教養と趣味

私が経験してしてきたことや考えていることに対してご指導を下さい。趣味などを通して有意義な生き方についてご伝授ください。

日本の技術

2009年09月24日 08時05分59秒 | 日記
昨日は、ほぼ快晴で素敵な一日でした。
昨日はスポーツジムが休み仕事も休みということで、庭の清掃をしました。
立派な?まきの木の手入れを主にやりました。
梯子を利用しましたが、バランスをとるのに十分に注意をしました。
剪定をする時毎年思うのですが、遠目でみた時はこのようにやりたいと思うのですが、いざその場になると何処をどのように切り取ってよいのか分からないのです。
専門の職人さんは「職人の一服」と言って、タバコを吸いながら全体を眺めて次の剪定の作戦を練るそうです。
まさか、一服に酒を飲むわけに行かず、黙々と続けました。
少しは手入れをした感じとなりましたので、次に庭の草取りをしました。
愛犬(城)が、早速側に寄ってきましたがこれが足手まといなのです。
城も仕事を手伝っているつもりのようでした。

今朝は朝方より晴れ上がり、素晴らしい天気となりました。
近くに小学校がありますが、本日運動会のようで先生方がラインを引くなど準備をしておりました。
本格的な秋がやってきました。
有意義に毎日を送りましょう。

先日打ち上げられた日本初の無人宇宙船「HTV」が地上から350キロ前後の軌道にある国際宇宙ステーション(ISS)への結合に成功しました。
その作業手順は、
(1)ISSに接続されている日本実験棟「きぼう」の反射板にレーザーをあてて距離を測りながら、まず2時間ほどかけ、ISSから約300メートル離れた地点から約10メートルまで近づいて停止した。
(2)ISSにいる飛行士が、ロボットアームを操作してHTVを捕え、約2時間半かけて結合ました。
のようです。
素人の考えでは、10分もあれば出来るように思うのですが、大変な作業ですね。
来年にも退役予定の米国のスペースシャトルに代わって大型設備を運べる唯一の補給機で、2015年まで年1回の頻度で飛行が計画されています。
日本の出番がやってきました。
このたびの日本の技術は、高く評価されることと思います。
科学立国、工業立国をめざして頑張って欲しいものです。

下のURLをクリックされると、1ヶ月前のニュースを見ることが出来ます。
http://www.geocities.jp/haarita/824.htm





三大鍾乳洞

2009年09月24日 06時42分37秒 | 日本三大
三大鍾乳洞
出展:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

龍泉洞(岩手県岩泉町)
岩泉湧窟(いわいずみわっくつ)ともいう。
全長は2.5km以上とも5km以上とも言われている。しかし実際には40年以上前に洞窟探検家が潜水事故を起こして以来調査されていないので、あくまでも予測の数値である。水深98mの第3地底湖、120m以上ある第4地底湖(未公開)等、全部で7つの地底湖を持っていることで知られている。1938年(昭和13年)12月14日に洞窟及び生息するコウモリ類が「岩泉湧窟及びコウモリ」として日本国の天然記念物に指定されている。キクガシラコウモリ、コキクガシラコウモリ、モモジロコウモリ、ウサギコウモリ及びテングコウモリの5種のコウモリ類が確認されており、洞窟内からコウモリ類が飛び出すのを見ることもある。
観光整備工事中の1967年(昭和42年)に龍泉洞入口の向かい側に龍泉新洞が発見され、洞内から多数の土器・石器などが発見された。龍泉新洞はトレース調査により龍泉洞の下流部分にあたるとされているが、実際に水中部を潜り調査したことはない。だが、いくらかの調査に基づいて、龍泉洞の水が再度地下にもぐりこみ、清水川の下を「第二の川」のように流れ、龍泉新洞の「泉」で湧いていることが判っている。おおよそ5分ほどで、龍泉洞のしみこむ地点から、龍泉新洞の「泉」まで、到達していると言われる。
龍泉洞の水は世界でも、有数の透明度を誇っていることでも有名。これは、地下深くに潜り込んだ沢の水が、地底湖で湧出するためである。良質の腐葉土によって濾過され、また、地中の石灰質を多く溶かし込んでいるので、味がしっかりとしたものとなっている。名水百選に選定されている。
岩泉町(龍泉洞)近くに日本洞穴学研究所がある。最近では、安家洞が日本で最長の洞窟であると騒がれているため、龍泉洞はそれほど学術的には注目されていない(但し非公開にされている地域は、研究されているから除く)が、その美しさゆえに、デート・スポットとして、関東や近隣の都市から車で多くの男女がやってくる。



龍泉洞


秋芳洞(山口県美祢市)
洞窟探検家による潜水調査の結果、総延長は8,790m(日本第3位、鍾乳洞としては東洋最大規模)あり、葛ヶ穴まで連結した。このうち、観光用に公開されている部分は約1.5kmである。
鉱山業者の梅原文次郎と英国王立地学協会員のエドワード・ガントレットによる調査の後、1909年に観光地として整備された。2人が調査した当時は、地元では「水神のすみか」と伝えられており、誰も近づかなかったという。
国の特別天然記念物に指定されている。
秋吉台にある他の2つの鍾乳洞、景清洞、大正洞と合わせ、秋吉台地下水系という名称で2005年11月、ラムサール条約登録湿地となった。
2007年、秋吉台とともに日本の地質百選に選定された(「秋吉台・秋芳洞」)。
名称について
洞口に瀧があるために古くから「瀧穴」と呼ばれていたが、1926年5月30日、東宮(後の昭和天皇)が行啓の折にこの鍾乳洞を探勝。このとき「瀧穴」の名称について東宮が質問したところ、時の山口県知事大森吉五郎は、以前から称え伝えた名称であり、その所在地の者がかく称えていたと回答。すると時の内大臣牧野伸顕から、「瀧穴」とは何だか名実相伴しない観があるから何とか名称をつけたらよかろうとの提案があった。これに対して大森は、天下に誇るべきこの鍾乳洞にふさわしい名を殿下から戴くことは畏れ多いので牧野内大臣から命名していただきたいと答えたが、牧野曰く、この「瀧穴」の名は今回の行啓記念に殿下の思召によって近く改めて一段の光彩を添えることがよかろうとのことだった。
1926年6月17日、『防長新聞』は「秋吉の滝穴に入江侍従長から秋芳洞と命名された」と報じた。この報は、当時東京滞在中だった大森から山口県に電報で通達されたが、その電文にはただ「あきよしどう」とあるのみで漢字の説明がないので「秋吉洞」と命名されたと当初は解釈された。しかしこの字の読み方について、念のため折返し知事に照会した結果「よしの字は芳なり」との返電があったので「秋芳洞」と書くことが判明した。こうして1926年6月23日、大森知事から村長に「秋芳洞」の名が伝達された。


秋芳洞の入口


秋芳洞「黄金柱」


龍河洞(高知県香美市)
鍾乳洞の総延長約4キロメートルのうち、約1キロメートルが通常ルートとなっている。このほかに、冒険コース(前日までに要予約)がある。珍鳥センターと龍河洞博物館が併設されている。
洞内より数十点の弥生式土器、炉跡、木炭および獣骨などを発見しており、弥生時代にあって洞内に居住した痕跡がのこるとして天然記念物指定と同時に国の史跡にも指定された。
特に洞内において弥生式土器と地面がくっついたまま鍾乳石化したものが見られ、「神の壷」と命名されてこの龍河洞のシンボリックな存在である。その隣には近代になってから試験的に置かれた壷があり、こちらも鍾乳石と一体化している。


洞窟入口にある龍王神社