私家版・声に出して読みたい日本語(3)

2006年02月25日 | Weblog
   翻訳(独→日)してでも読みたい日本語

われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は率直さであります。心に刻み続けるという事が極めて重要なのはなぜか、この事を若い人々が理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人々の助力をしたいと考えるのであります。
人間は何をしかねないのか ― これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、より良い人間になったなどと思い上がってはなりません。 道徳に究極の完成はありえません ― いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝され続けるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力が備わっております。ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたて続ける事に腐心しておりました。
若い人達にお願いしたい。
他の人々に対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
 ロシア人やアメリカ人
 ユダヤ人やトルコ人、
 オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、
 黒人や白人、
これらの人達に対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。若い人達は、互いに敵対するのではなく、互いに手をとり合って生きて行くことを学んでいただきたい。民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこの事を肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。

 自由を尊重しよう。
 平和のために尽力しよう。
 公正をよりどころにしよう。
 正義については内面の規範に従おう。

今日五月八日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。
(荒れ野の四十年 ― ヴァイツゼッカー統一ドイツ初代大統領の1985年演説より)

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  読みたくない日本語

外交というと、何か特別なもののように感じている人も多いようです。しかし人間が作っているのが国家ですから、国同志の関係も、基本的には人間関係と同じです。  
そこで思い出して見て下さい。小学校の頃、子供の間で一番デカイ顔をしていたのは誰でした?喧嘩の強い子だったんでは有りませんか。じゃ教室の中で一目おかれていた子はどんな子でした?そりゃ勉強が出来た子に決まっています。喧嘩の強いのが「番長」、勉強の出来る子は「級長」と呼ばれていたでしょう。  
しからば逆に、子供の間で、イジメラレていた子はどんな子でした?喧嘩は弱い、勉強も出来ない、だけど金持ちの子、しかも成金の子供が、一番イジメラレて居たんじゃありませんか。豪華な弁当もっていきゃ食われ、格好の良いシャープペンシルを持って行きゃ取り上げられる。そういう思い出の一つや二つは、皆持っておられるでしょう。こりゃ何も日本だけの事では有りません。世界中似たようなもんです。  
そこで、喧嘩が強いのが軍事力。そこでイジメラレッ子は…?というと、やはり日本に成って来るんじゃ有りませんか。先進国首脳会議で唯一の有色人種ですが、サミットメンバーから除かれた事は一度も有りません。  
如何でしょう。以上は私が時々例に出す「外交」の本質を考えて欲しい時に話すネタの一つです。勿論アメリカは、現在の地位をより確固たるものにしようとします。 それなら日本はと云えば、これ等の争いを不安げに見つめているイジメラレッ子の位置に存在しているんじゃありませんか。しかし現状を分析して見れば、心情左翼の日本人やマスコミの反米感情に関係なく、アメリカ寄りの基本姿勢を国策とせざるを得ないのが日本なんじゃ有りませんか。隣り席に危なっかしいのが居るとなれば、守ってくれるのは、自力で出来ないので有れば、ケンカの強いのと仲良くするのは、子供でも知っている生活の知恵ではないでしょうか。少々単純化しすぎていますが、「異論」の一つとして参考にして下さい。
(麻生太郎HPより)

恥ずかしいよう。こんな男が次期首相候補とは、世も末である。
 

反語

2006年02月24日 | Weblog
「誰だって最初はわが目をごまかされ、プレーが華麗にさえ見えてしまうことはある。大事なことは、そのインチキをいつ見抜くか、見抜く眼力を持っているかどうか、いま、マスコミも政治家もそのことが問われているのである。」

 見抜く眼力が問われているのである。 
 見抜く眼力が問われているのである。
 見抜く眼力が問われているのである。

「記者の書こうとする記事には誰も口をはさむことは出来ない。そんな姿勢が果たしていまのジャーナリズムに貫かれているのだろうか。ひと様の現場の良心ばかりを問う資格が私たちジャーナリズムの現場にあるのか。ブルッと感じた寒気は折からの寒波のせいばかりではないようだった。」

 ブルッと感じた寒気。
 ブルッと感じた寒気。
 ブルッと感じた寒気。
   
「品性って何だと言われると一言ではいいにくいが、人としてのあり様、佇まいとでもいうんだろうか。それだけはしっかり持っていてほしい。ホリエモンのように、カネのために自分のあり様、人としての佇まいをなくした人間になってほしくない。」

 人としての佇まい。
 人としての佇まい。
 人としての佇まい。

「今度の選挙で鮮明になったことは、小泉政権というのは、異論、反論を唱える者は徹底して叩き潰すということだった。だが、この手法は何も自民党内や対野党に限ったものではない。次は必ず国民全般に向けられてくる。右向け右というときに、左を向いていたい者には激しい往復ビンタを食らわす、それがこの政権のやり方なのだ。点滅からはっきり赤信号へ。それがこんな政権をバカ勝ちさせてしまった国民の責務なのだ。」

 国民の責務なのだ。
 国民の責務なのだ。
 国民の責務なのだ。

「そんなキャリアに踏みにじられ、ないがしろにされた一線の警官たちがうっぷん晴らしに市民を靴底で踏みつけ、あちこちでトラブルを起こしているということか。警察の腐敗は、裏金だけではない。組織の芯の芯から腐り切ってしまっている。」

 腐り切ってしまっている。
 腐り切ってしまっている。
 腐り切ってしまっている。

   ― 以上、大谷昭宏氏の発言より ―


ひとりごと

2006年02月21日 | Weblog
ほんとはさあ。ホリエモンのメールの真贋なんてどうでもよくて、一昔前なら、ホリエモンの選挙の応援をした事実だけでも、幹事長であるタケベエと閣僚であるタケナカは辞任しなきゃおかしいだろう。昔なら、内閣がひとつ吹っ飛ぶぐらいだろう。ライブドアショックで東証の取引がストップしたと言うことが、先進国の株式市場でどれだけ恥ずべきことか。それに関わっているわけだから、辞任、もしくは内閣がつぶれて当たり前だろう。そういう声が野党だけではなく、与党の中から出て来るのがかつての自民党の派閥政治であり、擬似政権交代がこの国で起こってきたことだと思う。それすらも起こらないということは加藤紘一や、古賀誠など自民党の中の非主流派が、如何にマスコミに対して発言しても、大物ぶっても党内での力はないんだろうなあ。党内評論家の存在でしかないんだろう。それとも9月の自民党総裁選まで潜行するつもりだろうか。そのまま、ずーと潜行しとけ、アホ。事の顛末がどうなるかは明日(2月22日)の党首討論で、前原がどう出るかだが、強気な分だけ期待はしたいんだけど、一方の当事者が民主党の中でも軽さでは人後に落ちない永田じゃなあ。うーむ。マスコミのメールの真贋報道も要するに、自民党と民主党から、取材してるだけじゃん。しょうもない。自分達で、独自の調査報道すればいいじゃんか。切れ込めよ。おいおい、メールの真贋報道ばかりやっていたら、何処かの外資ファンドがライブドアの株を買ってるんだと。こうして、米の植民地化と新自由主義は着々と進むと・・・。あーーーあ。


生きた証

2006年02月20日 | Weblog
ノンフィクション作家柳田邦男氏の慟哭の書『犠牲-サクリファイス』は、25歳8ヶ月で自死した氏の次男洋二郎さんについての生と死の物語であり、肉親だからこそ、それを物語る資格もある。
人は誰しも青年期には多かれ少なかれ、自分を鋭く見つめる時期がある。多くの人はそこから脱皮して大人になる。脱皮の仕方は千差万別で、公式はない。しかしあまりにも繊細な個性を持った洋二郎さんは神経症を患い、内面にこもった生き方しか出来なかった。ほかの若者のように、職業につくとか、恋人を作って人生を楽しむとかがなかった。それに強烈な劣等感を持っていた彼は自分の人生を意味のあるものにしたくて、骨髄バンクに登録した。それは、自分の生に重しをつけるためでもあった。結局、自死を選択してしまったが、脳死判定が決定するまでの11日間に肉親は、そこに一生分の物語を描きえた。哀しみの中でも、彼が生きていた証を捜す短い旅が出来た。それは一人称の死が二人称の死に成る本人と家族の為の再生の物語であった。

バブル経済が弾け、銀行の不良債権問題が世間を騒がせていたさ中の94年9月14日、当時住友銀行名古屋支店長だった畑中和文氏(54)が単身赴任先のマンションの玄関先で何物かに射殺された。容疑者は未だ捕らえられていない。当時の住友銀行の幹部達は警察の捜査に非協力的だったと聞く。この事件をきっかけにして闇世界と対決する人間が激減したと言われる。ちなみにその幹部のひとりが郵政民営化会社の会長につく予定の西川善文氏である。この事件は多分、このまま迷宮入りするだろう。
また、有名なところでは国会で闇の勢力にまで切れ込んでいた民主党の石井紘基議員(61)が02年10月25日に自称右翼活動家の男に刺殺された事件がある。犯人の背後に何があったかは今もって分からない。石井議員が生前肌身離さず持っていた手帳は紛失したままである。
そして今、ライブドア社元幹部の野口英昭氏(38)が沖縄で亡くなってから、1ヶ月が経った。警察発表通り自殺なのか、或いは他殺なのか様々が意見があるようだ。謀略説を鵜呑みには出来ない。しかし、限りなく他殺に近い感想を持ってしまう。
彼らの死は私達にとって何の意味があるのだろうか。“知りすぎた人間”は暴力で口封じをされるしかないのだろうか。本来、人の死は本人である一人称と家族や友人の二人称で語られるべきだと思う。彼らの死は、そこに様々な憶測が流れ、否応なしに第三者の三人称の言葉で語られる。真実がどこにあるかを巡り、社会の中で三人称で語られる死の形が増えれば増えるほど、その国がおかしくなっている証拠ではないのだろうか。本来、特別な有名人でもなければ、人の死はしめやかに密やかに近親者の中だけで語られるべき性質の物のはずなのに、彼らの死は、いったい何時になったら、家族にとってのみの死として語られるのだろうか。

自死という悲しい結末を迎えた柳田洋二郎さんの人生だが、適合する患者がいなかった為、その骨髄は生かされなかった。しかし、故人の意志を遺族が忖度し、腎臓が臓器移植を待つ患者に提供される。

  その夜、洋二郎の腎臓の一つは近郊の病院に車で運ばれ、もう一つは
  航空自衛隊入間基地からCIジェット輸送機で夜空高く飛翔して九州
  の病院に届けられ、ともに待機患者の体内に無事移植され元気に動き
  出した。その報告を受けたとき、《ああ、洋二郎の生命は間違いなく
  引き継がれたのだ》という実感が胸にこみあげてきた。(本文より)

「いのち、永遠にして」25年と8ヶ月をかけて故柳田洋二郎さんが証明した真実であり墓碑銘でもある。
真実すらわからない死は、自死よりももっと悲しい。


メール作戦

2006年02月16日 | Weblog
華氏451度さんのエントリーで紹介されていた沖縄辺野古の海岸で起こった米兵による暴行事件にはハラワタが煮えくり返る思いがする。はじめの一歩さんをみならって以下のメールをニュース23に送付した。

  筑紫哲也様
  ニュース23スタッフのみな様

 貴番組を日本の良心的ニュース番組として、いつも拝見させて頂いています。
 貴番組では折にふれて、沖縄の基地問題を取り上げておられます。筑紫キャ
 スター自らの現地からのレポートもいつも示唆に富む内容で、勉強になります。
 さて、地元紙の一部でのみ掲載されたようですが、去る1月22日に沖縄・
 辺野古の浜を訪れていたHさんという26歳の青年が、突如現れた米兵3人に小突
 かれ、四つん這いを強要され、海岸を断ち切る有刺鉄線に結ばれていた平和を
 願うメッセージを取り除くことを強要された上、砂にSorryと書かされたそうで
 す。事実とすれば、明らかな人権侵害、暴行障害事件です。また、現在の日本と
 米国との関係を考えさせる事件だと思います。しかし、残念ながら全国紙や、全
 国ニュースでは全く報道されません。ぜひ、事実関係がどうなのかも含めて、貴
 番組で取り上げていただきたく思います。よろしくお願いします。
 
   news23@best.tbs.co.jp

みなさんも既にご存知だろうが、きっこの日記でもこの事件にふれている。
さて、取り上げてくれるだろうか。