贋作 泣いた赤おに

とある村に若い赤おにがたったひとりで、住まっておりました。
その赤おには、絵本にかいてあるようなおにとは形、顔つきが大変違っていました。むしろ人間にそっくりの姿をしていました。
ほんとうに、その赤おにはほかのおにとは違う気持ちを持っていました。
「私はおにだが、おにどものためになるなら出来るだけよいことをしたい。いや、そのうえにできることなら、人間たちの仲間になって仲良く暮らしていきたいな。」
そこである日、赤おには自分のアパートのドアに立て札を立てました。

「ココロノ ヤサシイ オニノウチデス。
 ドナタデモ オイデクダサイ。
 オイシイ オカシガ ゴザイマス。
 オチャモ ワカシテ ゴザイマス。」

しかし、人間はだれも相手にしてくれませんでした。途方にくれていると、仲間の青おにがやってきました。
「赤おにクン、きみは人間と仲良くなりたいのかい。それならいい手がある。普通の手段ではだめだ。ぼくが人間の世界でひとあばれするから、そこにひょっこりきみがあらわれて、ぼくのあたまをポカポカなぐる。そうすれば人間たちは、きみをほめたてる。ねえ、きっとそうなるだろう。そうなれば、しめたものだよ。安心してあそびにやってくるんだよ。」

「ふうん。うまいやり方だ。しかし、それではきみにたいしてすまないよ。」

「なあに、ちっとも。なにかひとつのめぼしいことをやりとげるにはきっとどこかで痛いおもいか、そんをしなくちゃならないさ。誰かが犠牲に、身代わりになるのでなくちゃできないさ。」
なんとなく、もの悲しげな目つきをみせて、青おにはそう言いました。

赤おには、考え込んでしまいました。犠牲という言葉にひっかかりました。
「青おにくん、だめだよ。誰も犠牲になったらいけないし、やはり人間の世界であばれるのよくないよ。」

赤おには青おにを説得し、その件はいったん沙汰止みになりました。

しかし、しばらくして青おにの姿はその村から消えてしまいました。心配した赤おには青おにのアパートをたずねてみました。ふと、気がつくとドアに張り紙がしてありました。

「赤オニクン ニンゲンタチトハ ドコマデモ ナカヨク マジメニ ツキアッテタノシク クラシテ イッテ クダサイ。シカシ ボクハ ニンゲンヲ シンヨウデキマセン。ソンナカンガエノ ボクト ナカヨクシテイタラ キミマデガ ウタガワレマス。 ダカラ ボクハ コノムラヲ ハナレマス。ソシテ ニンゲンノセカイデ ヒトアバレスルコトヲ ジッコウニウツシマス。 キミガ トメニハイレナイ トオクノ バショデ。」

その村では、正規労働者を『人間』と呼び、非正規労働者を『おに』と呼び差別していたのです。

赤おには、黙ってそれを読みました。二度も三度も読みました。ドアに手をかけて、顔をおしつけ、しくしくと涙を流して泣きました。

 胸にしみる空のかがやき
 今日も遠くながめ涙を流す
 悲しくて悲しくてとてもやりきれない
 このやるせないもやもやを誰かに告げようか

 白い雲は流れ流れて
 今日も夢はもつれわびしくゆれる
 悲しくて悲しくてとてもやりきれない
 この限りないむなしさの救いはないだろか

 深い森の緑に抱かれ
 今日も風の歌にしみじみ嘆く
 悲しくて悲しくてとてもやりきれない
 この燃えたぎる苦しさはあしたも続くのか

 『悲しくてやりきれない』 より

そして、涙も涸れ果て・・・、
以来、赤おには泣くことばかりでなく、笑うことも、怒ることもなく、感情のない能面のような人間でもないおにでもない一個のガランドウになりました。

シホンカやイセイシャにとって理想のガランドウになりました。

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 過去エントリー 『二つの死に方
         『はやくきてくたされ
          『内向と暴力

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 参照 労働者派遣法の歴史

1985年(中曾根康弘内閣)派遣法が立法される。
1986年(中曾根康弘内閣)
 派遣法の施行により、特定16業種の人材派遣が認められる。
1996年(橋本龍太郎内閣)
 新たに10種の業種について派遣業種に追加
 合計26業種が派遣の対象になる。
1999年(小渕恵三内閣)
 派遣業種の原則自由化(非派遣業種はあくまで例外となる)
2000年(森喜朗内閣)
 紹介予定派遣の解禁
2003年(小泉純一郎内閣) 
 例外扱いで禁止だった製造業への派遣解禁。
 専門的26業種は派遣期間が3年から無制限に。
 それ以外の業種では派遣期間の上限を1年から3年に緩和。
 但し、製造業は施行後3年間は1年が上限。
2004年(小泉純一郎内閣)
 紹介予定派遣の受け入れ期間最長6ヶ月、事前面接解禁
2007年(安部晋三内閣)
 製造業の派遣期間が3年へ
 
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