私は元筒井康隆ファンである。代表作、『時をかける少女』のDVDをGWに鑑賞した。(原作の続編という位置付けらしい)
後で振り返れば、セピア色の写真が似合うような青春の一こま一こまが連続する良作である。ことさら、政治的なメッセージのある作品ではないが 、未来から来た少年である千昭が、主人公真琴に現代の雑踏の中で告白するシーンがある。
「川が地面をはしっているのをはじめて見た。」
「
空がこんなに広いことをはじめて知った。」
「人がこんなにたくさんいることをはじめて知った。」
彼が住んでいた未来の世界はそうではなかったことを暗示している。
少女と少年の別れは切ない。
「未来で待っている。」
「うん、すぐ行く。走って行く。」
―
時をかける少女、夕焼けのシーンより
現日本国憲法の理念を未来に持っていこう。走らなくてもいいから。
こじつけだが、昨今の政治状況に身を置いた状態で鑑賞したせいだろうか、そんな事を考えてしまった。
60年前、現憲法を作った人たちも、未来へむけてのメッセージを放っていたのだろう。平和主義。非戦。反戦。基本的人権の尊重。国民主権。
今は、それを私たちが使い込なせるか。そして、未来へバトンを渡せるかの瀬戸際かもしれない。
安倍の言う「戦後レジームからの脱却」とは、決して未来につながることではなく、過去に後退することだ。
憲法とは、未来へ時をかける日本人の理想だ。