女優N・Fの2011年からの告白

2007年03月28日 | Weblog
2011年の春、私が東京で 私が会って、話をした、都民たちは長い間続いた石原都政で医療や教育などの社会的基盤が破壊された中で暮らしていました。

極右思想という地雷原に囲まれて、不発弾の落ちている道を使って、暮らしていました。
ババアと言われない女の子は10人に2人しかいません。
でも石原支配時代に禁止されていた「自由な学校に行って勉強する」ことが楽しくて仕方ないという思い出話はよく聞きます。今は、子供たちは毎日2 時間、日の丸、君が世に最敬礼しなければならいようです。

「先生になって、子どもたちに教えたいの。」
「お医者さんになって、病気の人たちを治してあげたいんだ。」
「この国が好きだから、この国をよくしたいんだ。」
東京の子供たちの口から、こんな前向きな言葉も聞けなくなりました。

かつて、アフガンの大地で一生懸命、たくましく生きている子どもたちから、私は逆にパワーをもらいました。この子たちがいれば、この国は大丈夫だ。 そして自分にも喝をいれなくてはと思いました。けれど、石原都政で体罰で渇を入れられたのは純粋な子どもたちでした。

2010年10月。プライベートで行った靖国神社でも、たくさんの18歳の子どもたちに出会いました。
今は清掃の奉仕活動が強要された靖国神社。しかし、抵抗した高校生、約四分の一が退学処分を受けてしまいした。失われてしまった悲しい歴史はまだ記憶に新しく、いまだ多くの処分がまっています。
そして石原都政3期目が終わっても極右思想という地雷は容赦なく子どもたちに襲いかかります。

「毎日たくさんの人たちが来て、疲れちゃうときもあるけど、僕たちのような子どもが増えないように地雷の怖さを伝えるんだ。頑張るから、また来てね!」靖国神社でこっそり本音を吐いた彼ら。

「お姉ちゃん、僕たちを撮って。そして伝えて。」戸塚ヨットスクールの体罰で犠牲になったその腕を精一杯振って、こぼれんばかりの笑顔でさようならを言ってくれました。

  ― 2007年、春。私は何を間違ったのでしょうか。


なお、このエントリーはここを参考にしました。


市場ですらない

2007年03月26日 | Weblog
【1】(民主党の桜井充議員は)規制緩和という名の下に、規制が歪められ、一部の人間がそれによって利益を得ていることを、ザ・アールの奥谷禮子社長、オリックスの宮内義彦氏などの例を挙げ糾弾。経済財政諮問会議、規制改革会議などで、責任を持たない有識者と称する人々が権力をかさに自社の利益を上げていることを、最大の政治の危機だと指摘した。
ザ・アールの奥谷氏に関して、ザ・アールが日本郵政公社から、マナー向上のための事業として4年間で8億円の取引をしていることを挙げ、こうした会社の社長が日本郵政株式会社の社外取締役になることの是非を詰問。菅総務相は、「実績による」「郵政審議委員として実績があった」としたが、櫻井議員が、奥谷氏の「過労死は自己管理」との発言をどう思うかと質したのには、「発言が事実なら不適切」と答えた。櫻井議員は、この答弁を受け、「不適切な発言があるなら(社外取締役)検討を」と迫った。菅総務相は「委員の意見も参考にさせていただく」と答えた。
最後に、オリックスがレンタカーの車検の1年延長を議題として取り上げたことを挙げ、これにより4億円の利益になること指摘した。(民主党HPより)

【2】
   ライブドア(マザース時価総額1位)の場合
【容疑】グレーゾーンの粉飾疑惑15.8億円
【制裁】東京地検特捜部が強制捜査、ネガティブキャンペーンで世論を検察の味方にする。 社長を逮捕、上場廃止、関連会社も即時掛け目0、魔女狩り裁判で4年の実刑を求刑。

  日興コーディアル(日経225採用銘柄)の場合
【容疑】会社ぐるみで140億円粉飾の後、500億円もの社債を発行
【制裁】売り上げた500億円のうち5億円の課徴金でOK、社長交代予定
    監理ポスト(2ヶ月ほど株価が下がるだけ)

逆転の上場維持の決定。理由は、以下のとおりらしい。
〈1〉日興が組織的に関与していたとの確証が得られなかった
〈2〉赤字を黒字にするような粉飾決算ではなく、利益の水増し額が多額ではない
〈3〉過去の例に照らしても上場廃止するほどではない。

はあ???
組織的でなければ、140億円もの粉飾など出来るわけ無いだろう。
粉飾決算は、赤字、黒字は関係ないはず。上場企業で粉飾という手法を使って赤字にする企業なんてあるわけ無いじゃん。
過去の例⇒ライブドアの例があるではないか。

私は、ライブドアやホリエモンを擁護するつもりは全くないが、日興コーディアルの処分とあまりにも差がある。政権やあらゆる伏魔殿との癒着が取りざたされても仕方がないだろう。

二つの事例からもわかるように、現在、日本社会で進んでいるのは本来的な意味での市場原理主義でも新自由主義でもない。市場経済のルールを時の権力とそれに結託した連中が捻じ曲げているだけの『市場もどき』だ。
市場経済を人間にとって有益なものにする為に、過去に様々な修正がなされてきた。その修正≒規制を取り払えという連中の本音はあくまで「私だけが儲けたい」という事にいい加減気づくべきだろう。そして、それを後押ししたのが「格差があることは悪いことではない。」と言い放った小泉とその後継と周辺に巣くう連中である。自民党の加藤紘一ですら「世界中の政治家が、方法論は色々あってもなるべく格差を無くそうと努力します、と発言している中で、これは異常な発言だ。」とかつて批判している。確かにそうだ。

私たちは、現在、歪な『市場もどき』― それは必ず格差を助長し、格差を固定化させる ― を許容するのか岐路に立っている。


急がばまわれ とくらさんのコメントから

2007年03月24日 | Weblog
先日のエントリーに対して、とくらBlogさんから、以下のようなコメントを頂いた。私の考えを少し述べます。

Unknown (とくら) 2007-03-20 01:39:53

>また民主党の中のリベラルハト派に護憲派無党派層が働きかける必要もあるでしょう。

ホントにそうだと思います。

先日、県外の方(たしか平和への結集をめざす市民の風のメンバーさん)からお電話をいただいて、とくらさーん、どうして民主党を応援するの、と他の人が言うのよー、と言われました。
私は、現実的な意味で、山口県では、今の自民党を止めようと思えば民主党しか選択肢がないと思うし、民主党にリベラルな人を増やして、そちらの発言力を強めなければならないと思う、というようなことを話しました。
華氏さんと同じで、ベストではないにしても、どうしても今の石原を変えなくてはいけない!(政権交代しなくちゃだめ!)と思っているので。
こちらを読んだとき、すぐにそういうことを書きたかったのですが、バタバタで書けませんでした。メモがわりに書かせてもらって、すみません。

>山口県では、今の自民党を止めようと思えば民主党しか選択肢がないと思うし、民主党にリベラルな人を増やして、そちらの発言力を強めなければならないと思う、というようなことを話しました<

【私の考え】
私の住む県でも現状は似たようなものです。それでもまだ、国政はましな方で、県議会レベルになると、総保守系与党と共産党という構図がずっと続いています。小沢民主党代表が、いみじくも述べているように、民主党の地方組織は脆弱で、国政のみを見ていると、信じられないほど実は弱小政党なのです。支持基盤の組織力、強固さで言えば、公明党や共産党にもはるかに及ばないのが、民主党の現状なのではないかと考えています。
にも拘わらず、まがりなりにも国政の場では野党第一党にあることを民主党員や議員は有権者に感謝しなければならないでしょう。多くの有権者が自民党への批判票として民主党に国政の場では投票しているのです。私の場合で言えば、まずは政権交代しなければ、何も始まらないという思いが強いからです。私は現在の小選挙区比例代表制に疑問を持っていて、社民党や共産党に不利である事も重々承知していますが、現状の選挙制度が厳然と、そこにある以上、その中で戦うしかないでしょう。
7月の参議院選挙に関して言えば、私は社民党や共産党の議席が減ることは全く望んでいません。しかし、彼らが、野党第一党になることも考えられません。であるのなら、改選議席の中から、自民党の議席を15~20程民主党が奪うしかないのです。それが実現して、初めて、それぞれの野党が主張している政策も国政の場で少しでも実現に近づくのではないでしょうか。
都知事選にもからんで、都議会や、地方議会でも共産党が総与党に唯一、対抗してきたではないかという言論もありますが、では共産党が地方議会でも与党になるような努力をしてきたでしょうか。私にはそう思えません。あらかじめ決められた票読みに基づいて、あらかじめ決められた候補者を立て、予定調和のように確かな野党を名乗ってきたのではないでしょうか。
共産党ばかり、批判してはかわいそうだとは私は思いますが、何か、自分たちの実力を過信しているではないかと思えて仕方ありません。

参議院選挙が以下の様になるのが、私が許容出来る範囲の結果です。

自民党 40~45
公明党 現状維持

民主党 50~55
社民党 現状維持
共産党 現状維持
国新党 現状維持

これが現実というものではないでしょうか。社民党や共産党が劇的に議席数が増加するとは、私には思えません。
参議院選挙で与野党逆転を実現する為には民主党が、他の野党から票を奪うのではなく、あくまで自民党から奪う展開に持ち込む必要があるでしょう。その為にどうすればいいかをよく、民主党の執行部には考えてもらいたいと思います。
それと、民主党に対する、ゲートキーパー法や、国民投票法案に対する対応や、昨年度末国会での体たらくぶりを批判する事は、また別問題として厳然と存在します。私たち国民も交えて激論をすればいいでしょう。が・・・
と同時に与野党逆転を果たす目的と意義を忘れたらいけないでしょう。
入れ替え可能なことが民主主義の要諦なのではないでしょうか。
松岡農相ひとり、辞任に追い込めないのが今、現在多数でないことの証明ではないでしょうか。
急がばまわれ。与野党逆転を信じて。


J・ボードリアールと城山三郎に合掌

2007年03月23日 | Weblog
都知事選などに自分の関心が行っている間に今月は自分にとって印象に残る人が物故者になった。

  仏を代表する思想家、ジャン・ボードリヤール氏死去 (2007年03月07日10時18分 asahi.comより)
 現代フランスを代表する思想家で、消費社会や情報社会への鋭い批評で知られた社会学者のジャン・ボードリヤール氏が6日、パリで死去した。77歳。死因は明らかにされていない。
仏北部ランスの農家に生まれた。ドイツ語教師としてマルクスやブレヒトを翻訳。マルクス主義や記号論、精神分析などを融合して現代社会を分析する独自の視点を確立した。
パリ大学で社会学を教える傍ら、論評活動を展開。しばしば賛否両論の物議を醸した。消費社会に関して「物の体系」「消費社会の神話と構造」などの著作を発表。モノの価値よりも、ブランドや記号としての価値に動かされる消費社会の到来をいち早く予見して、世界的に大きな影響を与えた。
91年の湾岸戦争直後に「湾岸戦争は起こらなかった」と題する論文を発表。戦争の中でのメディアや情報の役割を問い、賛同と批判が入り交じった広範囲な議論を巻き起こした。01年の9・11テロに際しては、テロの背後にある米国自身の問題を論じるなど、批判的知識人として最後まで世界の現実とかかわり続けた。
著作は約50点に達し、多数が日本でも翻訳されている。写真家としても知られ、日常生活を切り取った作品を発表。写真論に「消滅の技法」がある

J・ボードリアールは学生時代に『象徴交換と死』、『消費社会の神話と構造』等々を読んだ。得に後者は刺激的で面白かった。政治に限定して考察すれば、ポストモダンは、結局は現状を追認し、分析するばかりで、現状に対抗的な意味ある言論を構築出来なかったではないかという批判もある。まあ、本人がポストモダニスト(そんな言葉あるのか?)であると言ったことはないのだろうが。スキゾでキッズな(笑)80年代への自分自身のオマージュとして、覚え書き。若い頃に抽象的な概念に捉われても、長続きしなかった事が私の脳みその出来を証明しているし、それで良かったと思っている。同じく今月急逝した池田晶子の『14歳からの哲学』でも読んでみようかな。

-------------------------------------------------------------------

 作家の城山三郎さん死去 経済小説の開拓者 (2007年03月22日 asahi.comより)
経済活動から日本人の姿を浮き彫りにする経済小説の開拓者で、「小説日本銀行」「落日燃ゆ」などで知られた作家城山三郎(しろやま・さぶろう、本名杉浦英一=すぎうら・えいいち)さんが、22日午前6時50分、間質性肺炎のため神奈川県茅ケ崎市の病院で死去した。79歳だった。
27年、名古屋市生まれ。東京商科大(現一橋大)卒業後に創作活動を始め、商社マンの悲哀を描いた「輸出」で57年の文学界新人賞を受賞。59年には「総会屋錦城」で直木賞を受賞した。
作品の題材は多彩で、実業家・渋沢栄一の姿を通して背後にある時代と国家の姿を描いた「雄気堂々」、足尾銅山の鉱害と闘う田中正造を主人公にした「辛酸」など、社会や組織と人間との関係をつきつめた。
ほかにも、流行語にもなった「毎日が日曜日」「男子の本懐」「粗にして野だが卑ではない」など多くの作品がある。本紙には85年に「秀吉と武吉」を連載した。96年に菊池寛賞、03年に朝日賞を受賞。

城山三郎氏は左翼の敵である(笑)。経済小説界の司馬遼太郎的存在だった。実在の経済人や現代史上の政治家の一部を、その著作で美化しすぎたのではないか、という批判もある。が、こういう政治の世界でいえば、保守本流の考え方にも理解を示した人の著作を読むのも私は嫌いではない。A級戦犯として処刑された広田弘毅を描いた『落日燃ゆ』は得に印象に残っている。同じA級戦犯でも岸信介との運命の差異を慮りながら、読んでみるのも悪くはないだろう。唯、自身の軍隊経験から、あの時代に対しての眼差しには厳しいものがあったと思うし、また、真っ当な経済人とはどうあるべきかという思考を常に続けていた人だと思う。
現実の政治の世界で言えば、既成政党がこういう草の根保守のような人(それは年配者に多く、戦争体験者であり、戦後復興に貢献してきた人々である)を切り捨てたら、絶対に多数は取れないだろう。物故者で言えば、山口瞳氏あたりもこの系譜に入るのかもしれない。

考え方は色々あると思うが、
私がかつて、その著作を愛読したお二方に心より合掌。


都知事選やアリバイとしての護憲

2007年03月15日 | Weblog
先日のエントリーに対して、はじめの一歩さんからコメントを頂いた。それを踏まえて憲法改正に関しても、雑感を・・・

Unknown (はじめの一歩@東京都) 2007-03-14 01:23:18

変な方向に話を持っていくなと言われそうですが,コチラのブログから影響を受けている大勢の者の一人としてほんのちょっとだけ.
中選挙区制だった頃,最後の1議席を争っている共産党候補に何度か投票した記憶があります.その点,小選挙区制は面白くなく,不本意ながら民主党にばかり入れていることが多いです.
今回の都知事選についても,BLOG BLUESさんの記事を読んだり,品川正治さんが吉田氏を支持していることを聞いたりして,揺れるところも大いにあります.また,石原現知事を地道に追い込んだのも共産党によるところが大きいのも分かります.
でも,基本的に無党派だと自覚している立場からすると,ちゃんと勝てる可能性のある候補に投票したい,という思いがやっぱり強いです.

【私の考え】
単純に国政と地方議会と首長選を別ものだと、私は普段から考えています。それぞれの選挙で違う党の立候補者や無所属の候補者に投票することが多々あります。節操が無いと批判されるかもしれませんが、無党派はそれでいいと思っています。
今回の都知事選に関しては、仮りに投票率が50%になったとして有権者数は、500万です。前回、石原氏は300万票獲得しています。樋口氏は80万票しか取れませんでした。しかし、東京での民主党の基礎票は、100万~150万はあるでしょう。その一部も石原氏に流れたわけです。前々回の石原氏の投票は170万票で当選でした。今回当選ラインを200万ぐらいと仮定すれば、まず、基礎票30万~40万の吉田氏が200万に届くことはありえません。同じく、黒川氏もありえません。逆に言えば、500万のうち50万~80万ぐらいが吉田、黒川氏に流れたとして、残りの2者で200万を超えた方が当選するのではないでしょうか。私は反石原の立場ですが、彼は前回、極右から穏健保守(その中に民主党支持者もいた)まで、幅広く支持を集めた上での300万票だったと思います。今回、そこから穏健保守層の支持を剥がさなければ、落選させることは出来ないと思います。その場合、穏健保守層が共産党の吉田氏に投票するでしょうか。あまり、可能性はないと思います。その穏健保守層の票を集められてさらに無党派層の支持を得て200万に届きそうなのが、浅野氏だと思います。黒川氏についてはちょっとよくわかりません。

さて、そこで話は飛びますが、憲法改正の問題ですが、現在、明確に護憲を明言しているのは、社民党と共産党です。では、この二党とその支持者だけで護憲は実現するでしょうか。私は疑問に思っています。戦後、憲法改正を阻止してきたのは、この二党だけだと当事者たちが思っていたら、大間違いです。普段の国政選挙や、地方選挙で自民党に投票してきた穏健保守層や支持政党無しの無党派層にも護憲派はいくらでもいたと思います。
ですから、この層が、現憲法の方が少なくとも自民党の改憲試案よりずっといいと思えるような政治状況を作らなければならないでしょう。それをせずに、社民党と共産党の政局を読む能力だけに期待しては護憲派は負ける可能性があると思います。その場合、私が一番心配しているのは、またぞろ、社民党と共産党で憲法改正反対の方法論の点で、ココが違う、アソコが違うと言い出し、自分達の狭い範囲の支持者にだけ、結果的に憲法が改変されてから、「私たちはこれだけがんばったんだから。」というアリバイとしての護憲をアピールするという始末にすらなり得るのでないかと危惧しています。もっと言えば、安倍が強行採決しようとしている国民投票法案に対して、野党第一党の民主党に「共産党作成の国民投票法案」や「社民党作成の国民投票法案」を示し、これを丸呑みすれば、選挙協力をします、などのしたたかさを示せないものかな、と思います。と同時に民主党は自民党や自民党支持者の中のハト派にも手を突っ込む(9条の護持と引き換えに他の部分で取引する)ぐらいの蛮勇が必要かもしれません。また民主党の中のリベラルハト派に護憲派無党派層が働きかける必要もあるでしょう。私の考えは、純粋な護憲派の人からみれば、邪道で不真面目に感じるかもしれませんが、とにかく、共産党と社民党の力だけでは護憲派の勝利は困難かもしれません。
それは都知事選の構造とも似ているでしょう。

そうは言っても、私は今国会で審議されている国民投票法の与党案には明確に反対の立場ですが。