文学者の影が薄い

2005年11月28日 | Weblog
私がよく立ち寄る紀伊国屋書店の某地方支店の文庫コーナーになぜか開高健の『ベトナム戦記』が平積みになっている。文庫担当者の意向なのかはわからない。関岡英之の『拒否できない日本』も新書コーナーで平積みになっていた。担当者に拍手。
さて、開高健だが、彼のベトナム体験から生まれた名作『輝ける闇』を読んだのは随分以前だが、当時のべ平連を持ち出すまでもなく、文学者や、その周辺にいた人達には元気があり、社会に訴求する力もかなりあったのだろう。べトナム戦争が一番激しかった時は、私自身はまだ、子供で、後に知ったことばかりだが、文学の言葉が現代より、ずっと力を持ちえたということは想像に難くない。まさに死地に飛び込み、書かねばならない熱情を開高は持っていたのだろう。彼の言葉が当時の日本人の多くに響いたはずだ。翻って、現代はどうだろう。私の認識ではイラク戦争の泥沼化はベトナム戦争にも匹敵する可能性すらあると思うが、それすらも限られた一般紙やTVからの情報からでしかない。一番怯懦なのは大手紙で、誰も現地に恒常的に駐在せず、独自のレポートが新聞紙上に載ることもあまりない。べトナム戦争当時とは、権力側の報道陣に対する規制も巧妙になっているだろうし、奥大使や井上書記官、写真家の橋田信介氏のように命を危険に晒せ、とまでは簡単には言えないが、なかなか真実が知りえず残念だ。私の知る限り、イラク戦争が勃発する前後に現地からの文章を発表した著名な文学者は『イラクの小さな橋を渡って』を発表した芥川賞作家池澤夏樹ぐらいではなかろうか。
斎藤美奈子が言うように、現代は教養の概念が崩壊し、文学の言葉など知らなくても生きていける。古典小説や、哲学書も知らなくてもいい。私自身が歳を重ねるとともに長い小説は読めなくなってきていて、プルーストの『失なわれた時をもとめて』や中里介山の『大菩薩峠』を読もうとは思わない。しかし、小説部門の昨年のベストヒットが『世界の中心で愛を叫ぶ』ではあまりにも寂しいだろう。その中心が、ある青年の心ではなく、イラクだったりしないかな。と純愛には程遠い私などは夢想してしまう。
「私はブッシュの敵である」と公言している、辺見庸の叫びもどれだけ届いているのか、わからない。加藤周一が老骨に鞭打って発言しているが、どれだけ効果があるか、わからない。安部公房が生きていたら、何か発言するだろうか。吉本隆明も野坂昭如も年を取った。野坂にイラクへ行け、とは言えない。大江健三郎も自分の名前を冠した新しい文学賞を創設して、若い作家を発掘するらしいが、それが、天才女子高生作家誕生ぐらいで終わらないように願う。
私の好きな作家の一人高村薫がメディアで現代の政治状況に警鐘を鳴らす発言を繰り返し始めた。注目したいと思う。

「明日、世界が滅びるとしても、今日、あなたはリンゴの木を植える」 開高 健


許せない!と刑法202条

2005年11月27日 | Weblog
「許せない!!」という言葉を人が吐くのは、相当な憤怒にかられた場合で、実生活の中で、そう何度も経験しないほうがいい。
広島県で小学一年生の少女が何者かに下校途中に殺害された。容疑者はまだ捕らえられていないが、本人、両親の無念を思うと心塞がれる思いがする。まさに赦せない。しかし不謹慎だが、こんな猟奇的な事件になればなるほど、TVのワイドショーの格好の材料になってしまう現実がある。さしずめ、みの○んたあたりが絶叫するだろう。「赦せない!赦せない!お嬢さん(奥さん)どう思いますか。許せない!ですね。」と。
姉歯事件でマンションやホテルの耐震強度の不正に対しても「許せない!」を連発し、事件の関係者を吊るしあげた。彼はわかりやす~~~~い事件には過剰に反応するのだ。お茶の間の劣情を煽り、自分の正義に酔う。自分の発言がどういう結果を招くのか冷静に思考して、そうしているのではない。いや、自分に都合のいい時だけは思考しているかもしれない。先の総選挙の時がそうで、自分の不勉強を棚にあげて、野党の言うことはわかりずらい、を連呼した。
とうとう、今回の耐震偽装事件の関係者、森田設計事務所の森田信秀(55)社長の自殺死体が鎌倉市の海岸で発見された。根の深い問題で、これから捜査当局の調べが本格化するところだった。ワイドショーをはじめとした煽りにも堪えられなかったのだろう。罪は罪として、捜査に全面的に協力してほしかったが、それも叶わなくなった。自分にも少しは責任があるとみの○んたは想像しているだろうか。「許せない!」を連呼した罪を。

たまにはこんな事も言って欲しい。
「参議院で法案が否決されたからって、衆議院を解散するなんて、憲政の常道からして許せない!」 「イラクに自衛隊を派遣するなんて、憲法9条からして許せない!」

ちなみに人が自殺することを煽るのは刑法202条に抵触する恐れがある。
刑法202条
『人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁固に処する。』

少し大げさだが、こんなことを書くと彼は「許せない!!」と叫ぶのだろうか。


太ゾウ。をプロデュ-ス

2005年11月26日 | Weblog
    太ゾウ。をプロデュース

登場人物

太ゾウ(証券会社でアルバイト中の自分に自信がないフリーター)
タケベエ(農林水産相時代に食べた米産牛肉が原因でイエスマンになった)
セコウ(尊敬する人物はゲッペルス)

太ゾウ 「郵政民営化?しらねえよ。でも改革が大事って言ってんだから、そうなんだろうな。ネットは便利だねー。郵政民営化についての論文を30分で作っちゃえ。人の論文を切り貼りしてもわかんねえよ。」

タケベエ 「あーなんだ、この雑な論文。まーしかたない。人数合わせに比例区の名簿にだけのっけよう。大将も単純だから、まっいーか。」

セコウ 「平和主義者に対しては愛国心の欠如を指摘して国を危険に陥れてると非難すればいい。この方法はどんな国でも有効である。」

太ゾウ 「えーウソ-、おれ比例区で選挙、当選しちゃったよ。なんで、こんなにマスコミがおれに殺到するんだ。自信ついちゃうなー。気持ちいー。太ゾウパワー ちゅうにゅうでなんでも喋っちゃえ。」

セコウ 「選挙期間中、我々を応援してくれたマスコミは選挙後も従順だな。さて、太ゾウは利用価値がありそうだから、洗脳するか。」

タケベエ 「太ゾウ。お前も米産牛肉を食え。」

   ―太ゾウ食べる―

太ゾウ 「イエス。イエス。イエス。太ゾウパワーを首相に捧げます。」

セコウ 「いいか、太ゾウ。これからはお前が若者のカリスマになるんだ。携帯で写真をとられる時は必ず笑顔だ。マスコミへの受け応えは全部私が原稿を作る。都合の悪いことを聞かれたら、太ゾウパワー ちゅうにゅうで乗り切れ。ほらっ、結党50周年パーティーでお前が発表する党宣言の原稿だ。暗記しとけ。」

   ―マスコミ殺到―

タケベエ 「これで、太ゾウは次期総選挙で小選挙区当選間違いなし。マスコミ様様だな。」

セコウ 「プロデュ-ス完了。」

                                『野ブタ。をプロデュース』  
                               白岩 玄 著
                               第41回文藝賞受賞                                         

私家版・声に出して読みたい日本語(2)

2005年11月23日 | Weblog
 声に出して読みたい日本語

日本国憲法第11条                                                「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」
日本国憲法第97条                                                「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

インリン・オブ・ジョイトイ
「世界中の普通の人々の生活が少しでも平和であることを願って、M字開脚を続けますM字開脚を続けますM字開脚を続けますM字開脚を続けます。」

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憲法第11条と第97条についての解説
  完璧な答えがここに → とりあえずさん

インリン・オブ・ジョイトイの発言に対する各界の反応
ニューヨークタイムス 「そこには真実がある。21世紀に残したい言葉だ。」
フランクフルターアルゲマイネ 「東洋から珠玉の言葉が届いた。われわれドイツ人は卍(逆ね)のくび木から逃れ、Mを合言葉に。」
ニーチェ 「神は甦った。」
ボーボワール 「女に生まれるのではない。女になるのだ。」
人民日報 「据了解,日本艾回唱片是个造星工厂,旗下艺人包括小娘M字好好平和、宝儿等人。」
ル・モンド 「サルトルが求めていたものが、今ここに。」
ガセッタ・デ・ロ・スポルト 「・・中田6点、インリン10点・・・・」
イズベスチア 「называют губернатора Александра мммммм. "Я давно ставлю вопрос 」
田島陽子 「キーッ なに言ってんのよ。」
私 「写真集注文しますた。」
                      (監修 齋藤 孝) つづく(かもしれない)

             

団塊の世代へ

2005年11月22日 | Weblog
私もそうだが、現役でサラリーマンをしていると、ありとあらゆるシガラミが出来る。上司だったり、取引先だったり、嫌々選挙の手伝いをさせられたり。「サラリーマン社会をぶっ壊す」とは叫べない小市民な自分がいる。今日の新聞によると、2,007年から、退職する世代は5年ほどで1000万にもなる。先の総選挙で自民党の小選挙区での獲得票の約3分の1、民主党の比例区での獲得票の半分だ。これは大きい。このボリュームを生かせば、社会にかなりの影響を与えられる。この団塊の世代が立ち上がってくれないかなと、下の世代の私は思う。退職すれば、色々なシガラミから解放されるわけで、政治的にも自由に活動できる。
自民党が結党50周年を祝っているが、この国を作ってきたのは、与野党に拘わらず、政党ではなく、ひとりひとりの国民、私の父母の世代や、その後の団塊の世代たちの努力だ。国際紛争の軍事的なプレゼンスからは距離を置き、経済的な成長をひたすら目指し、それを余技なくされた。学生時代、少々暴れても、時期がきたら長い髪を切り落とし、企業に貢献した。社会の理不尽さにこだわるより、そちらの方が上まわったんじゃないかなと思う。誰しも自分の身が一番かわいいのだから、生き方としては正しい。しかし、人生の後輩である私が僭越ながら、言いたいのは政治的に、もう一肌脱ぎませんかということ。みなさんが作ってきたこの日本は、気がつけば、あんまりいい状態じゃないでしょう。知性のカケラも感じられないワンフレーズ首相を頂き、ここ10年、職場から強制的に去らざるをえなかった同僚もたくさんいるはずだ。学者として三流レベルの人間が経済政策を決め、この世代が若いときには考えもしなかった場所に自衛隊は行くはめにもなった。
過ぎ去った過去に拘泥するのではなく、中年向けの雑誌によく掲載される退職後に行きたい海外旅行でもなく、新しいやり方でこの国を変えて欲しい。退職後に地方議員を目指すとか、環境負荷の少ない持続的な農業を試行したり、マスコミに文句を言ったり、また徹底的に反戦にこだわったりも出来る。私自身は、正直、企業の中で利益を追求することと、この国がいい方向に行くこととが捩れて、矛盾して、徒労感が年々増しているという感じが強い。

連合赤軍事件について、立松和平がこんなことを言っている。「私と彼らは同じ電車に乗り、目的地も同じはずだった。けれど、みんな途中下車してしまって、彼らだけ遠く、遠く、別の場所に行ってしまった。」 彼らのことはもちろん覚えているだろう。また、テントとシュラフの入ったザックをしょいポケットには一箱の煙草と笛を持ち旅に出た高野悦子のことも忘れていないだろう。自己否定までする必要はないけれど、頑張ってみませんか。