人間は己の存在を守る為にあえて、内向することがあると思っている。
自分の精神に鎧をまとい、他者の侵入を拒否する。なぜなら、そうすることでしか、貧困な状態である事や、希望を見出しにくい自分の精神を守ることができないからである。
賛否両論はあるだろうが、今や、当代一の流行作家になった村上龍の真骨頂は内向を描くことが上手いことだと思う。デビュー作の『限りなく透明に近いブルー』、第3作の『コインロッカーベイビーズ』とも主人公や登場人物の多くが内向し、精神の均衡を計っている。ただ、物語としてはそれだけでは面白くないので、彼らの精神の触れてはいけない何かの導火線に触れる事によって、暴力の宴が繰り広げられる。
このところ、話題のNHKで放送された『ワーキングプア』の放送があること自体は知ってはいたが、あえて観ようとは思わなかった。僭越な言い方になるが、事態がそこまで押し迫っている事は、とっくに認識していた。役所の福祉課あたりで働いている人は、たとえば、東京近郊の公営住宅で老人とまでは言えない年齢層の一人暮らしの人間が餓死状態で見つかるケースが増えていることを知っているはずだ。そして、ワーキングプアと言われる人々がいる。彼らの多くは、労働契約がきれたり、自分の仕事が機械に取って代わられたりすれば、餓死まで行くだろう。ホームレスになり、残飯をあさってまで生きて行くには、ワーキングプアであった時の精神の鎧を脱ぎ捨て、別の種類の精神の鎧を身につけなければならない。全ての人間がそれが出来るはずがない。
事態は次の段階に入っていると個人的には思っている。ワーキングプアの人々は、現在、ギリギリの段階で内向し、我慢している。今、少しづつマグマが溜まっているのだと思う。それは暴力への衝動というマグマだ。ヒントになる事件は最近、そこかしこに転がっている。昨年の総選挙前に首相官邸に車で突っ込んだ長野県の女性。マンションの上階から、小学生を投げ捨て殺した40代の男。頻発する幼児虐待。
内向していた精神が解放されるのに手っ取り早いのは暴力であることを、人間は悲しいかな、知っている。村上龍の昨年のベストセラー『半島を出よ』の中で福岡を占領した北朝鮮のコマンド部隊を殲滅するのは、日本政府でもなければ、自衛隊でもない、それまで世間から疎外されてきた、ワーキングプアとも言える若者たちだ。そこに読者である私は、一種のカタルシスを覚える。しかし、それは物語であるからこその結末であり、ご都合主義だ。現実はもっと悲惨だろう。私や、あなたの周りのワーキングプアと言われる境遇に我慢している人々の精神の鎧がほころびるのはいつだろう。それは誰も予想できないが、さし迫っているのは間違いない。
自分の精神に鎧をまとい、他者の侵入を拒否する。なぜなら、そうすることでしか、貧困な状態である事や、希望を見出しにくい自分の精神を守ることができないからである。
賛否両論はあるだろうが、今や、当代一の流行作家になった村上龍の真骨頂は内向を描くことが上手いことだと思う。デビュー作の『限りなく透明に近いブルー』、第3作の『コインロッカーベイビーズ』とも主人公や登場人物の多くが内向し、精神の均衡を計っている。ただ、物語としてはそれだけでは面白くないので、彼らの精神の触れてはいけない何かの導火線に触れる事によって、暴力の宴が繰り広げられる。
このところ、話題のNHKで放送された『ワーキングプア』の放送があること自体は知ってはいたが、あえて観ようとは思わなかった。僭越な言い方になるが、事態がそこまで押し迫っている事は、とっくに認識していた。役所の福祉課あたりで働いている人は、たとえば、東京近郊の公営住宅で老人とまでは言えない年齢層の一人暮らしの人間が餓死状態で見つかるケースが増えていることを知っているはずだ。そして、ワーキングプアと言われる人々がいる。彼らの多くは、労働契約がきれたり、自分の仕事が機械に取って代わられたりすれば、餓死まで行くだろう。ホームレスになり、残飯をあさってまで生きて行くには、ワーキングプアであった時の精神の鎧を脱ぎ捨て、別の種類の精神の鎧を身につけなければならない。全ての人間がそれが出来るはずがない。
事態は次の段階に入っていると個人的には思っている。ワーキングプアの人々は、現在、ギリギリの段階で内向し、我慢している。今、少しづつマグマが溜まっているのだと思う。それは暴力への衝動というマグマだ。ヒントになる事件は最近、そこかしこに転がっている。昨年の総選挙前に首相官邸に車で突っ込んだ長野県の女性。マンションの上階から、小学生を投げ捨て殺した40代の男。頻発する幼児虐待。
内向していた精神が解放されるのに手っ取り早いのは暴力であることを、人間は悲しいかな、知っている。村上龍の昨年のベストセラー『半島を出よ』の中で福岡を占領した北朝鮮のコマンド部隊を殲滅するのは、日本政府でもなければ、自衛隊でもない、それまで世間から疎外されてきた、ワーキングプアとも言える若者たちだ。そこに読者である私は、一種のカタルシスを覚える。しかし、それは物語であるからこその結末であり、ご都合主義だ。現実はもっと悲惨だろう。私や、あなたの周りのワーキングプアと言われる境遇に我慢している人々の精神の鎧がほころびるのはいつだろう。それは誰も予想できないが、さし迫っているのは間違いない。