共産党よ、もういいではないか

2007年03月11日 | Weblog
東京都知事選について、このところ色々なブログを徘徊していると、共産党支持者と思える人が他者のブログのコメント欄に浅野氏や石原都政下での民主党に対する批判を書き込んでいる例が多々あるようだ。
自分が支持している党から立候補する吉田氏を応援したいあまり、そういう行動を取っているのだろうが・・・。
私は東京都民ではないので、実際の都知事選に一票投ずることはできないが、いくら共産党の政策の方が浅野氏より優れていたとしても、そのようなコメントを読んだからといって、吉田氏に投票したいとは思わないだろう。逆効果なのではないか。そして、ほとんどの無党派層都民で石原氏に批判的な考え方の人もそうだろう。共産党や共産党支持者の人が理解すべきなのは、今回の都知事選においてだけ、無党派層が共産党候補者に投票する事をためらっているのではないという事だ。過去の国政選挙や、首長選挙でも、与党の横暴を何とか止めたいと思って、共産党候補が立候補することを止めてくれないだろうかと考えてきた、無党派層の願いを多くの場面で裏切ってきたからだ。
また、1990年代初頭に冷戦構造が壊れ、ソ連、東欧の共産国が崩壊した時にチャンスがありながら、政党として無党派層にアピールが出来なかった。もし、あの頃、旧社会党よりも速く、社民党という政党名でも名乗り、イデオロギー偏重ではなく、北欧型社民政策を党是とする政党に生まれ変わっていたらどうだろう。元々、政治とカネの問題に関しては清潔な党で、その点はいまでも、私は高く評価している。政党名と、イデオロギー偏重をもっと速く変えていれば、今回の都知事選でも吉田氏を野党統一候補にする夢ぐらい見れたのではないか。共産党は遅すぎた。今から、いくら浅野氏を批判しても、誰も振り向いてくれないだろうし、石原氏を利する事にしかならないだろう。
1970年代の美濃部革新都政の頃も、結局、美濃部氏が旧社会党出身だったことから、共産党が批判を強め、三期目の頃は、美濃部氏が迷走し、その後、都政で旧革新系候補が勝つことは無くなった。年配の都民はその事も記憶しているだろう。

 革新知事の象徴としての側面が強いが、同じ革新系でも共産党との関係はお世辞にも順調とは言い難いものであった。
1975年の3選の際には、解放同盟を巡って支持基盤の日本社会党と日本共産党の間で対立が起こるなどしていた。社共対立を理由に一時美濃部は不出馬を表明していたが、「石原慎太郎の出馬によるファシズムの否定を阻止する」(本人談)という理由付けで3戦出馬に踏み切ったことに対する反発が大きかった(一説には、美濃部自身は最初から3選を考えていたが、社共対立に頭を痛めていたため、社共の自身への支持を確実なものにするために石原をダシにしたとの指摘がある)。
当時の東京都議会において共産党は与党でありながら知事の出した議案に反対することが多く、共産党参議院議員の有働正治などは「革新知事と呼ぶに値しない」と批判をした。そのため議会対策も兼ねて任期途中で公明党との間で政策協定を結ぶなど、共産党への牽制も少なからず行っている。(Wikipediaより)

マスコミでのまるで継子のような扱いや、国政での、小選挙区比例代表制という、選挙制度そのものが共産党に不利であることなど、同情すべき点は多々ある。しかし、共産党が多くの無党派層から、試されているのは今回の都知事選だけではない事を理解してほしい。

でもでも、やはり、今回のエントリーを共産党支持者の人がもし読んだら、コメント欄に何か書かずにはいられないのだろうか・・・。