壷三よ、ほんにお前は屁のような

2007年04月19日 | Weblog
就任以来「戦後レジームの脱却」を唱えてきた安倍政権だが、この政権を支える衆院の絶対多数は、憲法改正への信任として与えられたものではない。一昨年九月、郵政民営化法案を参院に否決された小泉前首相が、その是非を国民に問う、いわば「疑似国民投票」として行われた衆院解散で与えられたものだ。それをまだ国民の合意形成もない憲法改正の手順に使うのは筋違いだ。その負い目があるから、最後まで民主党を含めた与野党共同提案が模索されたのではないか。安倍首相は、憲法を改正したかったら、七月の参院選といわず、前首相に倣ってその是非を、解散総選挙で問うてはどうか。防衛庁を省に昇格させ、手続きルールだと言っては改正への国民投票法をつくる。そんな外堀を埋めてから本丸を攻めるような姑息(こそく)な方法で国家百年の計を決めるな (東京新聞 筆洗より)

少年法改正案も強行採決された。

わずか1週間のうちに3回も強行採決を繰り返すなど「美しい国づくり」をうたう「安倍流国会運営」の本質が露わになってきた。意見の歩み寄りも見られた法案審議の経過を断ち切って強行採決をすることが当たり前になるなら、あらゆる法案は強行採決されることになる。国会審議は不必要だというファッショ政治になりかねない。(保坂展人のどこどこ日記より)

伊藤一長長崎市長に対する銃撃事件への「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」という第一声のトンチンカンぶりと何かに取り付かれたかのような国会での強行採決の連発。

アパ壷三は、言動が軽い軽すぎる。
歴代の保守政治家でもここまで無内容の軽い政治家は、そうはいなかったのではないか。

池田勇人 「寛容と忍耐」
田中角栄 金にまみれながらも、故郷新潟や地方を都会並みにしたいと言うたたき上げの政治家としての哀しいまでの執念。
福田赳夫 「人の命は地球より重い」

壷三には何も感じない。小泉は変人宰相と言われながら、本人もそれをどこかで自覚していただろう。壷三には何もない。その中身はガランドウで空虚で、本人も自分が何をやっているのか、何を発言しているのか理解していないかのような気さえする。岸の亡霊が取り付いているだけだろうか。

50歳も過ぎた大の男が、さわやかさが売りなんて悪い冗談だろう。思春期に何かに取り付かれたかのように書物の世界に入り込んだわけでもなければ、社会人として、仕事に挫折し、恥辱を経験したこともない。社会の不条理に怒りながらも自分の無力さを知り、憤怒にまみれたこともない。

この男にはどうしてもそんな感情を抱いてしまう。
壷三よ、ほんにお前は屁のような男じゃのう。