教養と趣味

私が経験してしてきたことや考えていることに対してご指導を下さい。趣味などを通して有意義な生き方についてご伝授ください。

地価が下落

2009年09月20日 07時37分21秒 | 日記
昨日は、平穏なよい天気でした。
午後より、曇り気味の天気となりました。
本日もよい天気が続きそうです。

先日の新聞によると、全国的に地価が下落したと報じておりました。
国土交通省が2009年7月1日時点の都道府県地価調査(基準地価)は、全国の住宅地・商業地を含む全用途平均で前年比4.4%下落し、昨年より下落幅が拡大したと発表しました。
3大都市圏でも6.1%下落し、4年ぶりに下落に転じたようです。
前回上昇を示した中心部を含むほぼ全ての地点で下落となったとのことです。
全国の商業地・地価でトップの「中央区銀座2─6─7」の明治屋銀座ビルが16.7%の大幅下落となったほか、住宅地のトップ「千代田区五番町12番6」の五番町マンションも11.2%の下落となったようです。
これは価格にしたら、大変な額になります。
別に私は土地を売ったり買ったりする予定はありませんので、直接は関係のないことですがこの価格の変動により利益を得る人がおります。
そのような人が価格を操っているのではないでしょうか。

人には運があります。
私が現在の土地を購入したのは、「列島改造論」が出る前でした。
また給料がどんどんと上がる頃でした。
当時もよい値段でしたが、思い切って買ったのが正解でした。
私の能力では、今はとても購入出来る状態ではありません。
しかし土地を求めておられる方にとっては、値下がりした現在が買い時ではないのでしょうか。

昨日のスポーツジムでの消費エネルギーが620.7kcal、体重が2.85kg減でした。
本日も頑張ってきます。
節酒をしたいと思っているのですが、「粘りの力」が発揮できません。

三大峠

2009年09月20日 06時02分40秒 | 日本三大
三大峠

いろいろなHPよりまとめました。

針ノ木峠(2,541m)(はりのきとうげ)(北アルプス越え)
長野・富山県境にある針ノ木岳の南の峠です。
標高2541mであり、1584年織田信長の属将佐々氏は徳川家康と手を結ぶため,当峠を越えて越中と遠江の間を往復したといいます。(当代記)。
(参考)針ノ木岳 はりのきだけ 北アルプス 2,821メートル
頂上をきわめる前、そして登頂後、必ず通過するのが標高2,541メートルで、峠では北アルプス最高所の針ノ木峠です。
南アの三伏峠(2,580メートル)に次いで日本で2番目に高く、高さもさることながら戦国の時代から越中と信州を結ぶ峠として知られ、天正12年(1584年)の富山城主佐々成政の冬の峠越えをはじめ、密貿易やイワナ釣りなどに利用されていたことは知られています。
近代になって昭和5年、大町市の対岳館主、百瀬慎太郎が峠に小屋を建て、同時に大町山案内人組合を結成してから急速に近代登山の対象として発展しました。
この山をさらに有名にしたのが北面に残る大雪渓で、白馬岳、剣岳と並び日本の三大雪渓の一つとして知られ、毎年6月上旬に「慎太郎祭り」が盛大に開催されます。
歌人でもあった慎太郎の名句「人を想えば山恋し山を想えば人恋し」の歌碑が、雪渓に至る入山口の扇沢駅左手に建っています。
また、頂上直下の信州側に、“まやくぼのカール”といわれる典型的な氷河圏谷を抱き、いかにも高山かつ奥山といった貫禄があります。


針の木雪渓を登る

三伏峠(2,580m)( さんぷくとおげ)(南アルプス越え)
塩見岳の西方にあり長野県大鹿村と静岡市の境にあります。
峠の東側はなだらかでサンプクリンドウなどの高山植物がつくるお花畑が広がります。
峠と、峠から東に下った沢沿いにそれぞれ山小屋があります。
北方に向かえば塩見岳から白峰三山、仙丈ケ岳、南に向かえば荒川岳、赤石岳へと続きます。
明治の初め、この峠を通って山梨県と長野県を結ぶ伊奈街道が開かれました。
完成は1886(明治19)年秋です。
山梨県側の起点は中富町切石、長野県側は飯田市をつなぐ全長約80キロメートルです。
山梨県側からは早川の新倉から山に入り、転付(でんつく)峠を越えて大井川の二軒小屋へいたります。


日本一高い三伏峠



雁坂峠(かりさかとおげ)(2,082m)(奥秩父主脈越え)
かつての、武州の秩父盆地と甲州甲斐の国を結ぶ峠で、「かりさかみち」とも呼称されました。
雁坂峠の歴史は古く, 日本最古の峠道といわれ日本書紀景行紀に日本武尊が蝦夷地平定のため利用した道です。
また武田信玄の軍用道路・甲斐九筋のひとつとして大きな役割を果たしてきました。
しかし, 日本三大峠のひとつ雁坂峠の国境は険しい峠として知られ峠の克服は当村はもとより. 山梨埼玉両県民にとって永年の夢でもありました。
現在では、国道140号がほぼ真下を雁坂トンネルで通過します。
1998年4月にこのトンネルが開通するまで、この峠を車では通行することは出来ず「開かずの国道」と言われ、峠を越えるハイキングコースが国道140号に指定されていました。
「秩父往還」という呼び方のほか、埼玉県側は「彩甲斐街道」、山梨県側は「雁坂みち」とも呼んでいました。彩甲斐街道を少し北上したところに栃本関跡があり、山梨側にトンネルを出たところすぐに西沢渓谷があります。
峠の頂上には笹薮の草原が大きく広がり、南側に広い展望が開けています。


頂上