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さくらんひめ東文章

指折って駄句をひねって夜が明けて

盛りすぎ・・・

2013年12月10日 | 都へ上る
静寂を取り戻したり京の暮れ


娘と南座の顔見世を拝見に都に上る。

1泊2日のわずかな滞在ながらも名残の紅葉をもとめて彷徨う(笑)


紅葉は過ぎていたが、観劇前後のわずかな時間でも人も少なく車の流れがスムーズなのでとても有難かった♪


北野天満宮 紅葉苑








京都御苑














下鴨神社 糺の森










宵宵宵山

2013年07月16日 | 都へ上る
娘との旅も楽しいが、いつも半日損をしたような気分になる(笑)


朝食をホテルですませ、朝一で相国寺の承天閣美術館に行く予定であったが
娘が起きずホテルを出たのが10時過ぎ、結局三条でブランチとなる。
ところが窓辺の席に案内された直後にバケツをひっくりかえしたような突然の雨!




雨宿りがてらゆっくり食事を楽しめたが、この日の予定は空模様次第となった。





空が晴れてきて、毎年粽を頂いている「菊水鉾」についたのは12時半をまわっていて
それから、150年ぶりの巡行が期待される「大船鉾」へ。
会所で大金幣・懸装品とともに新調された飾り房などを拝見してチェックアウトのため一旦ホテルに帰った。





本来は午後には京都を発つつもりであったが、また雷雨にあって相国寺を出たのが16時過ぎ、
山鉾の提灯に灯りがともりだす頃になると、後ろ髪ひかれやはり帰れなくなってしまった(笑)




山鉾に灯りともれば帰られず








娘にとっては一番重要な「保昌山」へむかう時はまたまたどしゃぶりの雨、
会所へは娘だけをやって私は四条の駅で待っていて、今度は駅構内を南から北へ、
これまた最近ロト6やロト7にハマっている娘の要望で「郭巨山」へ。


ちょうどcocon烏丸で買い物もあったので外にでてみると雨も上がっていたので
「郭巨山」へは夜店が立ち並ぶ綾小路通を歩いた。





主人のお土産の山鉾町のオリジナルTシャツを頂いた「芦刈山」の会所近くでは
巡行の「くじ改め」の練習をされておられて、そのしっかりとした少年の後姿が心に残った♪♪♪














2010名残の京都 憧れの晩餐

2010年12月16日 | 都へ上る
今回の旅の晩御飯は、2年越し!憧れの博多ラーメン♪

以前から木屋町通にあるこのお店の風情に心惹かれていて
この通りをを歩く度に、いつかはラーメンを頂いてみたいと思っていた。

昨年も顔見世の帰りにこちらでラーメンを頂いてみたかったが、
友人から携帯に長電話がかかってきて断念せざるおえなくなった。

ラーメンは大好物であるが、この年になるとなかなか頂く機会がないもので、
列に並ぶ要領すら良く判らず戸惑ってしまう(笑)

お店のお兄さんのご指導に従って順番を待っていると、2~3分で奥のカウンター席に案内された。

実を言えば博多ラーメンを頂くのも初めてで、どうやって美味しくいただくのかもわからないので
それとなくまわりを見回し待っている間に頂き方のお勉強をした(笑)

カウンターには、高菜や紅ショウガ・胡麻・・・・などいろいろな具が並んでいる。
みなさんラーメンが運ばれてくるとそれらを入れている。

目の前では熱々のラーメンが次々に出来上がって運ばれていく。
ワクワクしてしまって、ちょうど私の前にラーメンが出てきたときに
思わず手を差し出してしまったが、後ろの席の方のラーメンであった(恥)

いよいよ私のところにもラーメンが出て、みなさんと同じように
見よう見まねでラーメンを頂いた。

今までコッテリしてシツコイものだろうと思っていた豚骨ラーメンが
予想に反してさっぱりとした美味しさがあった。
スープもとてもいいお味だった♪

となりのお客のお兄さんが「替え玉!」と頼んでいた。
私もお願いしたいぐらい美味しくてもう1杯ぐらいは軽くいけそうであったが
私のようなおばあさんのお客もいないのと、その「替え玉」のお作法もわからないので
もう少し修業を積んでからにすることにした(笑)

冷たい夜風の吹く中の熱いラーメンは格別でした♪♪♪


実は、京都でもう一軒どうしても行ってみたいお店があるだが、
それはまた来年のお楽しみ♪

2010名残の京都 京都名所圖會

2010年12月16日 | 都へ上る
下鴨神社にお参りしてから、芽葱と柚子の香が嬉しいあぶり寿司と名代の鯖寿司を頂き今出川まで歩いた。

途中、姉さんかぶりがお似合いのお母さんから鞍馬のすぐきとしば漬も頂き、今出川通を西に粟餅を頂きに行って、
そのまま東にとってかえし寺町通にある京都市歴史資料館に着いた時はお土産の食品で両手がふさがっていた(笑)

京都検定を受験したことによるご縁で竹村先生の研究者の方よりご紹介頂いた
竹村俊則著「新撰京都名所圖會」と「昭和京都名所圖會」との出合いは、
それ以降の私の京都の旅をより一層楽しいものに深めてくれた。

その竹村先生の「京都名所圖會」の原画が来年の1月16日まで京都市歴史資料館で公開中である。

現在残されている原画は600点にものぼるそうであるが、その内の60点余りを拝見することが出来た。

こんじんまりとした展示室に、所狭しと並んでいる原画は実に迫力があった。

現在のようにデジタルなど印刷技術がどんなに高精度になっても「画」というものは実物の迫力にはおよばない。

まさに「鳥瞰図」!!!

原画から少し離れてみると空を飛ぶ鳥になった心地を体感する。
また、近くでみると竹村先生の描くところの人々や乗り物がとっても楽しい。

京都名所圖會に掲載されなかったものや彩色されたものもあり、十二分に楽しませたもらった。

そろそろ時刻もタイムアップ!

このあと、寺町通を下り、お茶などを頂いてから京都駅へ。

2010名残の京都 下鴨神社

2010年12月15日 | 都へ上る
金戒光明寺~光雲寺~泉屋博古館をまわってもまだ12時を少しまわったばかりで、
15時の新幹線には間があるし、まだお腹も空いていない。

あと一つぐらいどこかにまわれる余裕があった。
今回の旅は、紅葉が目的ではない!なんて言いながらも、
ミーハーな性格の私は、所々に残る例年に比べると色の美しい紅葉をみるにつけ
都では遅い紅葉の下鴨神社に行ってみたくなった(笑)
ちょうど娘からお土産に鯖寿司も頼まれているので下賀茂神社の近くのお店で頂けるしそれも都合が良かった♪

さすがに土曜日であるので、出町柳駅から糺の森へ向かう人出も多かったが、
紅葉はまだ半分という感じで「混雑」というほどのものではない。

ちょうど結婚式で本殿に向かう花嫁花婿さんに遭遇♪
何かこちらにまで幸せのおすそわけを頂けたようで嬉しくなる。

そういえば昨年の名残の紅葉も下鴨神社であった(笑)

要するに私は出町柳や下鴨近辺をウロウロとして懐かしい想い出に浸りたいたいのかもしれない。



光雲寺庭園

2010年12月14日 | 都へ上る
「都名所図会」や「都林泉名勝図会」にも描かれている光雲寺さんの庭園。

現在の庭園は昭和2年に七代目小川治兵衛により大幅に手を加えられたものであると。

今回、「庭園修理の軌跡」というリーフを頂戴し、拝読させていただいたが、
当然のことながら、露天にさらされ、雨風に晒される庭というものは
私たちにはわからないが、手入れをしていても穏やかな荒廃が進行しているそうで
数十年の周期で修理が必要な古建築と同じであるということをあらためて知った。

その修理過程を写真ともに詳細に解説されているリーフはとっても貴重なもの。

修理においても修理を始めるまでわからないことも沢山あるようで
調査や実際に修理に係わられた関係者のご苦労がしのばれた。

京都には素晴らしい庭園が沢山あるが、それぞれがその庭園を美しく維持するために
一方ならぬ関係者のご苦労があることを初めて知った。



2010名残の京都 光雲寺

2010年12月14日 | 都へ上る
東福門院の菩提寺として、以前から一度お参りをさせて頂きたかった光雲寺さん。

今回は、庭園の修復完成記念として特別公開があり、幸運にも
冠をいただく東福門院像や女院の念持仏の聖観音像などを拝むことができた。

後水尾天皇を大きな愛で支えた東福門院のお姿はふっくらととても穏やかでいらした。
座像のそばに、光明皇后伝来の仏舎利塔があり、
光明皇后1250年御遠忌に拝ませて頂けたのも有難く、光明皇后と
同じく天皇を支えた后として東福門院の元にあるのがとっても相応しく思われた。
また伝聖徳太子作で足利尊氏が所有していた珍しい船に乗っている弘誓観音像他も公開されていた。

寛文の頃は七堂伽藍を有する広大なお寺であったのが肯ける素晴らしい寺宝の数々。

方丈の東側には、加藤清正が朝鮮より招来した「瑪瑙の手水鉢」もあった。

お庭を眺めながらお抹茶を頂いたが、お菓子のわらび餅がこれまた絶品であった♪

数年前に、光雲寺さんの事をブログに書かれていた方にコメントを入れさせて頂いたことがあったのだが、
この日、その方に偶然にも光雲寺さんでお目にかかることが出来、「仏のお導き」があることをしみじみと思った。

亀さん

2010年12月13日 | 都へ上る
金戒光明寺さんの庭園を散策中、散り紅葉を拾った時に気がついたのであるが、
庭園を回遊する石畳にちっちゃな亀さんがいた。

頭を進行方向に向けていて、とっても可愛い庭園の道案内役である♪♪♪

2010名残の京都 金戒光明寺

2010年12月13日 | 都へ上る
黒谷さんの秋の特別公開を拝観させて頂いた。

今年は「そうだ京都行こう」のキャンペーンが黒谷さんであったので、
相当な混雑が予想されたが、大方丈の襖絵などを拝見したくて
朝一番にお訪ねしたが、思ったより人出も少なくておかげ様で
御影堂の内陣の仏さまや紫雲の庭などもゆっくりと楽しませていただいた。

前日の風雨で紅葉はほとんど散ってしまっていたが、
もともと紅葉が目当てでもないし、季節を問わず好きなお寺のひとつなので
山門を上って、彼方の街並みを眺めたり、三重の塔や納骨堂の佇まいをしばらく眺めてから

御影堂内陣から拝見させて頂いた。
正面は、法然上人75歳の御影が祀られていて、
遣唐使吉備真備の難を救ったという「吉備観音」に心惹かれた。

大方丈の久保田金僊筆「虎の襖絵」、今尾景祥筆「松の襖絵」も面白かった。
個人的には、松の方が好みであった。

法然上人の一生を表した「紫雲の庭」もひとつひとつの石を確認しながら
拝見するとまた一段と味わいがあった。

仙洞御所

2010年10月28日 | 都へ上る
修学院離宮の参観が終わったのが、11時30分。
そこから相国寺の承天閣美術館へとまわったが、応挙を堪能しているうちに
あっという間に13時近くになってしまった。

13時30分からの仙洞御所の参観に10分前に集合なので、
大慌てで御苑の砂利道をパンプスで走ることとなった(笑)

参観はは今でも皇室の方々や国賓が入洛された際に使用される
大宮御所の御車寄のある玄関からスタートとなる。

仙洞御所の庭園は北池と南池にわかれた回遊式庭園で
後水尾上皇の時代に作事奉行であった小堀遠州が作庭したが、
直線的な石積や武家風が上皇のお好みに合わず、大改修されていて、
南池の片隅に当時の遺構がほんの少しのこっていた。

また北池の六枚橋がかかる入江に阿古瀬淵があり、
そこが紀貫之の邸跡である碑もあった。

写真は南池であり、美しい州浜が続いているが、
この州浜の石を集めるのに、1個を米一升とされた由来から
「一升石」と呼ばれる形の整った石がどこまでもひきつめられていた。

ご案内下さった方が、和歌を朗詠してくださったり、
京都の十二ヶ月のお菓子をご紹介してくださったりと充実の内容であったので、
大変有難く雅な上皇のくらしに想いを馳せる一日となった。


修学院離宮

2010年10月27日 | 都へ上る
今回の旅の大きな目的は、「寿会」と奈良県立美術館の展覧会であった。

仙洞御所が11時の参観が出来たなら、そのあと奈良でも西ノ京あたりの寺などを巡る予定であったが、
御所の参観が13時30分からであったので、それならと10時の修学院離宮の参観も合わせて
お願いすることとなった。

前回、2006年に参観させて頂いた日は雨模様であったが、
それはそれで西浜や浴龍池が素晴らしく幻想的であったことを記憶している。

今回は天候にも恵まれ、隣雲亭からは洛中の街並みや洛北の山々が見渡せた♪

「あのあたりが円通寺です」とご案内の方のご説明を伺いながら、
幕府に対する憤懣やるかたない想いをエネルギーに替え
一木一草にいたるまで細かく指示しながらこの離宮を造営された後水尾上皇を想った。

窮邃亭では上段の間で肘をついて今後の作庭を考えている上皇が目に浮かんできた。

とにかくスケールが大きく、田園風景も取り入れ、
大刈込みとしてまぜ垣を多用し自然美に溢れたこの離宮が私は桂離宮よりも好きである。


鷺森神社

2010年10月26日 | 都へ上る
15日京都に着いて、まず宮内庁京都事務所に直行!

お昼休みになる10分前にスレスレセーフで修学院離宮と仙洞御所の拝観許可を頂けた。

桂離宮と修学院離宮には、数度参観させて頂いたことがあるが、
仙洞御所はまだだったので、後水尾上皇ゆかりの御所を是非一度
拝観させていただきたかったのだ。

16日、10時の修学院参観のため、少し早めに着いてしまったので
前から一度お参りしたかった鷺森神社によってみた。

紅葉の名所で名高く、もちろんこの時はまだまだであるが、
社は新しくても森閑とした森が歴史ある古社の佇まいを感じさせた。

寿会

2010年10月18日 | 都へ上る
上七軒の寿会を拝見した。

春の北野をどりとは、また違った味わいのある寿会♪


「新鹿の子」

「百千鳥・紅葉笠」

「海と空」

「江戸風流」

「釣女」

寿会が初めての舞妓さんから、襟替え間近の舞妓さんまで7人が
「娘道成寺」と「屋敷娘」を元とした長唄で舞われた「新鹿の子」、
さすが、お姉さん舞妓さんたちは振り出し笠を巧みに操って「二人道成寺」のようであった。

若い芸妓さんたちが艶やかに舞う「百千鳥・紅葉笠」は、
まるで浮世絵の美人画をみているよう。

お姉さん芸妓さんお二人で舞われた「海と空」は、
曲も舞いも勇壮で、素晴らしく緊張感溢れる舞台。

「江戸風流」は、一番大きいお姉さん芸妓さんが
洒脱で滑稽味のある北斎を演じられて、まさに「至芸」というものであった。

科白が入る狂言仕立ての「釣女」もまた大変面白く拝見した。

寿会が終演して歌舞練場を出ると、空には、雲間から上弦の月が顔を出した。



熱き都 東山の巻 -10-

2010年08月25日 | 都へ上る
京都国立博物館の庭にある馬町十三重石塔

以前は東山区渋谷通東大路東入ルにあった源義経の家臣、
佐藤継信・忠信兄弟の墓と伝わっている。

今月は2度「義経千本桜」の狐忠信を拝見できた。

今年の私の京都夏の旅もこれでおしまい。

15時の新幹線に乗ったが、帰ってから晩御飯の支度をする気には、とうていならない(笑)
だろうと、この日は八条口側にあるパン屋さんで
カツサンド・和三盆のクリームパンやいろいろなアンパンを頂いた。