今日もまた妻と歩いて家を出て近くのスーパーへ買い物に向ったが、恰も ”夫婦亀(” のようにゆっくりと歩いて約10分ほどは歩き続ける
この間、民家が多く立ち並ぶ狭い道路が続くが、意外といろいろな花が咲いているので、妻は時々立ち止まって見ることもある
この辺りは広大な土地持ちの農家が何軒もあるが、どの家でも若い人が農作業をしているのを見たことがない
農業が機械化されたと言っても人的労働力が低下しているのは現実で、そのため無耕作の農地ばかりが目について、作物の植え付けが無い空間が続いている
たまには農作業をしている人もいるが、それは皆高齢者ばかりなのを見ると 「日本の将来の農業」 はどうなるのであろうか? と不安になってしまう
本来日本は 「農業国」 のはず、いつからこのような変化が起きてしまったのであろうか?
そんな想いを脳裏に浮かべながら歩いていたら妻が立ち止まって ”もうコスモスが咲いているよ” と指差す先にはコスモスが咲いていた
”もうコスモスが咲く時期だっけ?” と、私もその花を眺めた
その広い休耕地の北外れにポツリと一本のコスモスが風に揺れながら固い蕾を従えて一輪咲いていた
コスモスは私にとっては不思議な花だ
この花を見ると ”武骨で不粋な私” でも、ふと安らぎの時を得て一瞬穏やかになったような気持ちなる
そんな気持ちでシャッターを押すから、コスモスの花を撮っても失敗することは少ない
それは ”写真は撮る人の心が写る” と、先輩から教えられた教訓に繋がっているのであろうか?
たった一輪でも活き活きとしたコスモスの花を見ていると、人間なんて何と小さな存在だろうか? と、また変な空想に捕われてしまった
”花一輪にも心あり” コスモスは私にとってはやはり不思議な花である
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夫婦亀、いいですね。
ほんわかします。
うちの連れあいは私が手を貸すと振り払うんですよ。
もう、コスモスが咲いていたのですね。
風に揺れるコスモス。
誰もが懐かしさと郷愁を覚えるコスモス。
一輪のコスモスに、ほっと心が和らぎますね。
私も、コスモスの花に会いに行きたくなりました。
こちらはまだ、早いかもしれませんね。
私の町も田畑が荒れたままになっているのが目立つようになりました。
このまま行くと日本の食料自給率は、ますます低下するのではと不安になります。
手は必要になったら引けばいいのでは
男は変なプライドがあって
余程のエマージェンシイにならないと
手を借りないでしょうね
私だって妻の手などを引かないで
たまには独りで歩いてみたいものです
コスモスは秋の花?
だと思っていたのですが
もう咲くなんて何か変ですね?
でも温暖化で今までのイメージは通用しないですね
空堀川沿いを歩いていても
所々にある植え込みでは
今年は雑草の勢いが凄く
植えてあるサツキなどが隠れるくらいに
伸び放題になってしまいました
去年はそれほどでも無かったように記憶しています
この辺りは作物無しの空き畑が多いです
跡取りが農業嫌っている家が多いようです
若者が農業を嫌っているところもあれば その
若者がいなくて・・お年寄りが農業が出来ない
それぞれいろんな事情がありますが、こちらは
ほんと深刻です。 近隣の真面目に農作業を
している人たちには 草の種が舞って困っている
これから益々大きな問題になります。これも憲法
民法がいろんな規制を・・・それが法治国家です
困ったことですね
始めたころに咲く花だと思っていました。
早咲きコスモスもあるのでしょうか?
岩手でも減反にコスモスを植えているところ沢山あります。農業離れは東北が一番らしいですね。
若い人が農作業をしている姿を見たことがありません
広い農地があっても高齢者なので
それを耕作する労力がないようで
雑草の餌食になっています
私は実家が農家ではありませんが
親戚に農家が多かったので
このような農業の衰退を見るのは寂しい限りです
何とか日本農業の復興も願いたいものですが
日本の農政はどこを目指しているのでしょうか?
これは地球温暖化の影響もあるのでしょうか?
私の東北のイメージは
見渡す限りの田圃の風景ですが
その東北も農業離れが進んでいるんですか?
やはり若い人たちは農業は嫌いなのでしょうか
困った世の中になりました