私がよく立ち寄る紀伊国屋書店の某地方支店の文庫コーナーになぜか開高健の『ベトナム戦記』が平積みになっている。文庫担当者の意向なのかはわからない。関岡英之の『拒否できない日本』も新書コーナーで平積みになっていた。担当者に拍手。
さて、開高健だが、彼のベトナム体験から生まれた名作『輝ける闇』を読んだのは随分以前だが、当時のべ平連を持ち出すまでもなく、文学者や、その周辺にいた人達には元気があり、社会に訴求する力もかなりあったのだろう。べトナム戦争が一番激しかった時は、私自身はまだ、子供で、後に知ったことばかりだが、文学の言葉が現代より、ずっと力を持ちえたということは想像に難くない。まさに死地に飛び込み、書かねばならない熱情を開高は持っていたのだろう。彼の言葉が当時の日本人の多くに響いたはずだ。翻って、現代はどうだろう。私の認識ではイラク戦争の泥沼化はベトナム戦争にも匹敵する可能性すらあると思うが、それすらも限られた一般紙やTVからの情報からでしかない。一番怯懦なのは大手紙で、誰も現地に恒常的に駐在せず、独自のレポートが新聞紙上に載ることもあまりない。べトナム戦争当時とは、権力側の報道陣に対する規制も巧妙になっているだろうし、奥大使や井上書記官、写真家の橋田信介氏のように命を危険に晒せ、とまでは簡単には言えないが、なかなか真実が知りえず残念だ。私の知る限り、イラク戦争が勃発する前後に現地からの文章を発表した著名な文学者は『イラクの小さな橋を渡って』を発表した芥川賞作家池澤夏樹ぐらいではなかろうか。
斎藤美奈子が言うように、現代は教養の概念が崩壊し、文学の言葉など知らなくても生きていける。古典小説や、哲学書も知らなくてもいい。私自身が歳を重ねるとともに長い小説は読めなくなってきていて、プルーストの『失なわれた時をもとめて』や中里介山の『大菩薩峠』を読もうとは思わない。しかし、小説部門の昨年のベストヒットが『世界の中心で愛を叫ぶ』ではあまりにも寂しいだろう。その中心が、ある青年の心ではなく、イラクだったりしないかな。と純愛には程遠い私などは夢想してしまう。
「私はブッシュの敵である」と公言している、辺見庸の叫びもどれだけ届いているのか、わからない。加藤周一が老骨に鞭打って発言しているが、どれだけ効果があるか、わからない。安部公房が生きていたら、何か発言するだろうか。吉本隆明も野坂昭如も年を取った。野坂にイラクへ行け、とは言えない。大江健三郎も自分の名前を冠した新しい文学賞を創設して、若い作家を発掘するらしいが、それが、天才女子高生作家誕生ぐらいで終わらないように願う。
私の好きな作家の一人高村薫がメディアで現代の政治状況に警鐘を鳴らす発言を繰り返し始めた。注目したいと思う。
「明日、世界が滅びるとしても、今日、あなたはリンゴの木を植える」 開高 健
さて、開高健だが、彼のベトナム体験から生まれた名作『輝ける闇』を読んだのは随分以前だが、当時のべ平連を持ち出すまでもなく、文学者や、その周辺にいた人達には元気があり、社会に訴求する力もかなりあったのだろう。べトナム戦争が一番激しかった時は、私自身はまだ、子供で、後に知ったことばかりだが、文学の言葉が現代より、ずっと力を持ちえたということは想像に難くない。まさに死地に飛び込み、書かねばならない熱情を開高は持っていたのだろう。彼の言葉が当時の日本人の多くに響いたはずだ。翻って、現代はどうだろう。私の認識ではイラク戦争の泥沼化はベトナム戦争にも匹敵する可能性すらあると思うが、それすらも限られた一般紙やTVからの情報からでしかない。一番怯懦なのは大手紙で、誰も現地に恒常的に駐在せず、独自のレポートが新聞紙上に載ることもあまりない。べトナム戦争当時とは、権力側の報道陣に対する規制も巧妙になっているだろうし、奥大使や井上書記官、写真家の橋田信介氏のように命を危険に晒せ、とまでは簡単には言えないが、なかなか真実が知りえず残念だ。私の知る限り、イラク戦争が勃発する前後に現地からの文章を発表した著名な文学者は『イラクの小さな橋を渡って』を発表した芥川賞作家池澤夏樹ぐらいではなかろうか。
斎藤美奈子が言うように、現代は教養の概念が崩壊し、文学の言葉など知らなくても生きていける。古典小説や、哲学書も知らなくてもいい。私自身が歳を重ねるとともに長い小説は読めなくなってきていて、プルーストの『失なわれた時をもとめて』や中里介山の『大菩薩峠』を読もうとは思わない。しかし、小説部門の昨年のベストヒットが『世界の中心で愛を叫ぶ』ではあまりにも寂しいだろう。その中心が、ある青年の心ではなく、イラクだったりしないかな。と純愛には程遠い私などは夢想してしまう。
「私はブッシュの敵である」と公言している、辺見庸の叫びもどれだけ届いているのか、わからない。加藤周一が老骨に鞭打って発言しているが、どれだけ効果があるか、わからない。安部公房が生きていたら、何か発言するだろうか。吉本隆明も野坂昭如も年を取った。野坂にイラクへ行け、とは言えない。大江健三郎も自分の名前を冠した新しい文学賞を創設して、若い作家を発掘するらしいが、それが、天才女子高生作家誕生ぐらいで終わらないように願う。
私の好きな作家の一人高村薫がメディアで現代の政治状況に警鐘を鳴らす発言を繰り返し始めた。注目したいと思う。
「明日、世界が滅びるとしても、今日、あなたはリンゴの木を植える」 開高 健