別離

むかしの話。とある女(ひと)と長崎に旅行に行ったことがある。まず、JR佐世保駅からバスに一時間程乗ってハウステンボスに着く。ハウステンボスは中世のオランダの街並みを再現した広大なテーマパークだ。男の立場で見れば、少し少女趣味だが、きれいなお城風の建築物が素晴らしく、季節は秋だったので、庭内に咲き乱れるコスモスや薔薇に連れの女性は感嘆の声をあげ、喜んでくれた。来て良かったと思った。短い旅程だったので、一日でハウステンボスを後にし、長崎市内のワシントンホテルに旅装を解いた。長崎と言えば、中華街も有名なので、夜、食事に出かけた。入った一軒の店の中は観光客と思しき人々で一杯だった。隣の席のやや太めのカップルがびっくりするくらい、痩せ型の私たち二人は大食漢振りを発揮し、そのことが妙に可笑しくて、店を出た後も二人でずっと笑い合っていたことを今でも憶えている。
翌日はバスや電車の一日乗車券を購入し、グラバー邸や浦上天主堂や平和公園を巡った。乗っていた電車がある場所の近辺を通ったとき、私は一人、静かに瞑目した。連れの女性は怪訝な顔をしたが、いちいち説明はしなかった。今回の旅にはふさわしくないような気がしたからだ。楽しい思い出だけの旅にしたかった。
その女(ひと)は笑顔が素敵だった。
その女(ひと)は人生に立ち向かってきた。
その女(ひと)は父親が2回も変った。
その女(ひと)は今どき、中学までしか出ていなかった。
その女(ひと)は愛情に飢えているくせに不器用だった。

長崎へ一緒に行った女(ひと)への私の想いは成就しなかった。旅行に行く前から予感はあった。二人は今、別々の土地に暮らしている。
もう二度と会わないし、会えない。話せない。けれど、それは突然の別離ではなかった。

あの日、突然の別離を迎えた長崎の人たちはどうだったのだろう。もう二度と会えなくなった恋人たちがいる。もう二度と話せなくなった親子や兄弟がいる。同級生や友人や職場の同僚がいる。


サキ 「では、恋人と二人で出かけた思い出は、語られるのだろうかと思うのです。」
山室 「もうすでに、終わってしまった恋人との思い出は、語られるのだろうかと思うのです。」
サキ 「旅行の思い出だけではありません。」
山室 「二人のかつてあった生活、」
サキ 「かつてあった感情、」
山室 「かつてあったささいな事件。」
サキ 「それらの思い出は、語られるのだろうかと思うのです。」
山室 「別れることが哀しいのではなく、」
サキ 「二度と語られなくなる言葉が生まれることが哀しいのじゃないかと思うことがあります。」
山室 「二人で行った場所、」
サキ 「二人でついに行けなかった場所、」
山室 「二人ですごした日常、」
サキ 「二人で起こした事件、」
山室 「それらに関する言葉は、もはや、お互いの人生の中で二度と語られること
    はないだろう。」
サキ 「あんなことがあったね、こんなことがあったね、とお互いの言葉として二
    度とうまれては来ないだろうという確信が、哀しいのじゃないかと思うのです。」
山室 「だって、新しい恋人とそんな話をするはずもなく、酒の席で友人に語る
    のも失礼というものです。」
サキ 「とすれば、その語られなくなった言葉はどこに行くのだろうと思うのです。」
山室 「二度と語られなくなった言葉の思い出は、宙ぶらりんのまま、さまよい
    さまよい、どこにたどり着くのだろうと思うのです。」

 ― 『ファントム・ペイン』鴻上尚史 作/演出 ル・テアトル銀座 初演 オープニングシーンより

私が電車の中で瞑目した場所は、長崎市※※※※町※※※番地。長崎に一回も住んだことはないが、そこは、私の20代までの本籍地だ。爆心地からわずか5キロの場所だ。私の遠い縁者が亡くなっている。皮膚を焼かれ、肉を焦がし水を求め、断末魔の叫びをあげた。いや、その暇さえもなくこの世から水蒸気の様に一瞬に人間が消滅してしまった場所だ。

恋人同士や親子や友人がもっともっと語り合いたかっただろう。
現代に住む、戦後生まれの私はそんな思いを巡らすしかない。
別離(わかれ)はやはり、哀しい。
      
    
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