地を這う

2006年01月07日 | Weblog
正直に書く。そういう仕事に現在従事している人や、あるいは過去に従事していた人には悪いが、私は学校の教師や、大学の先生が苦手だ。劣等生だったからかもしれない。時として、彼らは正し過ぎるのだ。

日本経団連の次期会長にキヤノンの御手洗富士夫氏が内定している。経済界の重鎮のポストが奥田碩トヨタ会長から代わるだけで、安堵している自分が存在する。私自身が民間企業に勤務するサラリーマンだからだ。トヨタの苛烈な労務管理の仕方は噂には聞く。トヨタをはじめとした財界が小泉応援団であることも認識している。しかし、全部幻想かもしれないが、御手洗氏が経済界のトップになることで、少し、期待する自分がいる。企業献金をやめないだろうか、とかリストラをする会員企業を痛烈に批判してくれないだろうか、とか思ってしまう。また、政治家の中でも松下政経塾出身者が揶揄されたり、批判されたりする。松下幸之助自体が神格化されていることに批判的な意見もある。
しかし、それに首肯したい自分と安易に首肯出来ない自分がいる。それは、私がサラリーマンだからだ。松下電器はこの国の企業の中では現在の中村社長以前は安易なリストラに走らずに大家族主義を企業理念としてきた。この国の企業の中では、マシではなかったか。

あなたはどうだろう。企業勤めをして、上司や役員に阿諛追従の言葉の一つも吐いたことはないか?私はある。道路公団絡みの橋梁談合事件を他人事だと思ったか。あれほど、大掛かりではないが、談合に近いことを私はした事がある。あなたがサラリーマンなら、企業を去っていかざるを得なかった同僚を救えたか?私は、全員は救えなかった。なぜなら、次は自分の番かもしれないからだ。パートや派遣などの非正規雇用の勤労者のお陰で勤務している企業が利益を向上させたことはないか。私は経験がある。私達は常に正しいのだろうか。100円ショップで物を買う。その商品は人権費の安い中国の労働者が作っている。あなたの愛犬や愛猫は東南アジアの安い労働力によって提供されるぺットフードを食べている。

私は経済のグローバリゼーションに疑問を持っている。日本がアメリカのような二極社会になって欲しくないと思っている。しかし、一方ですでにその経済構造に組み込まれ、利用もしている自分がいる。金の魔力に膝を屈する場合もあるかもしれないと思っている。アーサー・ミラーの『セールスマンの死』の主人公のように、地べたを這いずりまわって自分の中の矛盾を見つめなければならない時が確実にある。その中でも、山本周五郎の小説の主人公のように、藤沢周平の小説の主人公のように矜持を持って生きて行けるのか。高村薫の『晴子情歌』の主人公は激動の時代の学生生活を終え、女を捨て、北の船乗りになる。そこには労働はある。しかし、団体交渉もなければ、春闘もない。人は地を這いながら、矛盾を己の内側に抱え、生きて行く。

だから、私は、世間知らずで、正し過ぎる教師や先生や人が、時として苦手なのだ。