教養と趣味

私が経験してしてきたことや考えていることに対してご指導を下さい。趣味などを通して有意義な生き方についてご伝授ください。

雪が降りました

2009年02月28日 08時25分36秒 | 日記
昨日は、朝方まもなくして、みぞれから雪となりました。
今年の冬、初めての雪です。
午後から雪は終わり、雨となりましたが一日中降りました。
とても寒い一日でした。
そのため、プールも早めに行って来ました。
70分間のプールでしたが、久しぶりに30分間私一人だけでした。

予報では本日は晴れのはずですが、未だ曇っており太陽が出てきません。
室温が8度であり、寒い朝です。
本日、午前10時より「武蔵国分寺跡」の「講堂」の史跡調査結果の説明会がありますので参加する予定です。
今までも何度か史跡調査結果を公表してきましたが、これが最後になるそうです。
このあと史跡公園として、整備される予定です。
午後からは、「囲碁」をしに行く予定です。
今日は、負け越してくるような気がします。
勝敗に関係なく、よい碁を打ってきたいと思います。




写真は昨日の雪の様子ですが、画面には雪が見えません

湯島天神

2009年02月27日 08時30分22秒 | 日記
昨日は一日中、雨が降りました。
今朝も雨が降っております。
これが雪になるように予報しております。
先ほど小雨の中を、愛犬(城)の散歩をしてきました。
雨は嫌いなのですが、散歩は大好きです。

本日は、「湯島天神」をスナップ写真およびHPより紹介いたします。
撮影は2月18日に撮影したものです。
現在は梅がもっと華やかに咲いていることと思われます。

交通案内
東京メトロ ①湯島駅 (千代田線) 3番出口 徒歩2分
東京メトロ ②上野広小路駅(銀座線) 徒歩5分
東京メトロ ③本郷3丁目駅(丸の内線) 徒歩8分
JR ④御 徒 町 駅(山手線・京浜東北線) 徒歩8分
都営地下鉄 ⑤上野御徒町駅(大江戸線) A4出口 徒歩5分




古来より江戸・東京における代表的な天満宮であり、学問の神様として知られる菅原道真公を祀っていることで、特に受験シーズンには、合格祈願のために、多数の受験生が参拝に訪れるが、普段から学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せている天満宮である。また、境内の梅の花も有名で、この地の梅を歌った「湯島の白梅」(1942年)は、戦中時の歌として大ヒットした。
長野県長野市に湯島天満宮の分社がある。


男坂(階下より境内を望む・ぼかしてあります)


男坂(境内より階下を望む・女性の顔に水色のマスクをしました)




男坂の途中の梅




社殿(平成7年造営)






境内の梅(あまり咲いておりません)




あちらにもこちらにも「絵馬」が一杯です

歴史
社伝では、雄略天皇2年(458年)1月、雄略天皇の勅命により天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建されたと伝えられている。南北朝時代の正平10年(1355年)、住民の請願により菅原道真を勧請して合祀した。この時をもって正式な創建とする説もある。当の湯島天満宮では458年創建としている。

徳川家康が江戸城に入ってから徳川家の崇敬を受けた。江戸時代には、多くの学者・文人が訪れ崇敬を集めた。明治5年に郷社に列し、明治18年に府社に昇格した。平成13年(2001年)に神社本庁の別表神社に指定された。

本殿の建築様式は権現造である。かつての社殿は明治18年に改築されたものであったが、老朽化が進んだために平成7年(1995年)12月に再建された。平成12年(2000年)3月31日に「湯島神社」から「湯島天満宮」に改称した。


小松菜を終了しました

2009年02月26日 08時32分34秒 | 日記
昨日は朝方より小雨がぱらつきましたが、午後より雨があがり太陽も出てきました。
これまで屋上の農場より、春菊、小松菜、かぶを時々採っておりましたが、昨日、小松菜の収穫をすべて終えました。
無農薬で新鮮な小松菜をおいしく食べました。
収穫したあと、土を掘り起こしておきました。
第3農場へ遅く蒔きました「春菊」も見事に成長をしております。
これから楽しみです。

本日はどんよりと曇った朝を迎えました。(午前7時現在)
室温は12度と比較的に暖かいのですが、太陽が出てくれないと心が塞いでしまいます。
ここで朝食および愛犬(城)の散歩のためブログの記述を休みます。

ブログの記述を再開します。
朝食を終え、7時50分に城の散歩に出かけたのですが霧雨が降り始めたため、早々に帰宅をしました。
城が途中で何度も踏ん張りましたが、強引に連れて帰りました。(8時05分)
予報では雨は降らないと言っておりましたが、この様子だと一日中雨が降るかも知れません。

写真は、上野公園にあります「国立科学博物館」です。

館内はとても広くて、科学について一通りのことを学ぶことが出来ます。
真剣に観ていくと、一日ではとても観終わることは出来ません。


入り口正面


本館の一部


入り口横に飾ってある蒸気機関車


正面左側に飾ってある鯨のモニュメント

神田明神

2009年02月25日 08時50分42秒 | 日記
昨日は、午後3時頃より雨となりました。
今朝雨は上がっておりましたが、今は霧雨が降ってきました。
今日一日、すっきりとしない一日になりそうです。
懇親会で一旦増えた体重は、簡単には減りません。
困っております。


さて本日は、神田明神を紹介いたします。
正式名称は、神田神社だそうです。
東京の中心―神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、築地魚市場―、108町会の総氏神様で、「明神さま」の名で親しまれているそうです。

交通
JR
中央線・総武線 御茶ノ水駅(聖橋口)より徒歩5分
京浜東北線・山手線線 秋葉原駅(電気街口)より徒歩7分

地下鉄
東京メトロ丸ノ内線 御茶ノ水駅(聖橋口)より 徒歩5分
東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅(聖橋口)より徒歩5分
東京メトロ銀座線 末広町駅 より徒歩5分
東京メトロ日比谷線 秋葉原駅 より徒歩7分


以下、スナップ写真とHPにより紹介します。


道路の反対側より神田明神を望む


鳥居(神田神社)


隨神門 -
昭和50年に昭和天皇御即位50年の記念として建立。関東大震災で焼失して以来約50年ぶりの再建。
総檜・入母屋造。二層建て・屋根は銅板瓦棒葺。各所に配した文様は伝統的なテーマをもとにしつつ、オリジナルなデザインを使用。外回りには四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)、内側には「因幡の白兎」といった大貴己命の神話をモチーフにした彫刻が飾られている。また二層目に「繋馬」の彫刻が飾られているが、この繋馬は平将門公の家紋に由来。
その後、平成10年に『平成の御造替事業』により鮮やかに塗替えられました。



正面 御社殿(国登録有形文化財)
昭和9年に竣功。権現造。当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート・総朱漆塗の社殿。本殿・幣殿・拝殿さらに神饌所・宝庫が重なり合うように造られており、昭和初期の神社建築では新しい形式をもつ。
伊東忠太・大江新太郎・佐藤功一といった近代神社建築・都市建築を代表する建築家により設計された。小屋組を鉄骨にして荷重を軽減し、柱間を少し狭めるなどして木造建築の姿に近づけ、鉄骨鉄筋コンクリート造ということを感じさせない工夫が施されている。

左側 鳳凰殿
神札授与所と参集所をあわせ持つ鳳凰殿がついに完成いたしました。お体の不自由な方でも、安心して利用していただけるスペースをご用意しております。この建物は、第2次境内整備事業の一環として建立しました。鉄骨造三階建て、朱塗、入母屋、正面唐破風、銅板一文字葺。延床面積は355.93㎡(107.84坪)。
1階 神札授与所、休憩所、参拝者控え室
2階 神職斎館
3階 祭礼装束調度品収納室



狛犬
関東大震災後に復興された現社殿とともに建立された、正面を向いている非常に珍しい狛犬。動物彫刻で有名な池田勇八が原型を作成しているので、リアルで精悍な表情をしています。狛犬は、神社の守護役あるいは神さまの使いとして、邪気を払う役割を持っています。
向かって右側に口を開けた「阿(あ)」、左に口を閉じた「吽(うん)」。「あ・うん」は、万物の初めと終りを意味します





だいこく様。縁結びの神様。天平2年(730)ご鎮座。
国土開発、殖産、医薬・医療に大きな力を発揮され、国土経営、夫婦和合、縁結びの神様として崇敬されています。また祖霊のいらっしゃる世界・幽冥(かくりよ)を守護する神とも言われています。大国主命(おおくにぬしのみこと)という別名もお持ちで、島根県の古社・出雲大社のご祭神でもございます。
昭和51年完成。高さ6,6メートル重さ約30トンで石造りとしては日本一のだいこく像として建立された。



えびす様尊像
神田明神境内に新たに建立された鳳凰殿のとなりに、当社二の宮のご祭神『えびす様』のご尊像が建立されました。えびす様は正式のお名前を少彦名命(すくなひこなのみこと)と申しあげ、神話に木の実を舟にして海の彼方にある常世から来訪された小さな神様と伝えられています。また『だいこく様』と力を合わせ日本の国作りを行われ、病人に医薬の道を教え、酒造りなど豊かな知恵を人々に授けられた福の神でもあります。
今回建立されたご尊像は、海の仲間(イルカやタイやトビウオ)に守られて大海原を渡られる『えびす様』のお姿が造形されています。
東京芸術大学学長・宮田亮平教授によって、鍛金工芸の優れた技術で美しく完成いたしました



神田明神の歴史
社伝によると、当社は天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。
その後、天慶の乱で活躍された平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、それが将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶2年(1309)当社に奉祀いたしました。
戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。
慶長5年(1600)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、当社では徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ないました。
すると、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。
これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。

江戸幕府が開かれると、当社は幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営されました。
以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで篤い崇敬をお受けになられました。

明治時代に入り、社名を神田明神から神田神社に改称し、東京の守護神として「准勅祭社」「東京府社」に定められました。
明治7年(1874)には、はじめて東京に皇居をお定めになられた明治天皇が親しく御参拝になり御幣物を献じられました。

大正12年(1923)、未曾有の関東大震災により江戸時代後期を代表する社殿が焼失してしまいましたが、氏子崇敬者をはじめ東京の人々により、はやくも復興が計画され、昭和9年に当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート、総朱漆塗の社殿が再建されました。

昭和10年代後半より、日本は第二次世界大戦へと突入し東京は大空襲により一面焼け野原となってしまいました。
当社の境内も多くの建造物がほとんど烏有に帰しましたが、耐火構造の社殿のみわずかな損傷のみで戦災を耐えぬきました。

戦後以降、結婚式場・明神会館など次々と境内の建造物が再建されていき、昭和51年に檜木造の隨神門が再建されるに及び、江戸時代に負けない神社の姿を取り戻しました。
さらに「平成の御造替事業」が行なわれ、社殿の修復・塗替えや資料館の創建など境内整備が進められました。
平成17年、神札授与所・参拝者控え所・休憩所を兼ね備えた鳳凰殿、氏子英霊をお祀りする祖霊社が建立されるなど、さらに境内整備が進められております。



休肝日・西郷隆盛像

2009年02月24日 08時44分49秒 | 日記
昨日は、午後3時過ぎまで雨が降り続きました。
またJR中央線が午前7時50分頃信号故障のため、約50分間上下線とも電車が止まりました。
昨日は都立高校の入学試験が行われた日であったため、全部の都立高校の入試開始時刻が2時間後になりました。
かつて大雪のために学校により入試の開始時刻が遅れたことはありましたが、全部の都立高校入試が一斉に繰り下げられたことはないと思います。
私立大学の入試も行われている時期ですので、大学入試も混乱をしたことと思われます。

昨日は「休肝日」でしたが、立派に禁酒が出来ました。
これで3週間続いて月曜日のみ禁酒をしている事になります。
健康維持のためにも、是非とも続けたいと思います。
1週間に2回「休肝日」を設けるとよいと言いますが、とりあえず月曜日を「休肝日」として実行しようと考えております。
禁酒をした翌日は、心身ともに快適です。
一昨日の懇親会では少々飲み過ぎたため、体重が少し増えました。

写真は、上野公園の西郷隆盛の像です。
西郷隆盛は、鹿児島に向かって立っているそうです。

由来
明治維新において官軍の参謀西郷隆盛と勝海舟が会談をして、江戸城が無血開城されました。
そのため、江戸は戦火をまぬがれ江戸100万人の財産、人命が助かりました。

明治4年~6年の間、廃藩置県、徴兵制度、身分制度の廃止、宮中の改革、学校、警察、銀行、太陽暦採用など近代日本の礎を作りました。

その後、西南の役で悲劇の人生を終えましたが、西郷さんの偉大な功績を後世に残すために、上野の山に銅像が建立されました。

明治31年除幕式には時の総理大臣山県有朋、勝海舟、大山巌、東郷元帥等や800名が参加して盛大に行われたそうです。









御影石に人の顔が映っております。


寒緋桜(かんひざくら)

2009年02月23日 08時24分51秒 | 日記
本日は、朝から雨がしとしとと降っております。
一日中、雨が降るようです。
愛犬(城)も雨は嫌いなので、サンルームのベットで丸くなって寝ております。

昨夜は慎重に酒をゆっくりと飲み、親睦を図ってきました。
皆で近況報告をしましたが、私は検査入院のことを話しました。
15人ばかりの会合でしたが、一人「憩室」の方がおられました。
あとの方々は、「憩室」って何だ、ということでした。
自覚症状がありませんので、10人に1人くらいの割合で「憩室」の方がおられるのかな、と思いました。
健康に留意をして、来年も再会出来るように誓い合って別れました。


写真は、2月18日(水)に撮影をした上野公園の「寒緋桜(かんひざくら)」です。
2月中旬から3月中旬に花を見ることができます。








中川昭一前財務・金融相と麻生太郎首相の酒

2009年02月22日 08時25分14秒 | 日記
本日も素晴らしいよい天気を迎えましたが、相当に冷え込んでおります。
庭には珍しく霜がおりております。

本日は夕刻より、ある団体の懇親会があります。
飲み過ぎのないように十分に注意をしてきたいと思います。
そこで本日は、中川昭一前財務・金融相と麻生太郎首相の酒について考えてみたいと思います。
私も酒が好きなので、酒を飲みたいという気持ちはよく分かります。

新聞によると、中川氏は、相当に酒癖が悪いようです。
以下、新聞の記事です。

辞任した中川昭一前財務相が、失態を演じた14日の記者会見後に見学したバチカン博物館で、美術品の周囲に設けられた柵を乗り越えたり、触ることが禁止された美術品を素手で触ったりしていたことが20日、ローマ法王庁関係者の話で分かった。柵を越えた際には警報が作動したという。いずれの場合も博物館職員は問題行為ととらえず、バチカン側も抗議などをする考えはないという。

人に迷惑をかけるようなことは許されない事ですよね。


次は、麻生氏に関わる新聞の記事です。

麻生太郎首相が1月19日に東京・神山町の私邸から首相官邸に隣接する公邸に引っ越して1カ月が過ぎた。引っ越し翌日から今月19日までの平日の帰宅時間(外遊中を除く)は平均午後9時3分で、午後10時50分だった就任後1カ月間の平均より1時間47分も早まった。当初批判された「バー通い」も減り、「疲れていて元気がない」と体調を気遣う声も出ている。

最近、少々くたびれているように思われます。
「バー通い」はやめて、自宅でのみ早々に寝たらどうでしょうか。

四国八十八ヵ所巡り石仏群

2009年02月21日 07時54分40秒 | 日記
今朝は相当に冷え込んでおります。
しかし太陽は昇ってきましたので、日中は暖かくなるのではないでしょうか。
本日は所用があって、午後より浜松町へ出かけます。
晴れているので助かります。

さて本日は、国分寺薬師堂北側にあります「四国八十八ヵ所巡り石仏群」を紹介いたします。
我が家から徒歩3分程度のところにあります。
四国八十八ヵ所を模した石仏で、札所の番号や詠歌など刻まれていたそうですが、今は確認できません。
またすでに風化したのか、盗難にあったのか台座だけのものもありました。

[住所] 国分寺市西元町1丁目13番地16
(国分寺薬師堂境内)

以下、ピンボケ写真で紹介いたします。




このような形で、石仏が配置されております。


右端のものは首だけです。
さらにその右側には台座だけでしたので、省略しました。


以下、3体ずつ紹介します。
高さは、30cm~50cmです。
ピンボケなのが残念です。(実物もぼやけているのですが?)