15時03分33秒 | 街角から

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■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

花のある風景

志木街道沿いにて



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世の中には花好きな人はたくさんいることだろう

しかし、家の構造的な事情で草花を植えることも、鉢物草花を置くことに苦労している花好きな人も多いことだろう

私もそんな事情の一人かもしれない

建売住宅の狭い庭で如何にして草花を育てるか?

その第一条件である ”いつも陽当たりのいい場所に置く” を満たすにはどんな置き方がいいのかと、何回も試行錯誤を繰り返してきた

やっと今のレイアウトにするための置き場造りには五年もかかってしまったが、お陰さまで終日陽のあたる場所で草花たちも順調に花を咲かせている

でも世の中にはそんな事情をものともせず、空間を縦横に使って花を楽しんでいる人が街中にいる

いつも妻と近くのスーパーでの買い物が終わると空堀川沿いに行くために約250メートルほど志木街道の側道を歩く

その途中、理髪店と住宅を兼ねたこの建物はご覧のように花満載の光景だ

今は赤いバラが満開だが、これを管理しているのはこの家の女主人のようだ

見れば見るほど、いろいろな場所にプランターとか鉢物が置いてあるが、その数は半端ではない

でもこのようにたくさん置いてあると、水遣りは大変だろうな、と余計な心配をしてしまう

私は鉢物草花で欠かせないのは 「咲き終わった花殻を摘む」 ことだと思っているのだが、このようなレイアウトではどのようにして花殻を摘むのだろうかと、また考えてしまった

でも待てよ、咲いた花をどのように楽しむのだろうか?

だって家の中からは全部は花が見えないはず、私が写真を撮った位置からだとよく見えるので、もしかしたら 「道行く人に楽しんでもらう」 との思いがこの女管理人の真意かもしれない

私もその意を受けて、写真を撮らせてもらいました

見事な花模様だが、私にはどうしてもこのようなレイアウトに花を置くセンスは逆立ちしても浮かんでこないようなので、見物するだけで充分な気持ちになった